【完結】蘭方医の診療録

藍上イオタ

文字の大きさ
上 下
14 / 43
二章 河童と汁粉

河童と汁粉-6

しおりを挟む
 その日、『天狗の子』の見世物は一旦店じまいとなった。
 冲有はなんだかスッとした。「ざまぁみろ」と思った。

 そのあと、冲有は見世物小屋の影で、「人魚」と呼ばれる姉さんから手当を受けていた。 
 傷ついても医者に見せられることはない。医者も気味悪がるからだ。
 見世物同士で手当てするだけだ。

 人魚の姉さんは、鱗柄の手ぬぐいをぬらし、冲有の鼻を冷やす。

 人魚の姉さんは、指の間には水かきがあり、肌には鱗があった。
 見世物小屋では水を張った桶に入れられ、足には魚の尾のような布を穿いている。
 歌を歌ったり、嘘っぱちな預言をするのだ。
 顔立ちは美しいのだが、鱗のような肌では女郎にはできないと、見世物小屋に売られたのだ。 

 冲有より十五ほど年上で、母のようでもあり姉ようでもある人だった。この人だけには心を開くことができた。

 冲有たち見世物は、お互いの名前を知らない。冲有も『天狗』と呼ばれていた。

「天狗。今日のあれはすきっとしたね」

 人魚の姉さんが言う。

 冲有は頷く。

(あの子は、私を「天狗じゃない」って言ってくれた)

 その言葉を思い出すたび、冲有の心は不思議なことに温かくなる。

 天狗の子だから捨てられた。天狗の子だから殴られる。
 普通の人間になりたいと、冲有はずっと思っていた。
 そんな冲有を、「人だ」と言ってくれたのだ。

 人間扱いされてこなかった冲有には、なんとも不思議な感覚だった。

「あの子、私を人だって言った……」

 冲有が言えば、人魚の姉さんは微笑んだ。
 そして、冲有の頭を撫でる。

「良かったね」
「うん。私が天狗じゃないなら、姉さんも人魚じゃないね」

 冲有が笑うと、人魚の姉さんは冷たく笑った。

「でもね、私は『人魚』じゃなくなった生きていかれないんだよ」

 冲有はその言葉にゾクリとする。

「いくら、その子が人だと言ってくれたって、天狗の目の色は変りゃしないし、その赤っ茶けたクシャクシャの髪だってそのままさ。周りの人は天狗と呼ぶ。そんな天狗が、他の仕事なんかできるとおもうかい? 私たちは人といっしょには暮らせないんだよ。そもそも。一緒に暮らせるなら売られたりしないんだ」

 人魚の姉さんの正論に、冲有の心は小さくしぼんだ。
 目を瞑り、髪をギュッと押さえる。冲有は自分の姿が嫌いだった。

(こんな姿じゃなかったら……。あの子みたいに、おとっさんと一緒にいられたかもしれない……)

 俯く冲有を人魚の姉さんはそうっと抱きしめた。

「でもね、私は天狗が好きだよ。本当に天狗でもかまいやしない。私に取っちゃ、天狗が人かどうかなんて関係ないんだ」

 人魚の姉さんの言葉は甘い。

 辛く苦しいときに、慰めてくれるのは人魚の姉さんだ。

「姉さん……」
「辛いけどさ、頑張ろうね。きっと、良いことあるからさ。仕事があるだけありがたいんだ」

 人魚の姉さんは言う。

「うん」

 冲有は大人しく頷いた。

 見世物小屋の外の世界に夢を見ても、現実に一瞬で引き戻される。
 
 見世物小屋にいても、見世物にならなくなったら捨てられる。
 でも、捨てられたら生きていけない。
 天狗と呼ばれる姿では、人といっしょには暮らせない。

 そう思っていたのだが、冲有は見世物小屋から見放された。
 見世物小屋の妖怪は全部偽物だと噂が立って、人が入らない日々が続いたのだ。
 ここでは商売にならないと、見世物小屋の主は河岸を変えることにした。
 小屋を移動させる前日に、見世物小屋の主は、憂さを晴らすように冲有を折檻した。

 そして、瀕死の冲有を河原に置き去りにしたのだ。

 河原に転がったまま起き上がれない冲有のもとに、一つの影が落ちた。
 人魚の姉さんの影だ。

「あの子のせいで、ひどい目に遭ったね。天狗が悪いわけじゃないって、私が言ってやるよ。そうして、一緒に頼んでやる。もう一度、仲間に入れてくれってさ」

 人魚の姉さんの言葉に、冲有の胸は割り切れなかった。

(本当に、これはあの子のせいなのかな……。あの子が悪いとは思えない)

 そう思う冲有は、もう生きる気力も失せていた。

「……もういいよ、姉さん。私はもうこのまま死ぬよ」

 冲有が言うと、人魚の姉さんはあえぐように呻いた。

「馬鹿だよ……天狗は……」

 そう言うと、人魚の姉さんは鱗柄の手ぬぐいを天狗の頭に巻いた。

「そのままそこに転がってたら、また誰かに打たれちまうだろ」

 人魚の姉さんはスンと鼻をすすった。

「せめて、静かに眠れるように……。これは私からの餞別だよ」
「……ありがとう。姉さん。お達者で……」

 冲有がそう言うと静かに目を閉じた。
 死にたいと思っていた冲有は、もう生きる気力がなかった。このまま死んでも良いと思っていた。

 そんな冲有を拾ってくれたのが、根古屋道三である。

 それから、三年の時が経った。
 道三に拾われた冲有は神田で過ごしている。
 誠吾は八丁堀で暮らすようになっていた。

 道三に拾われた冲有は、人目を避け日々を生きてきた。
 生かしてもらったことにすらありがた迷惑だと思っていた。

 しかし、誠吾と再会して変った。
 瀕死の誠吾を見て、冲有はなんとか助けたいと思ったのだ。
 
 そして、役に立たない自分をもどかしく思った。

・・・・・・


 冲有は眠りに落ちた誠吾を見ながら、目元を擦る。

(鼈甲飴か……)

 気味の悪いと言われ続けた瞳を、誠吾は美味しそうだというのだ。
 
(変な子だ)

 落ちた鱗柄の手ぬぐいに手を伸ばす。人魚の姉さんから貰った物だ。ずっと人々の好奇の目から、冲有を守ってくれたお守りのようなものだ。

 知らぬ間に、白猫が手ぬぐいの上に乗っていた。

「どいておくれ」

 冲有が声をかけると、猫はふてぶてしくあくびをした。

(「変なモン被ってんじゃねえよ」……か。……被らなくてもいいのかな)

 しかし、すぐに人魚の姉さんの言葉を思い出す。

 ーー 私たちは人といっしょには暮らせないんだよ ーー

 冲有はため息をつく。

(猫が退くまで待つしかないですね)

 そこへ、道三が帰ってきた。

 水が垂れた板の間を見て、道三は苦笑いをする。
 誠吾の枕元にある桶に、濡れた手ぬぐい。そして団扇。

 冲有が見よう見まねで看病をしたのだとわかったからだ。

(自分のためにすら、なにもしなかった冲有が、誰かのためになにかするなんて)

 道三は誠吾のおかげで冲有が生きようとし始めていることを嬉しく思う。

「どうだい、誠さんの様子は」
「……」

 冲有は無言で、二階へ行こうと立ち上がろうとする。

「もうちょいと、見ていてやれよ」

 道三が声をかける。

 冲有が戸惑うと、道三が目配せした。

「ほら、お前が動いたら目が覚める」

 冲有はそう言われ、自分の膝を見た。
 誠吾の手がそこに乗っている。

 冲有は小さくため息をつき頷いた。

 道三はそれを見て微笑ましく思う。

「冲有、俺の真似して看病したのかい?」

 冲有は小さく頷く。

「よくできてる。お前には医術の才能があるのかもな」

 道三の言葉に、冲有は頭を振った。

 道三は冲有の頭をこねくり回す。
 いつもは手ぬぐいで隠されている髪が今日は露わになっていた。

「治してやりたい、そう思う気持ちが医者のはじまりなんだ。お前にはもうその気持ちが生まれたんだろ」

 道三が言っても、冲有はなにも答えなかった。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ダイニングキッチン『最後に晩餐』

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:2,137pt お気に入り:1

剣ぺろ伝説〜悪役貴族に転生してしまったが別にどうでもいい〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:347pt お気に入り:392

長生きするのも悪くない―死ねない僕の日常譚―

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:1,242pt お気に入り:1

転生少女、運の良さだけで生き抜きます!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:3,738

音のしない部屋〜怪談・不思議系短編集

ホラー / 連載中 24h.ポイント:426pt お気に入り:3

婚約破棄?私には既に夫がいますが?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:11,226pt お気に入り:847

処理中です...