あなたの言葉で、書きたくなった。

卯月ひすい

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第1話 出会い

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 小林こばやし晴之はるゆき、二十五歳。

 都内のしがないIT企業で、営業のような、事務のような仕事をしている。見た目も成績も平凡。恋人なし。趣味はと聞かれれば「読書とか……まあ、いろいろ」と濁すタイプ。
 一言で言えば、どこにでもいる“ふつう”のサラリーマンだ。

 けれど、ネットの中では、ちょっとだけ違う顔を持っている。


 ――“春林檎はるりんご”。


 小説投稿サイトで使っているハンドルネーム。BL小説を書くときの、もうひとりの自分の名前だ。

 といっても、毎日更新しているわけじゃない。イベント参加やフォロワー稼ぎに必死になることもない。思いついたら短編を一本投稿して、反応があれば「まあまあ良かったかな」と思って、それで終わる。

 ――最近は、特にそんな感じだった。

 最初の頃は、もっと反応に一喜一憂していた。PVプレビューの数字に踊らされて、ブクマの数に心を揺らされて、感想がついた日にはそれこそ一日中スマホを見ていた。でも今は、そこまでの熱はない。

 むしろ、ここしばらくは書くペースも落ちていた。
 伸びないわけじゃない。でも、爆発的に読まれるわけでもない。新作を出しても、感想がつかずに終わる。
 『特筆するところのない、無難な作品』――そう思われている空気が、なんとなく分かってしまう。

(……そろそろ、やめ時なのかな)

 ふとした瞬間に、そんなことを思うようになっていた。

 でも、それでもまだ「完全にやめる」とは言いきれなかった。


 今回投稿したのは、新作『放課後を飾る君の指先』。
 高校三年の春、文化祭の実行委員に無理やり引きずり出された文芸部のしゅんと、美術部の無口な彫刻男子・佐久間さくまが出会い、静かに距離を縮めていく話だ。

 美術準備室の埃っぽい空気、絵の具の匂い、無言で動く彼の横顔。俊の視線は、次第に彫刻ではなく、彼の指先へと移っていく。そして、やがて佐久間がぽつりと「君、俺のこと見すぎでしょ」と呟いて、不器用に笑う。
 ――その夜、誰もいない準備室で、ふたりは肌を重ねる。言葉よりも先に、熱がこぼれていくような、静かで濃密な濡れ場。声を押し殺しながら、手探りで触れ合うシーンは、自分でも「今回はうまく書けた」と思えたところだった。

 全体的に地味で、劇的な展開もない。でも、“春林檎”として自分が書きたかった雰囲気は、出せた気がした。
 男子同士の距離感や視線、ふとした欲情の瞬間――それを丁寧に描くこと。それが、この名義で書く時に一番大事にしていることだった。

 とはいえ、男同士のリアリティには、少しだけ不安もある。
 陰キャだった高校時代、人と深く関わる機会は少なかった。だからこれは、あくまで「リアルに見える」だけの空想かもしれない。
 ……そう思うときもある。

 今回も、それほど期待はしていなかった。

 だけど、投稿したその夜から、作品はじわじわと読まれ始めた。
 翌朝には、日間ランキングの14位に浮上していた。

(……あれっ、これ、意外と……?)

 通勤電車の中、吊り革につかまりながら、にやけそうになる口元をなんとか引き締めた。

 ――そしてその夜。

 仕事帰り、電車に乗って、スマホを取り出す。ログインしてマイページを開くと、画面に小さな通知が浮かんでいた。


 《▶︎ 感想が書かれました》


(わっ、きた……!)

 この瞬間が、最高にアガる。
 心の中でガッツポーズをしながら、タップする。

 が、表示された文章に、一瞬、思考がフリーズした。




 こちらの作品……もしかして、商業BL漫画の
 『放課後、星の瞬きを』を参考にされてますか?
 作中に似た表現が多かったので、少し引っかかってしまいました。
 私の勘違いだったら申し訳ないです。

 投稿者:Mina.
 2025年 05月19日 17時32分




 えっ。


 電車の中のざわめきが、一気に遠のいたように感じる。

 参考に……した?

 どこかで見たことあるタイトル……だったっけ? いや、読んだことは……ない、よな? 俺、そもそも商業BLほとんど読んだことないし……。
 けど、「放課後」って単語……タイトル、ちょっと似てるかも?

 というか……“パクリ”って言われてる、よな……?

「これ、まずいやつか……?」

 スマホを握る手に、じっとりと汗が滲んでいた。


***

 家に帰って、シャツも脱がずにベッドに倒れ込む。カバンからスマホを取り出し、改めて画面を凝視する。

 感想を投稿してきた読者の名前は「Mina.」。マイページを開いてみるが――紹介文なし、作品投稿なし、ブクマもお気に入り作者もゼロ。

「……“読み専”か」

 いちばん正体がつかみにくいやつだ。
 何もわからないけど、なんとなく「面倒くさそうな腐女子」の気配がする。丁寧な言葉遣いの中に、隠しきれない苛立ちがにじんでる。ああいうの、感想というより裁定だ。

「パクリじゃないけど、タイトルがちょっと似てるのは確かだし……一応、調べてみるか……」

 苦々しく呟いて、スマホの検索欄に『放課後、星の瞬きを』と入力。ヒットしたのは、某大手コミック配信サイトの商品ページだった。

 ベッドから起き上がり、作品のあらすじに目を通す。




 孤高の美術部員・すばると、写真部の陽真はるま
 ふたりの放課後は、文化祭展示用の看板制作から始まった――。

 他人を寄せつけない雰囲気をまとった昴に、どこか惹かれていく陽真。
 「写真なんか撮って面白いの?」
 その言葉に反発しながらも、昴の描く“星空”の絵に目を奪われてしまう。
 そして、その絵よりも――彼の、絵の具に染まった指先に。

 作業が終わっても、足が自然と美術室に向かってしまうのはなぜだろう。
 そして、文化祭の夜――真っ暗な美術室で、ふたりは触れ合う。

 指先、視線、光と影。
 ひとつの“作品”が、ふたりの距離をゆっくりと溶かしていく。

 静かに重なる、少年たちの美術室ロマンス。






「……全ッ然、違うじゃねえか!」

 思わずスマホをベッドに叩きつけた。

「似てるの、“文化祭準備”と“美術系男子”と……あと“指フェチ”ってだけだろ!? そんなの、世の中にごまんとあるだろ! たぶん!」

 頭を抱えながら叫ぶ。

「ていうか、こっちは寡黙な二人がぼそぼそ喋りながら、少しずつ距離を詰めていくんだよ! “絵vs写真”の口喧嘩ラブじゃねえし!」

 怒りにまかせてまくし立てながらも、もう一度スマホを手に取る。

 深呼吸して、頭を冷やす。

 『パクリじゃねえよ、失礼な奴だな』――そう書きたいところをぐっと飲み込み、最大限やわらかく、冷静な言葉を選んで返信を書いた。




 Mina.様、ご指摘ありがとうございます。
 該当の作品は読んだことがなかったのですが、気になって調べてみました。
 文化祭や美術部という共通点はあるかもしれませんが、構成やキャラクター性などは、自分の体験を踏まえつつオリジナルで書いたつもりです。
 お気に障った部分があったようでしたら、すみません。今後も気をつけていきたいと思います。

 春林檎




 送信ボタンを押して、肩から力が抜けた。


「はぁ……飯食うか……」

 とはいえ、なにも作る気にはなれなかった。
 キッチンに立ち、ケトルに水を入れてスイッチを押す。棚から適当にカップ麺を取り出して、テーブルに置く。

「……心臓に悪いな、ほんと……“パクリ作家”って言われるとか、きっつ……」

 別に商業展開を狙っているというわけでもない。ただの趣味の小説執筆。
 でも、それでも――やっぱり心が軋む。

(そういえば……)

 お湯が沸くまでの間、なんとなくスマホに視線を戻す。
 さっき確認した商業作品――思ったより評価が高かった気がする。星4.8? レビューもやたらと多かった。

 閉じたページを履歴から開き直し、今度はレビューに目を通してみる。

 “映像のように美しい描写”
 “二人の関係性が静かに沁みる”
 “泣けた”

 ――絶賛の嵐。

「ふーん……」

 気がつけば、指がスクロールの動きを止めていた。
 そのままページの最上部に戻り、じっと表紙を見つめる。男子高校生の淡い恋。表紙のイラストも、好みの絵柄だ。

 ――なんか、気になる。

 そういえば、高校のころ、文芸部の女子たちがきゃあきゃあと盛り上がりながら読んでいた漫画があった。
 「指先がエロい!」とか「静かに溶けてくのがたまらん!」とか、よくわからない熱量で語っていたのを、部室のすみでぼんやり聞いていたっけ。
 そのときの記憶が、ふと頭をよぎった。
 商業作品はあまり読んだことないけど……もしかしたら、ああいうファンがつくような作品なんだろうか。
 そんな気がして、気がつけば購入ボタンを押していた。

 自分がBL作品にハマったのは大学生の頃だ。
 でも、リアル本屋でBLを買う勇気もなかったし、そもそも金もなかったから、もっぱら読むのは無料のWeb小説ばかり。
 社会人になってからは忙しくて、読むこと自体から少し離れていた。でも、書くのは好きだった。だから春林檎として、細々と続けてきた。

 決済を済ませて、ダウンロードが始まるのを確認する。
 その間にケトルのお湯がちょうど沸いた。カップ麺の蓋を半分だけ開いて、熱湯を注ぐ。

「……読んでやるよ。そんなに絶賛されてる漫画ならさ」

 どこか拗ねたように呟いて、スマホを持ってベッドに戻る。
 パクリ呼ばわりされたことへの釈然としない気持ちはまだ消えていない。でも、“あらすじだけで否定する”のも、ちょっと負けた気がして。

 そうこうしているうちにダウンロードが済んだ漫画の表紙絵を、俺はタップした。


***

 読み始めたページの冒頭から、なぜか言葉のリズムに引き込まれた。

 不器用で、感情表現が下手で、それでも誰かに惹かれていく過程。それが、繊細なタッチの絵柄で綴られていく。
 絵の具にまみれた手。ぶつかりながらも、視線が交差する瞬間。
 静かに進む恋の輪郭が、痛いほどやわらかくて。

 ――気がつけば、ページをめくる指が止まらなかった。

 

 伸びきって冷めたカップ麺の容器に手を伸ばしたときには、スマホの画面には「-完-」の文字が表示されていた。
 俺の目元はじんわりと熱くなっていて、部屋の中には、自分でも気づかないうちにすすっていた鼻の音が、やけに響いていた。

「……なんだよ、これ……」

 感動というより、何かがじわじわと沁みてくる。

 こんなの、ずるいだろ。
 丁寧で、静かで、それなのに心を揺らすなんて。


 ――でも、読んでいるうちに、ふと引っかかる瞬間もあった。
 セリフの言い回しや、視線の交差、指先の描写……。自分の小説でも似たような雰囲気で書いた箇所があった気がする。
 もちろん、知らない作品だったのだから、真似た訳ではない。高校生、美術部、静かな放課後――そういう設定なら、自然と似てしまうニュアンスもあるのかもしれない。

 そう考えて、無理に納得しようとしても、ページをめくるたびに「あ、これもちょっと……」と感じる場面が、いくつかあった。
 似てるかもしれない、と思ってしまった。それが、自分でも少し悔しかった。


 ベッドに座ったまま、もう一度スマホの画面を見つめた。

 『Mina.』――あの感想を書いた人。

 もしかして、この作品のファンなんだろうか。
 だとしたら……あの言い方も、わからなくもない、のかもしれない。

 

 胸の奥に、モヤモヤとも違う何かが残っていた。
 悔しさと、納得と、ほんの少しの羨ましさと――それから、興味。


 迷った末に、マイページの感想返信フォームを再び開いた。
 一度は怒りの勢いで送りつけたけど――今は、もう少しちゃんとした言葉を残したくなっていた。

 ひとつ息を吐いて、指を動かす。




 Mina.様。
 先ほどは少し感情的な返信をしてしまって、すみません。
 ご指摘いただいた『放課後、星の瞬きを』、どうしても内容が気になって、購入して読んでみました。
 結論から言うと……とても、良かったです。
 言葉が丁寧で、感情の動きが細やかで、それでいて心に沁みて。読んでよかったと思える作品でした。
 特に、昴くんの描いた星空の絵の見開きページ。あそこ、本当に綺麗で、言葉が出ませんでした。

 パクリのつもりは本当にありませんでしたが、似ていると感じられたお気持ちも、今は少しだけ理解できます。
 こんな素敵な作品を教えていただいて、ありがとうございました。

 春林檎




 読み返して、送信ボタンにそっと触れる。

「……これで、いいや」

 少し恥ずかしさはあるけど、変に強がったまま終わらせるより、ずっとましだと思えた。
 送信が完了した画面を見て、小さく息を吐く。

 そのまま、さっとシャワーだけ浴びて、眠りについた。


***

 翌朝、電車に乗って会社に向かう途中、いつものようにスマホを開く。眠気まじりの頭でマイページを確認した瞬間、目が覚めた。


 《▶︎ 感想が書かれました》


(……あれ?)

 昨夜、自分が送った返信へのリアクションだろうか。
 なんとなく胸の奥がざわついたまま、画面をタップする。




 春林檎さん、こんばんは。
 ご丁寧な返信、ありがとうございます。
 先ほどの感想は、こちらこそ書き方が失礼だったかもしれません。
 本当にすみませんでした。
 私はあの作品がすごく好きで、思い入れがありまして……
 少し敏感になっていたようです。
 改めて、以下に春林檎さんの作品の感想を書かせていただきます。

 少し不器用な高校生同士の淡い恋が、とても繊細に表現されていました。
 特に、台詞の間、登場人物の距離感の描き方がとても好きです。
 どこか懐かしい空気を感じるような、この世界にどっぷりと浸れる作品でした。
 (それもあって、感情的になって……つい言葉が出すぎてしまったかもしれません)

 あんなコメントを書き込んでおいて、申し訳ないですが……
 素敵なお話をありがとうございました。

 これからも執筆、頑張ってください。
 応援しています。

 投稿者:Mina.
 2025年 05月19日 23時47分




 指が止まる。
 車内の雑音の中で、自分だけがふわりと切り離されたような感覚になる。

(……あれ、けっこう……ちゃんと読んでくれてたんだ)

 読み返すと、Mina.の言葉はすごくまっすぐだった。そして、昨日の『似ている』という指摘も……読み込まないと気づけないはずだ。
 最初から、この人には敵意なんてなかったのかもしれない。

 そして――

 『距離感の描き方がとても好き』

 自分が大事にしている部分だ。こんなふうに言ってくれる人がいるなんて。
 胸の奥に、じんわりと温かいものが染みこんでいく。

(……やば、ちょっと、うれしい)

 スマホを胸ポケットにしまって、会社の最寄駅のホームに降りたつ。

 ほんの少しだけ、背筋が伸びていた。



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