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四章 英雄の花嫁

66:男爵夫人の価値:Sideオリオン

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 義父を残して礼拝堂を出たオリオンは、中庭に面したアーケードの通路を進んでいた。

 時刻はちょうど昼時だ。メルクロニア城で働く者には城内のいくつかの場所に食堂が解放されており、騎士や兵士が主に利用する第三食堂は訓練場の傍にある。オリオンは緑の中庭を眺めることができる石畳の通路を歩き、第三食堂へ向かっていた。

(ついて来ておるな)

 靴の踵が石を打つ規則的な音が響く。オリオンが速度を緩めれば、その音に別の靴音が混じった。オリオンのものよりも細く、硬い音はヒールの高い女性の靴の音だ。

 音が聞こえるよりも前から気配は察知していた。敵意や殺意を感じなかったため放置していたが、速度を緩めたところへ近付いてくるのなら、目的は追尾ではなく接触なのだろう。オリオンは足を止めて振り返る。

 少しして、接近する足音と気配の輪郭がはっきりしてきた。ピンクブロンドの髪の淑女が歩いてくる。蠱惑的な笑みを浮かべながら――

「まあ、オリオン様。このような場所でお会いできるなんて、奇遇ですわ。旧リュール要塞のほうへ赴かれていらっしゃるとお聞きしていましたのに、戻っておられたのですね」
「ほう、知らなかったと申すか」
「ええ。つい先ほど知りましたので、遅れ馳せながら急いでご挨拶に伺った次第ですわ」

 マーガレット=ローズハートの一寸の淀みなく言い切る胆力に、アークトゥルスに聞いた話を思い出す。甥曰く、彼女は毒の女らしい。その口から吐かれる言葉は、急所をついたり、弱い部分を切り裂いたりはしない。遅効性の毒のように、相手に己の汚い部分を自覚させ、じわじわと追いつめるのだと、憎々しげに話していた。

 現在のホワイトディア辺境伯――北の王である甥に、そこまでの敵愾心を抱かせるのはたいしたものだ。権力、武力、知力など、あらゆる力を有しているホワイトディア辺境伯の敵になれるだけの力がある相手はそうそういない。これがオリオン自身に直接関わりのない相手であれば、なかなかやると感心していたことだろう。

 義母となったマーガレットがオリオンとの距離を一歩詰めた。そうして定まった距離感は、他人の距離ではなく、親しい友人や親族の距離だ。

「ご縁があって、晴れて親族となったのです。今後は多岐に渡り、お引き立ていただけますと幸甚の至りでございます」

 縁――確かにローズハート男爵家の長女と結婚し、形式上は親族としての繋がりができた。これまで冷遇してきたどころか――存在を視界に入れてすらいなかった長女でも、ローズハート男爵家の人間として送り出したと、後妻の彼女は認識しているのだろう。

(実に貴族らしい考えだ)

 政略結婚のために、庶子を本家に迎え入れ、その家の人間として結婚させる。全ては家同士の繋がりのためであり、そうする貴族は少なくない。

 アメリアは庶子どころか、男爵家の正当な後継者だと主張ができる人間だ。家のために嫁ぐのは当然だとでも、思っているに違いない。

 にこやかな笑みで話す彼女は、つい今し方、オリオンがレオル=ローズハート男爵へ告げたことを知らない。貸した金があるため、実際にその言葉を使いはしていないが、事実上の絶縁を言い渡したところだ。男爵からそれを聞いた時、目の前の女は激昂するのだろう。

 そして、彼女の唯一の娘の行いを知った時、どういう反応をするのか。怒るのか、絶望するのか、しかたのない子と許すのか――想像したところで、オリオンにわかるはずもなく、そもそも深く考えたいことでもなかった。

 オリオンは紅玉の瞳を細めると、毒の女が張り付けていたものと同じ笑みを口元に作る。彼の笑顔を見たマーガレットの目元がピクリと動いたが、それは一瞬のことだった。オリオンが口を開く。

「今後ともローズハート男爵と良き関係を続けるよう、アークトゥルスには私のほうから口添えしておこう」
「ローズハート男爵と、でございますか?」

 人の言葉端を読むのが上手い、賢い女だ。それがわかっていたからこそ、オリオンはあえてそういう言い方をした。

「うむ。今後、ホワイトディアとのやり取りの一切を行えるのは、ローズハート男爵のみとする。死にかけて床に伏している、両足の骨を折って動けない、その他にどのような事情があろうとも、男爵の代理は認めぬ」
「お待ちください。ホワイトディア家との事業の規模は大きなものであり、男爵ひとりしか窓口になれないというのは、作業の停滞に繋がりかねません」
「ふむ、そうか。ではどうしろと?」
「せめて、ローズハート男爵家の身内までは裾野を広げてくださいませ。私も粉骨砕身、働かせていただきます。きっとホワイトディア家にとりましても、充分な利益を生み出し、貢献できますわ」
「貢献のう……」

 小さな男爵家ではあるが、マーガレットは当主を差し置いて実権を握っている。親類縁者にも口を挟ませないほど、徹底的に掌握しているのだろう。前妻の娘である正式な後継者を排除し、自らの血縁である娘を次期男爵の椅子に座らせた。強大な力を持つ北の辺境伯に良い意味ではなくとも一目置かれている。

 美しい容姿としたたかな性格、これまでの成功からくる自信は、彼女の存在感を色濃くしていた。賢い頭で今後の展望を描き、成功を疑いもしていない。

「――砂上の楼閣だな」
「っ……どういった意味でしょう?」
「いくら実権を握っていようとも、そなたは男爵の後妻でしかない。ただでさえ小さな男爵家でしかないというのに、その当主の妻程度の立場で、ホワイトディアに貢献できると、どの口が言うておる?」
「機会をいただければ、すぐに証明してみせますわ」

 冷え冷えとする言葉を吐いてみても、マーガレットの矜持も心も折れていないようだ。激昂することも、怯むこともなく、笑みすら浮かべて相対している。騎士として訓練し、戦場へ送れば大きな戦果を挙げそうな人材だ。

 成功体験からくる自信と、男爵に頼られて結果を残してきたという自負が、彼女を先代辺境伯の前に立たせ、臆することなく会話を続ける力になっているのだろう。そこそこ優秀な自信家を挫くもっとも単純な方法を、オリオンは知っていた。

「わかっておらぬのう。その機会を与えるまでもない立場だと申しておる。いざという時、責任すら負えぬ立場の人間に任せることはない」

 それは、相手にしないことだ。

「今後、男爵以外の人間による一切を受けつけぬ」

 相手にするだけの価値はないとつきつける。

「お待ちください! それでは――」
「以上だ。まだ何か言いたいことがあるのなら、男爵に伝えさせなさい」

 その男爵には、こちらを煩わせるなと言い含めているのだが。

 マーガレット=ローズハートは、真に権力を持つべき者たちから、それを奪い、蚊帳の外に追いやっていた張本人だ。そんな人間が、おそらく人生で一番大きな事業に取り掛かろうという時、道筋をつけ、今後の展望に胸を躍らせていた瞬間――自身が蚊帳の外に追いやられるのだ。

 オリオンはまだ何か言い募っている女に背を向け、長い足を動かした。ドレスの裾を握り、小走りで追いかけてくる男爵夫人の言葉は、右から左へと抜けていく。今の彼の頭にあるのは、今日の昼食をどうするか、ただそれだけだった――

 ――義母となったマーガレット=ローズハートを振り払い、オリオンは第三食堂へ来ていた。メルクロニア城に滞在中、稽古をつけていた竜騎士たちと共に、広いテーブルの一角に腰を下ろし、談笑しながら食事をする。

 騎士や兵士向けの食事は、身体を動かして汗をかくのを前提としており、塩味が強いのが特徴だ。現役の時ほど身体を動かしてはいないが、オリオンは慣れ親しんだこの味が好きだった。

 タマネギやニンジン、香味野菜などを溶かし込んだスープにゴロゴロ入っている肉は硬く、顎を鍛えることを目的としている。メイン料理は肉と魚が選べるが、基本的にどちらも食べる者が多い。メルクロニア――ひいてはホワイトディア領全体では戦闘職に就く全員が、身体が資本だと正しく理解していた。

 男たちのざわめきで、食堂は騒がしい。そんな中でオリオンは、若い騎士たちの問いに答えたり、結婚のお祝いを伝えてくる者へ礼を言ったりと、賑やかさも好ましいとばかりに機嫌を良くしていた。

 マーガレット=ローズハートとの話で、正当性のある権力を持たず、責任を取れない者と関わるつもりはない――などと口にしたが、それは決してオリオンの本意ではない。

 彼はこれまでの人生の中、どんな立場の人間でも実力があれば認め、時には取り立ててもきた。非常時や切羽つまった状況でなければ、話を聞かずに振り払ったりもしない。身分、年齢、性別などに関わらず、一個人として相手と向き合う。そうやって人を見定め、戦争が続く、広大な領地を治めてきたのだ。

(完全に私心が入っておったのう)

 本意でない言葉を躊躇なく口にしていた。人を切り捨てる言葉を紡ぎながら、知らず知らずの内にティグルスの言い様を真似していたのは、長年の付き合いのせいだろう。

(あやつなら、もっと上手く言いくるめておったのだろうが)

 悪い顔で笑う旧友を想像しながら、オリオンはスープに入っていたスジ肉の塊を頬張った。と、その時――

「オリオン様」
「ん?」

 ざわめきの中、聞き覚えのある声で呼ばれる。そちらを見ると、思ったとおりの人物――エリック=ハルドが立っていた。

 以前、一度注意をしているからか、身だしなみは整えられている。それでもどことなく緊張した面持ちなのは、ホワイトディア領の総本山たるメルクロニアにいるからか、食事中の先代辺境伯に声をかけたからか。とにもかくにも理由は彼に聞いてみなければ定かではない。

「エリックか。そなたはバラリオス城にいたはずだが、いかがした?」
「至急、お報せしなければならないことがあります」
「と、言うと?」
「その……この場所では……」
「できぬ話か」
「はい」

 エリックが気まずげな、どことなく青い顔で頷く。

 彼が飛竜で空を駆ける速度は、バラリオスどころか、辺境伯領全体で見てもトップクラスだ。そんな竜騎士がわざわざメルクロニアにやって来たことを考えると、よほどの緊急事態なのだろう。

 オリオンは残った食事を大きな口に詰め込む。それでも下品には見えず、野性的な魅力と気品に、近くに座っていた竜騎士が羨望の眼差しを向けていた。食器を指定場所に戻し、オリオンはエリックと共に第三食堂を出る。

 何十年も居住していた勝手知ったる城だ。オリオンは第三食堂近くの訓練場の隅へエリックをつれて行く。昼食時、訓練場からは人がいなくなるのだ。とはいえ、もう少しすれば意欲的な騎士や兵士が、食事を終えて自主訓練にやって来るだろうが。

「さて……エリティカに言われて来たのか?」
「……はい。バラリオス城で、問題が起きています」
「ほう。エリティカにさばけぬような問題のう」

 問題と聞いたにも関わらず、オリオンは面白いとばかりの顔をした。ヒゲを整えた顎を撫で、エリックに話の先を促す。

「実は……オリオン様の孫を名乗る女性が現れました」
「……ほう……」

 オリオンは目を細めた。

「これまでにも何度か、私の子を名乗る者が現れることがあった。英雄色を好むという言葉を真に受けておるであろう。歳を重ねてからは子だけでなく孫も現れるようになったが……しかしのう、どれも虚言ばかりよ。当然それはエリティカも知っておる」
「はい」
「それでも問題だと言い、そなたを遣わしたということは――その女、なんらかの証を持っておるのか?」
「そのとおりです。彼女はホワイトディア辺境伯家の家紋が入った古い懐中時計を、身の証として持って参りました。父曰く、偽装品ではなく……かつて、先々代がご存命時にオリオン様へお授けになった品のようだ、と……」
「あやつとの付き合いも古いからのう」

 オリオンの所持品を知っていてもおかしくない。

 そして事実、オリオンはかつて亡き父に懐中時計を貰い、それは今――手元にはなかった。

「父は一存では判断できかねるため、オリオン様に帰還していただきたいと申しております」
「その女性は今、城に?」
「外へ出し、話が漏れてはいけません。バラリオス城内の別宮に滞在していただき、口の堅い使用人を置いて見張らせております」
「そうか。ならば急ぎ戻らねばならぬのう」

 小さく溜め息を漏らして言えば、エリックが窺うような目を向けてくる。何か言いたいことがあるようだ。視線を送ってわずかに首を傾げれば、若い竜騎士はおそるおそるといった風に口を開いた。

「あの、このことを、アメリア様には……?」
「ん? 当然、伝えねばならぬであろう」
「しかし、結婚式を挙げた数日後に、隠し子ならぬ隠し孫の話を聞くのは、あまりにも……」
「隠し孫か。上手いことを言うのう」

 オリオンはフッと笑ってエリックの肩をポンと叩く。

「だが、心配はいらぬ。その者は我が孫ではない」
「……え? ですが、身の証を……」
「経緯の予想はつく。だが、その予想の通りであれば……大火となる火種であろう」
「大火、ですか?」
「そなたは先にバラリオス城へ戻り、エリティカに伝えよ。失礼な扱いをせず、丁重に持て成しなさい。そして……外からの侵入に警戒せよ、と」
「っ、かしこまりました」

 エリックは表情を引き締めると、身を翻した。真面目な青年だ。到着したばかりであろうに、このまま真っ直ぐバラリオスへ戻るのだろう。

(私も急ぎ戻る必要がある)

 ひとまず旧リュール要塞へ行き、アメリアに話をしなければならない。オリオンはそう判断し、メルクロニア城を発つ挨拶をするため、アークトゥルスの元へ足を向けたのだった――。





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