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キサラギの里編
第63章 痛み
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「か、母さん・・・!」
自分のことを庇って重傷を負い、生気の抜けた眼を向けて覆い被さる母の姿に、混濁していたティルの意識が一気に輪郭を取り戻す。
「ティ、ル・・・無事かい?」
覚束ない呂律。
虚空を見つめるジルの口元に、最後に見たのは幾年ぶりかも分からない、慈愛の笑みが浮かぶ。
その口元から滴り落ちる赤い血が、ティルの胸元を染めた。
ジルの脳裏によぎるのは、当主としての責務と、親としての立場の間でせめぎ合った日々の記憶と思い。
当主として、自分の娘だからと、甘やかすわけにはいかない。一流の、強い忍に育てなければいけない。自分も、そのように育てられて来た。
同時に、そうして手にした強さを、誇りに思う。
自分の身に刷り込まれたのは、魔獣が跋扈(ばっこ)する混沌としたこの世界を生き抜くための力。一族を束ね、守り、導くための力。
家族を、我が子を守り、育て抜くための力。
それを次の世代に引き継ぐことが正しいという信念に、揺らぎは無かった。
ただ、やり方が分からなかった。
自分が教えられたことを、必要だと思うことを、ただ伝えることしか出来ない。
何より、我が子には生き抜いてほしい。
この世界を。そのためだと信じて・・・
『母さんのときとは、時代が違うのよ。』
ティルが何度も訴えた言葉が、残響となり頭蓋を揺らす。
「(時の流れってのは、残酷だね・・・。)」
自嘲的な笑いが小さく溢れる。
ああ、背中が燃えるように痛い。
骨の髄からズグンと湧き起こる、熱を帯びた荒い刃物で肉を削ぎ落とされるかのような、命が蝕まれる感触。
ジルは、痛みはしっかりと自覚するべきものだという考えを持っている。
痛みとは、生命に危険が及んでいることを知らせるシグナル。不要にわめくのは論外だとしても、目を背けず、適切に対処することが、プロには求められると考えている。
故に、親は、子のために痛みを必要以上に堪えるべきだという考え方にも、疑問を持っていた。
痛みとの向き合い方をもたたき込むことが、子の強さにも繋がるという矜持故だった。
しかし、長い眠りから覚めた我が子を幾年ぶりかに胸に抱き、去来したのは、母親だけが知る、新しい命をこの世界に導くときに経験する、恐らくは人生最大の痛み。
「(何で、こんな時に・・・?)」
目に映るは、自分を見上げる、不安に満ちたティルの表情。
「(なんて顔してんだい。あんたをもう一度、無事に世界に呼ぶためなら・・・)」
妄言のように、いや、事実、無意識にこぼした、小さな一言。
「大丈夫、痛くなんか、ないさ・・・」
それを耳にしたティルの目から大粒の涙がこぼれ、母の背中を抱き寄せようと必死に腕を伸ばす。
しかし、肉の削げ落ちた細腕は、微かに揺れては星の重力に流されて落ちるばかり。
「(ああ、外に飛び出して、ちょっとだけだけど、分かったんだよ。母さんが確かに私を強くしてくれてたこと。あなたがくれた力で、私、飛べたんだよ?)」
脳裏に走るは、闇の中で五感を失い、沈みそうになる意識を繋ぎ止めた、幼き日の記憶。
両の手に独り占めした、父と母の手の温度。
素手で捕まえた毒虫を得意顔で差し出し、刺されてしまった後、『バカだねぇ。』と囁きながら、薬を塗ってくれたあなたの手は、柔らかかった。
『今日、魂気を出せないなら、顔を洗って出直して来な。』
突き落とされた滝壺は、高くて、冷たくて、怖かった。
死ぬかと思ったし、ホントに恨んだ。
「(でも、初めて空を飛んだ日、レイチェルから言われるまで気が付かなかったくらい、全然怖く無かった。世界が見られると、胸が躍ってた。)」
続いて蘇るのは、メタルとの出会い、精鋭隊の入隊試験では、互いに挫折を味わいながらも、ほろ苦さを分け合ったこと。
『やっぱりお前は強いよ。』
二次試験でメタルからもらった労いの言葉。
レイチェルとジェノにも、たくさん助けてもらった
「(あなたが望んだ忍の姿とは違うかもしれないけど、私、強くなったよ。
大事な仲間にも、出会えたよ。)」
声に出して伝えたいのに、弱りきった体からは、ただ息が漏れ、空気を揺らすばかり。
やがてジルの顔が、慈愛の温もりを残したまま切り取られ、地面へと崩れ落ちる。
ティルの喉から、声にならない声がか細く漏れ、夜空をただ、震わせた。
自分のことを庇って重傷を負い、生気の抜けた眼を向けて覆い被さる母の姿に、混濁していたティルの意識が一気に輪郭を取り戻す。
「ティ、ル・・・無事かい?」
覚束ない呂律。
虚空を見つめるジルの口元に、最後に見たのは幾年ぶりかも分からない、慈愛の笑みが浮かぶ。
その口元から滴り落ちる赤い血が、ティルの胸元を染めた。
ジルの脳裏によぎるのは、当主としての責務と、親としての立場の間でせめぎ合った日々の記憶と思い。
当主として、自分の娘だからと、甘やかすわけにはいかない。一流の、強い忍に育てなければいけない。自分も、そのように育てられて来た。
同時に、そうして手にした強さを、誇りに思う。
自分の身に刷り込まれたのは、魔獣が跋扈(ばっこ)する混沌としたこの世界を生き抜くための力。一族を束ね、守り、導くための力。
家族を、我が子を守り、育て抜くための力。
それを次の世代に引き継ぐことが正しいという信念に、揺らぎは無かった。
ただ、やり方が分からなかった。
自分が教えられたことを、必要だと思うことを、ただ伝えることしか出来ない。
何より、我が子には生き抜いてほしい。
この世界を。そのためだと信じて・・・
『母さんのときとは、時代が違うのよ。』
ティルが何度も訴えた言葉が、残響となり頭蓋を揺らす。
「(時の流れってのは、残酷だね・・・。)」
自嘲的な笑いが小さく溢れる。
ああ、背中が燃えるように痛い。
骨の髄からズグンと湧き起こる、熱を帯びた荒い刃物で肉を削ぎ落とされるかのような、命が蝕まれる感触。
ジルは、痛みはしっかりと自覚するべきものだという考えを持っている。
痛みとは、生命に危険が及んでいることを知らせるシグナル。不要にわめくのは論外だとしても、目を背けず、適切に対処することが、プロには求められると考えている。
故に、親は、子のために痛みを必要以上に堪えるべきだという考え方にも、疑問を持っていた。
痛みとの向き合い方をもたたき込むことが、子の強さにも繋がるという矜持故だった。
しかし、長い眠りから覚めた我が子を幾年ぶりかに胸に抱き、去来したのは、母親だけが知る、新しい命をこの世界に導くときに経験する、恐らくは人生最大の痛み。
「(何で、こんな時に・・・?)」
目に映るは、自分を見上げる、不安に満ちたティルの表情。
「(なんて顔してんだい。あんたをもう一度、無事に世界に呼ぶためなら・・・)」
妄言のように、いや、事実、無意識にこぼした、小さな一言。
「大丈夫、痛くなんか、ないさ・・・」
それを耳にしたティルの目から大粒の涙がこぼれ、母の背中を抱き寄せようと必死に腕を伸ばす。
しかし、肉の削げ落ちた細腕は、微かに揺れては星の重力に流されて落ちるばかり。
「(ああ、外に飛び出して、ちょっとだけだけど、分かったんだよ。母さんが確かに私を強くしてくれてたこと。あなたがくれた力で、私、飛べたんだよ?)」
脳裏に走るは、闇の中で五感を失い、沈みそうになる意識を繋ぎ止めた、幼き日の記憶。
両の手に独り占めした、父と母の手の温度。
素手で捕まえた毒虫を得意顔で差し出し、刺されてしまった後、『バカだねぇ。』と囁きながら、薬を塗ってくれたあなたの手は、柔らかかった。
『今日、魂気を出せないなら、顔を洗って出直して来な。』
突き落とされた滝壺は、高くて、冷たくて、怖かった。
死ぬかと思ったし、ホントに恨んだ。
「(でも、初めて空を飛んだ日、レイチェルから言われるまで気が付かなかったくらい、全然怖く無かった。世界が見られると、胸が躍ってた。)」
続いて蘇るのは、メタルとの出会い、精鋭隊の入隊試験では、互いに挫折を味わいながらも、ほろ苦さを分け合ったこと。
『やっぱりお前は強いよ。』
二次試験でメタルからもらった労いの言葉。
レイチェルとジェノにも、たくさん助けてもらった
「(あなたが望んだ忍の姿とは違うかもしれないけど、私、強くなったよ。
大事な仲間にも、出会えたよ。)」
声に出して伝えたいのに、弱りきった体からは、ただ息が漏れ、空気を揺らすばかり。
やがてジルの顔が、慈愛の温もりを残したまま切り取られ、地面へと崩れ落ちる。
ティルの喉から、声にならない声がか細く漏れ、夜空をただ、震わせた。
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