マトリョーシカ少女

天海 時雨

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番外編 風が吹く 1.

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「……久しぶりだね、お母さん。最近来れてなかったから、今日来ようと思ったの」

 草原の風に、紗凪の声が溶ける。

「……悠月もね、行きたいって言ってたけど、駄目だから。悠月の分も、花、持ってきたんだよ──ね、里奈さん」

 悠月の好きな、白百合──里奈、悠月の今は亡き母も好きだった花。草原にぽつりと立つ石碑に、供える様に置いた。

「……お父さんと、仲良くしてる?」

 ──二人なら、喧嘩するはずもないかな。
 そう、くしゃりと泣きそうに笑った。

「……会って、話したいな」

 ──会えたら、どんなにいいだろう。

「……静月とね、──なっちゃった」

 ぶわりと風が吹いた──言葉を掻き消すように。

「……決まってもないのに、馬鹿じゃないって言うかな、お母さんなら。 どう言ってくれる?」

 また──くしゃりと笑う。

「……出張、だって。一ヶ月の、出張。だからね、私が何をしても静月は知れないの。だから、来たんだよ」

 ──もし一緒に来たら、言えることも言えなくなる。それは、嫌だった。

「……どうしよう、お母さん、お父さん」

 ──静月と、うまく話せないや。


「おかえり……今日、見回りだったっけ?」
「ただいま。ん、今日は結構めんどかった」
「お疲れ……お風呂、沸いてたよ」
「ありがと」

 ──気づいてることに、気づいてないんでしょう。
 黒色のスーツの綺麗な波に、白い泡立ちがあること──赤いサンゴも、浮かんでること。

「……っ!」

 ──仕事なんだから、仕方がない。そう分かってはいるはずなのに、どうしても嫌悪感を抱いてしまう、醜い自分がいて。

「……ごめん」

 ──こんな、性格悪くて。

「ん?」
「……ううん、なんでもない。おやすみ」
「……? うん、おやすみ」

 つきりと、胸が痛んだ。


「……本当に、性格悪いよね。両親とは大違い。ほんと、汚くて、馬鹿みたい」

 ──泣きそう。

「仕事なんだから、しょうがないよね。分かってるの、でもさ……」

 ──それでも、嫌だったんだ。たった一分──たった一秒でも、自分以外のものになったんじゃないか、って。
 こんな自分の独占欲にも、嫌気が差す。

「……戻るね。また、来るから」

 流れる涙をそのままに、墓を後にした紗凪。
 ──花を包んでいる透明なビニールに、一つの水滴は落ちたまま。
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