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本編

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 私はひたいを押さえながら、繰り広げられる愚かな行為を眺め続ける。切なげに目を細め、教え子を見つめるフェルナンドの顔よ。頭だけじゃなくて胃も痛くなるって。

「叱責と暴力ですか。前者に関しては事実ですが、後者ふたつに関しては身に覚えがありません」
「語るに落ちたな。前者が事実であるのならば、後者も事実だろう」
「いいえ、違いますわ」

 アイリス嬢は王太子殿下の言葉をきっぱりと否定する。普段であれば不敬だと処断されてもおかしくないが、現状と通常時を同列に語ることはしてはならないだろう。現状は明らかに異常だ。早いところ国王陛下たちがいらっしゃらないと、取り返しのつかないことになりかねない。

「そもそも家格が違うにも関わらず、男爵令嬢でしかない彼女が声をかけてくることが間違っているのです。わたくしは彼女と名乗り合ってもいませんし、声をかけることも許しておりません」
「そ、そんな言い方、酷いです……学園では身分に関わらず、平等に学ぶことができるのに……!」

 ローズ嬢が目に涙を溜めて、王太子殿下に縋りついた。すると殿下は眉目秀麗な顔を険しくしてアイリス嬢を睨んだ。

「公の場で辛辣な言葉を投げかけるとは、やはり貴様は冷酷な女だ。誰の目もない場所であれば暴力も振るいかねん」

 盛大なブーメランである。

 それよりもフェルナンド。あなたは何故うんうん頷いてるの? まさかそこの殿下の言葉に同意していると? ペーペーの講師とはいえ見る目がなさすぎて泣けてくる……いいや、むしろ笑えてくるわ。はっはー。

「暴力などありえませんわ。それにきつく当たっているとおっしゃられましたが、原因は彼女のほうにあります」
「なんだと? 己のことを棚に上げ、ローズを侮辱するつもりか?」
「彼女の振る舞いは貴族の娘として相応しくありません。婚約者のいる殿方に親しく声をかけたかと思えば、気安く体に触れるとか。そしてこともあろうに、ふたりきりで外出すると聞いております。学園生活の平等以前の話です」
「誰に対しても等しく接する性分は立派なものだ。家格に囚われた概念しか持てぬ貴様とは違う」
「ええ、わたくしとは違います。わたくしは異性との距離を測り違えるような、ふしだらな女ではありませんから」
「ふ、ふしだら!? あんまりです……どうしてそんな、わたしを陥れるようなことを言うんですか……!」

 ローズ嬢が涙をこぼし、耐えきれないとばかりに殿下の胸に顔をうずめた。まるで悲劇のヒロイン気取り。殿下サイドのふたりは顔が整っているが、立ち位置に大義が見えず、観衆の一員としては少し白けてしまう。視聴者が感情移入できる要素が何もない。そんなことだから観衆の中に味方がいないんだ。

 周囲の貴族たちは驚きから回復し、完全な野次馬となっていた。面白そうにしている者もいれば、不快げにしている者、冷静に現状を把握しようとする者、そしてわずかにではあるが、未来の国王を見定めている者もいる。味方はゼロ。それに気付いていなさそうなのが、また、なんというか……。

 だからフェルナンド。あなただけなんだって。その学生たちの味方をしているのは。周りをよく見て。なんて心の中で言っても届かない。ま、実際に声を上げていたとしても無駄だろう。フェルナンドには思い込みの激しいところがあるから、彼の中ではなんらかのストーリーができあがっているはずだ。それこそ外野の入りこむ余地なんてないくらいに。

「アイリス・エドワーズ……親同士が決めたこととはいえ、俺たちは十年以上も婚約していた。ゆえに情けをかけ、婚約破棄だけで済ませてやろうと思っていたが、そうはいかなくなったな」
「どういう意味でしょう?」
「貴様はローズを侮辱した。俺が唯一愛し、未来の王妃にと望む女性を辱めたのだ! 決して見逃すことはできぬ!」
「ジョシュア様!」


 殿下の胸から顔を上げた男爵令嬢は、嬉しいと言わんばかりに笑みを浮かべていた。涙から笑顔の切り返しの速さよ。舞台女優とか興味ない? その顔と演技力なら、そこそこの台本さえあればすぐ売れっ子になるだろうけど。それよりも未来の王妃に興味ある感じ?

「俺はローズと出会って真実の愛を知った。彼女は王族としてではなく、ひとりの人間として俺を……ジョシュアを見てくれる」
「正気のお言葉とは思えません。例えどのように見られても殿下が王族であられること、わたくしが侯爵令嬢であることは変えようのない事実です。そのようなことすらも忘れて、婚約中の身でありながら他の女に目移りし、一方的に婚約破棄しようなど、それこそ家格を笠に着た行為ですわ」
「なんだと?」

 いやいや『なんだと?』じゃなくて。

 理路整然と話すアイリス嬢に比べて、殿下の言葉にはあからさまな私情が混じりすぎている。そして、この茶番のようなやり取りを最後まで見て結論を出すまでもなく、どちらに非があるのかはあきらかだった。

「貴様、覚悟はできているのだろうな? 神聖王国を背負って立つ、王太子である俺のことまでもを侮辱し、無事で済むとは思っておるまい?」
「暴力でも振るいますか?」
「フン、貴様とは違う。そのような真似するはずもない」
「では、どうすると?」
「よく聞け……アイリス・エドワーズ! 神聖王国王太子ジョシュアの名の下に貴様との婚約は破棄! 加えて王都からの永久追放を言い渡す!!」

 永久追放。

 侯爵家の令嬢が課されるには、あまりにも重い命令だ。どちらに非があるかは明らかとはいえ、醜聞が命取りの貴族社会。彼女は公の場で婚約を破棄されて、婚約者を家格が劣る令嬢に奪われて、キズモノの令嬢になってしまったのだ。先が見えない暗闇に落とされた状況で、王都からの追放ときた。

 今後、社交界では面白おかしく今日のことが語られるだろう。そして、王太子から直々に婚約破棄と追放を言い渡された令嬢を嫁に欲しがる家など普通はなく、例えあったとしても条件は悪いはずだ。こういった場合、圧倒的に、理不尽なまでに不利になるのは令嬢の側なのだから。

 アイリス嬢はそれが分からない人物ではないだろう。

 それなのに。彼女は全てを理解した上で、飲み込んだ上で、蠱惑的な笑みを王太子殿下と男爵令嬢に向けた。あくまでも品位を損なわない、優雅な笑みだ。彼女はドレスの裾を摘まんで礼を取る。その姿のなんと美しいこと。

 フェルナンド、目を見開くまではいいが、そのポカンと開いた口は閉じなさい。貴族らしからぬ間抜けな顔だよ。恥を知れ……って、今更か。

「数々の暴言と侮辱、まことに遺憾ではありますけれど、このアイリス・エドワーズ、殿下のご命令を謹んでお受けいたしますわ。長い間、婚約者として大変お世話になりました」

 傷つき、苦しめられ、途方もない不安に襲われながらも、アイリス嬢は凛としていた。その目に敵意と怒りを孕ませながらも、侯爵家の令嬢として、気高き貴族として立っていたのだ。

 おみごと。

 そして、彼女は王太子殿下に何かを言われる前に背を向け、颯爽と会場の出入り口に向かった。荘厳な扉が開き、そして――

「なんと愚かな息子であるか」

 扉の向こうから姿を現したのは、神聖王国の最上位に座すに相応しい神々しさを隠せない人物――国王陛下、その人だった。貴族たちの誰もが礼の形を取り、かく言う私も胸に手を当て敬意を表した。

 パーティー会場が静まり返る中、国王陛下夫妻が入場する音だけが響く。それはまるで断罪までのカウントダウン。慧眼で有らせられる陛下が断罪の相手を間違えるはずもない。

 多くの貴族が集まる中、国王陛下の沙汰が下される。

 罪のない侯爵令嬢を陥れようとした若者ふたりと、生徒に劣情を抱いて加担した講師は裁かれた。そして侯爵令嬢は優秀だと目される年下の第二王子と婚約し、キズモノの令嬢になることなく、未来の国母として歩み始めたのである。

 めでたし、めでたし……と、ここまでが前置きだ。何もめでたくはない。まったくもってめでたくない。

 クエスチョン、それは何故?

 アンサー、問題は何も解決していないから。

 今回、殿下と共に裁かれた偽証の罪に問われた男、神聖王国魔法学園講師のフェルナンド・バーバリー。やつは私、サースロック伯爵令嬢こと、メルティ・フィンハートの婚約者で、我が家に婿入りするはずの人物だったからである――。



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