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本編
2_持つべきものは頼れる恩師
しおりを挟むフェルナンド・バーバリー、二十三歳。
彼は、私の父が領主をしているサースロック伯爵領に隣接する、小規模な領地を治める子爵家の三男だ。同じ年に生まれたこと、家業が密接に関わる両家の仲を深められること、その他諸々の事情が重なって、彼は男児のいない我が伯爵家に婿入りすることになっていた。
婚約したのは十五歳の時。それからすぐ、十六歳から十八歳の間、私たちは王都にある魔法学園に通って、これまでの幼馴染としての関係ではなく、婚約者としての新たな関係を築き、今に至る……と思っていたのだけど、現実はこれ。
何が悪かったのだろうか。
卒業してすぐ結婚すれば良かったのか。だけどフェルナンドは学園に残って研究を続けたいと言っていたし、私も家業を学ぶのに忙しくて、すぐに結婚という気は起きなかった。幸いにも両親は健在で、跡継ぎを急いでいなかったこともあり、私たちは五年間の婚約期間延長を決めたのだ。
その五年の果て、婚約者は神聖王国魔法学園の講師の職を得て、教え子に邪な感情を抱き、盛大なやらかしに加担して断罪されてしまったというわけだ。あーあ、何やってるのよ、ホントにさ。
「ま、今となっては元婚約者なんですけど!」
「そうでしょうね。異性関係に問題のある人間を家に入れるわけにはいきません。相手が格下の家柄であればなおさらです。貴族はメンツで生きる者……情に絆され、甘い処罰をして、他家に舐められでもしたらおしまいですよ」
「正論すぎてぐうの音も出ません、教授」
神聖王国魔法学園。
魔力を持つ貴族の子女は、十六歳になる年から三年間、この学園に身を置くことが義務付けられている。国を動かす貴族の子女に教育を施す立場から、学園の指導者というのは大変名誉な職業で、権力に対して強い影響力を持っていた。
そんな学園の魔法薬学の教授であるシグルド・シーガイア氏は、私の恩師にあたる人物だ。年齢は三十三歳。教授陣の中では若手といえる年齢だった。つまりそれは彼が優秀だということの証明に他ならない。
学園の研究室に押しかけた私を、彼は嫌そうな顔をしながらも中に招き入れてくれた。整頓されているけれど、物が多いせいで雑多な印象を受ける空間だ。皮のソファに積まれていた本を床に移動させて空いた場所に腰を下ろし、私は例のパーティーの顛末を話す。残念ながら、教授が淹れてくれた紅茶を楽しむ余裕はなかった。
卒業後、教授と手紙のやり取りはしていたけど、こうして実際に顔を合わせるのは久し振りだ。今から五年前、私が学生だった頃と外見はあまり変わっていない。
教鞭を執る以外は研究室にこもっているせいか、相も変わらず、不健康そうな青白い肌。研究者用の白衣を纏った身体は細く、背が高いこともあってひょろりとした印象だ。蛇を彷彿とさせる神経質そうな顔立ちも、不機嫌そうに見える眉間の皺も、あの頃と同じだ。
「彼も愚かなことをしたものです。きみとの婚約を反故にし、子爵家の三男が伯爵家に婿入りできる幸運を自ら手放すとは」
「あ、そういえば彼、実家から勘当されたそうですよ」
我が家で謝り倒していた彼の両親が言っていた。昔からよく知るふたり――おじさまとおばさまが平身低頭、謝罪する姿を見るのは、なかなかに居心地が悪かった。その一方、私の両親は呆れ果てているのか非常に淡々としていて……まあ、もっとも、今後の取引に厳しい条件を科していたから、それなりに怒ってはいたのだろうが。
「勘当ですか。自業自得ですね。伯爵家との繋がりを足蹴にした上、怒りを買ったんです。少し考えれば、そうなることくらいわかりそうなものですが」
「確か、学園も解雇されたとか」
「当然でしょう。教え子を異性として見る教師に、我が子を預けたい貴族がいるものですか。そこそこ優秀な彼が、そこまで考えが及ばなかったとは思えません。貴族という身分をなくし、職を失ってもなお、魔法薬学者として大成できる自信があったのでしょうな」
「ええ。自信過剰なところがありましたから」
冷たいかもしれないが、フェルナンドがこれからどうやって生きていくか、それは私の考えるべきことじゃないのだろう。幼馴染みで元婚約者ではあるけれど、お互いの家や私を裏切った相手に甘い顔はできない。彼の軽率な行動のせいで、領民にまで被害が及ぶ可能性もあった。貴族としての自覚がなさすぎる。上に立つ者の影響力がどれほどのものか想像したこともないのか。
「許すことはできませんが、フェルナンドのことはもうどうでもいいんです……いや、良くはないんですけど、それよりも問題なのは、私がキズモノの令嬢になったってことですよ。はっはっはー」
「キズモノですか。どちらが有責か、はっきりしていると思いますがね」
「関係ありませんよ。こういう時の女って立場は弱いものなんです。婚約破棄された女も婚約破棄した女も、次を見つけるのは簡単ではありません」
今思うと、私はパーティー会場で婚約破棄を申し渡されたアイリス嬢を心配できるような立場ではなかった。観衆の一部になって、野次馬根性丸出しでワクワクしていたけれど、あの時すでに私は騒動の渦中にいたのだ。
アイリス嬢は新しく王太子に選ばれた第二王子と、仲睦まじくしているらしい。相変わらず王妃を約束されたままの彼女を、キズモノの令嬢と嘲笑う馬鹿はいないだろう。結局のところ、彼女は傷なんて負わなかった。むしろアイリス嬢のメンツはクリアコーティングされてピッカピカだ。
「私、もう二十三ですよ。結婚適齢期が十八歳前後のこの国で、今から婿探しをするなんて、だいぶ無理難題すぎません?」
「深刻そうに聞こえないのは何故でしょうね」
「楽観的だと笑います?」
「いいえ。サースロック伯爵家といえば、神聖王国内有数の資産家であることはもちろん、大陸規模でも他に類を見ないほどの魔法生物の権威ですから。婿入りを熱望する者は少なくないでしょう」
世界中に魔法生物と呼ばれる生き物が存在しているが、それらを捕獲あるいは保護して、飼育、研究、繫殖させて多くの成果をあげているのは、世界中を見ても我が家くらいなものだ。サースロック伯爵家は広大な土地と資金、優秀な人材を手にしていて、遥か昔から家業としてそれらを行っていた。
魔法生物――例えば一角獣やケルベロスなどの、爪や角、唾液をはじめとする分泌物は魔法薬の材料として高値で取り引きされている。神聖王国では過去数度、国家事業として飼育を行おうとしたが、ことごとく失敗。その際の投資を回収できず赤字に終わったのは有名な話だ。
「婚約の申し込みがあったのなら、さっさと受けるといい。次は間を空けずに結婚してしまいなさい」
「わかってませんね」
「はい?」
「教授は賢い方ですが、ぜんっぜん……もう一度言いますが、ぜんっぜん、わかってません!」
きっぱり言い切れば、彼は不可解そうな顔をした。
「同年代の優良物件はすでに売約済みなんです。つまり、今申し込んできているのは、何か問題があって売れ残っていた面々ってことです」
「なるほど。キズモノにされた娘であれば、落ちぶれて腐っていくだけの穀潰しでも受け入れざるを得ないと、足元を見られているのですね」
「ざっくり言うとそうです。次世代の次男以下を狙う手もありますが、その辺りに手を出したら結婚までに時間がかかって、今回の二の舞になりかねません。それに面白おかしく噂されるのは目に見えてます」
「君もバーバリーも年下好きだ、と?」
「噂雀はその手の話が好物ですから」
今回の騒動については緘口令が敷かれている。けれどあれだけ多くの貴族が集まる場所で披露された愚行は、いわゆる公然の秘というもので。そして大っぴらに話しはしないが、民衆にとって貴族の愚行ほど面白い与太話もないわけで。愚か者たちへの断罪も含めて、誰もが知る醜聞となっていた。
多くの人の間で交わされる度に真実は歪曲する。噂好きの雀たちは嘘とも真ともわからない話に花を咲かせていて、また新しい醜聞が出るまでは今回の話題を引っ張り続けるだろう。
「教授、どうして私が現状、そこまで深刻に鬱々としていないと思います?」
「さて、わかりかねますな」
「……考える気もなかったでしょう?」
「貴族の考えなど、私に理解できるはずもありません」
「そんな風に言いますけど、教授だって貴族の出じゃないですか」
「領地も持たない男爵家の六男など、その辺の平民と変わりません。家を出されるまで、生活の水準で言えば裕福な商人や平民より下でしたよ」
「それでも、貴族は貴族です」
「あえて分類をするのであればそうでしょうね」
「だったら何も問題ありません」
私はにっこり笑って立ち上がると、教授の隣にそそくさと移動する。彼は眉間の皺を深くして怪訝そうな顔をしたが、わざわざ追及する必要もなく、気付かなかったフリをすることにした。
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