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第1章 エステルハージ侯爵家を狙う罠

第3話 将来の夫、第一皇子カシウスに謁見(?)する

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「本当にこの道であってるの?」
「うーん、たしかここだったはずなんだけど……」

 アリーシアは、右手にみーちゃんを抱え、左手にランプを持ち暗い石畳の地下通路を歩く。
 下水が流れるここは酷い匂いだ。

(地下牢獄よりはだいぶマシね)

 貴族の令嬢が歩くにはちゅうちょする場所だが、地下牢獄で一年間囚われの身だったアリーシアには問題ない。

「あ、ここよ! この石を押してみて!」

 みーちゃんの言葉に従い、石を押す。
 力を入れすぎたのか、バタン! と壁が急に回転し、アリーシアはバランスを崩し、部屋に倒れこむ。

「きゃっ! いたた……」

 アリーシアは石造りの書庫のようなところに出る。
 そして、そこには、長身の男がひとり。
 ――黒髪に薄いあおの瞳。

(カシウス陛下も、若返ってる……)

 記憶より若くはなっているが、アリーシアにとっては見間違えるはずもない。
 将来の皇帝にしてアリーシアの夫となる人物。
 いまはまだ第一皇子である、カシウス・ヴァレリアンがそこにいた。

(……やっぱりいい男ね。
 こんな人が私の夫になるなんて……)

 尻もちをついたまま、まじまじとカシウスを見つめるアリーシア。
 今でも自分が皇妃に選ばれたのが信じられない。

「……何者だ?」

 カシウスの言葉に慌ててその身をおこし、その場にひざまずいて礼をとる。

「は、はじめまして、カシウス陛下!」
「……陛下?」

(しまった、まだ陛下じゃないんだった!)

「し、失礼しました、カシウス殿下。わ、わたくし、エステルハージ侯爵の娘、アリーシアと申します」
「……皇家の者のみが知る隠し扉を、なぜ知っている?」

「そ、それは……父より、急ぎ殿下にお伝えするべき事態があった折には、ここを使うようにと」
「……エステルハージ侯爵が?」

 みーちゃんに教えてもらったとは言えないため、アリーシアはあらかじめ用意していた言い訳を伝える。
 アリーシアの家、エステルハージ侯爵家は長らく帝国の外交の一端を担っており、裕福とはいえないが、伝統はあり、皇家との関係も深い。
 むりやりではあったが、過去をずっとたどれば、知っている可能性があるぐらいの言い訳だった。

「……まあ、良いだろう。では火急の用というのを聞かせてもらおう」

「ありがとうございます! 殿下には、私の父を救うために、軍を派遣頂きたいのです!」

「……詳しく話を聞こう」

 聞く価値があるとわかってもらえたのか、カシウスに促され、アリーシアは隣接する殿下の執務室へと通された。

 そこで、アリーシアは事情を説明する。
 西の隣国である王国との交渉のために向かっている父が、国境付近で正体不明の夜盗に襲われること。
 おそらく、その夜盗は西の王国の主戦派の息のかかった者たちで、そのことがきっかけで帝国と西の王国の紛争がはじまってしまうこと。
 それを防ぐためにも、軍を派遣してほしいことを。

「たしかに、西の王国に動きがあるのは知っている。だが、エステルハージ侯にも自前の騎士団がいるだろうし、情報があるなら、備えれば十分ではないのか?」

「それが……帝国側に西の王国に通じている者がいるのです」
「……裏切者か」

 アリーシアはずっと疑問だった。
 文官とはいえ、配下の騎士たちには慕われていたし、慎重な性格だったはずのお父さま。
 そんなお父さまが何故、命を落としたのか。

 推測でしかないが、未来から戻ってきた今ならわかる。
 従妹である、マリナの家。
 エステルハージ侯爵の弟であるバルダザール伯爵。
 父の死後、エステルハージ侯爵家を乗っ取ったバルダザール伯爵が裏切っていた可能性が高い。

「なるほどな。わかった、では私が向かおう」
「えっ、殿下が向かわれるのですか? そ、それより、わたしのいうことを信じてくれるのですか?」

 もちろんカシウス皇子に動いてもらうために来たのだが、ここまであっさりと信じてもらえるとは思わなかった。

「……そなたの言葉は理にかなっているし、秘密の通路を使ってまでわざわざ伝えに来たのだ。それに、もし空振りに終わっても、大きな問題にはならない」
「あ、ありがとうございます! ではもうひとつお願いしたいことが……」

 アリーシアは、父を助けた後のことについて、カシウス殿下に伝える。
 それは、バルダザール伯爵の裏切りをあぶりだすための、策だった。

「……侯爵令嬢の考えとも思えぬが、これもエステルハージ侯爵の策か?」
「も、もちろんです! お父さまが手紙で伝えてくれたのです!」

 今までのアリーシアだったら、考えもつかなかったような策略。
 これでも皇妃として陰謀渦巻く皇宮ですごした経験がある。
 娘のためにどんな卑怯な手段でも使うつもりだった。

 射すくめるような氷の瞳にアリーシアも緑の瞳で視線を合わせる。

(未来の自分は、こうして陛下の瞳をまっすぐ見つめたことは一度もなかったな)

 いつもびくびくしていた自分のことを思いだす。
 こんな綺麗な顔をちゃんと見ていなかったなんて。
 なんてもったいないことをしていたのか。

「わかった、そなたの言う通りにしよう。時間が惜しい、すぐに準備をはじめる」
「ありがとうございます!」

 立ち上がろうとしたカシウスはふと、視線を机の上に移す。
 そこにはみーちゃんがちょこんと座っている。
 席に着いたときにそっと置いたのだ。
 カシウス皇子の氷の瞳がみーちゃんへと注がれる。

「……その前にひとつだけ聞かせてくれ。この人形はなんだ?」

 みーちゃんは事前の取り決め通り、一言もしゃべらず、おとなしく座っていた。

「こ、この子は……お友だちのみーちゃんです! わたし、この子がいないと怖くってひとりでは外に出られないんです!」
「……そうか。……まあ、人にはそれぞれ変わったところがあるというからな」

 ほんのわずかだが、アリーシアのことを残念なものを見るように氷の瞳がやわらいだように感じる。

(なんとかごまかせたけど、バレたら大変よ!)

 みーちゃんの力は帝国では禁忌きんきとなっている。
 貴族令嬢のアリーシアがその力を使ったと知られれば、非常にまずいことになるだろう。

「で、では失礼します……」

 急いで退散しようと、アリーシアは立ち上がり、書庫へと足をむける。

「どこへ行くんだ?」
「どこって、家に帰ろうと……」
「……令嬢を薄暗い地下通路から帰らせるわけにはいかない」

 呼び鈴を鳴らすと、ひとりの男がやってきた。
 カシウスに劣らぬ長身。
 燃えるような赤毛と緋色ひいろの瞳。
 端正だが、どこか少し軽薄そうな印象をうける。

(ライハート卿? 帝国第一騎士団長の?)

 アリーシアには見覚えがあった。
 もちろん若くなってはいるが、彼は後の帝国第一騎士団長である、ライハート卿。
 カシウス殿下の一番の側近であり、皇帝になった後も右腕と目される存在だった。
 だが、アリーシアの記憶には、ライハート卿についてもうひとつ気になる点がある。
 
(私が処刑された時、彼はマリナや第二皇子の側に控えていた。
 ――もしかして、第二皇子側に通じていたのかも?)

 そう考えると、アリーシアにとっては油断できない存在だ。

「馬車を手配しろ。エステルハージ侯爵家の令嬢がお帰りになる」
「へぇ……カシウス殿下。昼間からこんなかわいい令嬢を仕事場に連れ込むなんて。やりますねぇ」

 第一皇子に対するにはぞんざいな口調。
 カシウスの方もそんなライハートに気安さを感じている様子だった。

「……お前と一緒にするな。エステルハージ侯爵の言葉を伝えに来ただけだ。丁重にお送りするんだぞ」
「はいはい、わかりましたよ」

 未来でのことは気になるが、今はことを荒立てるわけにはいかない。
 アリーシアはライハートに向きなおる。

「ラ、ライハート様、はじめまして。アリーシア・エステルハージと申します」

 男性に対する恐怖心の強かった昔のアリーシアであれば、言葉を交わすのも一苦労だった。
 だが、今はそんなことは言っていられない。

「へえ、オレのことを知ってくれてるなんて嬉しいね」

 そう言うとライハートはエスコートするようにアリーシアにその手を差し出す。

「あ、当たり前です。カシウス殿下の側近の方ですもの。それに、いろいろとお噂はうかがっておりますから」

 まだ社交界デビュー前の女性たちの間でも、ライハートのことはよくささやかれた。
 いろいろな女性に声をかけ、帝都ではそのたびに噂が広がっている。

「なるほどね、まあ、オレのことは気軽にライハートって呼んでくれてかまわない」
「そ、そういうわけにはまいりません、ライハート様」

 アリーシアは動揺を悟られないよう、つとめて笑顔で差し出された手をつかむ。

「では、まいりましょう。お姫様」

 アリーシアはライハートにエスコートされ、部屋を出ていった。


 ◇◇◇


 執務室に残ったカシウスは、先ほど出会ったアリーシアのことを考える。
 
(エステルハージ侯爵から隠し扉のことを聞いたと言っていたが……どこかで情報が洩れていると考えた方が自然だな)

 カシウスはこのヴァレリアン帝国の第一皇子であり、いずれ皇位を継ぐ存在だ。
 戦上手と名高く、民の人気は高かったが、その立場は盤石ばんじゃくというわけではない。
 今の皇妃とは血はつながっておらず、政治的な後ろ盾は少ない。
 皇宮内では皇妃の実子である第二皇子派の人物も多かった。

(それにあの人形……精霊の気配を感じた。
 帝国に併合された、東の国の手の者か?)

 最初に書庫で出会ったとき、アリーシアが抱えていた人形がほんのわずか、ひとりでに動いたのをカシウスは見逃さなかった。
 カシウスの亡き母も東の小国の血筋であり、精霊について話を聞いていたのだ。

(父親からの話というのも疑わしい)

 外交の場でエステルハージ侯爵と会ったことはあるが、個人的な付き合いはない。
 無害な存在には見えたが、こういった裏工作に長けている印象はなかった。

(あるいはその能力を隠していたか。
 私に皇都を空けさせ、何か皇都でしかける可能性もあるな)

 ――そう考えるなら、自分は動かず、部下に任せればいい。
 だが、なぜかカシウスは自ら出向きたい、そう思っていた。

 カシウスの脳裏に先ほど見たアリーシアの姿が浮かぶ。
 茶色の髪に強い意志を感じる緑の瞳。
 顔立ちは整っている方だとは思うが、美女というほどではない。

 見た目はごく普通の貴族令嬢。
 だが、薄暗い地下道を通って、第一皇子たる自分にひとり会いきたのはどう考えても普通ではない。

(どこかで会ったことがあるのか?)

 今日会う以前の記憶の中にアリーシアの姿はない。
 これが初対面のはずだ。
 にもかかわらず、カシウスはどうしても心にひっかかりを感じていた。

(何か、大事なことを忘れているのか?)

 考えても、考えても、頭にもやがかかっている。
 思考の輪郭りんかくが形になることはなかった。

(……まあいい、彼女の言ったことは理にかなっている。
 それに、貴族令嬢が、あんなところを通って自分を頼って来たのだ。
 その労には報いよう)

 カシウスは、そう思うことで心にいったんの折り合いをつけた。
 だがその後も、カシウスの頭には、アリーシアが残り続けることになる。
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