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四章 英雄の花嫁
46:温室の異母姉妹
しおりを挟む雨粒が屋根を打つ音が聞こえる。
温室には色とりどりの花々が咲き乱れていた。レンガが敷かれた通路を異母妹のプリシアが弾むような足取りで進んで行き、その少し後ろを彼女の婚約者であるノアがついて行っている。
アメリアは最後尾の侍女に挟まれる形で、ふたりの後ろを歩いていたが、ふとその足を止めた。彼女の目線の先には、人間の顔ほどはあろうかという巨大な赤い花が咲いている。全体的な姿はもちろん、花弁の質感、雄蕊と雌蕊の太さ、内側に付着した花粉、内外の色味の違い、花の底にいる小さな虫の姿など、細かい部分まで目に映していく――
「ねえ、聞いてるの!?」
「……え?」
集中の糸を断ち切ったのは、耳に響く甲高い怒声だった。
声のほうを見れば最後に見た時よりも近くに異母妹の姿がある。顔を歪めており今にも掴みかかってきそうな雰囲気だ。それを止めているのがプリシアの傍に立っているノアだというのは見てすぐにわかる。
「ごめんなさい。聞いていなかったわ。なんて言ったの?」
怒気と投げつけられた言葉から、話しかけられていたが自分が気づいていなかったのだと察した。アメリアが抑揚のない声で尋ねると、異母妹の表情がますます歪む。
「何よそれ! あたしの話なんて聞く価値もないって言いたいの? やっぱりあんたはあたしたちのことをバカにして、嘲笑ってるんでしょう!?」
「……は? 何を言って……?」
「とぼけないでよ!」
これまでの関わりが薄弱だったから、だろうか。プリシアの言葉の真意が理解できない。ゆえに言葉通りに受け取った上で、アメリアはそれを否定した。しかし異母妹が納得していないことは火を見るよりも明らかだ。
「お金持ちの家に嫁いで、綺麗な服を着て、権力を手に入れて、あたしたちにざまあみろって思ってるんでしょ!?」
「プリシア、それくらいでやめ――」
「うるさい!!」
これ以上は危険だと判断したのか、ノアがプリシアの肩を抱くようにして動きを制した。一寸の迷いもない動作は、異母妹の性格をよくわかっているからだろう。癇癪を起こすプリシアと、それをなんとか宥めるノアを、アメリアは見ていることしかできなかった。
今の異母妹の振る舞いは、男爵夫妻とオリオンの前での姿が虚像だったのかと呆然としてしまうほど豹変している。怒りで我を忘れているのか、その口から飛び出る言葉は男爵家とはいえ貴族の令嬢とは思えないものだ。
「落ちつけって! ここで喚いたって醜聞になるだけだ。辺境伯家の使用人もいるんだぞ!」
「それがどうしたって言うのよ! 縁を結びたいのも事業をしたいのも、あたしじゃないわ! ノアとお母様でしょ!」
「なっ……男爵家にとって必要なことなんだぞ! それを、男爵の後継者である君が言うのか!?」
「知らないわよ!」
プリシアの怒りの矛先が変わった。アメリアには到底理解が及ばない何かがあるのかもしれないが、それを悟れというのは無理な話だ。もちろん口も挟めない。一歩下がったところにいる辺境伯家の侍女はわきまえているのか、火の粉に触れたくないのか、状況をくまなく見て報告するつもりなのか、わずかに顔を伏せて佇んでいる。
「だいたい話が違うじゃない! あの女は、蛮族の好色ジジイの慰みものになるんじゃなかったの!?」
「っ!」
息を呑んだのは、ノアか、背後の侍女か。前者であれば、度を越えた失言を辺境伯側の使用人に聞かれてしまったことに対してだろう。後者であれば、侮辱に冷静さを失い平静を装えなくなった、というところだ。
「なのに、ここは王都くらい発展してるし、ジジイだけどジジイじゃないし!! 蛮族が住む場所なんでしょ!? 辺境なんでしょ!?」
「プリシア!! いい加減に黙ってくれ!」
「何よ! みんなしてあたしをバカにして!」
「っ、ごめん、アメリア……様、少し、彼女とふたりになっても?」
「……ええ、そうしたほうが良さそうね」
いつ以来か振りに、アメリアはノアと言葉を交わした。幼い頃はローズハート男爵家や王都のタウンハウス内で顔を合わせていたが、ある程度成長してからはそれもなくなっている。幼馴染みの定義は明瞭でないけれど、仲のいい友人ではないが、子供の頃を知る知人ということなのであれば、彼はアメリアにとってのそれだろう。
頷き、視線が交差する。
一瞬のことだった。だが、その刹那の交わりに気付いたらしく、プリシアは怒鳴るのも暴れるのもやめて、見開いた目でアメリアを見た。
「ふざけないで。あたしの婚約者よ」
「……どういう意味かしら? そんなことわかっているわ」
「見つめ合うなって言ってるの! 姑息で打算的なマネして、気分が悪いわ」
アメリアは眉を寄せる。異母妹に向けた言葉の通り、どういう意味なのか理解できない。
「あんたがあたしたちを見下して、いい気になれるのは今だけよ。英雄だかなんだか知らないけど、あの人が死んだら放り出されるに決まってるわ!」
「プリシア!!」
「本当のことよ! ねえ、そうなって男爵領に戻って来ないでね? 迷惑だから。居場所なんてないんだから!」
プリシアの、少し幼さの残る顔に醜悪な笑みが浮かんだ。ノアに動きを制されながら、義母と同じピンクブロンドの髪を振り乱している。
「なんとか言いなさいよ? どうやったのか知らないけど、あの人を利用してるだけでしょ? 打算であんなおじいさんと結婚するくせに、仲いい振りなんてしてみっともないわよ?」
「振りじゃないわ」
初めて、強い語気で否定した。
利用していると言われれば、違うとは言い切れない。今後、絵を描いて生きていくために、という打算もある。けれどそれだけではない。アメリアはオリオンと結ばれた縁を強固なものにし、どんな形であれ関係を築いていきたいと本心で思っている。
「わたしは、オリオン様を大切にするって決めたの。決して虚構の関係にはならないわ」
アメリアがそう言うと、プリシアが嗤った。
「大切に? 虚構の関係にはならないですって? じゃあそれは、家族として関係を築くってこと? バカバカしいわね。そんなの自分にできると思っているの?」
――できるわけないじゃない、と。
異母妹が嘲笑の浮かぶ顔で断言する。
「だってあんた、家族を大切にする方法なんて知らないでしょ? そもそも家族がなんなのかすらわかっていないのに?」
「………………」
アメリアは否定の言葉を紡げない。
家族、それは彼女の人生で縁遠いものだ。ローズハート家の家族、ホワイトディア家の家族。触れたことはあるが、一方とは関係の構築を放棄し、もう一方とは順風満帆で良好すぎる家族関係を前に気後れし、いたたまれなくなっている。つまるところどちらにも、深く足を踏み入れてはいない。
「あたしにはわかるの! あんたがどういう人間かがね! 人間に、他人に興味なんてないくせに……そんな人が、誰かを大切にしたり、愛したりできるとでも思ってるの!? それはただの見よう見まねで、本当の意味で大切にできてるわけじゃないんだから!!」
やはり、否定の言葉は、紡げない。
プリシア=ローズハートは恍惚とした表情を浮かべ、どこか熱に浮かされているかのようだった。頬を赤く火照らせながら、アメリアを見下し、嘲っている。
「自覚がないの? あんたは、いろいろ欠落してる! 人間として欠陥品――」
興奮したまま異母妹は高らかに吐き捨て――
「おい、プリシア!?」
ノアが声を上げる。プリシアの身体から力が抜け、崩れ落ちそうになったところを隣にいた彼が支えた。ノアはプリシアの身を抱いたままレンガの通路に膝をつき、アメリアも数歩進んで傍へ寄る。
どうやら彼女は意識を失っているらしい。
「彼女はどうしたの?」
「熱が、あるようです。男爵領から馬車で走り通しだったので、疲労が溜まっていたんでしょう。それに、雨にも打たれて……」
「……医者を呼んでもらいましょう。すみませんが、お願いできますか?」
アメリアが後ろに控えていた侍女に頼むと、彼女は逡巡した後に「かしこまりました」と頭を下げてその場を去った。先代辺境伯の婚約者についていなければいけないが、非常事態だと判断したのだろう。
(もしくはここで起きたことを、主人に報告へ向かったのかしら)
侍女が去って行くのを見送り、アメリアは異母妹とノアへ視線を戻す。
プリシアの顔は赤味を増し、ぷっくりした唇から漏れる吐息も熱を帯びていた。異母妹が熱に浮かされているように見えていたが、まさか本当に意識を失うほどの熱があるとは思わなかった。
沈黙が落ちる中、それを破ったのはノアだ。
「あの、アメリア様……」
「そんな風にかしこまらなくてもいいわ。少なくとも、他に誰がいるわけでもないところでは」
「そう、か……いや、やはり、やめておきます。どこで誰が聞いているのか、正直わからないので」
「……そうね。ごめんなさい。子供の頃の印象しかないから、かしこまって話されると、なんとなく違和感があって……」
「いえ、謝らないでください。謝罪しなければいけないのは……」
ノアが言葉に詰まる。彼の目はちらりとプリシアを見下ろし、それからアメリアへと向けられた。
「大変、心苦しく、恐縮なのですが……先ほどの、彼女の暴言と失言は、熱に浮かされていたからで、本心ではないのだと……そう、口添えしていただけませんか?」
語気こそ静かなものだが、彼は縋るような、必死な目をしていた。無理もない。アメリアの言葉ひとつで男爵家が消えかねないのだから。下手をすれば、協力関係にある周辺の領地にまで影響が及ぶだろう。
異母妹の言葉を改めて反芻する。
投げつけられた言葉の数々は、矜持があるのなら、おそらく許してはならないものだ。しかしプリシアの言葉がアメリアを傷つけたかと言えば、どうなのだろう。ぶつけられて納得するしかない事実ばかりで、虚言の攻撃ではない。
(彼女はわたしのことを、そう思っていたのね)
思うところといえば、その程度だ。
傷付いてはいない。心のどこかで、一線を引いた向こう側の人間に何を言われても構わないと思っている自分がいる。もしも近しい人間――オリオンやラファエルに言われていれば違ったのだろうが、異母妹は、アメリアを傷つけるだけのもの――関係を築いてはいない。
「あなたの言うように、熱があるのなら平静ではなかったのでしょう」
「っ、ありがとうございます!」
異母妹の婚約者――ノア=クローバーフィールドはプリシアを抱いたまま頭を下げた。
アメリアはそれを静かに見下ろしながら、小さく息を吐く。呼吸をすれば、むせ返るほど甘い香りが身体の内側に侵入した。それ以上の言葉は見つからない。沈黙が落ちる中、足音が聞こえてくる。
侍女が呼んだのか、男爵夫妻とオリオンだ。夫人は血相を変えており、倒れた娘を本気で心配しているようだった。ドレスが汚れるのも気にせず、プリシアの隣にしゃがみ込んで、何度も名前を呼んでいる。傍らの父親もオロオロと狼狽えながら膝を折り、妻の背を抱いていた。
娘とその婚約者に寄り添う夫妻――それがローズハート男爵家の家族の形だ。そこにアメリアの居場所はない。見つめていると、隣に立ったオリオンが何も言わず彼女の手を取った。アメリアは高いところにある彼の横顔をそっと見上げる。
「医者が来たようだ」
オリオンが、ただそう言う。それとほぼ同時に、侍女が医者と担架を持った使用人をつれて来た。慌てる男爵家の面々と、冷静な辺境伯家の使用人たちを、アメリアは口を閉じて見つめる。
雨はやまない。
繋いだ手だけが、あたたかかった。
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