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三章 贋作者騒動

20:ホワイトディア辺境伯:Sideアークトゥルス

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 ホワイトディア辺境伯――アークトゥルス=ベン=ホワイトディアは先触れもなく押しかけてきた男――辺境領東部の貴族、ドミトリー=ジルを鋭い目で睨みつけていた。門前払いされても文句を言えない無礼な男を、儀礼的に応接室まで通したのにはわけがある。叔父のオリオンから手紙が届いていたからだ。そこには、辺境領の中心でホワイトディアの本家があるメルクロニアへ、ジル伯爵が来るであろうことが記されていた。来訪の理由も、また然り。

 無礼な男に出す茶はない。本当は面会するのも嫌だったが、目的を果たすためには必要な流れだった。白銀の髪を結わえた美丈夫は不快さを隠したりしない。する必要のある立場でもない。悲壮感たっぷりにオリオンの非道を訴える男を、冷え冷えとした目で見据えている。

「――それで? さっきからテメェは何が言いたいんだ? ゴタク並べてねえで要点をまとめて言え。ダラダラ、ダラダラ、こっちも暇じゃねえんだぞ」

 アークトゥルスの口から粗暴な言葉が吐き出された。美丈夫の口から粗暴な言葉が紡がれるのを前にすると、初見の人間はギョッとなるだろう。しかし十六歳の時に出会い、互いに一目惚れして結ばれた最愛の妻は『そのギャップがたまらないわ!』と言ってくれて、大恋愛の末に、北の辺境領へ嫁いできてくれた。

 辺境伯の言葉に、ジル伯爵の肩が大きく跳ねる。四十半ばか五十ほどの、自分よりも少し年上の男は、怯みながらも黙ろうとしなかった。余程、自分の訴えに正当性があると信じているらしい。

「アークトゥルス様! どうか先代の横暴を止めてくださいませ! 我が娘、ヴァネッサに対してあまりにも非道な仕打ちでございます……騎士をやめて貴族令嬢として修道院に入るか、騎士として最北の前線へ行くかを選べなど……!」
「話は聞いている。相応の罰だろ。だからオレが承認したんだ」
「何を……!」
「ジル家が伯爵家になって、何年経った?」
「は……?」
「何年だ?」
「……我が曾祖父の代ですので、七十年ほどになります。それ以前は、子爵家としてお仕えしていましたが、北との戦いで曾祖父が功績を挙げ――」

 質問の意図が分からないと言わんばかりの顔をしながらも、ドミトリーはアークトゥルスの問いに答えた。それを聞いた辺境伯は「七十年、七十年か」と繰り返し、ジル伯爵を睨む目に圧をかける。

「ジル『伯爵』家よォ、テメェら、七十年の間に忘れちまったようだな」
「……はい? 何をでしょう?」
「ホワイトディア辺境伯領は、王国に属しているから辺境伯領だ。けどな……その気になりゃ、いつでも独立できるんだぜ?」
「っ……御言葉が過ぎますぞ!」
「誰に対して言葉が過ぎるって? ああ? 南にいる王族に対してか? あいつらにヘーコラしなきゃいけねえほど、ウチは弱かねえんだよ!」

 美丈夫がローテーブルを蹴飛ばしながら言った。

「聞いてりゃテメェ、やっぱり忘れてやがんな!? 北の辺境領の爵位は南の王族が授けてくれたモンじゃねえぞ! ホワイトディアに連なる一族に、ホワイトディアが授けてやったモンだ!」
「ひっ……!」
「広大な領地を北の蛮族からも、南のヤツらからも守るために、一族に土地を分けて爵位もくれてやった! 違うか!? ああ!?」
「ち、違いません……!」

 遥か昔、辺境領――ホワイトディア領は、生きるのに難しい環境ということもあって貧しく、力もなかった。北の蛮族との戦いに明け暮れる中、南にも敵を抱えるわけにはいかないと、王国につくことにしたのだ。王国にしてみれば、北の蛮族の侵攻を防ぐ盾を手に入れたようなもの。それに加えて税も納めてくれるとあれば、受け入れないという選択肢はなかった。

 当時のホワイトディア領は弱く、王国の敵になり得ないと侮られ、舐められていたのも、拒否されなかった一因だろう。もしかすると、北の蛮族とさほど変わらない存在だと思われていたのかもしれない。王国に下ったあと、北へ来たがる統治者はいなかった。そのため、ホワイトディアはそのまま、北の人間たちの王として君臨し、今に至るのだ。

 現在のホワイトディアは強い。そして豊かだ。王国を丸ごとを手にしても負けはしないだろう。それでも独立しないのは、これまでの長い歴史の中で、王国――南と交流を深めているからだ。南に移った人間もいれば、南から来た者たちもいる。家族や親戚はもちろん、友人、仕事の関係者、その他にもさまざまな関わりのある人間がいるのだ。余程の理由がなければ、否、余程の理由があっても、易々と戦火を引き起こす判断はしない。

 しかし、それとこれとは、話が別だ。

「北の貴族にとって、ホワイトディアは――王だ。テメェも娘も、ジル家の人間はそのことを忘れちまってんじゃねえのか?」
「そ、そのようなことは決してありません! 我らが北の地で日々心穏やかに、飢えず、搾取されず、生きていけるのは、ホワイトディア家の力と威光があってのことと思っております!」
「日々心穏やかにだァ? テメェ、ふざけてやがんのか?」
「は……?」
「北はいつでも戦地だ! 最北じゃ今も同胞が戦ってんだぞ! それをこともあろうに穏やかだと!?」
「ひぃ、も、申しわけございません! しかし、今のは言葉の綾で――」
「言葉の綾が許される相手だと思ってんのか?」

 アークトゥルスは男の言葉を遮った。ゆらりと立ち上がり、真っ青な顔で震える姿を見下ろす。彼の中にあったのは、怒りよりも情けなさだ。猛者揃いとされる北の人間の中に、目の前の男のような人間がいる。北を統率する立場の者として、その事実が情けなくて仕方がなかった。

「そのスカスカのドタマに叩き込んどけ! テメェやテメェの娘が噛みついたのは王国の英雄なんかじゃねえ。北に君臨してた、先代の王と、その妻になる御方だ! テメェらジル家の人間に『北』の貴族で、家臣だって自覚がありゃ、歯向かう気も起きねえ相手だろ!」
「し、しかし――」
「しかしもクソもあるか! 不敬は死罪になってもおかしくねえ大罪だ! それをなんだ!? 生き残る道ふたつも与えてもらっといて、ゴチャゴチャ不満言ってんじゃねえぞ!」

 彼は、叔父のオリオンのように体格には恵まれていない。顔立ちも母親の血が濃いのか、四十歳を越えた今でも美丈夫と称させるような風貌だ。

 けれど、アークトゥルスは北の地の荒くれ者たちを束ねる立場で、そういった者たちに認められるほどの力がある。爵位を継ぐまでは妻を残して最北の前線で戦い、自分の倍は体重がありそうな男たちを腕っぷしで黙らせてきた。誰もが最高峰の武人と称する叔父の威光を越えようと、己を磨いた。

 そんな辺境伯――アークトゥルス=ベン=ホワイトディアに睨まれて、安穏と生きてきた男が平然としていられるはずもない。

「ドミトリー=ジル。オレが世界で一番、尊敬してる人間への文句を言いに来る度胸は買ってやる。だから……ぶっ殺される前にメルクロニアから出て行け!!」
「っ……っっっ!」

 脱兎のごとく、ドミトリー=ジルが応接室を飛び出して行く。躓きかける背中を冷たい目で見据えながら、アークトゥルスはソファにどさりと腰を下ろした。

「カイル!」

 部屋の外へ向かって大声で腹心の家臣の名前を呼ぶ。

 するとすぐに、開けっぱなしになっているドアから、丸太のように太い首の、筋骨隆々とした大男が呆れ顔で入ってきた。彼の名は、カイル=クラウチ。アークトゥルスの戦友を経て右腕になった男だ。三白眼の厳つい相貌で、右目の横から顎にかけてを古い傷跡が走っている。

「おー、荒れてんな」
「荒れるに決まってんだろ! なんなんだアイツは! クソッ!」

 ガンッと、アークトゥルスは再びテーブルを蹴る。

「ったく、家具に当たんなよ。馬鹿高いテーブルだぞ」
「うるせえ!」
「奥様がソファと合わせてお選びになったテーブルだ」

 最愛の妻が選んだ物と聞き、アークトゥルスはいそいそとテーブルを元の位置に戻した。武人に二度も蹴られたテーブルは当然ながら傷がついている。

「修復できる職人を呼んでくれ」
「承った」
「最優先事項だぞ」
「だから分かったって」

 念押しされたカイルは辟易した様子で答えた。

「それで? ジル家をどうする気だ?」

 北の辺境伯領で『伯爵』以上の地位はない。辺境『伯』領に侯爵がいるのはおかしな話だからだ。つまり、伯爵という爵位は北で権威のある家だということを表しており、その地位を与えられている家は、さほど多くない。

 ホワイトディア辺境領は大まかに、東西南北と中央の五つに区分けられている。ジル家は七十年ほど前に、子から伯へ陞爵されて以来、東部のまとめ役を担っていた。当時のジル子爵家当主は武人然りとした人物で、北部が苦戦した時は、自ら私兵を率いて参戦するような人物だったらしい。そこで大手柄を上げ、陞爵に至った。

 それ以来、東部で大きな顔をしていたようだが、十五年前、オリオン=デイヴィス=ホワイトディアが城塞都市バラリオスの主として入城してからは、おとなしくなっていたと聞く。そのまま静かにしていればいいものを、過去の栄光とやらを忘れられないのが人の常だ。

「ジル家……名門ったって名ばかりの名門に成り下がってやがるな。優秀な騎士や武人を輩出してたのも、今は昔ってヤツだ」
「近年は商売に力を入れてるんだと」
「金儲けか。商売ルートを潰せ。商売ルートも商売相手も全部ウチで食っちまえ」
「ホワイトディア本家でか?」
「なわけあるか。テメェんとこのクラウチ家でもいいし、最近跳ねてんのだとブルーローズ商会、エズラ商会、商船団の……なんつった、緑の牛だったか。その辺に条件つけてくれてやれ」

 アークトゥルスが長い足を組む。

 直情的で苛烈な面が先行して印象を植え付けるが、その実、白銀の美丈夫は政治や商売ができる人間だ。最高峰の武人であるオリオンの手で武術の基礎を叩き込まれ、貴族の世界で暗躍し王を操るとまで云われるメザーフィールドの人間に、政治や商売はこうするのだと教え込まれた、当代のホワイトディア辺境伯――。

 それが、アークトゥルス=ベン=ホワイトディアだ。

「三年だ。三年で、爵位返上しなきゃならねえところまで、引きずり落としてやらァ」

 権力を振るって独裁的に降爵させる……という意味でないことは、カイル=クラウチにはわかっていた。公明正大に、然るべき理由による然るべき対応として、降爵させると言っているのだ。その然るべき理由を意図的に作れるほどの素養が、彼にはあった。

 ジル家はオリオンの怒りを買い、アークトゥルスの怒りも買った。不敬罪で処刑されるのと、痩せ細らせて生かすのと、どちらが酷か。

「――つーかよ、カイル」
「ん?」
「オジキが……まあ、これまで歯向かう人間がいなかったってのもあるけど、私的制裁を加えんの、オレァ、初めて見たぜ」
「私的制裁つっても承認したのは辺境伯だろ」
「バーカ。よっぽどの無理筋でもねえ限り、オレがオジキの頼みを断るわけがねえ。あの人には……返しきれねえ大恩があるからな。そうでなかったら、誰が、孫ほど歳の離れた男爵家の娘に婚姻申し込みの書状なんざ出すかよ」
「ああ、アメリア=ローズハート嬢だっけ」
「あん時は、オジキがついにボケたかと思ったが、ただの色ボケで安心したぜ」

 アークトゥルスが面白そうに「はっはっは!」と豪快に笑う。

「いいねェ、いいねェ! オレァ、ラブロマンスが大っっ好きだ! 運命ってモンを信じてるタイプだからな!」
「ったく、色ボケはどっちだ」
「オジキもついに運命の相手に出会ったのさ! 相手は若いお嬢ちゃんだ。運命が生まれてなかったから、今の今まで独身を貫いてたんだろうよ!」
「あの方がそんなロマンチストだとは思えねえけどな」
「わかってねえな! 血の繋がったオレがロマンチストなんだから、オジキがそうでもおかしくねえだろ!」

 敬愛する叔父の運命の相手。

 会えるのは結婚式を行うため、ふたりがメルクロニアへ来た時だろう。

(早く春になんねえかな)

 まだ本格的な冬を迎えてもいないのに、そんなことを考えてしまう自分がおかしくて、アークトゥルスはまた、豪快な笑い声を響かせるのだった。



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