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三章 贋作者騒動

30:ヴァルテンベルク家の夜会①:Sideノア

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 王立学園を卒業したノア=クローバーフィールドは、王都のタウンハウスを離れて婚約者――プリシアと共に、しばらくローズハート男爵領に居住することになっていた。基本的に領地のことはローズハート家の身内に任せるのが慣例だが、次代の領主が何も知りません、住んだこともありません、では統治もままならない。そのため、数年間の期限付きではあるが、男爵領に居住するのだ。

 もっともノアは領地を管理人に任せっきりにするつもりはない。すぐには無理だろうが、代替わりをした暁には、自分で治めようと考えていた。プリシアが反対しないことはわかっている。管理人が治めるのも、夫が治めるのも、どちらも変わらないと考えているだろうから。

 ローズハート男爵領へ戻る前の、最後の夜会に参加した。学園の同窓生で、よくつるんでいた友人の婚約披露パーティーだ。爵位はあちらのほうが上だが、下位貴族を見下したところもなく、気軽に会話することができる。

 ヴァルテンベルク伯爵家のタウンハウス内にあるパーティーホールは、煌びやかに飾りつけられていた。頭上のシャンデリアは眩く輝き、壁には生花が飾られ、会場中に、ひと目見れば高級品だと分かる調度品ばかりが並んでいる。食事も一流の料理人が腕を振るったのだろう。輝かんばかりの料理の数々だ。

 ノアはプリシアと共にパーティー会場を訪れた。婚約者は目の覚めるようなオレンジ色のドレスを身に纏い、ピンクブロンドの髪に大きな花飾りをつけている。悪目立ちしそうな格好だが、本人がどうしてもこれを着るのだと言い張った。ノアは根気強く説得する気も起きず、自身は黒に近い濃い緑の装いをしている。

 会場についてすぐ、本日の主役であるふたりに挨拶をした。主役とだけあって忙しそうにしていたが、気安く言葉を交わしてくれる。あとで落ち合う約束をし、挨拶だけをして、ひとまずその場を離れた。

「さすがヴァルテンベルク家のパーティーね! 見て、あそこにいるの、デュロイ=マクスウェル侯爵家のジークフリート様だわ!」

 プリシアは目を輝かせながら会場を見回している。名だたる貴族たちの顔を見ては子供のように興奮し、はしゃいでいた。その様子を見て、顔見知りの同窓生の何人かが頬を染めている。鼻で笑ってしまうような話だが、天真爛漫で無邪気に見えるプリシアは、在学中、男子学生に想いを寄せられることが幾度とあった。

(俺には理解できないが)

 やがてダンスの時間になり、楽団が演奏を始める。王都でも有名な楽団で、どれだけの金を積んだのか頭の中で演算し、金はあるところにはあるのだなと、深い溜め息を漏らした。プリシアと三曲続けて踊って、パーティー会場をあとにする。彼女は友人を見つけたようで、ノアが会場を離れると言っても気にしていなかった。

 友人と落ち合うために、タウンハウス内の個室へ向かう。何度も足を運んだことがあるため、迷うことはない。

 扉を開ければ、よく見知った部屋の中にはビリヤード台やカードゲーム用の台、品のいいソファなどが置かれている。学生時代、何人かの友人たちとこの部屋によく集まっていた。その中心にいた人物――アイシー=ヴァルテンベルクはソファに腰かけてロックウィスキーを飲んでいたが、ノアを見て軽く手を挙げた。

「主役がもう来てるとはな」
「大事な相手との挨拶は終わったからいいんだよ。お前も飲むだろ?」
「ああ。一杯くれ」

 アイシーは伯爵家の当主の弟だが、男爵家の子息でしかないノアを見下したりはしない。彼が手ずから注いでくれたウィスキーが入ったグラスを受け取り、ノアは革張りのソファに腰を下ろす。グラスの中身を口に含めば鼻腔にスモーキーな香りが広がった。年代物の高級品だ。

「ついにアイシーも結婚か」
「ああ。そっちもだろ?」
「……だな」

 一緒にパーティー会場に来たプリシアを思い出し、ノアは顔を顰めた。その反応を見てアイシーがケラケラ笑う。

「憂鬱そうな顔するなよ。跡継ぎ作って、婿の地盤を確固たるものにしたら、男爵領をお前が統治していくんだろ? 俺、うちに余ってる子爵の爵位もらって、商売しようと思ってるんだ。こっちとそっちで、いろいろ上手いことやっていこうぜ」
「願ってもない話だな。ローズハート男爵領は田舎だ。君のところと提携できるなら心強い」
「田舎って言うけど、ぶっといパイプがあるだろ?」

 友人はニヤリと笑って、ぐっと顔を寄せてきた。あまりの距離の近さに顔を後ろに背ければ、アイシーは再び笑いながら、元の場所へ戻って行った。

「隠すなよ。聞いてるぜ? 北の辺境伯領と繋がりができたんだろ?」

 それがノアの義理の姉になる女性――アメリア=ローズハートのことを言っているのだと、すぐにわかった。鮮やかな赤い髪と、こちらを見透かすような緑の目を思い出す。北へ渡った彼女は、今頃どうしているのだろうか。元々関わりは薄かった。だが、個人の力ではひと目会うことすら叶わない場所に行ってしまったのだと思うと、言いようのない寂莫を覚えた。

「よく知ってるな」
「情報は金なり、ってな。正式な婚約式があるまでは、そんなに出回らないだろうけど、そのあとはかなりの話題になるぞ」
「そうだろうな。確かに、近年稀に見るぶっといパイプだ」
「北の市場は測り知れないからな。上手くやれば一攫千金も夢じゃない」
「……そう上手くはいかないさ」

 北のホワイトディア辺境領にどれだけの価値があるのか、それを知らない商売人はいない。例え商売をしていなくても、王国の北側に領地を抱えている貴族で、ホワイトディア家を無視できる者はいないだろう。いるとするなら、余程の愚鈍さだ。何せ北は、ひとつの国と言っても過言ではない。

 王国の中枢よりも強大な力を持っているであろう、辺境領だ。これからノアが婿入りする家には、北の辺境領の中心にほど近い場所にいる人物との関わりができた。しかもその人物の妻という、濃い、繋がりだ。

 普通であれば色めき立つものだが、現男爵――レオル=ローズハートは、積極的な交流をしようとしていない。向上心がないのか、権力志向ではないのか、もしくはこれまで無視し続けてきた娘への罪悪感か……。

「姉妹仲悪いんだっけ?」
「ほぼ一方的にな。あいつが目の敵にして、見下してるだけだ。お義姉様はなんとも思ってないんじゃないか」
「ふーん。じゃあ、お前は?」
「え?」

 アイシーの言葉に、ノアは目をまたたかせた。

「だーかーら、お前自身はどうなんだって聞いてるんだよ。義理の姉になる……なんだっけ? 名前……」
「アメリア様だ」
「そうそう、アメリア。アメリア=ローズハート。その人とノアは険悪なのか? 関係性はどうなんだ?」
「俺は……普通だ。別に悪くもないし、すごく仲がいいってわけでも……」

 特に五年ほど前、彼女が領地に引っ込んでからは、会うこともなくなった。だがそれ以前、まだ彼女が王都のタウンハウスにいた頃は顔を合わせる度に、言葉を交わしたりしていた。もっとも、そう頻繫ではなかったが。

「お前がそんな感じなら、向こうもそうなんだろ? 特に可もなく不可もなくな関係なら、話してみればいい。事業提携、商品提供、売買ルートの確立……英雄の妻なら口利きもできるさ」
「……かもな」
「なんだその返事? 乗り気じゃないのか?」
「よく分からない。今さらどのツラ下げてって気もするし、チャンスを逃すのも馬鹿馬鹿しい気もする……」
「なんだそれ」
「いろいろ複雑なんだよ」

 仮に、ノアがアメリアと連絡を取り、それがプリシアの知るところになれば面倒なことになるのは間違いない。

 婚約者の彼女は、異母姉を馬鹿にし、見下し、嘲笑しているが、内心に抱いているのは別の感情だろう。代々のローズハート男爵は、みんな真っ赤な髪をしている。赤を持たない当主となり、正当性を疑われるのを恐れているのだ。相手を下げなければ安心できない、どこまでも追いかけてくる劣等感……おそらく、プリシアはその手の感情を抱いていると、ノアは考えていた。

「複雑か? 本人が複雑に考えてるだけで、実は意外と単純な答えだっていうのは、よくある話だぞ。うちだってそうさ」
「ヴァルテンベルク家?」
「そう。考えてみろよ。当主の兄さんに嫁も婚約者もいないのに、弟の俺が婚約披露パーティーなんてやってるんだぜ。変だろう?」
「まあ、そうだな。よっぽどの理由がない限り、上から順にっていうのが、王国貴族の慣例だ」
「じゃあ、どうして我が家はそうじゃないと思う?」
「それは……」

 ノアは腕を組んでヴァルテンベルク家について思考する。

 ヴァルテンベルク家は王国内でも歴史ある伯爵家で、現当主はアイシーの兄だ。歳は三十前……名門を率いて行くには若い。今でそうなのだから、当然、爵位を継いだ時にはもっと若かった。先代――友人の父は、八年ほど前に夫人と共に馬車の事故で亡くなったと聞いている。つまり彼の兄が伯爵になったのは、二十代前半の頃だ。若すぎる継承は一族内の不和を呼ぶ。もしかするとその時に一族を纏めるため、傍系の人間と、なんらかの、例えば結婚や後継者に関する取り引きをしたのかも――

「はい、時間切れ」
「……制限時間があるとは聞いてない」
「ないとも言ってないし、難しく考えすぎてるようだからな。言っただろ? 答えは意外と単純だって」
「じゃあ、その単純な答えはなんなんだ?」
「ズバリ、兄さんは女嫌いだ」
「……は?」
「女を抱く気になれないらしい。とはいえ別に、男が好きだってわけでもないみたいだけどな」

 女が嫌い。だから結婚しない。

 確かに、単純明快な理由だ。

「でもそれだと、跡継ぎはどうするんだ?」
「俺の子供を養子にするか、自分が退くタイミングで俺に譲るってさ」
「あっさりしてるな」
「あの人は基本的に何にも興味ないんだ……あっ、そうでもないか。二年くらい前から、なんとかって画家の絵を熱心に集めてる。兄さんが芸術に興味あるなんて、最近まで知らなかったよ」

 そう言うと、アイシーはグラスのウィスキーを煽った。

 ちょうどその時だ。部屋のドアがノックされた。アイシーが返事をすると、ヴァルテンベルク家の使用人が頭を下げて入室してくる。

「なんの用だ?」
「いえ、アイシー様ではなく……ノア=クローバーフィールド様、ヴァルテンベルク伯爵がお呼びです」
「……俺を?」
「おいおい、なんで兄さんがノアを呼ぶんだ? つーか、名前を知ってるって……会ったことあったっけ?」
「見かけて挨拶をしたことはあるけど、ちゃんと喋ったことはない」

 ノアは戸惑うが、当主の実弟であるアイシーも困惑しているようだ。なんでだと言わんばかりに首をひねっている。

 何故呼ばれたかは謎だが、無視するわけにもいかない。ノアはグラスを置いてソファから立ち上がった。それに続いてアイシーも腰を上げる。

「俺も行く。なんの話か気になるしな」
「そうか、助かるよ」

 一対一で向き合うより、友人がいたほうが心強い。ノアはアイシーと共に部屋を出て、自分を呼んでいるヴァルテンベルク伯爵の元へ向かうのだった。



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