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13.元上司は優しい嘘つきでした
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「緊張?」
「ああ」
私は彼の背に腕を回し胸に頬擦りするように身体を預けた。
彼の鼓動が聞こえてきて、それは少しずつ大きく激しく速くなっていく。
「篠井さ――」
「――どうせ三年経ったら『妻』になるんだ。なら、内縁なんて煩わしい冠は必要ないだろう」
「え?」
「羽崎が夫婦別姓を望むなら話し合いが必要だが、そうでないのなら――」
「――篠井さん」
「なんだ」
私が顔を上げて彼の顔を見ようとすると、手で押さえつけられて阻止された。
「このまま話せ」
「……」
鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいの大きさと激しさで血液循環を促す光希の心臓が心配になる。
が、やっとわかった。
光希は今、私に『妻』になれとプロポーズしている。
「三か月後にプロポーズはしないって言いませんでしたか?」
「言ったな」
「嘘だったんですか」
「嘘じゃない。今日は二か月と二十八日後だ」
「屁理屈じゃないですか!」
「策士と言え」
上司時代の彼がよく言っていた。
詐欺だの嘘つきだのその場しのぎだの言われると、決まって『心外だな。策士と言え』と言い返していた。
あの頃が懐かしい。
そして、今も健在であることが嬉しい。
「最初からそのつもりだったんですか」
「違う。あの時は本当に、結婚なんて形にこだわらなくてもいいと思った。内縁とか事実婚とか、珍しくもないしな」
「じゃあ――」
「――でも、気が変わった」
「勝手ですね」
「ああ」
痛いくらいの力で抱きしめられ、痛いと言おうかと思ったが、やめた。
痛いくらい強い想いを、否定したくない。
私も負けじと強く彼の腰を抱いたが、きっと光希にはなんてことない強さなのだろう。
それでも、私は私の精一杯で彼を抱きしめた。
「……どうして気が変わったんですか?」
「お前の言う通り、死に目に会えないかもしれないし、遺産相続の手続きが面倒に――」
「――本当は?」
光希の声が震えていると気づき、思わず遮った。
このマンションに来た日、事故物件の話でビビッていた彼を思い出した。
私の知っていた上司の顔は、彼のほんの一面に過ぎない。
ホラーとか心霊に弱くて、陽当たりの良い場所が好きで、本当は恋人にベタ甘なくせにドライな関係を望んでいるなんて思い込んでて、家に帰るなり『飯!』とか言っちゃいそうなのに先に帰ったらご飯作ってくれたりして、私が困っていたら全速力で駆け付けてくれるくらい優しくて、他人の家庭の事情なんて面倒だから関わらなそうなのにがっつり関わっちゃったりして。
きっとまだまだ、私の知らない彼がいる。
そして、私は彼の全てを知りたいと思っている。
大事なのは、私がそう思うくらい、光希を好きだということなのかもしれない。光希が、こんなに緊張してまで私にプロポーズしてくれていることを嬉しいと思うことなのかもしれない。
頭の上で、光希がゆっくりと息を吸い込む音がした。
「家族になりたいと思った」
『家族になってやりたい』って言わないのね……。
涙が睫毛を濡らす前に、光希の服を濡らす。
それくらい、私と光希は密着していて、きっと胸の辺りがじわっと濡れていくのを彼も感じている。
「夏依の家族になりたいと思ったんだよ」
顔が冷たい。
それくらい、光希の服は私の涙でぐっしょり濡れている。
何か言いたくても、口を開いても嗚咽しか出ないと思う。
それでも、返事がしたくてできる限りゆっくりと息を吸った。
「わた……っも――」
やっぱり、言葉にならない。
光希が私の頭をゆっくりと撫で、おでこにキスをくれた。
「俺と家族になろう」
私は全力で頷いた。
ひっくひっくとしゃくり上げながら、何度も頷いた。
そのお返しと言わんばかりに、光希は何度も私のおでこにキスをした。
光希がどんな表情をしていたのか、私には見えなかったし、顔を上げても涙で見えなかったとは思うけれど、それでも見たかった。
きっと、細い目をさらに細めて笑ってくれていたと思う。
そうだったらいいなと、思った。
「ああ」
私は彼の背に腕を回し胸に頬擦りするように身体を預けた。
彼の鼓動が聞こえてきて、それは少しずつ大きく激しく速くなっていく。
「篠井さ――」
「――どうせ三年経ったら『妻』になるんだ。なら、内縁なんて煩わしい冠は必要ないだろう」
「え?」
「羽崎が夫婦別姓を望むなら話し合いが必要だが、そうでないのなら――」
「――篠井さん」
「なんだ」
私が顔を上げて彼の顔を見ようとすると、手で押さえつけられて阻止された。
「このまま話せ」
「……」
鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいの大きさと激しさで血液循環を促す光希の心臓が心配になる。
が、やっとわかった。
光希は今、私に『妻』になれとプロポーズしている。
「三か月後にプロポーズはしないって言いませんでしたか?」
「言ったな」
「嘘だったんですか」
「嘘じゃない。今日は二か月と二十八日後だ」
「屁理屈じゃないですか!」
「策士と言え」
上司時代の彼がよく言っていた。
詐欺だの嘘つきだのその場しのぎだの言われると、決まって『心外だな。策士と言え』と言い返していた。
あの頃が懐かしい。
そして、今も健在であることが嬉しい。
「最初からそのつもりだったんですか」
「違う。あの時は本当に、結婚なんて形にこだわらなくてもいいと思った。内縁とか事実婚とか、珍しくもないしな」
「じゃあ――」
「――でも、気が変わった」
「勝手ですね」
「ああ」
痛いくらいの力で抱きしめられ、痛いと言おうかと思ったが、やめた。
痛いくらい強い想いを、否定したくない。
私も負けじと強く彼の腰を抱いたが、きっと光希にはなんてことない強さなのだろう。
それでも、私は私の精一杯で彼を抱きしめた。
「……どうして気が変わったんですか?」
「お前の言う通り、死に目に会えないかもしれないし、遺産相続の手続きが面倒に――」
「――本当は?」
光希の声が震えていると気づき、思わず遮った。
このマンションに来た日、事故物件の話でビビッていた彼を思い出した。
私の知っていた上司の顔は、彼のほんの一面に過ぎない。
ホラーとか心霊に弱くて、陽当たりの良い場所が好きで、本当は恋人にベタ甘なくせにドライな関係を望んでいるなんて思い込んでて、家に帰るなり『飯!』とか言っちゃいそうなのに先に帰ったらご飯作ってくれたりして、私が困っていたら全速力で駆け付けてくれるくらい優しくて、他人の家庭の事情なんて面倒だから関わらなそうなのにがっつり関わっちゃったりして。
きっとまだまだ、私の知らない彼がいる。
そして、私は彼の全てを知りたいと思っている。
大事なのは、私がそう思うくらい、光希を好きだということなのかもしれない。光希が、こんなに緊張してまで私にプロポーズしてくれていることを嬉しいと思うことなのかもしれない。
頭の上で、光希がゆっくりと息を吸い込む音がした。
「家族になりたいと思った」
『家族になってやりたい』って言わないのね……。
涙が睫毛を濡らす前に、光希の服を濡らす。
それくらい、私と光希は密着していて、きっと胸の辺りがじわっと濡れていくのを彼も感じている。
「夏依の家族になりたいと思ったんだよ」
顔が冷たい。
それくらい、光希の服は私の涙でぐっしょり濡れている。
何か言いたくても、口を開いても嗚咽しか出ないと思う。
それでも、返事がしたくてできる限りゆっくりと息を吸った。
「わた……っも――」
やっぱり、言葉にならない。
光希が私の頭をゆっくりと撫で、おでこにキスをくれた。
「俺と家族になろう」
私は全力で頷いた。
ひっくひっくとしゃくり上げながら、何度も頷いた。
そのお返しと言わんばかりに、光希は何度も私のおでこにキスをした。
光希がどんな表情をしていたのか、私には見えなかったし、顔を上げても涙で見えなかったとは思うけれど、それでも見たかった。
きっと、細い目をさらに細めて笑ってくれていたと思う。
そうだったらいいなと、思った。
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