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立国篇
第五十八話:規格外の証明
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ルシアンの心配をよそに、エリアナは飄々とした足取りで闘技場へと向かった。
円形の闘技場の中央には、既に、あの狂気を漂わせる細身の男が、獣のように舌なめずりをしながら、彼女を待っていた。
エリアナは、男に向かって静かに告げる。
「ごめんなさい。訳あって、あなたには指一本触れさせるわけにはいかないの」
そして、悪戯っぽく微笑んだ。
「だから、少しだけ、魔法を使わせてもらうわね」
その言葉に、男は顔を歪めた。
「はぁ!? 何を言ってやがる! 俺がお前を八つ裂きにするだけだ! 触れるだの、魔法だの、関係ねえんだよ!」
観客席も、ざわついている。「今、魔法を使うとか言わなかったか?」「あの姉ちゃん、格闘の達人じゃなかったのか?」
「それでは準々決勝第一試合、開始!」
主催者の声が響き渡る。
「死ねぇぇぇぇっ!」
男が、奇声を上げて一直線に襲いかかってくる!
しかし、エリアナはその場から一歩も動かなかった。ただ、その白い手のひらの上に、小さな、しかし太陽のように白く輝く火の玉を灯す。その瞬間、闘技場全体の温度が、肌で感じられるほどに上昇した。
「何だぁ!?」
男は、その異様な熱量に気づきながらも、勢いを止めることはできない。
エリアナが、そっと息を吹きかけると、火の玉は一羽の小鳥へと姿を変え、細かく、そして美しく羽ばたいた。そして、エリアナの手を離れると、矢のように、凄まじい速度で男へと飛んでいく。
「うぉっ!」
男は、間一髪でそれを躱す。しかし、頬を掠めた熱波だけで、その顔に初めて、純粋な恐怖の色が浮かんだ。
「…オイオイ、今の何だぁ!? とんでもねえぞ…!」
「まだ終わってないよ。気をつけて?」
エリアナの、鈴を転がすような声。
「はぁ!?」
男が、はっと上空を見上げる。先程の炎の小鳥が、彼の真上、遥か高みで、静かに滞空していた。
「チッ! まだ来るのか!」
彼がそう毒づいた、次の瞬間。男は、絶望を目撃した。
上空の小鳥が、その翼を、ゆっくりと広げ始めた。
翼は、見る見るうちに何倍にも、何十倍にも広がり、その莫大な熱量が、空気を揺らめかせ、陽炎となって男に届く。それはもはや、小鳥ではない。演習場の空を覆い尽くさんばかりの、「太陽の巨鳥」だった。
闘技場を覆う魔法障壁が、その熱量に耐えきれず、ミシミシと悲鳴を上げて軋み始めた。
観客席は、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれる。「こんな魔法、見たことねぇぇ!」「危ねえんじゃねえか! 逃げろ!」「…ちびっちまった…」
貴賓席の資産家たちも、言葉を失っていた。「こんな使い手、どこの国にもおらんぞ!」「とんでもない化け物が、この大会に参加していたというのか…」「昨日の体術は、まだ何も手の内を明かしていなかったというのか…!」
エリアナは、ただ静かに、戦意を喪失した男に問いかけた。
「まだ、やる?」
「ヒェッ!! …え?」
突然話しかけられ、ほぼ腰を抜かしている男は、気の抜けた声で聞き返した。そして、我に返ると、絶叫した。
「降参だ!!! 勘弁してくれぇぇぇっ!」
その言葉を聞き届けたかのように、上空の炎の巨鳥は、ふわりと空気に溶け込むように消えた。
一瞬の静寂の後、主催者が、震える声で宣告した。
「し、試合終了!!!」
観客席は、もはや熱狂ではなかった。
「何だ、今の…」「俺たちは、伝説の魔術師でも見ていたのか…?」「あんなもの、人間が勝てるわけないだろ…」
恐怖にも似た雰囲気が、会場全体を支配していた。貴賓席では、もはや賭けの結果などどうでもよくなっていた。
「あの少女、エリアナといったか! 全財産、あいつに賭けるぞ!」「あのような実力者、一国家の最大戦力級ではないか!」「一体、どこから現れたのだ…」
エリアナの評価は、この一戦で、ただの冒険者のそれでは完全になくなった。
◇
控室に戻ったエリアナを、ルシアンが駆け寄って出迎えた。その顔には、安堵と、そしてどこか気恥ずかしそうな表情が浮かんでいる。
「エリアナ、その…」
「私を、舐めないでよね」
エリアナは、ルシアンの言葉を遮るように、悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ。すまない。お前の実力を疑ったわけじゃない。ただ、嫌だったんだ」
「分かってる。心配してくれたんでしょ? でも、私も、あなたの隣にちゃんと並び立てるように、頑張ってるんだから」
「…その通りだ。とても、強かったよ」
ルシアンの、心からの言葉。その一言が、エリアナの心を温かく満たした。
その時、すっと二人の間にレンが割って入る。
「私も強いので」
「レン!」
いつものやり取りに、三人の間に笑いがこぼれる。控室の隅では、ネロが穏やかに寝息を立てていた。
そして、第二試合の時間となる。
ルシアンとガリオが闘技場へと向かう。試合前、ガリオはルシアンの前に立つと、深々と頭を下げた。
「ルシアンさん。よろしくお願いします!」
「ああ、よろしくな」
二人は、真剣勝負を誓い、固い握手を交わしてそれぞれの位置についた。
観客席の熱気は、先程のエリアナの戦いを受けて、さらに高まっていた。
「うぉぉぉ!」「兄ちゃんも実力見せてくれー!」「獣人の方も、本気で行けぇぇ!」
貴賓席でも、ルシアンへの評価が変わり始めていた。「ルシアン…グリフォンの砦で帝国を退けたという、あの報告にあった名に似ているが…まさか、な」「獣人も腕は立ちそうではあるが…」
「試合開始!」
合図と同時に、動いたのはガリオだった。
「行きます!」
その身体能力を活かした、疾風のような突進。隙のない動作から、唸りを上げるかのような重い拳が、ルシアンの顔面を捉えんとする!
ズンッ!
しかし、その拳は、ルシアンが静かに差し出した左腕によって、ぴたりと受け止められていた。
「戦い慣れている。それに、強くて、鋭い突きだ」
「…っ!」
ガリオは、自分の渾身の一撃が赤子のように止められたことに、動揺を隠せない。
「だが、」
ルシアンは、残った右腕で、天を衝くかのようなアッパーを繰り出した。音速に迫るその一撃が、ガリオに迫る。
しかし、ガリオもまた、ただの猛者ではない。その優れた動体視力と戦闘経験が、攻撃の初動を完璧に読み切っていた。彼は、アッパーの軌道を紙一重で躱し、がら空きになった胴体への、必殺のカウンターを放とうとしていた。
(もらった!)
ガリオがそう確信した、まさにその瞬間。
彼の意識が、ぐらりと揺らいだ。
「…何…だ…?」
バタン…
ガリオは、カウンターを放つことなく、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちていた。
ルシアンの本当の狙いは、回避動作でがら空きになった首筋への、音速の手刀。観客たちの目には、ガリオがカウンターを狙って踏み込んだ瞬間、まるで足がもつれたかのように、勝手に倒れたようにしか見えなかった。
「し、試合終了!!」
「またかよ! 何が起きたか、さっぱり分からねえ!」「兄ちゃんも達人だ!」
貴賓席も、そのあまりに異様な光景に言葉を失う。「うむ。こいつも、やはり実力の底が見えん」「これまでの戦い、全て相手に何もさせずに勝っている…」
ルシアンたちの、人知を超えた強さが、会場全体に畏怖と共に刻み込まれていた。
◇
準々決勝第三試合は、あの達人風の剣士と、スキンヘッドの巨漢との対決となった。
巨漢の剛腕が闘技場の床を砕き、剣士の斬撃が火花を散らす、一進一退の攻防。しかし、終始冷静に立ち回った剣士が、最後は巨漢の体勢を崩し、その首筋に刃を突きつけて、勝利を収めた。
「試合終了!」
これで、準決勝に駒を進める四名が決定した。
エリアナ、ルシアン、達人風の剣士、そして、シード権を持つレン。
貴賓席は、これまでにない興奮に包まれていた。
「とんでもない大会になったぞ!」「次は、ついにあの怪物たちが潰し合うのか!」「これほどの強者が、一度に集うとはな…!」
ルシアンたちの実力が完全に認められ、その本当の戦いが始まることへの期待感が、会場全体を支配していた。
イーグル商会の会頭ヴァルガスは、その光景に満足げに頷いていた。
「ふん、あいつら、相当な実力者だったか。まあおかげで、大会の売り上げは想定以上だ。これで、グレイとの戦いも盛り上がれば、さらに収益も見込めるな!」
◇
イーグル商会、その会頭室の地下。
ヴァルガスは、魔法によって闘技場の様子を映し出す、大きな遠見の水晶を、満足げに眺めていた。そして、待機させていた最強の駒、グレイに声をかける。
「お前も存分に、力を発揮してくれ」
しかし、グレイからの返事はなかった。彼は、ただ黙って、水晶に映る一人の少女――エリアナの姿を、信じられないものを見るかのように凝視していた。
「…うん?」
その異様な様子に、ヴァルガスが眉をひそめる。
「…あの炎…」
グレイの唇から、か細い、震える声が漏れた。
「…俺は、見たことがある…」
「ほう? 既にどこかで戦ったことがあるのか?」
「…戦い? …そんな生易しいものではなかった…」
グレイの呼吸が、徐々に荒くなっていく。
「…あれは…一方的な、蹂躙だった…!」
「は? 何を言っている?」
「あれは…! あれは、地獄だ!! あの日、あの場所で、俺は…!!」
突然、グレイが頭を抱えて叫び出した。その巨体が、小刻みに震えている。
「どうした!? 急に。落ち着け!」
「無理だ!!!」
グレイの絶叫が、地下室に響き渡る。「あの炎が舞う戦場で、俺は絶望を見た! そして、逃げたんだ! それなのに、なぜ…!!」
その言葉に、ヴァルガスははっとしたように目を見開いた。
「…まさか。あれが、噂に聞く、グリフォンの砦の悪魔たちだとでも言うのか?」
「俺はもう降りる!」
グレイは、懇願するようにヴァルガスを見つめた。「勝てるわけがない…! そして、もう俺は、あの戦いの記憶を蘇らせたくない…!」
「…そんな奴らが、なぜこんな場所に…」
ヴァルガスは、しばし黙考した後、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で言った。
「だが、試合はしてもらう」
「?」
ヴァルガスは、懐から一つの小さな黒い丸薬を取り出し、グレイの前に差し出した。
「これを飲め。気分が落ち着き、そして…きっと、自信も取り戻せるだろう」
「何だ、それは?」
「何、ただの活力剤だ。自己の能力を高める作用もある」
「そんなもので、あいつらに勝てるとでも?」
「いや、これはお前の今後のためだ」
「負け試合をしろと?」
「いや。勝てる」
ヴァルガスは、悪魔のように、甘い言葉を囁いた。「この薬の能力向上効果は一時的だが、その上がり幅は、使用者の元々の力に比例して、爆発的に増える。実際、過去のある戦闘では、この薬を飲んだただの一般兵が、百人の小隊を圧倒したという記録もある」
「!?」
「お前ほどの男なら、その比ではない。いくら相手が怪物でも、人間だろう?」
「だが、一時的に勝ったとて…」
「倒して、お前のトラウマを消せばいい。そして、再び成り上がれ。そのチャンスを、くれてやると言っているのだ」
ヴァルガスは、最後に付け加えた。「何、ただの薬だ。終わったら、少し休めば元に戻る」
グレイは、震える手で、その黒い丸薬を見つめていた。
(…いつまでも、逃げたままの自分でいるのも、嫌だしな…)
彼は、覚悟を決めた。
「…分かった。やってみよう」
ヴァルガスは、その返事を聞くと、口元に、三日月のような笑みを浮かべた。
円形の闘技場の中央には、既に、あの狂気を漂わせる細身の男が、獣のように舌なめずりをしながら、彼女を待っていた。
エリアナは、男に向かって静かに告げる。
「ごめんなさい。訳あって、あなたには指一本触れさせるわけにはいかないの」
そして、悪戯っぽく微笑んだ。
「だから、少しだけ、魔法を使わせてもらうわね」
その言葉に、男は顔を歪めた。
「はぁ!? 何を言ってやがる! 俺がお前を八つ裂きにするだけだ! 触れるだの、魔法だの、関係ねえんだよ!」
観客席も、ざわついている。「今、魔法を使うとか言わなかったか?」「あの姉ちゃん、格闘の達人じゃなかったのか?」
「それでは準々決勝第一試合、開始!」
主催者の声が響き渡る。
「死ねぇぇぇぇっ!」
男が、奇声を上げて一直線に襲いかかってくる!
しかし、エリアナはその場から一歩も動かなかった。ただ、その白い手のひらの上に、小さな、しかし太陽のように白く輝く火の玉を灯す。その瞬間、闘技場全体の温度が、肌で感じられるほどに上昇した。
「何だぁ!?」
男は、その異様な熱量に気づきながらも、勢いを止めることはできない。
エリアナが、そっと息を吹きかけると、火の玉は一羽の小鳥へと姿を変え、細かく、そして美しく羽ばたいた。そして、エリアナの手を離れると、矢のように、凄まじい速度で男へと飛んでいく。
「うぉっ!」
男は、間一髪でそれを躱す。しかし、頬を掠めた熱波だけで、その顔に初めて、純粋な恐怖の色が浮かんだ。
「…オイオイ、今の何だぁ!? とんでもねえぞ…!」
「まだ終わってないよ。気をつけて?」
エリアナの、鈴を転がすような声。
「はぁ!?」
男が、はっと上空を見上げる。先程の炎の小鳥が、彼の真上、遥か高みで、静かに滞空していた。
「チッ! まだ来るのか!」
彼がそう毒づいた、次の瞬間。男は、絶望を目撃した。
上空の小鳥が、その翼を、ゆっくりと広げ始めた。
翼は、見る見るうちに何倍にも、何十倍にも広がり、その莫大な熱量が、空気を揺らめかせ、陽炎となって男に届く。それはもはや、小鳥ではない。演習場の空を覆い尽くさんばかりの、「太陽の巨鳥」だった。
闘技場を覆う魔法障壁が、その熱量に耐えきれず、ミシミシと悲鳴を上げて軋み始めた。
観客席は、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれる。「こんな魔法、見たことねぇぇ!」「危ねえんじゃねえか! 逃げろ!」「…ちびっちまった…」
貴賓席の資産家たちも、言葉を失っていた。「こんな使い手、どこの国にもおらんぞ!」「とんでもない化け物が、この大会に参加していたというのか…」「昨日の体術は、まだ何も手の内を明かしていなかったというのか…!」
エリアナは、ただ静かに、戦意を喪失した男に問いかけた。
「まだ、やる?」
「ヒェッ!! …え?」
突然話しかけられ、ほぼ腰を抜かしている男は、気の抜けた声で聞き返した。そして、我に返ると、絶叫した。
「降参だ!!! 勘弁してくれぇぇぇっ!」
その言葉を聞き届けたかのように、上空の炎の巨鳥は、ふわりと空気に溶け込むように消えた。
一瞬の静寂の後、主催者が、震える声で宣告した。
「し、試合終了!!!」
観客席は、もはや熱狂ではなかった。
「何だ、今の…」「俺たちは、伝説の魔術師でも見ていたのか…?」「あんなもの、人間が勝てるわけないだろ…」
恐怖にも似た雰囲気が、会場全体を支配していた。貴賓席では、もはや賭けの結果などどうでもよくなっていた。
「あの少女、エリアナといったか! 全財産、あいつに賭けるぞ!」「あのような実力者、一国家の最大戦力級ではないか!」「一体、どこから現れたのだ…」
エリアナの評価は、この一戦で、ただの冒険者のそれでは完全になくなった。
◇
控室に戻ったエリアナを、ルシアンが駆け寄って出迎えた。その顔には、安堵と、そしてどこか気恥ずかしそうな表情が浮かんでいる。
「エリアナ、その…」
「私を、舐めないでよね」
エリアナは、ルシアンの言葉を遮るように、悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ。すまない。お前の実力を疑ったわけじゃない。ただ、嫌だったんだ」
「分かってる。心配してくれたんでしょ? でも、私も、あなたの隣にちゃんと並び立てるように、頑張ってるんだから」
「…その通りだ。とても、強かったよ」
ルシアンの、心からの言葉。その一言が、エリアナの心を温かく満たした。
その時、すっと二人の間にレンが割って入る。
「私も強いので」
「レン!」
いつものやり取りに、三人の間に笑いがこぼれる。控室の隅では、ネロが穏やかに寝息を立てていた。
そして、第二試合の時間となる。
ルシアンとガリオが闘技場へと向かう。試合前、ガリオはルシアンの前に立つと、深々と頭を下げた。
「ルシアンさん。よろしくお願いします!」
「ああ、よろしくな」
二人は、真剣勝負を誓い、固い握手を交わしてそれぞれの位置についた。
観客席の熱気は、先程のエリアナの戦いを受けて、さらに高まっていた。
「うぉぉぉ!」「兄ちゃんも実力見せてくれー!」「獣人の方も、本気で行けぇぇ!」
貴賓席でも、ルシアンへの評価が変わり始めていた。「ルシアン…グリフォンの砦で帝国を退けたという、あの報告にあった名に似ているが…まさか、な」「獣人も腕は立ちそうではあるが…」
「試合開始!」
合図と同時に、動いたのはガリオだった。
「行きます!」
その身体能力を活かした、疾風のような突進。隙のない動作から、唸りを上げるかのような重い拳が、ルシアンの顔面を捉えんとする!
ズンッ!
しかし、その拳は、ルシアンが静かに差し出した左腕によって、ぴたりと受け止められていた。
「戦い慣れている。それに、強くて、鋭い突きだ」
「…っ!」
ガリオは、自分の渾身の一撃が赤子のように止められたことに、動揺を隠せない。
「だが、」
ルシアンは、残った右腕で、天を衝くかのようなアッパーを繰り出した。音速に迫るその一撃が、ガリオに迫る。
しかし、ガリオもまた、ただの猛者ではない。その優れた動体視力と戦闘経験が、攻撃の初動を完璧に読み切っていた。彼は、アッパーの軌道を紙一重で躱し、がら空きになった胴体への、必殺のカウンターを放とうとしていた。
(もらった!)
ガリオがそう確信した、まさにその瞬間。
彼の意識が、ぐらりと揺らいだ。
「…何…だ…?」
バタン…
ガリオは、カウンターを放つことなく、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちていた。
ルシアンの本当の狙いは、回避動作でがら空きになった首筋への、音速の手刀。観客たちの目には、ガリオがカウンターを狙って踏み込んだ瞬間、まるで足がもつれたかのように、勝手に倒れたようにしか見えなかった。
「し、試合終了!!」
「またかよ! 何が起きたか、さっぱり分からねえ!」「兄ちゃんも達人だ!」
貴賓席も、そのあまりに異様な光景に言葉を失う。「うむ。こいつも、やはり実力の底が見えん」「これまでの戦い、全て相手に何もさせずに勝っている…」
ルシアンたちの、人知を超えた強さが、会場全体に畏怖と共に刻み込まれていた。
◇
準々決勝第三試合は、あの達人風の剣士と、スキンヘッドの巨漢との対決となった。
巨漢の剛腕が闘技場の床を砕き、剣士の斬撃が火花を散らす、一進一退の攻防。しかし、終始冷静に立ち回った剣士が、最後は巨漢の体勢を崩し、その首筋に刃を突きつけて、勝利を収めた。
「試合終了!」
これで、準決勝に駒を進める四名が決定した。
エリアナ、ルシアン、達人風の剣士、そして、シード権を持つレン。
貴賓席は、これまでにない興奮に包まれていた。
「とんでもない大会になったぞ!」「次は、ついにあの怪物たちが潰し合うのか!」「これほどの強者が、一度に集うとはな…!」
ルシアンたちの実力が完全に認められ、その本当の戦いが始まることへの期待感が、会場全体を支配していた。
イーグル商会の会頭ヴァルガスは、その光景に満足げに頷いていた。
「ふん、あいつら、相当な実力者だったか。まあおかげで、大会の売り上げは想定以上だ。これで、グレイとの戦いも盛り上がれば、さらに収益も見込めるな!」
◇
イーグル商会、その会頭室の地下。
ヴァルガスは、魔法によって闘技場の様子を映し出す、大きな遠見の水晶を、満足げに眺めていた。そして、待機させていた最強の駒、グレイに声をかける。
「お前も存分に、力を発揮してくれ」
しかし、グレイからの返事はなかった。彼は、ただ黙って、水晶に映る一人の少女――エリアナの姿を、信じられないものを見るかのように凝視していた。
「…うん?」
その異様な様子に、ヴァルガスが眉をひそめる。
「…あの炎…」
グレイの唇から、か細い、震える声が漏れた。
「…俺は、見たことがある…」
「ほう? 既にどこかで戦ったことがあるのか?」
「…戦い? …そんな生易しいものではなかった…」
グレイの呼吸が、徐々に荒くなっていく。
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突然、グレイが頭を抱えて叫び出した。その巨体が、小刻みに震えている。
「どうした!? 急に。落ち着け!」
「無理だ!!!」
グレイの絶叫が、地下室に響き渡る。「あの炎が舞う戦場で、俺は絶望を見た! そして、逃げたんだ! それなのに、なぜ…!!」
その言葉に、ヴァルガスははっとしたように目を見開いた。
「…まさか。あれが、噂に聞く、グリフォンの砦の悪魔たちだとでも言うのか?」
「俺はもう降りる!」
グレイは、懇願するようにヴァルガスを見つめた。「勝てるわけがない…! そして、もう俺は、あの戦いの記憶を蘇らせたくない…!」
「…そんな奴らが、なぜこんな場所に…」
ヴァルガスは、しばし黙考した後、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で言った。
「だが、試合はしてもらう」
「?」
ヴァルガスは、懐から一つの小さな黒い丸薬を取り出し、グレイの前に差し出した。
「これを飲め。気分が落ち着き、そして…きっと、自信も取り戻せるだろう」
「何だ、それは?」
「何、ただの活力剤だ。自己の能力を高める作用もある」
「そんなもので、あいつらに勝てるとでも?」
「いや、これはお前の今後のためだ」
「負け試合をしろと?」
「いや。勝てる」
ヴァルガスは、悪魔のように、甘い言葉を囁いた。「この薬の能力向上効果は一時的だが、その上がり幅は、使用者の元々の力に比例して、爆発的に増える。実際、過去のある戦闘では、この薬を飲んだただの一般兵が、百人の小隊を圧倒したという記録もある」
「!?」
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「だが、一時的に勝ったとて…」
「倒して、お前のトラウマを消せばいい。そして、再び成り上がれ。そのチャンスを、くれてやると言っているのだ」
ヴァルガスは、最後に付け加えた。「何、ただの薬だ。終わったら、少し休めば元に戻る」
グレイは、震える手で、その黒い丸薬を見つめていた。
(…いつまでも、逃げたままの自分でいるのも、嫌だしな…)
彼は、覚悟を決めた。
「…分かった。やってみよう」
ヴァルガスは、その返事を聞くと、口元に、三日月のような笑みを浮かべた。
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自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。
その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。
異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。
定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。
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