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prologue
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フォーンディアの都の全てがその深い青に沈んで、ひっそりとしている、雨の、夜の遊園地。
メリーゴーランドに立て掛けてある剣。
「戦争になる。もう、皆が知ったことだけれど」
恋人とは呼べないレチエに、暗い面持ちで呟くミシン。
境界の砦から、顔のない異民族が流入してきている。裏切り者は誰か。都では連日議論がなされ、その判定が下されれば、僕はそこへ向かうことになるのだよ。この剣で、どれだけの首を落としてくることになるだろう。起こっていることはそれだけではない。どこかで、増水した水が溢れている。この今降っている細かな雨はやがて線の雨になって世界を覆ってしまうという。何かの群れが、雨を引き連れてこの国を目指している。群れは一つなのか。たくさんの群れなのか。止めなければならない。もしかすると境界を越えて外縁でも戦いになるかも……
呟きは、彼の口元でぐるぐると小さく回っているだけで、レチエには聞こえていないことを彼もわかっていた。
「こんな詩があるの」
レチエの影絵から彼女にしかない密やかな息づかいで言葉が発せられる。その発声は、ミシンの淀んだ響かない小声とは真逆に、一声だけで夜の空気を優しげに振動させた。その振動のとても微細な粒子までが、ミシンにも感じられるように思われた。
――油の雨が降り注ぐ海に浮かぶ要塞には、アコーディオンがあって、外の雨を奏でている。〝全テノ機械ハ、海底デ眠ッテイルノ。〟油が降り注ぐ、暗い窓辺に佇むアコーディオンは、死した機械達の夢を見続ける――
この遊園地は、百年くらい前までは、千年もの時を閉鎖されてきた。機械達が、死んだときから。機械戦争。かつて、未知なる機械と、人との戦いがあったのだという。たくさんの人が、機械にされて連れ去られた。人は、機械の夢に入り込みそのプログラムを極限まで速めることで機械を加速的に成長させ滅ぼすことに成功した。全ての機械が死んだ。今、機械は滅び海の底に眠っているのだとも、あるいは少数の生き残りが天空に独自の楽園を築いて密やかにして暮らしているのだとも、聞く。それは、詩と御伽噺の中だけのお話だったけど。
人は、手に負える範囲のささやかな技術だけを残し(時計や電気など)、再び魔法が世に発展していった。ただし、魔法を扱える人の数は限られていた。薄まった血を濃くすることは難しいのだ。今では魔術や錬金の他に、詩や唄や音楽も魔法の下に入れられ新しい方法が考案されていた。
レチエは、小さな灯かりを手のひらに浮かべる。魔法の灯かりだ。淡いキイロの中に、レチエのきれいな顔が浮かび上がった。レチエの方からすれば、陰気なミシンの顔が浮かんで見えている。魔法の灯かりは二つ、三つ、四つと増え、次々とメリーゴーランドにともされていく。首の刈り取られた全ての木馬の頭に灯かりがともると、メリーゴーランドは廻り始めた。
音楽の才能があれば、ここにレチエと残ることもできたのかもしれない、とミシンは少しだけ思ってみる。
メリーゴーランドのレチエ。死んだ機械の代わりに、メリーゴーランドを廻すのが、こないだ学院を卒業した彼女の仕事。それに、音楽の仕事をする人達が、楽器を弾いて音楽を添える。
だけど、陰気なミシンにそんな仕事が似合うはずもなかった。昔から剣で、外森に住まうカヂリやトグロなどを狩るのがしょうに合っていた。これからはもっと得体の知れない何かを狩ることになる。
学院ではほとんど口をきくことも、僕には憚られたのに、君のきれいさ、それ以上に、魔法の灯かりの明るさに。だけど、その明るさにできる影があって、僕はその影の中にいるような気がしていた。その影のことを言ったら、君はその影をわたしも知っているのだと言った。遠い昔から、知っていて、その影にいる人達のことも知っているのだと。でも、それが僕だとは言わなかったし、人達、だと言った。君はその人達を助けてあげたいと思うのだけど、その影を消したらその人達は死んでしまう。その影からその人達を連れ出すことが正しいのか、今はわからないと。
レチエ。どうして会ってくれたんだろう。僕にはレチエが囚われている姫のように映った。そのことは、言ってはいない。だけど、僕が君を助けられることがあったら、この剣にかけて、君を助ける。
音楽のないメリーゴーランドが廻る夜、その片隅に佇む剣が寂しそうにしていた。おまえの居場所はここじゃないんだね。そう、僕ももう……行かなくちゃ。僕がこの剣と行くことになる、遠くへ。この剣がかがやける場所に。そこにレチエはいないけど。どうしてだろう、でも、僕はきっと君をいつか助けることになる気がするんだ、レチエ。そのときにはきっと必ず、君を助ける。レチエ。陰気な呟きがぐるぐるしている。
レチエはまるで踊るように、笑っていた。雨のような透明な水色の髪も、踊って笑っていた。
ミシンは冑の緒も上手にしめられないまま、木馬に乗って、後ろに遠ざかるレチエは、メリーゴーランドの反対側にすぐ、見えなくなってしまった。
メリーゴーランドに立て掛けてある剣。
「戦争になる。もう、皆が知ったことだけれど」
恋人とは呼べないレチエに、暗い面持ちで呟くミシン。
境界の砦から、顔のない異民族が流入してきている。裏切り者は誰か。都では連日議論がなされ、その判定が下されれば、僕はそこへ向かうことになるのだよ。この剣で、どれだけの首を落としてくることになるだろう。起こっていることはそれだけではない。どこかで、増水した水が溢れている。この今降っている細かな雨はやがて線の雨になって世界を覆ってしまうという。何かの群れが、雨を引き連れてこの国を目指している。群れは一つなのか。たくさんの群れなのか。止めなければならない。もしかすると境界を越えて外縁でも戦いになるかも……
呟きは、彼の口元でぐるぐると小さく回っているだけで、レチエには聞こえていないことを彼もわかっていた。
「こんな詩があるの」
レチエの影絵から彼女にしかない密やかな息づかいで言葉が発せられる。その発声は、ミシンの淀んだ響かない小声とは真逆に、一声だけで夜の空気を優しげに振動させた。その振動のとても微細な粒子までが、ミシンにも感じられるように思われた。
――油の雨が降り注ぐ海に浮かぶ要塞には、アコーディオンがあって、外の雨を奏でている。〝全テノ機械ハ、海底デ眠ッテイルノ。〟油が降り注ぐ、暗い窓辺に佇むアコーディオンは、死した機械達の夢を見続ける――
この遊園地は、百年くらい前までは、千年もの時を閉鎖されてきた。機械達が、死んだときから。機械戦争。かつて、未知なる機械と、人との戦いがあったのだという。たくさんの人が、機械にされて連れ去られた。人は、機械の夢に入り込みそのプログラムを極限まで速めることで機械を加速的に成長させ滅ぼすことに成功した。全ての機械が死んだ。今、機械は滅び海の底に眠っているのだとも、あるいは少数の生き残りが天空に独自の楽園を築いて密やかにして暮らしているのだとも、聞く。それは、詩と御伽噺の中だけのお話だったけど。
人は、手に負える範囲のささやかな技術だけを残し(時計や電気など)、再び魔法が世に発展していった。ただし、魔法を扱える人の数は限られていた。薄まった血を濃くすることは難しいのだ。今では魔術や錬金の他に、詩や唄や音楽も魔法の下に入れられ新しい方法が考案されていた。
レチエは、小さな灯かりを手のひらに浮かべる。魔法の灯かりだ。淡いキイロの中に、レチエのきれいな顔が浮かび上がった。レチエの方からすれば、陰気なミシンの顔が浮かんで見えている。魔法の灯かりは二つ、三つ、四つと増え、次々とメリーゴーランドにともされていく。首の刈り取られた全ての木馬の頭に灯かりがともると、メリーゴーランドは廻り始めた。
音楽の才能があれば、ここにレチエと残ることもできたのかもしれない、とミシンは少しだけ思ってみる。
メリーゴーランドのレチエ。死んだ機械の代わりに、メリーゴーランドを廻すのが、こないだ学院を卒業した彼女の仕事。それに、音楽の仕事をする人達が、楽器を弾いて音楽を添える。
だけど、陰気なミシンにそんな仕事が似合うはずもなかった。昔から剣で、外森に住まうカヂリやトグロなどを狩るのがしょうに合っていた。これからはもっと得体の知れない何かを狩ることになる。
学院ではほとんど口をきくことも、僕には憚られたのに、君のきれいさ、それ以上に、魔法の灯かりの明るさに。だけど、その明るさにできる影があって、僕はその影の中にいるような気がしていた。その影のことを言ったら、君はその影をわたしも知っているのだと言った。遠い昔から、知っていて、その影にいる人達のことも知っているのだと。でも、それが僕だとは言わなかったし、人達、だと言った。君はその人達を助けてあげたいと思うのだけど、その影を消したらその人達は死んでしまう。その影からその人達を連れ出すことが正しいのか、今はわからないと。
レチエ。どうして会ってくれたんだろう。僕にはレチエが囚われている姫のように映った。そのことは、言ってはいない。だけど、僕が君を助けられることがあったら、この剣にかけて、君を助ける。
音楽のないメリーゴーランドが廻る夜、その片隅に佇む剣が寂しそうにしていた。おまえの居場所はここじゃないんだね。そう、僕ももう……行かなくちゃ。僕がこの剣と行くことになる、遠くへ。この剣がかがやける場所に。そこにレチエはいないけど。どうしてだろう、でも、僕はきっと君をいつか助けることになる気がするんだ、レチエ。そのときにはきっと必ず、君を助ける。レチエ。陰気な呟きがぐるぐるしている。
レチエはまるで踊るように、笑っていた。雨のような透明な水色の髪も、踊って笑っていた。
ミシンは冑の緒も上手にしめられないまま、木馬に乗って、後ろに遠ざかるレチエは、メリーゴーランドの反対側にすぐ、見えなくなってしまった。
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