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四章 英雄の花嫁

37:ホワイトディア辺境伯夫妻

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 寒さ厳しい冬の終わりがようやく見えてきた。春の訪れを予感させる足音が、もうすぐそこまで聞こえてきている。

 とはいえ、王国北部に位置するホワイトディア辺境伯領の冬は長い。山に積もる雪も、朝晩の寒さも健在だ。外気に晒された水溜まりは夜の内に凍りつき、分厚い防寒具も手放せない。部屋の中には暖炉の火が一日中焚かれ、絨毯は毛足の長い冬用の仕立てだ。それでもアメリア=ローズハートは、確かに春を感じていた。雪が積もった木の枝に小さな芽を見つけ、誰にも理解されないだろうが、太陽の光が一段階明るくなり、風の感触も柔らかくなった。

(あと、一か月――)

 その頃になればホワイトディア辺境伯領にも本格的な春が訪れるのだろうか。この地で過ごす冬は初めてであるため、例年と比べたおおよその想像もつかない。ここへ来る以前、五年ほど過ごしていた実家の男爵領も王国の北部寄りに位置するが、辺境伯領が広大すぎて予測の参考にはならなかった。

 王国の名を冠してはいるが、国内と称すにはあまりにも広大すぎる、いっそ一国と言っても過言ではないほどの領地を有する、ホワイトディア辺境伯家。その地では円滑な統治を行う目的で、領土が中央と東西南北の五つに区分けされている。

 先代辺境伯であるオリオン=ホワイトディアとの婚約を結んだアメリアの生活基盤は、彼が十五年ほど前から治めている東部地域バラリオスにあった。

 しかし今、彼女とオリオンの身はバラリオスではなく、ホワイトディア辺境伯家の居城がある中央部――メルクロニアにある。それは来月執り行われる、先代辺境伯――オリオンの結婚式のためだ。婚約式はバラリオス城で行ったが、偉大な英雄でもある先代辺境伯の結婚式は、ホワイトディア辺境伯家の居城で、領全体を挙げての催しになるらしい。

 挙式が執り行われるのは、一か月後だ。

 ゆえにアメリアはバラリオスを発ち、冬の終わりを予感させるその日の午後――正午を二時間ほど過ぎた時間に、オリオンと共にメルクロニアへ到着した。

 同行しているのは侍女のリサと、竜騎士のエリック=ハルドだ。もともと物覚えがいいのか、侍女見習いだったリサは礼節や仕事はもちろん、読み書きなどの教養も身につけ、今では立派に侍女の役目を果たしている。また、バラリオスの竜騎士団に所属するエリックだが、騎士団としての任務より個人的な用向きを言いつけられることが増えたため、つい最近アメリアの護衛騎士に任じられた。他にも数人の使用人たちが、先に送った荷と共に先行してメルクロニアに入っている。

 白竜のクィーンの背に乗って、空高くから見たメルクロニアは驚くほど手の行き届いた洗練された街並みだった。ひと際高い場所にあるメルクロニア城を中心に街は区画整備され、人工的な美しさが際立っている。冬の季節が長く、日照時間が短いという理由もあるのかもしれない。住宅らしき建物が並ぶ居住区周辺は、壁や屋根の色が鮮やかだった。この地に生きる人が日々の暮らしを豊かにするため、あえて明るい色を取り入れているのだろう。

 何よりも美しいのは、メルクロニア城だ。小高くなった場所に築かれた城は、周りを濠に囲まれていた。要塞としての側面を忘れない造りでありながら、各所に趣向が凝らされている。男爵領にいた頃からメルクロニアの黄金城の話は聞いていた。東向きの白亜の壁には凹凸の加工が施され、朝陽を浴びて黄金色に輝くらしい。今は昼で黄金の輝きを目にすることができないのが、惜しまれた。

 メルクロニア城に入ったアメリアは一度オリオンと分かれ、用意された部屋で冷えた身体を温めたり、着替えをしたりと道中で崩れた身嗜みを整える。そしてあらかたの支度が終わったところで、城主夫妻――ホワイトディア辺境伯夫妻と対面することになった。

 案内されたのは洗練された内装の応接室だ。金や銀など煌びやかな飾りはないが、ひと目見てわかるほど上等な細工が施された家具が置かれ、絨毯はシミひとつないくらいに手入れされている。これだけ大きな城であればいくつもの応接室があるが、おそらくその中でもランクの高い一室だろう。自然な光を取り入れるための大きな窓があり、その向こうには訓練中であろう竜騎士たちが隊列を組んで飛んでいるのが見えた。

 ホワイトディア辺境伯夫妻は席を立ち、笑顔でアメリアたちを迎えてくれた。

「オジキ! お久しぶりです!」

 ホワイトディア辺境伯――アークトゥルスがオリオンの元へ歩み寄る。白銀の髪を結わえた美丈夫で、四十代だと聞いていたがもっと若く見えた。甥と叔父の関係らしいが、オリオンとはあまり似ていない。どちらかと言えば、辺境伯の次男であるアンタレスのほうオリオンと似ているだろう。だが、辺境伯が叔父を慕っているのはよくわかった。彼のオリオンを見つめる目は、子供のようにキラキラ輝いている。

「久しいな、アークトゥルス。健勝のようで何よりだ」
「オジキのほうこそお元気そうで良かった! 新年もその前も、全然会いに来てくれねえから、オレのほうから会いに行こうと思ってたんですよ。でもカイルのヤロウに止められちまって……」
「おおかた『辺境伯が居城を空けるな』とでも言われたか。クラウチの人間は真面目が取り柄だからな」
「真面目すぎて口うるさいくらいっすワ」

 嫌そうな顔をするアークトゥルスに、オリオンが向ける顔は穏やかだ。アークトゥルスがオリオンを慕うように、オリオンもアークトゥルスを可愛がっている。血縁上は甥と叔父の関係でも、実際は親子と同様の繋がりがあるのだろう。

「そうか。だが、口うるさくともクラウチは忠臣だ。一寸の疑いもなく信に足る者たちゆえ、傍に置き、声に耳を傾けなさい……などと私に言われるまでもなく、そなたもわかっているであろう?」
「まあ、アイツとは前線にいた頃からの仲だし、気楽な相手ではありますけどね。ところで――」

 それまでオリオンに向けられていたホワイトディア辺境伯の目が、隣にいたアメリアに移った。顔立ちはあまり似ていないが、紅玉の瞳はオリオンと同じだ。その目が楽しげに細められる。

「こちらのお嬢さんがオジキの婚約者ですか?」
「ああ。アメリア嬢だ」
「はじめまして、アメリア嬢。甥のアークトゥルスだ。こっちは妻のテリーザ」

 アークトゥルスの隣にテリーザが並んだ。ミモザによく似て整った顔立ちをしており、緩く波打つ黄金色の髪が華やかな印象を与える。夏の空のような碧の目は輝き、活き活きとした生命力に満ちていた。

「はじめまして、アメリア様。テリーザですわ」
「夫婦共々、よろしく頼むぜ」
「ご挨拶が遅れて申しわけありません。アメリアと申します」

 家庭教師の子爵夫人に習ったカーテシーで挨拶をする。

 少しして静かに顔を上げれば、二対の瞳がアメリアを見ていた。おそらく見定めようとしているのだろう。敬愛する叔父の妻に相応しいかどうかの高い水準を求められているのではなく、見定められようとしているのは、叔父の評価を下げないか、または害することはないかという、最低限の水準であることは予想がつく。何をどうすればお眼鏡に適うのかわからないが、高位の貴族である彼らが男爵家の娘に大きな期待を寄せているとは思わない。

 不意にオリオンの大きな手がアメリアの背に回った。彼女の気が引けていることに気付いたのかもしれない。アメリアが人間関係を築くのに不得手な性分であることをオリオンはわかってくれている。だからこうして大丈夫だと励まそうとしてくれているのだろう。

「アークトゥルス」
「……わかってますって。オジキの遅れて来た春の相手に泥つけるような無礼なマネはしませんよ。アメリア嬢、そう固くならなくていい。まあ、座ってくれ」

 用意された席に着くのと同時に、紅茶と焼菓子が運ばれてきた。焼き立てなのか、バターと砂糖の甘い香りが漂っている。ひとまず他の三人が手をつけるのを待って口にしようと思っていたのだが――

(……見られている?)

 隣のオリオンをはじめ、テーブルを挟んだ向かい側に座ったテリーザやアークトゥルスも、アメリアににこやかな顔を向けていた。状況が上手く飲み込めずにいると、テリーザが微笑みながら口を開く。

「アメリア様はフィナンシェはお好きかしら?」
「あ、はい。甘くて、美味しいと思います」

 フィナンシェに留まらず、ほとんどの菓子は甘いものだ。もっと気の利いたことを言うべきなのかとも考えたが、それでもアメリアには「食感も、好きです」と続けるのが精いっぱいだった。そんな凡庸な返事しかできていないにも関わらず、辺境伯夫人は笑みを崩さない。むしろ深まっていた。

「わたくしも大好きなの! フィナンシェもダックワーズもマカロンもクッキーも、どれが一番か選べないくらいに。うちの菓子職人の焼菓子は、つい食べすぎちゃうほど絶品なのよ。ぜひ召し上がってみてちょうだい」
「ありがとうございます」

 半ば夫人の勢いに押される形でアメリアは焼菓子を口に運ぶ。歯を立てた表面はサクッとしているが、内側はしっとりとした食感だ。鼻に抜けるバターの香りと、舌に残る絶妙な甘さはテリーザが言うように絶品だった。

「美味しいです」
「良かったわ。どんどん食べてね」

 そう言ってテリーザもフィナンシェに手を伸ばす。ほう、と熱い吐息を漏らしながら食べる姿を見る限り、よほどのスイーツ好きなのだろう。そんな妻をアークトゥルスが優しい顔で見つめていた。

 ホワイトディア辺境伯夫妻の大恋愛の話は、以前ミモザに聞いている。それこそ、物語よりも物語らしい、大恋愛劇だったそうだ。天真爛漫で正義感の強い、明るく可愛らしい南の辺境伯の令嬢と、見目麗しい外見でありながら少々粗野なところがある腕っぷしの強い、北の辺境伯の甥の、三年間に及ぶ学園生活を綴った物語は、二十年以上経った今でも学生たちの間で語り継がれているらしい。もっとも、学園に在籍したことのないアメリアは、ミモザに聞いて初めて知ったのだが――。

 その後の会話は和やかな雰囲気の中で行われた。

 アメリアはこの機に自分を見定めるつもりなのではと思っていたが、予想に反してアークトゥルスの意識はオリオンへ向けられている。考えてみれば、アメリアがホワイトディア辺境伯領に来ておよそ半年もの間、オリオンはバラリオスから離れなかった。もしかすると見定めるよりも、叔父との再会を喜びたいのかもしれない。

 もうひとつの予想外な出来事は、テリーザだ。彼女はニコニコ微笑みながら、アメリアに次々と話を振ってくる。機知に富んだ返事ができているとは思えないが、嫌な顔ひとつせず「そうなの?」「まあ!」「わたくしもそう思うわ」などと、楽しそうに相槌を打っていた。

(受け入れてもらえている、のかしら?)

 だが、もしそうだとするなら理由がわからない。

 向こうにしてみれば、オリオンの妻にと望む理想の相手と、アメリアはひどくかけ離れているだろう。独身を貫いていた敬愛する人物であり、先代とはいえ北の王と呼んでも過言ではない叔父が連れて来たのは、王国の弱小貴族の娘だ。辺境伯家側に旨味はまったくなく、むしろ、老いて色に溺れた英雄と醜聞が流れてもおかしくない、足を引っ張る相手であるという自覚がある。

「アメリア様。お茶のおかわりは?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」

 呼び方ひとつにしても、敬意を払ってくれているのがわかった。現辺境伯の妻として、先代辺境伯の妻に敬意を払うのは当然なのだろうが、アメリアの場合は特殊だ。テリーザは北の辺境伯領と同じくらい影響力のある、南の辺境伯領の令嬢で、アメリアはしがない男爵家の娘である。名ばかりの、と軽視されてもおかしくないと考えていた分、テリーザの厚意に困惑してしまう。

「もうっ、本当に残念でなりませんわ」
「はい?」
「アメリア様がもっと早くメルクロニアへいらしてくれたら良かったのに。そうすればわたくしたち、ずっと仲良くなれたと思うの。そう、姉妹のように!」
「姉妹……」

 テリーザの娘のミモザとアメリアは四歳しか変わらず、長男とは同じ歳である。年齢だけを言えば親子だ。しかしテリーザの爛漫さと明るい表情から滲み出る活き活きとした雰囲気が、彼女を実年齢よりも遥かに若く見せているため、姉妹でもなんの違和感もない。

「オリオン様の運命の相手だとアークトゥルスに聞いて、早くお会いしたいと思っていたのよ? それなのに婚約式には参加できず、挨拶にも伺えないなんて……あなたに会って一緒に遊んだと、アンタレスとミモザに自慢されて、本当に悔しかったんだから!」
「は、はあ……」
「婚約式のあとすぐいらしてくれて良かったのよ? そうすれば結婚式の準備も、時間をかけて一緒にできたのに……はじめましてが式の一か月前だなんて!」

 プリプリ怒るテリーザの勢いを、どう止めればいいのかわからない。助けを求めてオリオンを見れば、彼も彼でアークトゥルスに捕まっているようだ。

「なあ、オジキ! 運命の相手に出会ったら稲妻に打たれた感覚がするって、昔オレが言ってたこと、これでわかったでしょ?」
「ふむ、稲妻のう」

 自身たちが大恋愛の末に結ばれたからだろう。どうやらアークトゥルスもテリーザも、アメリアたちが年齢差や身分差を乗り越えた愛の元に結ばれた関係だと思っているらしい。結婚式の準備に、当事者よりも気合いが入っていることは、夫人の勢いを見れば予想がついた。

 アメリアは目の前の女性に顔を戻す。

 彼女くらいの年齢の女性に真っ直ぐな目で見つめられ、慈愛に満ちた笑みを向けられると、どうしていいのかわからなくなる。礼儀作法を教えてくれる子爵夫人とは、また違った感情を向けられていることは、なんとなく察した。

「式まであと、一か月と少し。わたくしたちだけで進められるところは進めてきたけれど、アメリア様……これから忙しくなりますわよ。よく食べて、よく寝て、よく身体を動かして、英気を養ってくださいな!」
「……がんばります」
「でも、無理はなさらないでくださいね。何か不安なこと、困ったことがあれば、わたくしに相談してください。姉妹のようにと言いましたけれど……母親の代わりだと思って頼ってくださいね」

 アメリアはわずかに目を丸くする。

 先代辺境伯の妻になる女について、ホワイトディア家は調査しているとわかっていたが、改めて事実を突きつけられて言葉に窮した。向こうは当然のことをしたまでの話で、その上で厚意で言ってくれていることも理解できる。

 けれど、胸がざわつく。

 ホワイトディアは結束力の強い一族だ。そして目の前のふたりは愛し愛される夫婦で、アンタレスやミモザのような仲のいい子供たちがいる。

 どれもアメリアの手にはないものだ。父方の一族はもちろん、母方の一族も波風を立てたくないとばかりに後妻とその娘がローズハートに残るのを黙認した。一族の結束も、家族の愛も、姉妹の愛も、彼女は持っていない。

 だからだろう。ホワイトディア辺境伯夫妻に、申しわけなさを覚える。オリオン=ホワイトディアもまごうことなくそちら側の人間だ。名ばかりであるとしても、その隣に立つのが、家族の情だのなんだのを知らない自分であることに、罪悪感にも似た感情を抱いてしまった。

(せっかく、言ってくれているのに……)

 申しわけなく思う気持ちを押し隠すように、アメリアはテリーザにお礼を言い、彼女が勧めてくれた焼菓子を口に運んだ――。




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