境界戦記

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第1章 雨の回廊

雨の回廊(1)

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 その回廊は、雨でできていた。雨に包まれていた。

 ミシンはゆっくりと馬を駆って、ただ不思議な気持ちでそこを進んでいる。周りの皆がそう、ただゆっくりと馬を駆って……

 雨が、ミシン達の通っていくのをよけて、周囲に降っている。壁や天井やそれに床さえもなくて、そこに、雨が降っている。ミシン達の通っていくところだけ雨が降っておらず、その形が回廊になっているのだ。雨が、壁であり天井なのだ。壁から天井にかけて小さなカーブを描いて湾曲しており、雨もそのカーブに沿って降っている。雨の向こうは、ただの静かな暗闇だ。

 足下を見れば、透明の道があるようにその下で雨が降っており、更にどことも知れない暗闇の下へ下へと降っていく。

 真っ暗闇の中に降る雨。その雨が作る回廊。回廊を行く、騎士達。

 ほとんど音も聴こえずに、静かに降る雨。透明の壁でもあるのだろうか。魔法で作られている小さなトンネル、と言った方がいいのかもしれない。

 暗闇の中で、雨が薄明かりのようだ。しっとりとした道。
 ほんの時折、雨が、ぱら、ぱら、と降り込んできて頬や肩に、あたる。

 しばらくは誰も口をきくこともなく、各々の馬を駆ってゆっくりと、雨の回廊を進んだ。
 ただその黙々とした歩みは、これまでのような打ち解けなさではなく、むしろそういうものやぎくしゃくした気持ちや関係までもが、周囲に延々と降っている雨に削られ、流され洗われていくような思いがするのだった。
 ここにあるのは、優しい沈黙……いや、優しいというのでもない、そういった感情というものが感情として名付けられるもっともっと前の芽生え。
 きれいさというものでもない。そういうきれいと思わせる気持ちさえ奥のまた奥に隠し込んだような。何かを秘めているのだけれど、それを暴きだすことはできない、憚れるといった類いの静けさ。

 だから、この雨の回廊のことは、誰も言葉にし得なかった。

 また時折、周囲を包む雨の感じがそれともなしに変わり、それに伴って心持ちが、開放的になったように思われたり、少し沈降したように思われたり、それらはほんのゆるやかなものではあったが、そういう感情の揺れさえも、そういう微々な感情の揺れだからこそ、心地のよいものだった。

 そうやってどれだけの時を進んだことになろう。

 そのうちに、そういった感情の微々たる揺れの心地よさの中に、何か異音のように、ノイズのように、異なる感情が入り込んでくる、と感じられるようになった。それはほんの小さなものではあったのだが。今までに聞いたことのない音を聴くのと同じに、今までにない感情のかすかな乱れを感じた。

 ミシンは何も言わないでいたが、ミジーソが口を開いた。
「どうやら、雨の流れがどこかで途切れていますな。どこかに、雨が欠けている場所がある」

「雨が、欠けている……」

「うむ。この辺りでしょうな。さきほどから、感じるでしょう?」

 あの微細な揺れ。皆も、感じていたのだろうか。ミルメコレヨンらに表情はないが、とくに疑問や不満を挟む様子もなさそうだった。

 ミジーソは馬をとめて、辺りをきょろきょろと見回す。ミシンもそれに倣った。

 雨が欠けている……「あっ」。これか。ミシンは、見とめた。
 一ヶ所、ミシンの馬の足先、回廊下部のほんの片隅で、雨の流れが途切れて、まるで雨がそこから別の場所に降り込んでいるようだ。

 ミシンがその箇所を指すと、ミジーソは馬を下りて調べだした。
「雨の回廊を行く者には、欠けている場所を見つけたら必ずそれを報告の上、直していかなければならない、という義務があるのです」

「直す? どうやって……」

「見つけなかったことにはできないのか」
 ミルメコレヨンのぼやきは無視したのか、耳に届かなかったのか、ミジーソはミシンの方に答える。

「修復するための材料がございます」

 ミシンはミジーソと、欠けているその中を調べることに、その間にミルメコレヨンらが報告と修復のための材料を取りに戻る、ということに決まった。

「しかし、そんなものは持っていない。いちど都にまで戻らないといけないのか、ミジーソ?」

「いえ、入り口まで戻り、入り口のあの者に報告すればそれでよろしいし、材料もそこにございますじゃ」

「そうなのか……」

 ミシンは、ミルメコレヨンらは王のところまで一度戻れば、もう戻って来ないのでは、という期待が一瞬頭をよぎったのだった。さきほどまでの穏やかな感情が、確かにここでは乱れている。

「なに一駆けすればそう時間はかかるまい。間違えずに頼むぞ」
 そう言うミジーソに、ミルメコレヨンらはとくに言葉も返さずにきびすを返していった。
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