絵描き令嬢は元辺境伯の愛に包まれスローライフを謳歌する

(旧32)光延ミトジ

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幕章 ︎︎オリオン青年物語

81:過去編⑩:業を背負う:Sideオリオン

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 帝都をあとにしたオリオンたちが次に向かったのは、簒奪者ティトラウステスの後ろ盾である貴族の領地である。

 クバル帝国は皇帝を筆頭にした皇族が権力の頂にある仕組みだ。帝国には十二の部族が存在しており、部族を束ねる一族が、皇族の次に権力を持つ者たちである。その中でも御三家と呼ばれる三つの部族が有力者として名高い。皇后が生まれたのも、御三家の一角を担う家だ。

 そして、第三皇妃の後ろ盾も。

 帝国の皇女として、あるいは継承順位第二位の存在として、帝国内のことをよく学んでいたのだろう。ナイイェルは地理にも明るく、目的地まで最短の案内をしてくれた。

 とっくの昔に帝都は見えなくなった。眼下の景色が砂漠から岩地に変わり、岩地に緑が見えるようになり――やがて、人の営みを示す明かりが見えてくる。

 オリオンは明かりから少し離れた場所――小高い岩壁の上にクィーンをつけた。まず自分が背から降り、ナイイェルが降りるのに手を貸す。彼女は手と地面を交互に見たあと、自身の手をオリオンに重ねた。

 岩石地帯に築かれた街は、領地の中心都市らしい。周りを茶色の岩壁に囲まれてすり鉢状になっているが、中心部だけ盛り上がっている。ひと際明るいところを見ると、領主の城があるのがその場所だろう。

「ここからどうする?」

 特別声を潜めたわけではないが、静かな声で彼女に問うた。

「見ただけでわかるほど、広い街だ。宮廷の例ではないが、適切な場所を効率的に攻めなければ、たいした被害は出せそうにないぞ」
「何故、皇族――かつてはただの一部族でしかなかった我が祖先が、十二もの部族を傘下に収めることができたと思う?」

 問いかけに問いが返ってくる。オリオンは自分の問いへの答えを求めるのではなく、首を傾げながら「数か?」と、彼女の問いに答えた。

「違う」

 ナイイェルが、空を見上げる。

「我が一族の人間は他の誰よりも順応していた」
「順応……?」
「帝国と成ったこの地の、環境、決して暮らしやすいと言えぬほど厳格な自然……我らの身体に流れる血は、外界に触れる皮膚は、他のどの一族の人間よりもこの地のことをわかっている」

 要領を得ない言葉に、オリオンは眉を顰めた。

「どういう意味か、理解できないのだが」
「砂漠の地でいつ雨が降るのか、地下の水脈がどこにあるのか、いつ疫病が流行るのか、風の吹く瞬間、幸先のいい日取り……我が一族には、それがわかるのだ。この地の自然を肌で感じ、風に触れて、夜空を見上げて星を読み、誰よりも多くのものを識る素養があった」
「まるで神官だな」

 ふ、と彼女の口元が緩む。細められた目は星を映し、冷たい夜風が真っ赤な髪を靡かせていた。空に手を伸ばし、風を確かめるかのように指が泳ぐ。

 オリオンには彼女の姿が、祈りのように見えた。声をかけず、黙って様子を見守っていると、ナイイェルが泳がせていた指先を握り込んで拳を作った。

「長きに渡って蓄え増やし、血族に伝えてきた知識。そして自然の声を極めて正確に受け取ることができる肌感覚。それを兼ね備えているからこそ、我らの祖先は多くの部族を吸収し、今の栄華がある」
「じゃあ、今、その肌感覚は何をどうしろと言っている? それを実行するための知識は当然あるんだろう?」
「ああ。すでに掴んだ。ここは見ての通りのすり鉢状……特殊な地形だ」

 ナイイェルによると、昼間の強い日射に熱せられ、この地には軽くなった空気が漂っているそうだ。すり鉢状になっている地形の上空を一般風が流れると、軽くなっている空気は斜面に沿って引っ張り上げられ、その一般風と合流する。

「この季節、周辺地域には局地風が吹く」

 一度――否、彼女は深呼吸を繰り返すと、ある方向を指差す。

「局地風は北東から吹き下ろす風だ。あちらへ飛べ」
「……わかった」

 街の端を示され、オリオンは頷いた。そして再びナイイェルと飛竜に同乗すると、指示された方向へ向かう。

 見つからないように、少し離れた場所でクィーンから降りた。そしてナイイェルに身を潜めさせ、彼女が必要だと言った物を用意する。夜の帳が降りる中、街の外れにある家の納屋などを明かりをつけずに漁っていく。そんな経験をするのは生まれて初めてで、戦場に立つのとはまた違った緊張感を覚えた。

 用意するように言われたのは、油壺だ。帝都の宮廷で起きたことを思えば、彼女がこれをどう使うのかは想像に容易い。

 苦々しい気持ちになるのは、二年近くも続く戦争で仲間が傷ついていく姿を思い出したからか、帝国に来てもなお薄っすらとした無力感を覚えるからか、それともあるいは――敵国に住まう無辜の民への同情か。

 複雑な感情を押し隠しながら、彼は準備を終える。ナイイェルと合流した。彼女の表情は変わらない。帝都で見せた微かな変化は、その時だけのことだった。

「宮廷で――」

 オリオンが前触れなく声をかければ、油を撒いていた彼女が振り返る。

「なんだ?」
「宮廷で、火の手が一気に強まった。あれは……風を読んだのか?」
「ああ」

 彼女はなんでもないように頷いた。

「我は風を読む力に長けている。亡き兄は水場を見つける才が秀でておられた。帝都から遠く離れた地でオアシスを見つけるために、水が枯れた村を救おうと新たな水脈を探し出すために、忙しい政務の合間を縫っては、わずかな護衛をつれて帝国中を飛び回っていらっしゃった」
「帝国の皇太子の護衛がわずかとはな。不用心にもほどがある」
「腕利きの護衛だったのだ。もっとも、今思えば、オリオンの言う通りなのだがな」
「ということは……」
「兄が謀殺されたのは、水脈を探しに出た、帰路のことだった。圧倒的な数の暗殺者の襲撃を受け、抵抗虚しく護衛もろとも葬られたのだ」

 皇太子の護衛には近衛の中でも腕利きで、忠義に厚い者が数名程度選ばれる。彼らは護衛であると同時に、いずれ皇太子が帝位を継いだ時、軍事面で周囲を固める人材でもあった。多種多様な問題に対処するための厳しい訓練を突破した優秀な逸材ばかりで、だからこそ、皇太子はわずかな数の護衛で宮廷の外に出ることができた。

 護衛の中でもシャーヒーンという名の青年は、皇太子と同い歳で、いずれ近衛騎士団長になると目されていたほどの逸材だ。御三家の分家筋の出自で、才能に溢れ、真面目な性格の彼は皇太子はもちろん皇帝からの信頼も厚く――

「シャーヒーンは……主を護って死んだ護衛は、我が夫となるはずの男だった」
「っ、それは……」
「政略的な要素のない婚約とは言わぬ。継承順位第二位の皇女が降嫁できる相手は限られているからな。家格もそうだが、近々で皇族の血が混ざっていないか、家の派閥や思想、さまざまな要因が考慮される……その中で選ばれたのがシャーヒーンだった」

 討死した婚約者について語る彼女の声の温度は、それまでと少しだけ違った。本人に自覚はないのだろう。押し隠しきれない感情が微かに滲んでいる。

「政略ではるが、決してそれだけではなかった。同じだったのだ」
「同じ?」
「我とシャーヒーンが見ているものは、同じだった。父の治世で己を磨き、いずれ来たるその時、兄の治世を全身全霊をもってお支えする……我らはそのために、今を生きていた。これからは――」

 その『今』は、過去になった。

 ああ、とオリオンは悟る。納得も共感もできないが、彼女の過激なまでの行動の動力源が見えた。生まれ育った城に火を放ち、街に火を放つのは、復讐のためだ。故郷を焼き、母を捕らえられても、攻撃の手を放棄しない。正当な血筋を免罪符に、彼女は復讐の道を進んでいる。

 ナイイェルが、火を放った。

 撒かれた油を辿るように、火の手は人々が住まう建物のほうへ向かって行く。

「これからは――業を背負って生きていく。この子と、共に」

 自身の腹を撫でる彼女に、オリオンは瞠目した。

「シャーヒーンとの子だ。帝国の正統なる君主は、我であり、我が胎の子である」

 強く吹いた風が、炎の勢いを強める。

 それは一瞬のことだった。巻き上がった火の手は誰が気づくよりも早く、街を飲み込んでいく。ナイイェルはじっと炎を見つめていたが、しばらくするとオリオンの元へ歩み寄ってきた。表情管理が上手い彼女が何を思っているのか、読み取ることはできない。

「そのような顔をするでない」
「……俺が、どんな顔をしていると?」
「引っ叩きたくなるほどの情けない顔だ。しっかりしろ。異国の騎士よ」

 すれ違いざまにオリオンの肩を打って、ナイイェルが燃える街に背を向けた。しっかりと一歩ずつ、大地を踏み締めて、彼女は進んで行く。

 吹きすさぶ風と猛火、人々の喧騒が、静かな夜を掻き消していた。黒と藍が混じっていた空が、赤と橙、くすんだ鼠色の煙に隠される。風を読む女の背をしばらく見据え――彼も、歩き出した――

 ――ふたりの会話は、ない。

 遠く、地平線の向こう側から太陽が昇り始める。白んできた空に淡い黄色の光がじわじわ広がって、夜明けがすぐそこに近づいてきた頃、オリオンとナイイェルはハーフェズとの合流地点に到着した。砂漠の古代遺跡は随分と前に朽ち果てており、建造物は原型を留めていない。もともとどんなものがあったのか、それがわかるのは歴史資料の上でだけだ。

 ハーフェズは遺跡の陰に身を潜めていたようだが、クィーンが着陸すると音もなく姿を現した。

「殿下、ご無事ですか?」
「うむ。障りない。仔細滞りなく済んだ」

 オリオンの存在などないかのように、従者は主人の傍に侍る。ハーフェズはナイイェルに怪我がないかを確認し、同行者に無礼を働かれなかったを尋ね、そんなことするかと否定するオリオンを無視して、深く息をつく。心からの安堵が滲んでおりオリオンは文句を飲み込んだ。

「休めと言ったはずだがな」

 ナイイェルが呆れたように言う。ハーフェズはひと晩の内に旅支度を整えていた。食料や着替えなどが入っているのであろう荷物の他に馬が二頭繋がれている。馬は初めて遭遇する飛竜に本能的に怯えているのか、興奮して逃げようとしていた。馬が暴れ出しては大変だ。オリオンは早々にその場を立ち去ることにした。

「じゃあ、俺は行く」
「オリオン」

 名前を呼ぶ声に、動かそうとした足を止める。

「長くもあり、短くもある、一夜であったな」
「……そうだな」
「この夜を忘れてくれるなよ。そしてできるならば語り継いでくれ」
「それは、どういう……?」

 彼女は目を細めて、困ったような、ほんの少しだけ寂しさを含ませた笑みを、口元に浮かべた。

「ティトラウステスは自身の正統性を主張するため、我の存在を消そうとするだろう。資料から我が名を消し、長い時をかけてでも記録を抹消する。あるいは我が正統性を歪めようと、嘘を真実とするか……どちらにしても、奴はそうすることで、自身の血統が帝国の頂に在って然るべきと世論を操作するのだ」
「帝国は皇帝の権力が強い。不可能なことではないだろう」

 言葉を続けたハーフェズの低い声には怒りが込められていた。命を賭して守ろうとする主の存在が、民衆や歴史から抹消される可能性を彼も考えているのだろう。オリオンの立場で考えれば、王国が統治を進めるため、ホワイトディアの名前を歴史から消すようなものだ。

 苛立つ従者の気持ちを落ち着けさせるかのように、赤髪の皇女は彼の肩を叩く。そして、真っ直ぐな目でオリオンを見つめた。

「我が名を、我が存在を、帝国では消せても……隣国のものまでは手出しできまい」
「王国で、お前の名を語り継げと言っているのか?」
「歴史書でも、口伝でも、吟遊詩人の歌でも、どんな形でもよい。我という人間を残してくれ……長く短い夜を過ごした仲だ。我の為人はわかっているであろう?」

 冗談めかした言い方は、親愛の証だろうか。それとも要望を通すためオリオンの機嫌を取ろうと――

(否、そうではない)

 オリオンは自身の考えを否定する。決して長い時間を共にしたわけではないが、彼女が言葉を茶化したり、下手に出て要望を通すような人間でないことは、わかっていた。だとすれば、ナイイェルらしくない言葉の裏にあるものはなんだろう。少し考えて、目の前の彼女を見た。

 夜の帳の中ではない、朝焼けの下の彼女は――まだ、少女だった。

 ある日突然、偉大な父親が伏せった。尊敬する母親は幽閉され、自分の夢に不可欠な兄は殺された。愛する男との未来がなくなった。胎には子供がいる。頼れる人間は護衛の青年だけ。帝国皇帝の正統性という重い責任がかかっている。皇族の血が流れる身ならば、それだけのものを背負っても平気なのだろうか。なんともないと跳ね除けて、責任を果たすために前進し続けられるのだろうか。

 きっと、そんなことはない。

 冗談めかした言葉は、意図してではなく、少女のあどけない唇からこぼれ落ちてしまったものだ。王国の北部――かつての一国だった土地の、かつての王族の血を受け継ぐ青年には、わかる。正面に立つ少女の『本当』に、ほんの少しだけだが触れた気がした。

「ナイイェル、これを持って行け」

 オリオンは、懐から取り出したそれを投げ渡す。危険な物だと思われたのか、ナイイェルの手に渡る前にハーフェズが横から取った。従者の手に収まったそれを、彼女は見つめて、そっと手に取る。

「懐中時計……?」
「お前が行く道は決して楽な道ではない。立場も権威もあった人間が、崇高な目的があるからと、易々と受け入れられるような暮らしではないのだと思う。辛酸を舐めることのほうが多いだろう。死にたくなることも、あるのかもしれない。その時は、死ぬ気で来い」
「来いとは、どこへ?」
「王国の最北――雪と氷に覆われた雄大な地、ホワイトディア領へ、俺を訪ねて来い。その懐中時計を見せれば、俺の、オリオン=ホワイトディアの名において必ず居場所を作ってやる」
「居場所、か」

 他国の問題だ。盾にも矛にもなれない。庇護を与えることもできない。だが、どうしようもなく疲れ切った心を癒して穏やかに過ごすため、羽を休める居場所を提供することはできる。もっとも、強く、気高い彼女のことだ。その場所に長居することはないのだろう、が。

 ナイイェルが笑った。

「その言葉、忘れるでないぞ」
「ああ。そんなことにはならない。忘れられない、夜だったからな」

 遠く、地平線の向こう側から太陽が昇る。生まれたての朝の光は世界を照らし、爽やかな風が吹く。舞い上がった砂漠の砂に陽光が煌めいた。オリオンは日差しに目を細める。

 夜が、明けた――。



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