あなたの言葉で、書きたくなった。

卯月ひすい

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第2話 深まり

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「Mina.さん……か」

 白紙のマイページの「お気に入りユーザーに追加」ボタンを、少し迷ってからタップする。
 読み専だろうけど、あの返信の文章は丁寧で、どこか静かに温かかった。いつか、なにか書いてくれるかもしれない――そんなささやかな期待と、ただの好感のあいだのような気持ちだった。


 それからというもの、俺が新しい作品を投稿するたび、Mina.さんは感想をくれるようになった。

 その反応が嬉しくて、つい更新のペースが上がってしまった。普段なら1週間に1作がやっとなのに、気づけば3日連続で投稿していたりする。

(読まれてるって思うと、書く手が止まらなくなるんだよな……)


 感想欄に収まりきらないときは、ダイレクトメッセージで来ることもあった。


 《▶︎ 新着メッセージが届いています》


 この通知があると、「ああ、Mina.さんだ」と思い、嬉しくて。



 送信者:Mina.

 今回のお話も、楽しく読ませていただきました!
 特に序盤の“あえて目を合わせない”二人の空気感が、すごく丁寧で好きです。
 互いに距離を測ってる感じというか、
 視線のすれ違いで心の距離を描写しているのが、相変わらずお上手だなあと。

 中盤以降、二人の距離が縮まっていく描写もじんわり沁みました。
 特に、図書室のシーン。
 あの「静かなのに、心臓だけうるさい」ってフレーズ、めちゃくちゃ好きです……。

 ただ一点だけ、終盤のキスシーンについてなんですが……
 ちょっとだけ唐突に感じてしまいました。
 もちろん、流れとしては自然に“来る”タイミングなんですが、
 たとえばもう1~2行、心の動きとか、呼吸の乱れみたいな“前兆”を挟むと、
 もっとドキッとしたかもです。








 送信者:Mina.

 ハル先生、こんばんは。
 今回はファンタジーに挑戦されたんですね。

 まず、全体のトーンがすごく心地よくて、登場人物たちの距離感の取り方がとても好きでした。
 特に、レイがダグラスの背に指先を伸ばしかけて躊躇う場面、あそこ、痺れました。
 ああいう“触れたいのに触れられない”描写、先生の十八番おはこですね。

 ひとつだけ……これは好みの問題かもしれませんが。

 中盤の湖での会話で、ダグが
 「昔からお前のことだけは、特別だった」と告げるシーン、
 ちょっとだけ、急展開に感じてしまいました。
 これまでの会話がすごく自然だったぶん、そこだけ“告白用テンプレ”っぽく聞こえてしまって……。

 もちろん、雰囲気としては全然アリだと思います。
 でも、個人的にはあそこ、
 「……お前って、昔から変だよな」とか一見どうでもいい言葉から入って、
 会話の流れでじわじわ気持ちが滲んでいく方が、
 彼らしいんじゃないかなって思いました。





 次々と届く長文感想に嬉しくなりつつ、毎回付けてくる“指摘”に、最初は少しムッとした。正直に言えば、「じゃあお前が書いてみろよ」とか思っていた。
 でも、その通りに改稿してみると、不思議なほど話の筋が整って、人物の輪郭がくっきりした。

 さらには――




 送信者:Mina.

 今回の作品、特に濡れ場の描写が印象的でした。
 終電後の会社の仮眠室で、先輩に押し倒される流れ。
 悠里ゆうりくんが最初は戸惑いながらも、自分から足を開くくだり、すごく良かったです。
 あの、「……奥、ぐってされるの、やだ……」って言いながらも腰が浮いちゃう描写。
 あれ、ハル先生の真骨頂だと思います。
 “やだ”と“されたい”が重なってるの、すごくエロいです。

 あと、描写の順序なんですが、
 「指をねじ込まれて喘ぐ→唇を塞がれる→片脚を持ち上げられる」
 この流れ、若干リズムが速すぎるかも?
 もう少し間を取って、たとえば悠里くんが“自分から動いてしまう”瞬間を入れてもいいかもしれません。

 受けが自分の欲望を理解しないまま、体が先に動く描写って、
 たぶんハル先生、めちゃくちゃ上手いですよ。
 (というか、お好きですよね、そういう“与えられる快感に流される構造”)




 読み終えた瞬間、スマホを取り落としかけた。

「……ちょ、待って、何この……どストレートな……」

 心臓がばくばくする。

(“好きですよね”って……いや、まあ……そうだけど)

 自分でもあまり意識してなかった“癖”を、いともあっさりと言語化された衝撃。
 “自分でも気づいてなかった願望を他人に言われる”って、こんなに体温上がるもんなんだな。

 羞恥というより、居心地の悪さと興奮が混ざったような、どう説明していいかわからない感情が、下腹のあたりにじわじわと広がっていく。

(やばい……なんか……バレてる……)


 Mina.さんの文章は、優しいけどえげつない。柔らかい言葉なのに、容赦なく核心を突いてくる。
 しかも、“否定”じゃなく“肯定”のニュアンスでそれをやってくるから、逃げ道がない。

 これまで自分が書いてきたそういうシーンは、「どう書いたら興奮するか」ではなく、「どう書けば自然にそうなるか」を重視してきたつもりだった。
 でもMina.さんの感想は、それ以上に――俺の“願望”に、的確にタグをつけてくる。

(この人……本当に読み専か……?)


 感想というより、編集者みたいだった。あるいは、それ以上に自作に寄り添ってくれている。


 そんなやりとりが続くうちに、ふとした流れで、作品とは関係ない話を交わすようになった。




 送信者:Mina.

 昼間お仕事しながら執筆されてるんですね。
 それにしては、筆早くないですか?



 送信者:春林檎はるりんご

 そんなことないですよー! 夜中しか書けないので、すごくゆっくりです。
 ていうか、Minaさんもめちゃくちゃ色んな作品読まれてますよね? 読解力すごすぎます……感想がプロ編集みたいで緊張します(笑)



 送信者:Mina.

 まあ、
 私はフリーターみたいなものなので……(笑)
 時間だけはあるんです。




 夜中のやりとり。湯船に浸かりながら返信を打っていると、どこか遠くで知らない誰かと繋がっている、という実感が湧く。
 不思議と疲れが抜けていくようで、スマホを握る手にも、自然と力が入らなくなっていた。

 ――あんな会話から始まったのに……なんだか、仲良くなっちゃったな。

 そう思っていた、ある晩。
 風呂上がりに冷たい麦茶を飲んでいると、マイページに通知が入る。Mina.さんからのDMだった。




 送信者:Mina.

 あの、もし良かったら……
 会ってお話ししませんか?




「えっ……?」

 思わず声が漏れる。画面を見たまま、しばらく動けなかった。

 会う――って、リアルで? Web小説の読者と作者が?
 BLの話とか、創作論とか……喫茶店で話せるやつ?
 いや、ちょっと待て、それ以前に……。

 指が止まる。
 ここまで来て、ちゃんと伝えていなかった“あること”を思い出す。




 送信者:春林檎

 ええと、すみません。言ってなかったんですけど……私、男なんですよ。
 それでもいいなら……




 送った直後、じわじわと手のひらに汗がにじむ。
 これで引かれても、おかしくない。BLを書く男、ってだけで、偏見を持たれることもある。そもそも“春林檎”って名前自体、女だと誤認されるようにしていた部分もあるし。
 いや、Mina.さんが偏見を持っているかどうかは分からない。でも相手が男なら会うのは尻込みするかもしれないし。これはちゃんと伝えておくべきだ――。

 そうやって、思考がぐるぐると回る。

 だが、Mina.さんからの返信は意外すぎるほど、あっさりしていた。




 送信者:Mina.

 大丈夫ですよ、私も男なんで。





 ――えっ。

 固まった。驚きよりも先に、笑いそうになった。

 これまで勝手に「やたら熱量のある腐女子だな」なんて思ってた自分が恥ずかしい。

(マジか……いや、でも、そうだよな……)

 なんとなく、妙に納得してしまう。作品の読み込み具合も、視点の鋭さも、あの静かな描写の好みも――もしかしたら、自分と同じ側の人間だったから、あんなふうに響いていたのかもしれない。

 思わずベッドに倒れ込み、顔を覆った。

「……なんなんだよ、もう……」

 でも、どこか安心したような、不思議な気持ちだった。
 画面の文字が、少しだけ、距離を縮めた気がした。

(会ってみる……か?)

 胸の奥で、小さな声が囁いた。
 いまなら、ほんの少しだけ、その先に進める気がした。


***

 Mina.さんも都内在住だということが分かり、俺たちは中間地点くらいにある、ターミナル駅近くの喫茶店で会うことになった。

 約束の時間の五分前。店の前でスマホを確認しながらきょろきょろしていたところに、すっと影が近づいてきた。

「ハル先生?」

 声をかけられて顔を上げると、そこには、こざっぱりしたシャツに黒縁のメガネをかけた、洒落た雰囲気の青年が立っていた。

「……どうも、“Mina.”改め、藤森ふじもりみなとです」

 めちゃくちゃイケメンだった。
 整った顔立ちに、品のある低めの声。柔らかい笑みを思わず凝視してしまう。

(うわ、なにこれ……顔面格差社会か?)

 ――と思った次の瞬間、不意にもう一つの印象が胸をよぎる。

(……年上かと思ってたのに、同い年くらい……?)

 これまでの文章の端々から滲んでいた落ち着きと語彙力、感想に漂っていた“達観した大人感”からてっきり30代くらいだと思っていたが、目の前の彼は、どう見ても自分と同じくらいの年齢に見える。もしかしたら、自分より少し下かもしれない。

 勝手に“大人の読者”像を作っていた自分が恥ずかしくなった。けれど、だからこそ今、この瞬間の彼の存在に、ぐっと現実味が宿ったように感じた。

「えっ、あ、ええと……初めまして。小林こばやし晴之はるゆきと申します――あっ」

 言ってから、普通に本名を名乗ってしまったことに気づく。相手が本名っぽいのを名乗るから、つい。

「間違えた、“春林檎”……です。よろしくお願いします、藤森さん」

「湊でいいですよ」

 あまりにも自然にそう言われて、一瞬、返事が遅れた。

「……じゃあ、湊さん、で……」

 硬くなりながら頭を下げ、手を差し出すと、湊さんは軽く握り返して、にこっと笑った。

 喫茶店の中は落ち着いた雰囲気で、ジャズの音が静かに流れていた。席について、アイスコーヒーとレモンティーを注文。最初はどこかぎこちなかったが、話していくうちに自然とペースが合ってきた。

「リアルではあんまり趣味の話、できませんよね」
「ていうか、誰にも言ってないです……」
「それ、分かります。でも嬉しいですよ。こうやってハル先生と話せるなんて」
「“先生”はやめてください、ただのアマチュアなんで……」

 軽口を交えつつ、創作の話をする。

 どういうきっかけで書き始めたかとか、自分流のプロットの作り方とか。こんな話を声に出して語るのは初めてで、どこかくすぐったかった。

 けれど、それが変に居心地よかったのは、彼が「読む人」としてだけでなく、「書く人の気持ち」をわかってくれているからだと、会話の端々で感じられた。

 気づけば、飲み物は空になっていた。

「じゃ、行きましょうか」

 飲み終えたレモンティーのグラスをテーブルの端に寄せながら、湊さんが立ち上がった。

「え、どこに……?」

 思わず聞き返すと、彼はさらっと答えた。

「どこって……ホテルですよ」

「……は?」

 声が裏返りそうになる。

 まさか、とは思う。でも、まさかってなんだ? 創作談義の続きを、ホテルで?
 え、ホテルで? ホテルって……あの?

「……え、あ、いや、あの……」

 しどろもどろになる俺に、湊さんは笑って、少し首をかしげた。

「いや、だって。俺たちが話す内容、かなりアレでしょ? 喫茶店じゃ、さすがにいろいろ気になるじゃないですか」
「……そ、そういうこと……?」
「そういうことです」

 言われてみれば、確かにそうだった。

 BLの構造、濡れ場の描写、フェチの話――あらためて振り返ると、話の流れがそっちに向かうのはほぼ確定路線だった。たしかに、普通の喫茶店でそんな話をするには、周囲の目も気になる。

 いや、でも、それでも普通は、別の場所を提案するんじゃ?

 俺がぐるぐる考えている間に、彼はスマホを取り出して、慣れた手つきで検索を済ませていた。

「すぐそこに、良さげなとこありますね。
 あぁ、心配しないで。変なことはしませんから」

 にっこり笑って、俺の視線を一瞬だけ正面から受け止める。

(変なことはしない、って……その前提がもうおかしくないか?)

 でも、断る理由が見つからなかった。逃げる理由もなかった。むしろどこか、誘われてしまったことに、少しだけ期待している自分がいた。


 そのまま、駅の裏手の静かな坂道を抜けて、少し古めのラブホテルに入る。

 想像していたような、ピンクでもギラギラでもない――落ち着いた内装の部屋。けれどベッドは妙に広くて、照明の明るさもやたら細かく調節が効く。

「じゃ、適当に座ってください」

 そう言って湊さんは、壁際のテーブルにノートを広げた。スマホのメモも開いて、なにやら作業モードに入っていく。

「……本当に、ここで語り合うつもりなんですね」
「当然です。何かやましいことあるんですか?」
「いや、ないですけど……!」

 会話のリズムが軽快すぎて、もう抵抗する気も失せていた。

 そして、ラブホテルの静かな部屋の中で、俺たちはBL作品の“構造”について、真面目に語り始めた。

 不思議と、違和感はなかった。
 むしろ――この人となら、もっと深く、もっと踏み込んだことまで語れる気がした。

 そんなふうに思える相手に、初めて出会った気がする。





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