鬼と小夜の物語り

赤雪

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第3章

第2話  塾生

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 棚田への治水大工事は、周到な準備、綿密な計画を経て、全村に工事の概要が伝えられた。

   村が全力を傾けて成し遂げようとしている工事の意義を塾生に理解させること。
 それが小夜の役目になった。

 十歳以上の塾生百八十七人が武道場に集められた。
 
「胡座を組んで良いぞ。女子は膝を崩せ」
 全員同じ色の作務衣を着て鍛えられた顔をしているが、髪で女子だと分かるものが九十二人いる。
 女子の最上級生は十七歳の雪と、英の二人で、十六歳が五人。あとは十五歳以下だ。

 小夜は男女の組み分けもしたくなかったのだが、塾長の忠兵衛が、女子がいる場合の男子の特性を理由にしたので、仕方なく分けた。だが、訓話、講話などは合同で行う。

 さて、どれほど理解されるだろうか。小夜は腕を組み思案を巡らす。
「だがお前達は理解をしなければならないのだ。ここに産まれ育ってきたのだから」
 そう、言葉にして呟いた。

「では、この春、巡礼に行ってきた者、どうであったか聞かせてくれないか」

 塾では毎年春になると、十一歳になった者を巡礼の姿にして、二十日間の旅に出す。
 塾頭或いは組頭の数人が僧侶に姿を変えて引率し、定められた寺、決められた宿、いつもの百姓屋を使い、少年達に旅の要領を教え、見聞を広めることを目的としている。
 昨年は、初めて女子も連れて行ったと話題になっていた。

「最近行ったのは楓太の年か。では楓太。聞かせてくれるか」
「はい」
 楓太が立ち上がった。
「私達は行者峠を越えて、宇川の庄という広い村を過ぎ、弦掛つるかけ峠を越えて、大里の庄を過ぎ、取手という魚村を旅してきました」
 楓太が道筋を思い起こしながら、村々の印象、そこでの食事、建物の特徴などを述べる。
「それから宇治川という広い川を渡り、都を見てきました。 途中で泊まったある寺には美しい絵があり、ある寺には仏像が沢山おかれてみごとでした。我々の村には無いものです。また、都の建物は綺麗でしたが、裏通りには乞食が多く、臭かったです。あと、驚いたのはどの村もとても貧しいことでした。家は小さく、着る者は汚れたままで、お百姓は月明かりで夜遅くまで縄や草鞋わらじを編んでいましたが、その草鞋がとても安いのです。山村では草や芽を食べ、漁村では船に乗せて貰い、網を打つ所を見せて貰い干してない魚を食べました。楽しかったです」

「よく見てきました。では何故この村は貧しくはないのだろう。或いは何故その村は貧しいのだと、問うても良いのだが、どのように考えましたか」
 一斉に手が上がる。
「これは上級者に答えて貰おうか。十四歳の者。一人答えなさい」
 儂に言わせろという声が上がり、じゃんけんが始まった。
春次はるじ、お答えします」
 十四にしては大柄な少年が立ち上がった。
「他の村が貧しいのは年貢を多く取られているからです。この村が貧しくないのは市場があり色々なものを売り銭儲けをしているからです。それに米が多く取れるので、年貢を納めても余裕があります」
「なるほど。しかし大里村は幸田と比べて田の面積は二割も広いのに何故取れる量が少ないのだろう。それに加えて何故年貢を多く取られているのだろう」
「それは……知りませんでした」春次が詰まった途端、「はい」と、多助が手を上げ、立ち上がった。
「まず年貢米ですが」
「多助。許可を受けてから発言しなさい。お前は本当に速攻巧者ですね」
「小夜様。奴は早漏だと……」
 その声の主を、ゴンと殴る音がして、
「女性がいるのに無礼だぞ」蝶次郎が言った。
 
 小夜は蝶次郎の様な少年が育っているのを見て嬉しくなる。
 塾を作って本当に良かったと思うのはこういうときだ。
 武士の学問所では決して女性に対する気遣いの精神が醸成されることは無いだろうと小夜は思っている。何故なら女子に学問を教えようとしていないからだ。
 そう思って見た蝶次郎と目が合い、笑いかけると顔を紅らめて、上げていた手を下ろし目を逸らした。
「いいよ。多助、話しなさい」
「はい。先ず年貢米ですが」
 多助はとても楽しそうに話をする。洞察力もあり考えもそれなりだ。
 塾頭が「面白い子ですよ。彼の剣は迷いが無い」と言って前回の模擬戦では大将に推薦した。

「他所の村の年貢の量は侍が決めます。凶作のときでも決めた定量になるまで村からしぼり取るから、出せないところは出せるところに借りができ、出せたところも、喰う量が減ったと言って貸した相手と主従関係になります。それに比べて幸田村は年貢を百姓が決めて村が納めます。その決め方も、子供、怪我人・病人、年寄りの、働けない者が多いほど年貢を少なくする反比例制なので、どこからも不満がでないのです」

「うん。良く出来た。十年の者は解ったかな。今『反比例』という言葉が出たが、これは来年習う算術用語だから」
 記憶にとどめよ。というと、「存じております」と声がした。
「はい。皆に解る言葉を選び、お答えしました」
 多助が得意そうに身を反らす。
「小癪なことを」
 小夜の笑顔を含んで口惜しがる口ぶりが、多助は嬉しくてたまらない。
「付け足すことは無いか。蝶次郎。先程手が上がっていたが」
「はい。付け足すほどではありませんが、多助より下の者に話したき事があります。それで小夜様は我等の理解の程度が知れ、仰有りたいことが定まるのではと考えます」
 何と。もっと小癪な奴がいた。と、小夜は声を出さずに笑う。

 統領が来たのは余程のことで、我等に話したき事があるのだ。だが我等の知識程度がどれ程のものかが分からぬ故、何から説明しようかと迷っておられる。ならば我々の知識を広げて見せて、お話し易くして差し上げましょう。と、そういうのだ。
「ならば蝶次郎はこちらに来て皆に向かいて話せ」
「かしこまりました。言葉を変えてもよろしいでしょうか」
「良い。好きな……いや。やりやすいように」教卓を示して、小夜は塾生達の後ろに回る。

「蝶次郎先生だ」という声を「よしよし」と手を広げて抑える様は、確かに十六歳の少年を超えた度胸の良さがある。

「先程の統領の質問に春次と多助がお答えしてないことがある。多助」
「あっ、田面積に比して穫れだかの差があること」
「そうだ」
「田起しをやり。雑草を抜き、草を燃やして虫を寄せぬ。それを何処よりも繁くやっている」
「いや、そういうことではないだろう」春次が首を傾げた。
「そんなことならどこでもやっている」
 蝶次郎が正解を出す。
「そうだ。確かに田起しは何処でもやっている大事だが、重要なのはその深さだ。幸田の鍬は何処の村で使う鍬より長い。それが他所より肥えた土を作る。もう一つ違うのは、幸田村の田植えは他村に比べて苗と苗の間隔が広いのだ。しかも縦と横を揃えて、棚田は苗三本、平田は四本と定められている。なので田植えが終わった他村の田と比べると幸田の田は隙間だらけに見える」
 春次が声を上げる。
「ですが、それでは同じ一反であれば他村の方がより多く取れるじゃないですか」
「そこが、田のことを知らぬ武家が命じて作る田と、色々試して作る我等の違いだ。幸田の田の苗は日差しが強いときに植えるので活着が良い。よく根を張るのだ。次に隙間があるので陽がよくあたる。雑草が取りやすく虫もとり易い。 間隔が広いから土の栄養が充分穂に行き渡る。だから、穂が成長して実をたっぷり付けるという訳だ。痩せた穂の五本より稔った穂三本の方が米が多いのだ」
「そうか。余った苗を隙間に植えると叱られたのはそういう訳か。今解った」
「それから、これが大きい。我が幸田の棚田の分は収穫高に入ってない」
「えっそれは何故。その米はどうなってるんだ?」

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