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9 女の闘い
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しおりを挟む部屋の空気が三度は下がった。気がした。
「たかが呼び方くらいで、くだらない」
「あなたにはくだらないことでも、私にはそうじゃないので。それに、智也も気にすると思うので」
「私に呼び捨てにされることを?」
「いえ。私が他の男性に呼び捨てにされることを」
課長の唇がキュッと閉ざされた。一瞬。
「どうかしら。智也がそんなくだらないことを気にするとは思えないけど、あなたの嫉妬深さはよくわかったわ」
また、呼び捨てにした。
「智也も当然のように私を名前で呼ぶと思うけど、その時は教えてあげるわ」
また――。
「益井さん」
私は敢えて、役職をつけずに呼んだ。
「仕事の為に智也を切り捨てたこと、後悔していますか」
「いいえ」
即答だった。
「あなたにはわからないでしょうけど、智也も私と同じ立場なら、同じことをしたと思うわよ? 私と智也は、恋人である前に同志だったんだから」
益井課長の言う通り、わからない。
わかりたくもない。
「智也とあなたを一緒にしないでください」
「――智也が釧路に飛ばされたのは、あなたの影響?」
「え?」
「部下の尻拭いをして本社を出るなんて馬鹿な真似をしたのは、あなたのせい?」
「……」
答えられなかった。
私のせいじゃないなんて、言えない。
益井課長は、ふぅっ、とため息をついた。
「智也はあなたのどこが良くて付き合っているのかしら」
そんなこと、私が聞きたい。
「あなたと付き合っても、彼には不利益しかないでしょうに」
この女も同じことを――!
智也のお母さんに言われてから、私にとって禁句になった言葉。
そんなこと、言われなくたってわかってる!
「智也に会ったら聞いてみてください」
「え?」
「私のどこが良くて付き合っているのか」
「は?」
「一緒にいてもデメリットしかないのに、どうして付き合っているのか」
「――!!」
自分の言葉に、私が涙を浮かべて俯くとでも思っていたらしい。
益井課長は苦虫を噛み潰したように、顔を歪ませた。
「名前のことも含めて、帰ってきたら教えてください」と、私は精いっぱい強がって微笑んだ。
「どんな反応をして、なんて答えるかは察しがつきますけど。では、仕事に戻ります」
私は振り返らなかった。
痕が残るほど強く、唇を噛んだ。
私が智也に相応しくないことくらい、私が一番よくわかってる――!
それでも、十年前に智也が益井課長に裏切られることなく、結婚していたら幸せになれたとは思えない。
益井課長に裏切られたのも、そのせいで十年も結婚を望まなかったことも、四十間近になって年上のバツイチ子持ち女を抱いているのも、智也の人生。
私だってそうだ。
離婚したけれど、子供を授かったし、四十にもなって年下の上司に抱かれることが出来たのも、私の人生。
交わった二人の人生が、道を違える未来となったとしても、それもまた人生。
演歌の歌詞みたい……。
私は顔を上げ、微笑んだ。
せめて一緒にいられるうちは、どんな些細なことでもいい、智也にとっての利益となれるように努力しよう。
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