続・公証長サーシャの通過点―巻き戻れなくとも自分に負けずに生きる

蜂須賀漆

文字の大きさ
2 / 82

第2話(1)

しおりを挟む
公証からの帰途の馬車は、帝都のザハーリン公爵の邸宅前で滑らかに止まった。
第一王子ニコライとの結婚と同時に、ニコライとアレクサンドラが住み、オルロフ伯爵夫妻が別宅へと移る予定だったのだが、公証が未だ渦中にあり負担が大きかろうと、アレクサンドラへの爵位継承は先送りになった。
通常であれば、婿殿がオルロフ家で同居する形を取るのだが、相手が陛下のお子で、上位の爵位者ではそういうわけには行かない。
それならば、とニコライが陛下から下賜された邸宅に、居を構えるということになった。
住み慣れた家とも、両親とも離れて暮らすことにはまだ慣れていないが、公証について相談し助言を受けるために、父伯爵とは日頃顔を合わせているし、母夫人は新米夫婦の様子をしばしば見に来てくれていた。
アレクサンドラが馬車から軽やかに降り、大理石の階段を上がって、召使が押し開けた扉から邸内に入ると、ホールの階段からニコライが「お帰りなさい」と降りて来た。

「只今戻りました。私がお部屋に参らねばならないところ、出迎えてくださるとは恐縮でございます」

アレクサンドラが略礼を取ると、ニコライはその手を取りつつ、苦笑いには至らないものの、「固い固い」と眉を下げて微笑んだ。

「私達はもう夫婦なのですから、もっと打ち解けて下さらないと。それではまるで宮中でお会いした時のような挨拶ですよ」
「申し訳ありません、つい」
「私が王子であることは忘れて、貴方の家族に加えて下さい。義父上と義母上にされるのと同じように話して下さると嬉しいです」

同じように、と求められてアレクサンドラが考えていると、ニコライが「ああ、でも貴方はご両親とも非常に丁寧にお話しになるのでしたね」と妻の戸惑いに気がついた。
アレクサンドラには兄弟姉妹がなく、従兄弟はあのウリヤノフ侯爵心得の子であるから交流があったかどうか疑わしいゆえ、同年代の親族と子供らしく触れ合う経験がなかったのではとニコライは推察した。
もしかすると、友人に対しても慇懃(いんぎん)さを崩すことはなかったのではないかと勝手に推察し、完璧な妻の不器用さを愛しく思うとともに、それならば自分がその第一人者になろうと、ニコライは俄然意欲を高めた。

「そうですね、ではもっと砕けた調子で話して下さい。召使やメイドに対する……のはさすがに言い過ぎですが、その辺りを目指しましょう。貴方の場合、そのくらい極端でないと緩んで下さらない気がしますから」
「まあ……ですが」
「義父上と義母上は2人で話される場合、私の前でもごく打ち解けておられます。恐れ多くも両陛下も同じです。私達も早く皆様のようにならなければなりません、夫婦なのですから」
「はい」

理解はできてもすぐに切り換えるのはなかなか、というところなのだろう、頷き切れない妻にニコライが「練習ですよ、サーシャ」ともう一押しすると、妻は承知しました、と笑みを含みつつ小首を傾けてみせた。
その美しさに、ニコライは改めて、アレクサンドラをこの上もない存在だと思うのだった。


夕食の席で、ニコライがそういえば、と口を開いた。

「明日はM公爵を訪問しますが、予定は大丈夫ですね?」
「ええ」

アレクサンドラは頷いた。
前から伝えられていた事項であったため、公証の予定はあらかじめ入れていない。
一代限りとはいえ新公爵の誕生とその結婚について、公爵家を正式に訪問し挨拶をすることが必要だった。
その折に、アレクサンドラの公証長就任も併せて紹介すれば一度で済むとのニコライの提案を、アレクサンドラはありがたく受けた。
足元がぐらついている今は信頼回復が急務で、一連の訪問もその一助になりうるが、訪問理由が公証長の件のみとなると悪目立ちする。
公証を立て直していくので引き続きのご理解とご支援を、と挨拶を述べるにも、欲得ずくの訪問だと思われそうだと困っていたところだった。
先日訪問したJ公爵はオルロフ家と親族関係にあり、以前から交流がある家であったためアレクサンドラも非常に心安かったが、元々オルロフは伯爵位であり家柄が劣る。
公爵家の全てがオルロフに好意的というわけではない中、さらに先般の詐欺事件や皇太子問題があった後で、各公爵家を粛々と周り就任の挨拶を述べることは、儀礼とはいえ負担がかかることであった。
けれどもニコライの用件に添える形にしてもらえるなら角が立ち辛く、相手方も迎え入れやすいだろうとアレクサンドラは夫に感謝した。

もっとも、公証が陛下から授けられた権能である以上、同列の伯爵家は顔を合わせたついでで構わないだろうが、各侯爵家には、ウリヤノフは除外するとしても、就任挨拶のみの用件で足を運んでおいた方が良いだろうというのが、父伯爵の見立てであった。
その際は、前公証長たる父伯爵が同行するし、他に対面できる機会があれば訪問は割愛できるということだったが、侯爵家を遍くとなると、公証での執務時間が削がれてしまう。
やらねばならぬことを、いつまでも検討段階で捏ねておいては時機を逃す。
いずれ、アレクサンドラ1人が考えた内容をそのまま実務を降ろしてもうまく行かないことは、痛みを伴った体験を通過して理解しているゆえ、職員達を交えて進めなければと、明後日、あるいはM公爵訪問後にスケジュールを立てようと目論んでいると、反応が鈍くなった妻を何と思ったかニコライから

「大丈夫ですよ、M公爵は私の一番の友人ですから、心安くいて下さい」

と声がかけられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。

さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。 聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。 だが、辺境の村で暮らす中で気づく。 私の力は奇跡を起こすものではなく、 壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。 一方、聖女として祭り上げられた彼女は、 人々の期待に応え続けるうち、 世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。

【完結】恋が終わる、その隙に

七瀬菜々
恋愛
 秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。  伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。  愛しい彼の、弟の妻としてーーー。  

村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです

春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。 ここは通過点のはずだった。 誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。 触れない客。 身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。 「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」 突然の身請け話。 値札のついた自分と向き合う三日間。 選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、 通過点は終わりになる。 これは救いではなく対等な恋の話。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【魔女と蔑まれた私。実は神託の聖女でした?-命を弄ぶ回復魔法使いと蔑まれた私の物語-】

はくら(仮名)
恋愛
・本作は別名義で『小説家になろう』にも掲載しています。 ・早めに終わります。 【 レアフ伯爵家の令嬢ユキアは回復魔法が得意だったが、義父家族からは命を弄ぶ魔女として蔑まれてしまう。  しかし実はユキアは女神の神託を受けた『運命の聖女』であり、そのことを知った王太子が彼女の元を訪れる――】

君は恋人、でもまだ家族じゃない

山田森湖
恋愛
あらすじ 同棲して3年。 毎朝コーヒーを淹れて、彼の寝ぼけた声に微笑んで、 一緒に暮らす当たり前の幸せを噛みしめる——そのはずだった。 彼女は彼を愛している。 彼も自分を愛してくれていると信じている。 それでも、胸の奥には消えない不安がある。 「私たちは、このまま“恋人”で止まってしまうの?」 結婚の話になると、彼はいつも曖昧に笑ってごまかす。 最初は理由をつけていたのに、今では何も言わなくなった。 周囲の友人は次々と結婚し、家族を持ち始めている。 幸せそうな写真を見るたび、彼女の心には “言えない言葉”だけが増えていく。 愛している。 でも、それだけでは前に進めない。 同棲という甘い日常の裏で、 少しずつ、確かにズレ始めているふたりの未来。 このまま時間に流されるだけの恋なのか、 それとも、家族へと歩き出せる恋なのか——。 彼の寝息を聞きながら、 彼女は初めて「涙が出そうな夜」を迎えていた。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

幼馴染の許嫁は、男勝りな彼女にご執心らしい

和泉鷹央
恋愛
 王国でも指折りの名家の跡取り息子にして、高名な剣士がコンスタンスの幼馴染であり許嫁。  そんな彼は数代前に没落した実家にはなかなか戻らず、地元では遊び人として名高くてコンスタンスを困らせていた。 「クレイ様はまたお戻りにならないのですか……」 「ごめんなさいね、コンスタンス。クレイが結婚の時期を遅くさせてしまって」 「いいえおば様。でも、クレイ様……他に好きな方がおられるようですが?」 「えっ……!?」 「どうやら、色町で有名な踊り子と恋をしているようなんです」  しかし、彼はそんな噂はあり得ないと叫び、相手の男勝りな踊り子も否定する。  でも、コンスタンスは見てしまった。  朝方、二人が仲睦まじくホテルから出てくる姿を……  他の投稿サイトにも掲載しています。

処理中です...