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四章 英雄の花嫁
42:白鹿の兄妹
しおりを挟むその日は朝からメルクロニア城の雰囲気が違った。兵士から使用人まで、誰もがどことなくソワソワして、浮かれたような明るい空気が漂っている。
いつものようにオリオンとふたり、崖の上で黄金城を描いた。そしてオリオンが辺境伯だった頃から勤めている料理人に作ってもらった、卵とハムのサンドイッチを食べた。しっかり焼かれたハード系のパンは食べごたえがある。満腹で、少しだけウエストがきつかった。
朝の日課を終えて城へ戻り、しばらく経った頃。城中を浮き足立たせる理由たちがメルクロニア城の門をくぐり、生まれ育ったその場所へと帰還したのだった。
「父上、母上! 戻ったぜ!」
「ちょっと小兄様! ただいまの挨拶くらいちゃんとしないとダメよ!」
「そんなこと気にする人たちじゃねえって」
「そういう問題じゃないの!」
広々とした玄関ホールに入って来たのは、ホワイトディア辺境伯の次男アンタレスと、長女で末の姫であるミモザだ。三か月ほど前にバラリオスで会った時と印象は変わらない。表情豊かで感情を隠さない人たちで、仲のいい兄妹だ。
たくましい体躯は見かけ倒しではなく、兄のアンタレスは両手にひとつずつトランクケースを持っていた。ミモザの手が空いているところを見る限り、おそらく片方は彼女の荷物なのだろう。それなりに重そうなケースだが、アンタレスは軽々と持っているようで、足取りもしっかりしている。
豪快に笑う兄の隣で、しっかり者の妹が振る舞いを窘めていた。しかしアンタレスはまったく気に留めていないようで、ミモザは緩く波打つ金色の髪を揺らしながらプリプリ怒っている。
バラリオスで会った時に見ていたのと同じ光景だ。アメリアの胸にほんの少しの懐かしさが込み上げた。
「おかえりなさい、アンタレス、ミモザ! さあ、こちらへ来て。お母様によくお顔を見せてちょうだい」
「ええ、お母様!」
「お? アンタレス、少し見ない間にまたデカくなったんじゃねえか?」
「ああ! ちょっとずつだけど背も伸びたし、体重も増えたんだ。いっぱい食って、いっぱい動いて、いっぱい寝てるからな!」
両親と子供たちは再会を喜び、四人とも顔を綻ばせている。その光景を見つめる使用人たちも自然と笑みを浮かべていた。
王都にある貴族の子息令嬢が在籍する学園は、春の長期休暇に入った。ふたりは結婚式に参列するため、終業式を終えたそのままの足で、ホワイトディア辺境領へ戻って来たのだ。
アメリアはオリオンと共に出迎えに顔を出した。
仲睦まじい家族の姿に、ソワソワと浮き足立っていた空気が、和やかなものへと変わっていくのを肌で感じる。微笑ましいと言わんばかりの視線が注がれていた。それは、ホワイトディア家の人間が主人として慕われているということだろう。主従関係が良好でなければ、このようなあたたかい雰囲気にはならない。
ホワイトディア家の再会を見ていると、両親との挨拶を終えたミモザがアメリアたちのほうを振り向いた。彼女は満面の笑みを浮かべると、大きく両腕を広げて近づいてくる。
「アメリア!」
「お久しぶりで――」
途中で思い切り抱きつかれ、最後まで言うことができなかった。勢いを殺しきれず後ろに倒れそうになるのを、オリオンが支えてくれる。そのまま後ろから肩を抱かれていると、彼の笑い声が降ってきた。
「ミモザ、息災で何よりだ」
「大叔父様とアメリアもお元気そうで。わたくし、早くふたりにお会いしたくて、小兄様にイナヅマ号を飛ばしてもらいましたのよ!」
「ほう、道理で聞いていたよりも早く到着したわけだ。先触れでは昼を回るかもしれぬと言っておったからのう」
「だって、せっかくなら昼食をご一緒したかったのです。晩餐までなんて待っていられませんもの」
むぎゅ、と。ミモザがアメリアに抱きつく力を強める。
背中に感じるものより、わずかに温度が高く、柔らかいぬくもりに、アメリアの手が行き場を探して落ち着かないでいた。挨拶で熱烈な抱擁を求められることは、ほとんど初めてと言っていい。どうすればいいのか悩んでいると、顔のすぐ傍に、明るい輝きに満ちた碧の瞳が近付いた。
「アメリア、会いたかったわ! ねえ、今日の午後の予定は?」
「式の支度を……」
「そのあとは? 時間があるのなら一緒にお買い物に行きましょう? メルクロニアの城下を案内してあげる。ね、いいでしょう?」
「それは――」
式の支度を手伝ってくれているテリーザに目を向ける。アメリアもスケジュールや準備の進捗状況は把握しているが、見通しが間違っていない確信はない。確認のためにテリーザに視線を送ると、ミモザと同じ色の目を細めた夫人は、微笑みながら頷いた。
アメリアは目を輝かせるミモザに向き直り、口を開く。
「よろしくお願いします」
「ええ、任せて! わたくしのお気に入りのお店を教えてあげるわ!」
彼女が本当に嬉しそうに笑うものだから、アメリアは目をまたたかせた。数か月前にわずかな時間を共にしただけなのに、真っ直ぐな好意と笑顔を向けられている。彼女自身、ミモザには尊敬の念を抱いているが、ここまで表に出せるかと言えばなかなか難しい。
結局、抱きしめ返すことはできなかった。けれど振り払いたいとは思わず、むしろミモザのぬくもりに絆されそうになる。前にも思ったことがあった。恐れ多くも、妹とは、こういう存在なのかもしれない、と――。
――それからアメリアは、ホワイトディア家の親子とオリオンと共に、少し早めの昼食会に参加した。朝食べたサンドイッチがまだ腹に残っている。少ない量しか食べられなかった。
(厨房にお願いして、あらかじめ量を減らしてもらっていて良かったわ)
昼食会後、アメリアは結婚式の支度に取りかかる。テリーザが気を遣ってくれたのだろう。支度は予定していたよりも早く終わった。それを待っていたかのように現れたミモザ。彼女に手を引かれ、アメリアは城下の街へ降りた――。
「もうっ! せっかくアメリアとふたりで出かけるはずだったのに……どうして小兄様までついて来るのよ!?」
「いいだろ! オレだってアメリアと遊びたいんだから!」
「あーっ! アメリアって呼んだらダメなのよ! 大叔父様にちゃんと敬称をつけて呼ぶように言われてるでしょう?」
「うぐっ……アメリア嬢! これでいいんだろ!?」
右側でがっしりした体躯のアンタレスが喚く。短く、タンポポのようだった髪は数か月の間に少し伸びていた。そして本人が言っていた通り、体格もさらにたくましくなっている。彼は荷物持ちとして自主的に同行したらしい。
一方、左側を陣取ってアメリアと腕を組んでいるミモザは、眉をきゅっと寄せ、兄に向かって吠えていた。兄妹だからか、自分の倍はありそうな青年相手に一歩も引かず牙を剥いている。
ホワイトディア家の次代を担う兄妹に挟まれ、アメリアは困ったように笑うことしかできない。それぞれ別の圧を放っており、どうしたものだろうと戸惑う。城下の街に降りるのは絵の具を買いに来て以来だが、その時と同じくらい、人々の視線を集めていた。
「若様と姫様はまたやってんのか!」
そんな声が時折聞こえる。ふたりが言い合いをするのはいつものことのようで、それを見る民たちからは笑い声が上がっていた。
「アンタレス様、新しい鞍を見て行きませんか?」
「ミモザ様、また教会にいらしてください!」
「辺境伯様によろしく言っておいてくださいませ!」
オリオンと一緒だった時と同じく、領民たちは気安くホワイトディア家のふたりに声をかけている。
アンタレスに至っては露店の店主に差し出された串焼きの肉を毒見もなく食べ、搾りたてだという果実水を飲み干していた。ミモザは兄に噛みつく顔とは別の、愛らしく、誰もを魅了するような天真爛漫な笑みを浮かべて領民たちへ手を振って応えている。
(オリオン様が特別なのではなくて、ホワイトディア家の方はみなさん、領民に愛されているのね)
善政を敷き、非常時に北の守護者として立ってくれると信頼され、長きに渡って愛されてきた一族……果たして、自分がその中に入れるのだろうか。
好きなだけ絵を描く人生を送りたい。それだけでいい。そう考えている利己的な人間が、ホワイトディアという名を冠するのは、あまりにも不遜で、無礼で、恐ろしいことなのではないか――そんな風に、思えてしまった。
「アメリア、どうしたの?」
声をかけられてハッとする。横を見ればミモザが首を傾げていた。心配そうな表情で見つめられ、アメリアは頭を横に振る。
「どうもしませんよ。それより、どこへ向かっているのですか?」
「まずはドレスを買いに行きましょう。わたくしのお気に入りのお店よ」
「ドレス……」
「もちろん、普段から着られるようなものを選ぶわ。それからエプロンも! アメリアは絵を描くから必要でしょう?」
「服とエプロンか! オレ、選んでやるよ!」
「どうして小兄様が選ぶのよ! わたくしが選んであげるの! 荷物持ちでついて来たのなら、その仕事に徹してちょうだい!」
「なんでだよ! ソレはソレ、コレはコレだろ?」
じゃれ合いのような兄妹喧嘩を繰り広げるふたりの間で、アメリアはそっと口を閉ざす。というよりも口を挟む余地がなかった。
その後、三人はミモザが一押しするドレスショップへ足を運んだ。
可憐で愛らしい、辺境伯家の姫君に連れられて行くような店となると、敷居の高い煌びやかな店だと思っていた。しかし実際に足を踏み入れてみれば、アメリアが考えるよりも落ち着いた雰囲気の店だった。
日常で普段着として着られるドレスやワンピースを売っているらしい。貴族御用達といった畏まった空気ではなく、裕福な商家のお嬢さんが好んで来そうな品揃えの店だった。
接客の女性たちはもう何度もミモザを出迎えているのだろう。にこやかに挨拶をしながら、学園の様子を尋ねたり、辺境伯家の面々のご機嫌伺いをしたりしている。
「今日はわたくしの服ではなくて、アメリアの服を買いに来たの。彼女に合いそうなものをいくつか出してちょうだい。その中から選ぶわ」
「かしこまりました。ミモザ様のご友人のお嬢様に、当店のドレスを着ていただけるのはとても光栄なことでございます」
店のオーナーであろう彼女は、ミモザやアメリアよりも少し年上の女性だ。賢そうな面差しで、華やかというよりもどことなく品がある。そんな彼女の言葉に、ミモザはくすくすと笑った。
「アメリアはわたくしの友人でもあるけれど、大叔父様……先代辺境伯オリオン様の伴侶となられる方よ」
「オリオン様の!? それは失礼いたしました……!」
「いえ、お気になさらず。学園が休暇に入る時期ですからね。間違えられてもしかたありません」
「だな。アメリア嬢を見て、大叔父上の結婚相手だと一発でわかるヤツなんてそうそういねえよ。どっちかって言ったら孫とか隠し子っぽいもんな!」
はっはっは、と笑うアンタレスに悪気は一切ないのだろう。思ったことを素直に口にしてしまう性格であることは、短い付き合いの中でもわかっている。アメリアは曖昧に笑うだけで怒りはしなかった。もちろん店主には、ホワイトディア家の直系の次男の言葉を咎めることはできない。
ただ、彼女は違った。
「小兄様!!」
「うおっ!?」
ミモザがアンタレスの胸ぐらを掴み、ぶんぶんと前後に揺さぶる。彼女の細腕のどこに筋骨隆々な青年を動かす力があるのだろう。
「アメリアにも大叔父様にも失礼なことを言うなんて! ばかっ、ばか! 大兄様と同じくらいは無理でも、その軽いお口を閉じる術を身につけてちょうだい!」
「えっ、お、なんで、そんな怒って――」
「大叔父様にも言いつけてやるんだから!」
ばか、ばか、と可愛らしく罵倒しながら、ミモザはきゃんきゃん吠えている。困惑の表情を見る限り、怒りの矛先が向くアンタレスは、どうして自分が妹に揺さぶられているのか理解していないようだ。
「お茶をお持ちしますね……」
「え、ええ、ありがとう」
兄妹のじゃれ合いは終わりそうにない。店主が奥へ引っ込むのと同時、アメリアは小さく息を吐いたのだった――。
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