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幕章 ︎︎オリオン青年物語
73:過去編③:南部の戦場へ:Sideオリオン
しおりを挟む王国の中央と南部を隔てる境界の砦――食糧輸送の中継地点である城壁と建物を、上空から越える。下で何やら騒ぐ兵士の姿が見えたが、彼らは気に留めず、そのまま飛び去った。
季節は冬だ。北部のホワイトディア領は氷雪に覆われ、外界から閉ざされるほど厳しい環境下に置かれとぃえうる。しかし南部のメンドーサ領はまったく違った。
戦闘を行う三十人の飛竜騎士と、後方支援要員の二十人――彼らは一匹の飛竜に相乗りしている――四十匹程度の飛竜が空を駆ける。先頭を飛ぶのは、白銀の鱗を持つクィーンと、彼女の背に乗るオリオン=ホワイトディアだ。
南部とはいえ、冬の空気は冷えていた。だが空で燦々と輝く太陽は眩しい。日差しを遮る分厚い雪雲も、一寸先が見えなくなるほどの白い闇もない。山々の頭を見ても雪化粧は施されていなかった。
領の境界線を越えたオリオンたちは休息のため一時、大地へ降りる。川の支流付近に展開し、それぞれが飛竜と自身の体力回復に努めた。
川縁で水面に首を垂らしたクィーンが水を飲む。オリオンはその傍らで顔を洗い、用意してきた水で喉を潤した。
休憩を挟みながらではあるが、想定していたよりも早くメンドーサ領に辿りつくことができた。オリオンと同世代の、勢いのある若手ばかりを集めたからだろう。血気盛んな彼らは、初めての領外での戦闘に逸っていた。
(兄上がしつこく攻め込むなと忠告してきたのは、この軍の色を鑑みてのことだったのかもしれない)
現在、同世代の中で一番平静を保っているのはオリオン……ではない。今回の行軍で副長に任じられたトールマン男爵家の次男、ラーズである。北で忠臣として信頼の厚いトールマン男爵家の人間だ。まだ若いが軍略に明るく、気性が穏やかなことから、血気盛んな青年たちへの冷却材として起用された。
「オリオン様」
彼の元へラーズが来た。親譲りの糸目のせいだろうか。ラーズは常に微笑みを浮かべているようにも、困った顔をしているようにも見える。
「このまま進めば、リンドグロムには日暮れ前に到着するでしょう。先触れを出しますか?」
「ああ、そうだな。急に飛竜が押し寄せても厄介だろう」
「メンドーサ家の人間が援軍を厄介と思うような連中ならば、現状は、招くべくして招いた孤立無援ということです」
フ、と鼻で笑うラーズもまた、血気盛んな北部の青年であった。
リンドグロムはメンドーサ領の領主一族が住まう、豪華絢爛で華やかな都市だ。豊かな南部地域における経済活動の拠点であり、一日に動く金は莫大。その利益は王都で動く金額を遥かに凌駕すると言っても過言ではなかった。
しかし、いくら資金があっても、戦争に勝てるとは限らない。当然、あれば有利に展開できるが、それは金を上手く運用できてこそに他ならないのだ。
オリオンたち北部の人間にしてみれば、南部は戦下手である。資金も物資も潤沢なのに、来るかどうかもわからない援軍に頼らざるを得ない状況に陥っている時点で、甘いとしか言いようがなかった。
北部は現在も蛮族との戦いが続いている。ホワイトディアでは考えられないが、メンドーサ領はすでに、戦乱の時代から、経済活動を推進する時代へと移行しているのかもしれない。
「先触れは誰に行かせますか? 速いのはバジーかレグ辺りですが、彼らは平民ですからね」
「軽んじられるか?」
「ないとは言えません。メンドーサ家の方がどんな人間か、私はまったく知りませんのでね」
貴族である以上、相手を身分で見るのは仕方のないことだ。貴族が身分や階級を軽視すれば、社会構造自体が崩れかねない。しかし身分を重視することと、その上で平民を軽視し、粗雑に扱うことは別の話だ。
「援軍の先触れに無礼な真似はしないだろう」
「絶対と言い切れないのが悲しいところです。もしもの対応をされ、こちらの士気が下がるのは避けませんと。私の従弟に向かわせてもかまいませんが、やつはいささか直情的ですので……相手の出方次第では南との火種となりかねません」
「……バベルならありえるな。ならばオランジュリーに行かせてくれ」
「承りました。日暮れ前に着くと告げさせましょ――」
「いや、夜遅くになる」
「はい?」
首を傾げるラーズを見下ろしながら、オリオンは口元に笑みを浮かべた。
「せっかくだ。先んじて戦象とやらを拝みに行こう」
「……は?」
「戦いぶりをこの目で見ないことには、対策も立てられないだろ。ロコモも賛成するはずだ」
ロコモ=アドニスは軍師である。オリオンらよりもひと回り年上の男で、普段は北部の最前線で活躍している人物だ。今回の行軍にはオリオンと同世代の青年ばかりが同行している。そのため最年長のロコモには、軍師としてだけではなく、オリオンの側近としての役割も任せていた。
オリオンの右腕がラーズ=トールマンだとするなら、ロコモ=アドニスは頭脳である。自分よりも遥かに賢く、多くを知る男だ。決定権を放棄する気はないが、聞けるだけの意見は聞きたい。そう思える相手だった。
このまま戦場を見に行くと言うオリオンに、ラーズが呆れた目を向けてくる。それでも、彼が反対しないことはわかっていた。目にしたことのない強敵を前に血が騒がないはずない。
「話してきます」
実際、ラーズは動いた。ロコモの元へ行く足取りは軽いようだ。オリオンはその背中に向けて「オランジュリーに話すのも忘れてくれるなよ!」と声をかけた。わかってますよ、という返事はあったが、ラーズはこちらを振り向かない。
クィーンがバシンと尾で地面を叩いた。
「ああ、すまない。すぐに磨こう」
高貴な女王に催促され、オリオンは飛竜の鱗を磨く専用の布を用意する。北部の雪原にのみ生息する長毛の肉食牛の毛を加工したものだ。硬く編み込まれた布を川の水に浸し、軽く絞って鱗を磨いた。
白銀の美しい鱗だ。冷たく、硬く、滑らかで、磨けば光沢が増す。満足気な息を漏らすクィーンに、胸が凪いでいく。これから戦地へ向かうというのに、気持ちが落ちつくのは不思議だ。だがいつでも、そんな時のほうの視野のほうが広い。現実の光景も、物事の道理も、よく見える。
しばらくの休息の後、オリオンたちは再び移動を始めた。飛竜の背に跨り、地面から空へ場所を移す。
オリオンの後ろにはロコモがいた。彼は軍師であり、戦場に出る立場でない。そのため、これまでは後方支援部隊と行動を共にしていた。しかしロコモが、間近で戦象を観察したいと言い出し、オリオンが同乗させることになった。
途中で、先触れの手紙を携えたオランジュリーが隊列を離れた。オリオンたちがこれから向かうのは、リンドグロムよりも遥かに南に位置する戦地の最前線だ。
メンドーサ領の南に広がる密林を越えた先にある、国境の大河――敵のクバル帝国から見れば砂漠を越えた先にある大河だ――を挟んだ、緩衝地帯。最後に届いた情報によれば、両軍はそこに陣を展開しているらしい。
(すでに大河は越えられているだろうな)
それどころか、密林にまで攻め込まれている可能性が高い。メンドーサは防衛戦など、もう長いことしていないだろう――と、考えていたオリオンだが、辿りついた戦場を目の当たりにして感心した。
昼と夕方の狭間の時間、オリオン隊は戦地の上空に到着した。南部地域は北部地域とまったく違い、冬の季節でも日は極端に短くないようだ。
オリオンは下の様子を観察する。数十匹の飛竜が上空に現れて、メンドーサ家の兵士も敵国の兵士もざわついていた。
「オリオン殿、あれが戦象だ。なかなかの大きさだろう?」
「ああ、デカいな。馬程度なら踏み潰すだろう」
後ろに乗ったロコモが声を張る。
父であり、辺境伯のカノープス=ホワイトディアが言っていたように、戦象の背中には木の箱が固定されていた。前後左右と上を板張りにしてあり、中に戦象を操る人間が乗っているのだろう。上空からは確認しにくいが、前方の板には上下に隙間があるようだ。上の隙間から周囲を確認し、下の隙間から戦象の牙に結んだ綱を引いている。
「戦象は皮膚も厚そうだ。矢を弾いている。弓では相手にならないな」
「さすがホワイトディアの御子息だ。よく見えるな。目がいい」
「そうか? 吹雪いてもいないし、見えるだろ?」
オリオンがなんでもないように言うと、ロコモは苦笑をこぼした。そして、ふと思いついたように言葉を続ける。
「クロスボウはどうだろう? 刺さりそうか?」
「いや、まだ威力が足りない。バリスタくらいの威力でなければ、退かせることはできないと思うが」
「バリスタ……攻城兵器を持ち出すほどか。地上戦を続けるなら必要になってくる。メンドーサ家に用意させよう」
「いや、もう用意しているみたいだぞ」
目を凝らして密林を見れば、数は少ないが何基か配置されている。木々の葉が風で揺れると、自然の物ではない人工物が微かに見えた。
「……獣並みの視力だな」
「何?」
「なんでもない。それより、思ったよりも帝国の進軍速度が遅いな」
「戦象が巨体だからか?」
「というより、大河で足踏みしてたのかもしれない。いくら戦象でも大河を渡るのは簡単じゃないからな。物資や武器ひとつ運ぶにしても、急流ってのは厄介だ」
ホワイトディア領には目の前に広がるほどの大河はない。馬で渡れない程度の川はある。だが飛竜に乗って行動するオリオンたち竜騎士には、さしたる脅威ではなかった。
(これまで渡れなかった大河を、今回は渡って来たのか。何があった?)
彼と同じ疑問を、後ろの軍師も抱いたのだろう。
「オリオン殿。上流のほうへ行ってもらえるか?」
ロコモが大河の上流を指差した。オリオンは頷くと、副長のラーズに待機の指示を出す。そして高度を上げて、単騎で上流へ向かった。
クィーンの翼が風を切る。力強い羽ばたきだ。後ろのロコモは相乗りに慣れているらしく、後ろに乗せていても違和感はない。彼はオリオンとクィーンの邪魔にならないように、余計なことを話すでもなく、おとなしくしていた。
大河の上流に近付くにつれて、疑問はすぐに解決した。到着すると、大河に立派な堰が設けられている。しっかりとした造りで、一朝一夕で築けるようなものではなさそうだ。
「ロコモ。なんと言うんだ、あれは、護岸工事か? 俺はその手のことに詳しくないが、これは片方の岸から築ける構造の堰か?」
「無理だな。この規模の大河だ。両岸に技術者が必要だ」
「となると、メンドーサ領側に協力者がいたのか」
「あるいは裏切り者だ。工事の存在を隠蔽できる立場か、調査や妨害に向かう軍を止められるだけの立場か……そうなると面倒だぞ」
「面倒でも手は出せない。南部の内情なんて余所者がそう簡単に探れるものじゃないだろう?」
「それもそうだな」
ロコモにはできないと言ったが、オリオンは南の内情を探れそうな人間を密かにつれて来ていた。後方支援の衛生兵の中に、ホワイトディア家のために陰で動く一族のひとつ――ハルド家の人間を紛れ込ませている。本来であれば当主か、その後継者の命令にしか従わない者たちだ。まだ若く、経験の浅い『ハルド』とはいえ、父が次男坊のオリオンに課し与えてくれたのは破格の処遇といえた。
(リンドグロムにつき次第、潜らせるか)
堰の上空を旋回しながら下の様子を観察する。進軍における要所だからか、帝国軍によって厳重に守られているようだ。大河は国境であると同時に、近隣の農地にとっての水源でもある。農耕が産業となっているメンドーサ領にとって、水源を敵に抑えられているのは、なかなか痛い。
念入りな工作と準備が行われている。クバル帝国は無謀な進軍をしているわけではなさそうだ。本気で領土を切り取りにきている。これまで暗黙の了解で不可侵を貫いていたのに、突然動き出した理由は気になるが、今考えても答えは出ないことだ。
オリオンはしばらく堰を見たあと、その場を去った。
仲間が待機する場所まで戻れば、彼らは指示通り待機している。
「収穫はありましたか?」
ラーズの問いにオリオンは頷く。
「どうやら厄介なのは戦象だけじゃなさそうだ。工作もそれなりにされている」
「それはそれは……って、オリオン様。そういうのは嬉しそうな顔で言うことではありませんよ?」
片腕の言葉に、オリオンは自身の顔を触った。笑っていたつもりはない。だが、呆れた顔を向けられる程度には、口元が緩んでいたらしい。戦場の熱気か、相対したことのない生き物への興味か。彼の気分は、高揚していた。
母や義姉はオリオンが結婚し、子供を作り、家庭を持つことを望んでいる。それを手にする気にはならず、伴侶を見定める見合いの席から逃げてしまうのは――
(やはり、ここが好きだ)
家庭や家族というものを手に入れてしまったが最後、戦場で心が震えることがなくなってしまうかのような、誰にも負けないという自信に疑問を持ってしまうかのような、今のように動けなくなってしまうかのような――漠然とした、言いようのない影が背後に佇んでいる。
青年は深く息を吐き、影を振り払うように笑った。
「オリオン様?」
「せっかくここまで来たんだ」
「え?」
「見ているだけではつまらないだろ?」
「まさか……」
「戦象の背に、あんなに大きな的がある。いくつか叩き落としてやろう」
予定外の提案にラーズ=トールマンがひたいを押さえた。うしろのロコモ=アドニスは「このまま行く気か!?」と声を上げる。
「待て! 俺は一旦後方に戻る!」
「そんな時間はない。しっかり掴まっていろ」
オリオンは仲間たちのほうを振り返った。数十匹の飛竜と、それに跨る青年たちは好戦的な笑みを浮かべている。血気盛んな北の青年たちに、これまた血気盛んなオリオン青年は、槍を掲げて突撃を指示した。
雄叫びが上がる。
空気が震えた。
「行くぞ!」
言葉は短くていい。待機指示の間、ずっと戦場を見るだけだった若者たちは、我先にと戦場へ飛び出した。オリオンもクィーンを急降下させ、戦象の背中の箱を目がけてつっ込んで行く。悲鳴こそ上げないが、背中にしがみつく軍師が少しだけ邪魔だった。
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