偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以

文字の大きさ
26 / 164
3.偽装の距離

しおりを挟む
*****


「り~き。ね? ちゅるちゅる作ってあげるから」

「……」

「ごめんね? 明日は延長しないから」

「……」

「りき?」

 母親の肩に頭をのせた力登の目は閉じている。

 俺が駅前のスーパーを出て、前を歩くのが如月さん母子だと気づいた時にはもう、すでに。

「ごめんね……」

 母親の手が息子の後頭部を撫でる。

 本当に申し訳なさそうに。本当に愛おしそうに。

 俺はできるだけ靴音を鳴らさないように歩く。

 別に、忍び足というわけではない。

 ただ、夕方のことがあった手前、振り向かれても気まずいと思ったからだ。

 定時で会社を出た後、スマホのアドレス帳を眺め、結局誰にも電話をしなかった。

 いや、した。

 欣吾に。

 だが、留守電に変わった。

 まだ、仕事中だったのかもしれない。

 確認するにしても、会社に戻るのも面倒でやめた。

 俺はスーパーでビールやつまみを買い、今こうして如月さんの後に続いてマンションに向かっているというわけだ。

 二日前、力登を抱き上げた時、最初は軽いなと思ったのに、徐々に重さが増し、その重さに少し驚いた。

 眠るとさらに重くなる。

 彼女の華奢な身体では、大変だろう。

 彼女に限らず、どんなに重くても母親は子供を抱き上げるし、落としたりしない。

 それはもちろん、彼女もそうで。

 力登を抱きながらでは、バッグからカードキーを取り出すのが大変そうだ。

 バッグが肩からずり落ち、ついでに力登の頭も肩から滑り、抱き直す。

 俺は彼女の背後から、自分のカードキーをかざした。

 ピッと軽いノリで解除を告げられ、自動ドアが開く。

 如月さんは俺を見て、気まずそうに眉をひそめた。

「室長」

 俺は自動ドアを跨ぐように立った。

 如月さんは手首でぶら下がっているバッグを肩にかけ直し、ドアを跨いだ。

 俺も後に続く。

「ありがとうございます」

「いえ」

 彼女はちゃんと俺を見ているのに、なぜか俺の方が目をそらしてしまった。

 これでは、俺が夕方のことを気にしていると知らせているようだ。

 ンンッと小さく喉を鳴らし、彼女の脇を抜け、エレベーターのボタンを押す。

 コツコツと彼女が背後に迫る靴音が聞こえる。

 チーンという音と共にエレベーターの扉が開いた。

 中に入り〈開〉ボタンを押す。

 足早に乗り込んできた彼女の肩からまたもバッグが滑り落ち、咄嗟にバッグを掴んだ。

「すみませ――」

「――持ちますよ」

 持ってみて、随分重いなと思った。

「いえ。大丈夫です」

「この状態だと、部屋の鍵も出せないでしょう」

 かといって、ここで俺が力登を抱くのも違う気がした。

 ほんの一瞬だけ間があり、如月さんはバッグを手放した。

「すみません」

「いえ」

 やはりバッグは重かった。

 ノートパソコンは支給品で持ち出し禁止だし、着替える必要もない。となると、力登のものだろうか。

「あの、室長」

 上昇する鉄の箱の中で、彼女が言った。

「さっきは失礼な言い方をしてしまって、すみませんでした」

「……いえ」

 それだけ。

 気まずい空気は変わらない。

 エレベーターが七階に到着し、彼女が下り、俺が下りた。

 部屋の前まで行き、彼女がバッグから鍵を取り出し、ドアを開ける。

「あの、少しだけ待っていてもらえますか」

 そう言うと、俺の返事は待たずに、彼女は部屋に入って行く。

 どうしたものかと、ひとまず玄関の中に入り、彼女のバッグを廊下に置いた。

 力登を布団に寝かせてきたのだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

処理中です...