本当にセミを描きたかっただけ

田村 ノア

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第二話 「静かな線引き」

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優矢は、笑っていた。
まるで何もなかったみたいに。
矢高や那須たちと輪になり、いつも通りの調子で軽口を叩いている。
制服はきっちりと着こなし、マスクと長袖も変わらない。
完璧な“日常”。
けれど。
その視線が、ほんの一瞬だけこちらをかすめた。
——気づいている。
幸人の喉がひくりと鳴る。
教室の喧騒が、やけに遠い。
蒸し暑いはずの空気が、妙に冷たい。
あの下には、色がある。
誰も知らない色。
知っているのは、この教室で自分だけだ。
その事実は、胸の奥に静かに沈んでいた。

「よぉ、幸人! 朝から幽体離脱か?」
不意に肩を叩かれ、幸人は跳ねるように振り返った。
「さ、朔…! おはよう…」
安達朔が立っていた。彼は幸人の親友であり、同時に厄介事の嗅覚に長けた男だ。
「顔色悪くね? また変なもん描いて夜更かしか? ……ん?」
朔の視線が、幸人の見ていた先へ滑る。
優矢たちの輪。
口角が、にやりと上がった。

「へぇ。千鳥、見てたんだ?」

アニメならここで滝のような汗が流れる場面だろう。
残念ながら、ここは現実だ。
ただ目が泳ぎ、言葉を失った陰キャが一人、完成するだけである。
朔はくつくつと笑った。

「へぇ~。美術部の変人が、ついに“人間”に興味持ったか」

昼休み。

優矢の姿はなかった。
いつものことだ。
別に、気にする必要はない。
——ない、はずなのに。
普段なら朔と机を寄せてパンをかじっている時間。
それすら忘れて、幸人は廊下を歩いていた。
何かを探すみたいに。
屋上。
いない。
(……何してるんだろ)
教室へ戻りかけたとき、ふと思い出す。
校舎裏。
行ったことは、ない。
使われなくなった焼却炉があり、
塗装の剥げたベンチがぽつりと置かれているだけの場所。
人が寄りつくようなところではない。
だからこそ——

いた。

何もしていない。ただ、空を見上げていた
こちらには気づいていない。
(…てか僕、探して、何をしたかったんだ?屋上でのこと?家で何かあったの?って聞きたかった? いや、そんな…気持ち悪い)
本日2回目、いや3回目の自己嫌悪と変な羞恥心に襲われた。
幸人が物陰に身を潜め、逡巡していると、不意にかけられた声がその思考を断ち切った。

「あれ、寺嶋くん?こんなところでどうしたの?」
振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの水井穂香だった。彼女はいつも明るく、誰にでも分け隔てなく接するタイプの女子だ。

「み、水井さん…こ、こんにちは…。いや、ちょっと、散歩…というか…。」

「散歩?ふぅん?あ、もしかして優矢探してた?」

穂香は幸人の背後、ベンチに座る優矢にちらりと視線を送りながら、悪戯っぽく笑う。

「え!?いや、そ、そんなこと…!」

「あはは、図星でしょ。優矢なら、昼休みはいっつもあそこにいるよ。教室にいると、ほら、色々うるさい奴もいるからさ。」

彼女の言葉には、少しだけ棘が混じっているようにも感じられた。そして、ふと真顔になると、心配そうな声色で続ける。

「…ねぇ、朝、優矢と何か話した? あの子、たまにすごく思い詰めた顔するから、見てらんない時があるんだよね。私じゃ、どう声をかけていいか分かんなくてさ。寺嶋くんなら…何か、気づいたこととか、ないかなって。」

穂香の真剣な眼差しが幸人に突き刺さる。
彼女は、ただの野次馬根性で聞いているのではない。本気で優矢のことを案じているのだということが、ひしひしと伝わってきた。
その時。
風に紛れて声が届いたのか、
空を見ていた優矢が、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
距離があるせいで表情は読めない。
けれど。
——気づいている。
幸人の喉が、ひくりと鳴った。
穂香が小さく手を振る。
「優矢ー」
優矢は一瞬だけ目を細め、
それから、いつもの柔らかな仕草で軽く手を上げた。
完璧な反応。
何も問題はない、という顔。
それが逆に、幸人の胸をざわつかせる。
優矢は二人のもとへ歩いてくる。
「どうかした?」
「いや? お昼ごはん食べたー?」
「ううん。俺、昼は食べないから」
穂香が「またそれ?」と軽く笑う。
ただの日常会話。
何も特別じゃないやり取り。
なのに、幸人だけが取り残されている。
感情の整理が追いつかない。
自分がここに立っていることすら、場違いに思える。
日陰者が、光の中に紛れ込んでしまったみたいだった。
立ち去ればいい。
そう思うのに、足が動かない。
やがてチャイムが鳴り、三人は教室へ向かう。
そのとき。
服の裾を、くい、と引かれた。
振り返る。
優矢だった。
穂香より半歩後ろに位置しながら、
視線だけをこちらに向ける。

「……忘れなくていい。でも、話すなよ」
小声で。

穂香には聞こえない距離。
(……分かってる)

穂香が心配していることも。
幸人が動揺していることも。

優矢は、きっと分かっている。
——分かっているはずだ。

けれどその横顔は、
ほんの一瞬だけ、何かを飲み込んだように見えた。


踏み込ませる気はない。
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