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5.惑い
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「せっかく気持ち良かったのに、興醒めだわ」
「千尋」
「奥さんと何があったか知らないけど、私を――」
「妻は関係ない!」
びっくりした。
仕事では大声で部下を叱ることもある。けれど、その時とは違う。理性を失った、感情的な叫び。
比呂は大きく深呼吸をした。
真っ直ぐに私の目を見る。
「俺は、美幸と離婚して、千尋と結婚したい」
美幸って名前なんだ、奥さん。
どうでもいいことを、思った。
私は比呂が好きだ。
愛人関係を始める前から、同僚として尊敬していたし、信頼もしていた。
一緒にいて無理もないし、身体の相性もいい。
きっと、結婚するなら、比呂みたいな男性《ひと》が私には合っている。
結婚、できるなら……。
「比呂のことは好きよ? 薬指に指輪をしている限りはね」
この一年、同じ台詞を何度も言った。
比呂が私との未来を望む度に、何度も。
聞き飽きたはずの台詞なのに、言われる度に比呂は寂しそうな表情をする。何度でも。
今も、そう。
今まで以上に、寂しそうな表情。
「どうして――」
「最初から言ってたでしょ? 私と比呂の関係は、比呂の離婚が成立するまで、って」
「指輪をしてる俺は好きで、してない俺は好きじゃない?」
「――そうね」
そんなこと、あるはずがない。
ないけど、認めるわけにはいかない。
「なんだよ、それ――」
比呂は左手で髪を掻き上げた。薬指の指輪が光る。
「離婚、決まりそうなの?」
「……」
比呂が焦って、避妊もせずに私を抱いたのは、そういう理由からじゃないかと思った。
私はベッドの下に脱ぎ散らかした服を拾い、比呂のものは比呂の膝に置いた。さっきまで驚くほどその存在感を誇示していたモノは、すっかり意気消沈してしまった。
私はショーツを穿き、パーカーのファスナーを上げた。
比呂も服を着て、ベッドから降りた。
「帰るわ」
そう言うと、比呂は私に一瞥もくれずに出て行った。
今夜もまた、比呂のパーカーを着て眠った。
彼の感触が残る身体を抱き締める自分の腕が、とても冷たく感じられた。
「千尋」
「奥さんと何があったか知らないけど、私を――」
「妻は関係ない!」
びっくりした。
仕事では大声で部下を叱ることもある。けれど、その時とは違う。理性を失った、感情的な叫び。
比呂は大きく深呼吸をした。
真っ直ぐに私の目を見る。
「俺は、美幸と離婚して、千尋と結婚したい」
美幸って名前なんだ、奥さん。
どうでもいいことを、思った。
私は比呂が好きだ。
愛人関係を始める前から、同僚として尊敬していたし、信頼もしていた。
一緒にいて無理もないし、身体の相性もいい。
きっと、結婚するなら、比呂みたいな男性《ひと》が私には合っている。
結婚、できるなら……。
「比呂のことは好きよ? 薬指に指輪をしている限りはね」
この一年、同じ台詞を何度も言った。
比呂が私との未来を望む度に、何度も。
聞き飽きたはずの台詞なのに、言われる度に比呂は寂しそうな表情をする。何度でも。
今も、そう。
今まで以上に、寂しそうな表情。
「どうして――」
「最初から言ってたでしょ? 私と比呂の関係は、比呂の離婚が成立するまで、って」
「指輪をしてる俺は好きで、してない俺は好きじゃない?」
「――そうね」
そんなこと、あるはずがない。
ないけど、認めるわけにはいかない。
「なんだよ、それ――」
比呂は左手で髪を掻き上げた。薬指の指輪が光る。
「離婚、決まりそうなの?」
「……」
比呂が焦って、避妊もせずに私を抱いたのは、そういう理由からじゃないかと思った。
私はベッドの下に脱ぎ散らかした服を拾い、比呂のものは比呂の膝に置いた。さっきまで驚くほどその存在感を誇示していたモノは、すっかり意気消沈してしまった。
私はショーツを穿き、パーカーのファスナーを上げた。
比呂も服を着て、ベッドから降りた。
「帰るわ」
そう言うと、比呂は私に一瞥もくれずに出て行った。
今夜もまた、比呂のパーカーを着て眠った。
彼の感触が残る身体を抱き締める自分の腕が、とても冷たく感じられた。
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