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四章 英雄の花嫁

36:結婚式の招待状:Sideノア

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 春と呼ぶにはまだ早いが、冬の終わりが見えてきた季節。ローズハート男爵領の領主の屋敷に一通の招待状が届いた。

 差出人はアメリア=ローズハート。それは、王国のやや北寄りに位置するローズハート男爵領よりも遥か北――ホワイトディア辺境伯領に滞在している、男爵家の長女から送られてきた、結婚式の招待状だった。

 近い内にノア=クローバーフィールドの義姉になる予定のアメリアは、先代ホワイトディア辺境伯であるオリオンに嫁ぐことになり、現在はかの地で婚約者として過ごしている。

 ローズハート男爵家は特段有力でもなく、財産があるわけでもない、どこにでもあるような弱小領主の家柄だ。そんな家の娘と、成り立ちを考えれば北の大国と呼んでも過言ではない領土に君臨する、ホワイトディア家の人間が結びつくなど、本来であればあり得ない話だろう。しかし現にあちらからの申し入れで婚約は結ばれ、こうして結婚式の招待状まで届いた。

 夕食を囲む席でのこと。ローズハート男爵のレオルが招待状のことを、妻のマーガレット、娘のプリシア、そして婿入りする予定のノアに伝えた。ノアは牛頬肉の赤ワイン煮込みを咀嚼すると、ナイフとフォークを置き、テーブルを囲む面々の表情を窺う。

 プリシアは幼さの残る顔を不快げに歪めていた。姉の話なんて聞きたくもないとばかりに父親から顔を背け、目の前の料理を食べ進めていく。彼女は姉への嫌悪感を隠そうとしない。いずれ男爵になるのなら、感情を表に出さない術くらいは身につけてほしいものだ。

 ノアは妻になる女から、義母になる女へと目を向けた。マーガレットは娘と同じピンクブロンドの髪を耳にかけると、赤のワインが注がれたグラスを手に取って口をつける。どことなく品のある雰囲気は、その辺の男爵夫人と呼ばれる女性たちとは一線を画し、まるで高位貴族の女性のようだ。

「アメリアの結婚式だが、私ひとりで出席しようと思う」

 いずれノアの義父になる男は静かな口調で言った。招待状を受け取って、いろいろと考えて出した結論なのだろう。男爵の決定に対し、婿になる予定のノアが口を挟むことはない。プリシアも忌々しい姉の結婚式になど出たくなかったようで「それがいいわ!」と嬉しそうに言った。

 しかし、男爵の妻であるその人は違う。

「ダメよ」

 彼女はハッキリと、なんの遠慮もなく夫の言葉を否定した。貴族の妻は夫を立てて尊ぶべし――とされている中、マーガレットはなんの躊躇もなくレオルに意見する。それは今回のことだけではない。常日頃からそうだった。

「せっかくホワイトディア辺境伯領へ行って、領主の一族はもちろん、あちらの貴族とも顔を繋げる機会なのにふいにすることはないわ。機会を好機へと変え、その好機を活かさないと。そうでしょう?」
「では、私とお前だけで――」
「いいえ。貴方、何を言っているの? わかっているでしょう? 顔合わせには私たちだけでなく、プリシアとノアも行かないと意味がないわ」

 マーガレットがレオルの言葉を遮る。

 彼女は手に持っていたグラスをテーブルに置き、指先でコツンと板面を打った。それはマーガレット=ローズハートが仕事の話をする時の癖だ。一気に空気が重く張りつめる。良く言えば天真爛漫で素直なプリシアでさえも、ナイフとフォークを置いて母親のほうを見た。

「ローズハート男爵領のような弱小領地が生き残るには、現状維持のままではいけないの。近隣の弱小領地と婚姻で結びつき、手を取り合っていったところで男爵家も領民も貧しいままだわ。現状維持は衰退と同じ……違うかしら?」
「お前の言う通りだが、現状維持のままではないだろう? 近頃はノアがよくやってくれているじゃないか」
「いえ、そんな……」

 義父となる男爵に評価されて嬉しくないわけではない。しかし手を上げて喜べるかと言われれば、そうではなかった。

 ローズハート男爵領における政策や経営、内政は、男爵であるレオルの名の下に行われているが、実際に取り仕切っているのは――妻である、マーガレット=ローズハートだ。

 ノアが推し進めている新進気鋭の画家、ルーカス=アストライオスに起因する男爵領の観光地化計画も、マーガレットの後押しがあって始めることができた。温厚で和を尊び、変化を苦手とする性格の男爵は、当初、集客を見込める観光地化への転換に二の足を踏んでいたのだ。レオルは向上することよりも現状維持を望んでおり、これまで手を携え合ってきた近隣の領地よりも頭ひとつ抜きん出る可能性のある計画を、良しとしなかった。しかしマーガレットがノアに賛同し、援護したことにより、妻に頭が上がらないレオルは計画を承認するに至ったのである。

 コツン、と、嫋やかな指が板面を打った。

「取りかかりとしては文句ないけれど、将来的なことを考えれば芸術家ひとりに頼った観光地事業はいつまでも続けていられないわ。もしもその『ルーカス=アストライオス』の評価が下がれば、かの芸術家の恩恵による観光地なんて、すぐに廃れてしまうでしょう」

 彼女の指摘はもっともだ。

 自領の命運を顔も知らない他人に懸ける危険性は、ノア自身も考えていたことだった。話題性のある人物を押すのは、現状の領地を潤す即効性はあっても、将来に渡って持続できるかどうかは難しい。それこそ、その人物を囲いでもして担ぎ上げ、領全体で名産品化でもしない限り今後の見通しをつけるのは至難の業だろう。

「名産品を売り出すことで、まずはローズハート男爵領の名前を売り、当面の資金を得るという考えは間違っていない。大事なのはそのあとの展望よ」
「では、どうすると言うんだ?」

 レオルの問いにマーガレットは薄く笑む。

「このローズハート男爵領を、王都とホワイトディア辺境伯領を繋ぐ中継地点にするの。ふたつの巨大な都を結ぶ街道沿いの宿場町……それがこれから十年後、二十年後の男爵領の在るべき姿よ」
「つまり、領の在り方を『ルーカス=アストライオス』をメインとした観光地から、中継地点の宿場町へと、いずれ移していくということですか?」
「ええ、そうよ。べつにメインでなくすからといって、芸術家『ルーカス=アストライオス』関連のものを排除するつもりはないわ。もしかすると彼目当ての人間がこの先も居続けるかもしれないもの。観光地化の際に作る物はそのまま残せばいい。多かれ少なかれ、この地へ立ち寄った人々の娯楽になるでしょうからね」

 マーガレットの構想は、すでに頭の中で形になっているのだろう。もしかすると予算案すら組んでいるのかもしれない。彼女の話を聞いている内に、ノアはホワイトディア辺境伯領へ自分が同行しなければいけない理由に思い当たる。

「俺やプリシアが一緒に行くのは、次代の辺境伯と直接顔を繋げ、親しくなる必要があるということで合っていますか?」
「正確には次代の辺境伯の弟妹と、よ。ホワイトディア辺境伯領では次代の当主は、北の最前線で軍を率いて戦うの。ある程度の年齢になるまで、領内の経済活動や政治には関わらないわ。でも弟妹は違う」
「ホワイトディア辺境伯家の弟妹のことは知っています。次男のアンタレス様は一学年下、長女のミモザ様は二学年下にいらっしゃったので。ただ、話したことはありません。知っているとは言いましたが、あくまで噂程度のことです」
「そうでしょうね。それに向こうは貴方やプリシアのことなんて、存在すら知らないわ。ローズハートもクローバーフィールドも、ホワイトディア家が気にするような家じゃないもの」

 卑下しているのではない。マーガレットは淡々と事実を語っているのだ。ノアもそれがわかっているからこそ、何も反論せずに「そうですね」と頷いた。

 あちら側にしてみれば、ローズハート男爵領など気に留める必要のない領地だ。けれど今後は――もしかすると、もうすでに、気にかけている領地へと変わっているかもしれない。先代とはいえ、辺境伯を務めた男の伴侶となるアメリアの家が治める領地なのだ。

「宿場町にするのなら、王都と辺境を結ぶ街道を整備する必要があります」

 ノアの言葉にマーガレットは「そうね」と同意し、かつて北の辺境領内の道を、ホワイトディア家が自ら整備したという話をする。それはつまり、ホワイトディア家には街道整備のノウハウがあることに他ならない。

「資金は交渉次第だけれど、話がまとまればあちらが多く負担してくれるでしょう。王都への街道が整備されることは、向こうにとっても悪い話ではないわ。以前ならともかく、近頃は友好政策が取られているようだから」
「ホワイトディア辺境伯家の長女と、王家の第四王子殿下の婚約が結ばれていることですか?」
「ええ。だからこそ今は絶好の機会だと言えるわ。ホワイトディア家からの資金提供だけでなく、王家にも公共事業として申請が通る可能性が高い。支援金が降りれば、我が家の負担はより軽くなるわね」

 観光地化計画のため現在は男爵領へ移って来ているが、彼女は今でも王都の情報を取り寄せているのだろう。その上で勝算があると判断し、国を巻き込んでの公共事業にしてしまおうなどと口にしているのだ。

 ローズハート家は完全にマーガレットに掌握されている。婿に入るノアの道は、彼女の手中に収まるか、彼女と共に男爵領に尽くすか、彼女から男爵領に関する権限の一切を奪うか、その三つだ。追従するだけでいる気はない。だが、まだマーガレットを制して権限を奪えるほどの力はない。だとすれば、答えは自然と決まってくる。

(今は、力を蓄える時だ)

 彼自身も、男爵領も――。

「では俺は、アンタレス=ホワイトディアとミモザ=ホワイトディアと、良好な関係を築けるように努めます。場合によっては、俺ひとりで動いたほうがいいかもしれません」

 ノアはちらりとプリシアを見た。

 まったく話についてこれないのだろう。プリシアはつまらなさそうに口を尖らせている。学園も卒業し、正式に貴族の女性として扱われる年齢になっているにも関わらず、彼女は頭の中も仕草も子供から抜けきっていない。

 そんな娘の現状を知らないはずがないのに、マーガレットがプリシアを咎めることはノアの知る限り一度もなかった。鉄の女も血を分けた愛娘には甘い……それが子供の頃から、この母子と接してきた彼の見解だ。

 マーガレットはノアの言いたいことを察したのか、小さく頷く。プリシア=ローズハートの性格上、万人と良好な関係を築くのは困難だ。本人が猫を被り、大人の付き合いができるのならいざ知らず、それはできないときた。遥かに格上の家柄の貴族を相手に、許されない振る舞いをする可能性も無きにしも非ず、だ。

「街道に関してもだけれど、ホワイトディア家とは時間をかけてでも関係を深めていく必要があるわ。いずれ――竜の行き来ができるくらいに」
「飛竜、ですか」
「荷を運ぶにしても、人を運ぶにしても、竜ほど効率的かつ短時間に移動できる手段はないでしょう。巨大な都を繋ぐ街道と、画期的な輸送手段……まさか私が生きている内に、これらを手に入れる好機が訪れるなんて思ってもいなかったわ」

 目を細めてうっそりと微笑む女は、珍しく感情が読めるほど機嫌がいい。マーガレットの機嫌を損ねないためにも、ノアは『竜の使用など始めれば国に警戒されるのでは?』という問いを飲み込んだ。そのことに気付かない人ではない。すでに対応策のひとつやふたつ考えているのだろう。

 マーガレットがワインを口にした。その瞬間、張り詰めていた空気が緩むのを感じたのか、プリシアが置いていたカトラリーを手にして夕食を再開した。ノアもグラスを手に取り――

「お前たちは、目的を履き違えてはいないか?」

 グラスに口をつける寸前、それまでずっと黙っていたレオル=ローズハートが口を開いた。グラスを置いて彼を見れば、眉を顰めた顔でマーガレットを見ている。

「ローズハート家の長女の結婚式だぞ。それも相手は国の英雄だ。私たちはアメリアの結婚を祝福する場へ行くのであって、交渉や商談をしに行くのではない」
「何を言っているの? 本来であれば婚約を結ぶ時点でしておくべき話だったのよ。今になってしまったのは、貴方が私に相談もなく、婚約と婚姻の書類にサインをしたからでしょう?」
「子供の婚姻に関する承認非承認は、当主の権利だ」

 例え名ばかりであっても、と。言葉にはしなくとも、レオル=ローズハートが何を言いたいのかわかった。ノアにわかるくらいだ。マーガレットにもわかっているのだろう。

「そもそも、私たちがあの子にしていたことを思えば、嫁ぎ先と良好な関係を築くだのどうだと言える義理はない。すべきことといえば、悪感情を向けられなければいいと祈ることだけだ」
「あの子にしたこと? 私たちが何をしたと言うの?」
「それは、わかっているだろう?」
「わからないわ。私は何もしていない。だって、関わってすらいないのに、何かをすることなんてできないでしょう?」

 なんでもないように、何を言っているのだとばかりに、マーガレットは不思議そうな顔でそう言った。さすがのノアも瞠目せざるをえない。何故ならば、家族に倦厭され、孤立していたアメリアの幼少期を知っているからだ。

 けれどそれはマーガレットに言わせれば、前妻の娘を虐げてもいないし、貶めてもいない、何もしていないというところに帰結するらしい。まるで言葉遊びだ。何もしていないから、悪感情など抱かれないと、彼女は本心で思っているのだろう。

「貴族の娘が嫁ぐのは家の利益のためよ。そのくらいのことは、あの子にもわかるでしょう?」

 レオル=ローズハートが真っ青な顔で俯く。二十年近く、妻の意見に異を唱えたことなどほとんどなかった、温厚な男だ。彼はそれ以上は何も言えないようだった。そしてその反抗も、鉄の女にはまったく届いていない。

(どれだけの力を蓄えたら、対抗できるんだ?)

 しがない男爵家の三男など、兄が家を継ぐタイミングで平民に落ちてもおかしくなかった。だが友好関係にあるローズハート男爵家に女児しかいなかったことで、貴族として生きていくことができる。友人に恵まれたこともあり、たかだか男爵家の婿だと腐ることなく、向上心を持って前に進めていた。

 マーガレット=ローズハートこそ、将来こうなるべきという、完成された形なのかもしれない。爵位を継承した伴侶よりも発言権を持ち、領内の差配ができる、実質的な領主――例え小さな領地でも、自由にできるだけの力を持てたならと、つい胸が弾んでしまう。

 力になりたいと切に願う人がいるのに、その人の犠牲の上で、力を得ることになるのだ。皮肉か、悲劇か。ノア=クローバーフィールドは浮かべた自嘲を隠すように、グラスを傾けて中身を飲み干すのだった――。



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