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4.差し伸べられた手
8
しおりを挟む当たっている。
事実、昨日だって慶太朗と別れたばかりなことを言い訳に、峰濱さんとの食事を断った。
これは峰濱さんがどうということじゃない。
私の問題だ。
「正解、です」
私がシートベルトを外すと、彼もそうした。
「昨日の残業は……嘘じゃないですけど、約束をキャンセルするほど急ぎの仕事じゃなかったんです」
峰濱さんはきっと、わかっている。
だから、慎重になっている。なってくれている。
『愛し合いたい』には驚いたけれど、彼が真剣に気持ちを伝えて、私に誠実であろうとしてくれることは、嬉しい。
ならば、私も正直に自分の気持ちを、迷いを伝えるべきだろう。
真っ直ぐに私を見て、私の言葉を待ってくれている彼を、私も真っ直ぐに見つめた。
「バーで食事に誘われた時、行きたいと思ったのは確かです。でも、日がたつにつれて、あんな別れ方とはいえ恋人と別れて一週間で男性と二人で食事するのって……どうなんだろうって考えてしまって」
「うん」
「気持ちの切り替え早いだろって、もう次の男狙ってんのかって、誰に言われるわけじゃなくても、なんか……」
「……わかるよ」
「迷うなら行かない方がいいって思ってキャンセルしたのに、キャンセルした途端に気持ちがモヤモヤしてしまって……」
「……うん」
モヤモヤした理由はわかっている、多分。
けれど、それを認めていいのか、わからない。
もしかしたら、間違っているかもしれない。
蜂谷さんの時だって、間違えた……。
「美空さん」
「はい」
峰濱さんが右手を差し出した。掌を上に向けて。
「まずはお互いを知る時間をもちませんか」
「峰濱さん……」
「俺は、迷って食事をキャンセルしたきみが、今夜はこうして会ってくれたことが、とても嬉しいよ」
そういうことなのだ。
電話がきて、嬉しかった。
昨日断った食事を、今日は自分から誘った。
認めるとか認めないとかではなく、もう私の中に彼という存在が居場所を持ってしまった。
そして、私と会えたことを『嬉しい』と飾らない言葉で伝えてくれることを、私は喜んでいる。
二十八年生きてきて、何度かしか経験がないけれど、恋の始まりはいつもわかりにくくてむず痒い。
私は峰濱さんの手に、自分の左手をのせた。
「今日は楽しかったです」
「うん」
「峰濱さんにも楽しかったと思ってもらえたのなら、それも嬉しいです」
「うん」
「だから……」
いい年をして、お友達から始めましょうなんて言うのが照れくさくて、つい口ごもってしまった。
ゆっくりと視線を落とす。
最近、らしくない。
いや、恋愛に関してはこんなものだ。ずっと。
相手の顔色や、存在しない誰かの評価を気にしすぎる。
時にそれは、相手を傷つけるとわかっているのに……。
「私――っ」
思い切って顔を上げると、峰濱さんが柔らかく微笑んでいた。
その表情があんまり優しくて、くだらないことばかり考えている自分が恥ずかしくなる。
「――あなたのことを知りたいです」
言葉と共に彼の手をきゅっと握ると、彼もまた握り返してくれた。
「うん」
彼の手は温かかった。
温かくて、離しがたかった。
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