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第7話 逆さのテルテル坊主
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「課長、お昼ですよ」
「ああ、もうそんな時間か?」
顔を上げると律子が微笑みながら私のデスクの前に立っていた。
「ランチ、ご馳走して下さい。デザート付きで」
私は律子と昼食を食べにオフィスを出た。
「課長、そんな暗い顔しないで下さいよ。
この前のことはもう気にしていませんから。
課長は何が食べたいですか?」
「ごめん、ちょっと考え事をしていたんだ。
小野君の好きな物でいいよ」
私はくららのことを考えていた。
(私がしあわせにならないとくららが成仏出来ない?
くららは私を心配している。
私がくららを苦しめているということなのか?
私はただ・・・)
「じゃあ『ロズウェル』のランチで。
お肉とお魚が選べて、レアチーズもついて1,280円ですから! ふふっ」
律子はうれしそうだった。
店は昼食時ではあったが満席ではなかった。
私たちはすぐにテーブルに案内された。
給料日前の千円越えのランチは、サラリーマンやOLたちに敬遠されていた。
ビジネス街の昼食代は基本的に1,000円以下か、逆に3,000円以上のパワーランチだ。
殆どの男性社員のランチはワンコインだった。
だがワンコインで食事を済ませようという男は、すでに出世コースから外れているとも言える。
なぜならランチを軽んじるサラリーマンの仕事はマンネリで、進歩がないからだ。
「安く食えれば何でもいい」
1,000円台のランチは中途半端な食事だ。
貧弱でもないが、かと言って豪華でもない。
見てくれだけの女子ウケする物が多い
「私はカレイのソテーで。飲み物は食後で温かい紅茶を。
課長はどうします?」
「私はサーロインでアイスコーヒーを食後で」
「かしこまりました」
食事をしながら律子が言った。
「課長、今度はお寿司が食べたいです。
回らないお寿司屋さんに連れて行って下さい」
会社にいる時の律子は髪をアップにして、聡明な美しさがあった。
(私はこんな若い女に好かれているというのか?)
「いつでもいいよ。君の都合のいい時で」
「じゃあ今度の金曜日はどうです?」
「いいよ」
「やったー、楽しみにしていますね?」
私は今度のデートでは自分の欲望に抗う自信が無かった。
今夜は満月だった。
私はヘネシーをグラスに注ぐとベルリンフィル、カラヤン指揮のブラームスのレコードを掛けた。
ブラームス作曲『交響曲第1番』
先日、ピアノの調律を終えたばかりだった。
私はピアノを開け、人差し指で鍵盤を叩いた。
ピアノの調律をしながら調律師は言った。
「誰がこのピアノを弾いてくれるんですか?」
「私が練習しようと思ってね? 四十の手習いだよ」
「そうでしたか? それは良かった。この子も喜ぶことでしょう。誰も弾いてくれないピアノはかわいそうですから」
このピアノもまたくららが弾いてくれることで喜んでいるに違いない。
私はくららのピアノをそっと撫でた。
あんな若い娘に告白されて、悪い気はしない。
くららが生きていたら、私はおそらく自慢したはずだ。
「今日、会社の若い美人社員から告白されてさあ、俺もまんざらでもないだろう?」
「はいはい、それは良かったわね? 畳と女房は新しい方がいいもんねー」
「でも、俺には素敵な奥さんがいるからね? たとえ中森明菜から告白されても俺は「Yes」とは言わないよ」
「本当に? 山口百恵でも?」
「百恵ちゃんでもだ」
「じゃあ、キャメロン・ディアスでも?」
「うーん、キャメロンかあ?
ちょっと悩むけどやっぱりくららの方がいい」
「何よそれ、どうしてキャメロンだと悩むのよ? コラーッ!」
そう言ってくららは私の頬を軽く抓って笑うはずだ。
でもくららはもういない。
くららには雨の夜にしか会えないのだ。
私はテルテル坊主を作った。
そしてそれをベランダに逆さに吊るした。
子供の頃、遠足が晴れるようにと母とテルテル坊主を作った。
「輝明、ちゃんと頭が上になるように吊るすのよ。
逆さまにすると雨になるから」
私は毎日、夜が雨になることを祈った。
「ああ、もうそんな時間か?」
顔を上げると律子が微笑みながら私のデスクの前に立っていた。
「ランチ、ご馳走して下さい。デザート付きで」
私は律子と昼食を食べにオフィスを出た。
「課長、そんな暗い顔しないで下さいよ。
この前のことはもう気にしていませんから。
課長は何が食べたいですか?」
「ごめん、ちょっと考え事をしていたんだ。
小野君の好きな物でいいよ」
私はくららのことを考えていた。
(私がしあわせにならないとくららが成仏出来ない?
くららは私を心配している。
私がくららを苦しめているということなのか?
私はただ・・・)
「じゃあ『ロズウェル』のランチで。
お肉とお魚が選べて、レアチーズもついて1,280円ですから! ふふっ」
律子はうれしそうだった。
店は昼食時ではあったが満席ではなかった。
私たちはすぐにテーブルに案内された。
給料日前の千円越えのランチは、サラリーマンやOLたちに敬遠されていた。
ビジネス街の昼食代は基本的に1,000円以下か、逆に3,000円以上のパワーランチだ。
殆どの男性社員のランチはワンコインだった。
だがワンコインで食事を済ませようという男は、すでに出世コースから外れているとも言える。
なぜならランチを軽んじるサラリーマンの仕事はマンネリで、進歩がないからだ。
「安く食えれば何でもいい」
1,000円台のランチは中途半端な食事だ。
貧弱でもないが、かと言って豪華でもない。
見てくれだけの女子ウケする物が多い
「私はカレイのソテーで。飲み物は食後で温かい紅茶を。
課長はどうします?」
「私はサーロインでアイスコーヒーを食後で」
「かしこまりました」
食事をしながら律子が言った。
「課長、今度はお寿司が食べたいです。
回らないお寿司屋さんに連れて行って下さい」
会社にいる時の律子は髪をアップにして、聡明な美しさがあった。
(私はこんな若い女に好かれているというのか?)
「いつでもいいよ。君の都合のいい時で」
「じゃあ今度の金曜日はどうです?」
「いいよ」
「やったー、楽しみにしていますね?」
私は今度のデートでは自分の欲望に抗う自信が無かった。
今夜は満月だった。
私はヘネシーをグラスに注ぐとベルリンフィル、カラヤン指揮のブラームスのレコードを掛けた。
ブラームス作曲『交響曲第1番』
先日、ピアノの調律を終えたばかりだった。
私はピアノを開け、人差し指で鍵盤を叩いた。
ピアノの調律をしながら調律師は言った。
「誰がこのピアノを弾いてくれるんですか?」
「私が練習しようと思ってね? 四十の手習いだよ」
「そうでしたか? それは良かった。この子も喜ぶことでしょう。誰も弾いてくれないピアノはかわいそうですから」
このピアノもまたくららが弾いてくれることで喜んでいるに違いない。
私はくららのピアノをそっと撫でた。
あんな若い娘に告白されて、悪い気はしない。
くららが生きていたら、私はおそらく自慢したはずだ。
「今日、会社の若い美人社員から告白されてさあ、俺もまんざらでもないだろう?」
「はいはい、それは良かったわね? 畳と女房は新しい方がいいもんねー」
「でも、俺には素敵な奥さんがいるからね? たとえ中森明菜から告白されても俺は「Yes」とは言わないよ」
「本当に? 山口百恵でも?」
「百恵ちゃんでもだ」
「じゃあ、キャメロン・ディアスでも?」
「うーん、キャメロンかあ?
ちょっと悩むけどやっぱりくららの方がいい」
「何よそれ、どうしてキャメロンだと悩むのよ? コラーッ!」
そう言ってくららは私の頬を軽く抓って笑うはずだ。
でもくららはもういない。
くららには雨の夜にしか会えないのだ。
私はテルテル坊主を作った。
そしてそれをベランダに逆さに吊るした。
子供の頃、遠足が晴れるようにと母とテルテル坊主を作った。
「輝明、ちゃんと頭が上になるように吊るすのよ。
逆さまにすると雨になるから」
私は毎日、夜が雨になることを祈った。
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*この作品は大山あかね名義で公開していた物です。
連載開始日 2019/10/15
本編完結日 2019/10/31
番外編完結日 2019/11/04
ベリーズカフェでも同時公開
その後 公開日2020/06/04
完結日 2020/06/15
*ベリーズカフェはR18仕様ではありません。
作品の無断転載はご遠慮ください。
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