続・最後の男

深冬 芽以

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25 家族

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 結婚式は考えていない。

 彩は二度目だし、俺の親族は姉さんたちだけだ。

 俺は再び箱を開け、細い方の指輪を手に取った。少し強引に彩の左手を掴むと、指輪に薬指を通した。

 二人だけで、ムードもなにもない。

 けれど、それが俺たちには似合いだと思う。

「ほら、俺にも着けて」

 自ら左手を差し出すと、甲に雫が落ちた。

「彩?」

 俯く彼女の瞳から、涙が落ちる。

 きっと家を出た時から、我慢していたのだろう。母親の姿に瞳を潤ませたが、車の中では話題にしなかった。

 俺は右手で彼女の頬に触れ、親指の腹で涙を拭った。顔を寄せ、覗き込む。

「指輪、着けて」

「ふ……」

 既に彩の顔は涙でぐちゃぐちゃ。

 俺は箱からティッシュを二、三枚引き抜くと、彩の顔に押し付けた。もう、目元だけ拭くのでは意味がない。

 彩が俺の手からティッシュを奪い、顔全体を拭く。最後に鼻をかんだ。

「泣き過ぎだろ」

「だって……」

 わずかに口を尖らせて、彩は更にティッシュに手を伸ばす。が、俺がそれを止めた。

「早く、指輪」

「ちょっと待って」

「待てない。キスしたいの、我慢してんだけど」

 キスは指輪の交換の後、ってことくらい知っている。

 俺がそんなことを言うとは思っていなかったようで、彩はフフッと笑った。

「早く」

「はいはい」

 彩が俺の左手の薬指に指輪を通す。

 それからようやく、俺は彼女に口づけた。

 誓いのキスらしく、触れるだけのキス。

「指輪、絶対外すなよ」

 唇の距離わずか数ミリ。

「智也も、ね?」

 あとは、もう、人前じゃ見せられないような深い口づけ。

 二人きりで、良かった。

 俺たちは三週間分のキスをした。

 キスの後で、俺は姉さんに電話をかけて、明日の夜は彩の家に来て欲しいと頼んだ。もちろん、二つ返事でOKだ。手土産にフルーツを持って行くと言われたから、彩に伝えた。

 彩は何か言いた気だったが、飲み込んだ。

 どうせ、『ホントにいいの?』とか『ごめんね』とかいったことだろう。俺も聞かなかった。

 今夜は野暮用があったから、彩を送って、明日は姉家族とお邪魔することをお義母さんに伝えて帰った。

 マンションに帰ると、野暮用の相手からメッセージが届いた。

 彩には言っていないが、俺はマンションを売る準備をしていた。真と亮が転校したくないと言う以上、このマンションで一緒に暮らすことは出来ない。

 ちょうど、その話をした相手が、内覧したいと言ったから、この時間に約束をしていた。

「へぇ、広いですね」

「ホント。独身のクセに、よくこんな広いマンションを買ったわね」

「ほっとけ」

 内覧者は遠慮なく家中を見て回る。

「ってか、留守にしてるのにこれだけ綺麗なのって、彩さんに掃除させてるんですか?」

「だから! お前が彩って呼ぶな」

「だって、どっちも溝口じゃないですか。紛らわしいんですよ」

「なら、俺が冨田を凪子って呼んでもいいのかよ」

「はぁ? ダメに決まってんじゃないですか!」

「はぁ? なに、呼び捨てにしてんのよ。『さん』をつけなさいよ!」

 二人の『はぁ?』がハモる。

「え!? そっち? 名前で呼ぶこと自体ダメでしょ」

「うちだってどっちも千堂なんだから、紛らわしいじゃない」

 そう。

 このマンションを買いたいと言っているのは、千堂夫婦。

 冨田のマンションは分譲だが、単身者向けの2LDKで、千堂のマンションは1LDKの賃貸で。既に解約済み。双子が生まれるに当たって、二人は新居を探していた。そこに、俺がマンションの売買について詳しくないかと相談した。

 駅近で、4LDKで、南向きの角部屋、地下駐車場付き。
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