ダブル・ミッション 【女は秘密の香りで獣になる2

深冬 芽以

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Mission 4*疑惑

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 一時間半、俺と伊織はくだらない話をしながら腹一杯食べて店を出た。会計の後でもらったガムを渡すと、伊織はすぐに口に入れた。

「ご馳走さま」

 伊織が満足気に笑った。

「ああ……」

 なぜだか恥ずかしくなって、俺は彼女から顔をそむけた。



 焼肉くらいでこんな幸せそうな顔しやがって――。



 一滴も酒を飲んでいないのに、顔が熱くなった。

「何? どうしたの?」

 伊織が俺の顔を覗き込む。

 今更なのに、伊織が可愛くてたまらない。

「あ! 焼肉高かった? 半分出そうか?」

「は?」

 俺は指先で軽く伊織のおでこを叩いた。

「いらねーよ!」

 顔を見られたくなくて、伊織の手を握ると足早に歩きだした。

「ちょ……、圭?」



 伊織の笑った顔を、見たい。



「歩くの早い!」



 伊織の笑った顔を、ずっと見ていたい。



「圭!」



 伊織の、一番近くにいたい。



 駐車場まで行くと、俺は助手席に伊織を乗せて、無言で車を発進させた。

「圭? どうしたの?」

「なにが?」

「何か……怒ってる?」

「怒ってない」

「嘘」

 眉間に皺が寄っていることはわかっていた。そうやって気を張っていないと、今すぐに伊織を抱いてしまいそうだった。

 家に着くまでの車内ではずっと無言で、俺はようやく平常心を取り戻しつつあった。それなのに、伊織はたった一言でまた俺の理性を崩壊させた。

「ただいま」

 俺は危うくレンジを落としかけた。



 今……なんつった――?



 伊織の『ただいま』が頭でこだまする。

 それと同時に、本当に無意識に言葉が出た。

「一緒に暮らそう」

 自分で自分の声に驚いた。



 俺、今なんつった――――?



 驚きすぎた伊織が、目を丸くして口をポカンと開けた顔で俺を見る。

「おまっ――。なんつー間抜け面してんだよ」

「はっ? 圭が変なこと言うからでしょ!」

 伊織の顔がどんどん赤くなる。怒っているような、照れているような。

「変な事ってなんだよ」と言いながら、俺は台所の床にレンジを置いた。

 考えるより先に言葉にしてしまったけれど、こんな風に自分の気持ちを正直に晒せる相手が伊織の他にいないことは、わかっていた。

「食卓テーブル、買うか」

「えっ?」

「ベッドも……大きい方がいいよな」と言って、俺は部屋を見回す。

「はっ?」

「あとは……なんだ?」

 考えると楽しくなってきた。

「ちょっと待って! 何言ってるの?」

「ん?」

「本気?」

「うん。あ、もっと広いマンションに引っ越すか?」

 完全に、俺の脳内は伊織との甘い生活に染まっていた。それを、伊織はまたたった一言で現実に引き戻す。

「無理!」

 それは、なぜか俺が全く予想していない返事。

「無理だから!」と、伊織が念を押した。

「なんで?」

「なんで……って――」

 伊織は口ごもると、目を逸らした。

「そんなの……」

「嫌なの?」

「そうじゃ……ないけど――」

「じゃあ、なんで?」

 拒否されたことがショックで、俺は責め立てるように強い口調になっていた。いや、俺がこんな言い方をすれば、彼女が妥協してくれることを知っていたからだ。

 ずっと、そうだったから。



 だから、きっと、今回も伊織が折れてくれる。

『しょうがないんだから……』と笑って。



 けれど、伊織の表情は硬いままだった。そして、またもや俺の予想外の言葉を口にした。

「圭、どうしてSIINAに入ったの?」

「は?」

「公認会計士なんて立派な資格を持っているのに、会計事務所を辞めてSIINAの経理部なんて割に合わない仕事を選んだのはなんで?」



 な――!

 どうして――――。



 今度は俺が目を丸くした。

「圭、秘密を抱えたまま一緒に暮らすなんて無理だよ」

 そう言った伊織の表情はいつになく真剣で、視線は鋭い。浮かれた俺の甘い妄想を見事に打ち砕いた。

「俺がSIINAに入った理由を話したら、お前は俺が公認会計士の資格を持っていることをどうして知っているのか、話すか?」

 俺と伊織の間を流れる空気が、一気に凍り付く。

「話せない」と、伊織は俺の目を真っ直ぐ見たまま言った。

「今は」

「俺が信じられないか?」と、俺も伊織の目を真っ直ぐ見て言った。

「圭は? 話せるの?」

「今は話せない」

「同じことよ、圭。私は圭を信頼してる。だからと言って全てを共有することは不可能なの。こんな状態では一緒に暮らしても息が詰まるだけよ」

「そうだな……」

 SIINAでの伊織を監視したり、経歴を調査したりしているくせに、彼女と一緒に暮らすなんて、不可能だ。今、こうして二人で会うことも、危ういことなのに。

 どうして、伊織に本当の自分を隠したままで一緒に暮らそうなどと考えたのか、自分でも不思議になった。

 少し考えれば、今はその時ではないことはわかるはずなのに、少しも考える余裕がなくなったのは、伊織の『ただいま』が嬉しかったから。毎日聞きたいと思うくらい、嬉しかったから。

「今の話は忘れてくれ」

 俺はため息交じりに言った。

「圭……」

 伊織は三歩進んで俺の目の前まで来ると、少し背伸びをしてキスをくれた。軽く触れるキス。

「今は一緒に暮らせないけど、嫌なわけじゃないよ……?」

 彼女の無意識の言動が、また俺の理性を崩壊させる。

 焼肉の後だからシャワーを浴びて歯を磨きたいという伊織の言葉には耳を貸さず、俺は半ば強引に彼女の服を脱がせ、数分後にベッドに入る時には二人とも裸になっていた。
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