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国境の街レゲンダ

第十五話 どちらに転ぶも辛い道

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 ライラとバーンズは入り口を開け、建物の中に入った。扉にベルがつけられており、カランと乾いた音がする。扉の奥は、先へと続く廊下があり、おしゃれにも花が飾られている壁に沿ってカウンターがある。その後ろに座ってなにかを書いていた若い女性が顔をあげた。まだそばかすが残っている幼げな顔だ。

「あ、ライラ先生! いらっしゃいませ!」
「やぁ、ハンナちゃん。エルダーさんはいるかい?」
「父さ……コホン、店主は今接客中でして」

 店主の娘なのだろうハンナはすまなそうに首を傾げた。栗色の長い髪がさらりと揺れる。

「んー、待たせてもらっても良いかな? 大事な用事があるんだ」
「えっと……分かりましたっ! いまご案内します!」

 ハンナはちろっとバーンズを見て目を見開き、勢いよく立ち上がった。イケメン効果は抜群のようで、バーンズが眉尻を下げて苦笑いをしている。
 カウンターから出たハンナは廊下を奥へと歩いていき、三つ目の扉で立ち止まった。

「いまお茶を持ってきますので、この部屋でお待ちください!」

 弾けんばかりの笑顔のハンナはそう言って、長い髪を左右に振りながらさらに廊下を奥へと進んでいった。ライラとバーンズは言われた部屋に向かって足を進める。
 
「元気な女の子ですね」
「あたしとは違って気立てのいい娘だよ」

 ライラは彼女の後姿を、目を細めて見ている。恋仲の男がいるようで、その相手をエルダーが気にしている噂も耳にしていた。
 父親としては気が気でないのだろう。ライラにはその気持ちを共有することは叶わなそうだが、なんとなくセンチな気分も理解できる。

「……僕にはライラさんの方が、好ましいですよ?」

 並んで歩くバーンズの碧い瞳がライラを捉えてくる。
 今日はやけに絡んでくる、とライラは内心でため息をついた。
 バーンズにしろミューズにしろ、ライラが欲しいのではないだろう。それぞれの思惑によってその言葉がひねり出されていると思うと、胸にちくりと針が刺さるのだ。
 そんな痛みを忘れるように「はいはい」とぞんざいな返事をするライラだった。




 指示された部屋は所謂応接室だった。センスのいい調度品と部屋に飾られている絵画がそれを物語っている。
 部屋の中心にある見事な年輪を見せる木のテーブルと、座れば沈み込みそうなソファが揃えられ、ライラでも腰を落とすのを躊躇するほどだ。
 だがバーンズは気にせずに静かにソファに体を預けた。

 ――やっぱ育ちが違って目が肥えてるんだろうねぇ。

 感心とやるせなさを、ライラは同時に思い知った。
 身分が違うんだと。
 彼は目的に忠実で、やっぱり有能なんだと。
 所詮、自分にかける言葉は、任務なんだと。

 頭では分かっていても、いざその現実に直面すると、少しでも期待した心はあっけなく砕かれていく。
 ぐっと握った拳をゆっくりと広げ、ライラは平穏を装い、バーンズの隣に静かに腰を下ろした。

「診療所ではここから薬を買ってる。まぁ、他にないってのもあるし、王都から取り寄せるほど金があるわけじゃないからね」

 ちょうどソファの正面に飾られている、街中にそびえたつ白亜の城の絵を見ながら、ライラは説明する。

「あー、あれ、王都の城ですね」
「へぇ、そうなんだ」
「あのアングルだと、教会あたりからの絵ですかね」
「ふーん」

 バーンズの説明にライラは適当に相槌を打つ。王都の説明など受けても、行ったこともないし、今後行くこともないからだ。レゲンダを離れたくないライラにとって、王都など幻でもいいのだ。

「来客中って言うけど、うち以外に買い手があるなんて珍しいね」

 ライラはふと思いついたことを口にした。
 薬を必要とするのは、基本、軍の診療所だけだ。個人で買う人もいるだろうがせいぜい消毒液であったり痛み止めまでだろう。
 少量を買うことはできるがいつ来るかわからない怪我や病気に備えて薬を変えるほど裕福な人は、ここレゲンダではいないと言っていい。

「近くの村から買い付けに来たとか?」
「まぁ、ありえなくもないね。村規模だと医師が不在なんて当たり前だからね」

 バーンズの疑問にライラは顎に掌を当て考えた。

「んー、その仕草が男っぽく見えるのかもしれないですね」
「はぁ? なんだって!?」

 顎に手を当てたままバーンズに顔を向ける。瞼は半分閉じられ、凄みを添えていた。

「女性であれば、そこは〝指先〟です。そうすると、ライラさんはもっと魅力的に見えますよ」

 悪気の見られないバーンズの微笑みに、ライラの口はうにっと歪む。

「あたしがそうすることに、何か意味があるのかい?」
「僕が喜びます」
「意味が分からないね。あたしがどうしようと、バーンズ君にはかかわりがないだろ?」

 ライラが大きなため息をついたとき、控えめなノックが聞こえてきた。

「お茶、持ってきました」

 ニコニコのハンナがドアから入ってくる。大きめのトレイにはカップがふたつと焼き菓子が乗った皿がひとつ。
 ハンナがコトコトとテーブルに置いていく。

「父の接客がまだ終わらないんです。ちょっと長引きそうだとのことです」

 すまなそうな顔のハンナに、バーンズが「待たせていただいてもよろしいですか?」と声をかける。バーンズとしてはライラが休みの今日を逃すと次の機会まで日があいてしまうを避けたいのだろう。
 ライラとしても次の休みも潰されてしまうのは本意ではない。待つだけなら苦もないので異を唱えない。

「すみません、あたしは受付に戻らないといけないので」

 ハンナはバーンズを、そしてライラを見て、深く頭を下げ部屋を出て行った。その際の意味深なハンナの顔を、ライラは横目で見ていた。

 ――いらん噂が立たなきゃいいけど。

 傍から見ればバーンズと共に行動しているライラに、その手の噂が立つのは当然だ。既に主婦の井戸端談義では主題にのっているところだが、主婦をしていないライラはそのことを知らない。
 そして噂というのは広まるの早く、誤解されるのもよくあることだ。広まってしまった噂を打ち消すには、その時間の数倍はかかる。
 なかなかにたちの悪いものだ。

「ふぅ」

 ライラは背もたれに寄りかかり、天井を見た。
 バーンズが勝つのか、ミューズが逃げ切るのか。巻き込まれてしまったこの状況が何かしらの終わりを告げた時、ライラはどうなってしまうのかを考えた。
 バーンズが勝てばミューズは拘束され、王都に連れて行かれるだろう。軍の資金源を断てば、街への補助も打ち切りになるだろう。バーンズが約束通り何らかの方法で補助の肩代わりをすれば、表面上は問題がない。はずだ。
 水面下では、自分への風当たりは強くなるのでは、と考えている。軍が贅沢な資金を有していればこそ平穏だったのかもしれないが、それを絶ってしまうのだ。恨みはどこからか出てくるだろう。バーンズは王都に帰るだろうから、その矛先はレゲンダに残っているライラだ。

 ――ま、殺されるってことはないだろ、さすがに。

 ライラはレゲンダ生まれだ。故郷のために医師として働いているのだ。役に立つを自分を殺すのはデメリットが多すぎると考えている。ただイエレンがいるので、万が一はありうる。

 問題はミューズが逃げ切った場合だ。
 同じくバーンズは王都に帰るだろう。残されたライラはミューズの後妻という形で体良く監視監禁されるのだ。だがそれでも住民への補助は続くのが幸いだ。
 殺されることはないだろうが、あまり良い結末ではなさそうだった。

 ――巻き込まれた時点で、あたしには悪いことしか待ってないってことだねぇ。あんたギリアムのとこに行くのも、予定よりだいぶ早いかも。

 亡き夫に愚痴をこぼしたいライラだった。




 エルダーが部屋に来たのはそれから小一時間ほどした頃だった。窓からの陽は茜色に変わりつつありり、部屋も赤く彩られていた。
 栗色の髪を短く切り揃え、鼻の下に髭を蓄えた、恰幅のいい中年だ。急いだのか、彼は少し息を乱し気味だった。
 彼はふたりの向かいのソファに腰かけた。

「ライラ先生、すみませんねぇ。っとそちらはバーンズ様でよろしかったですか?」
「初めまして、バーンズと言います」
「こちらこそ、お待たせして申し訳ありません」

 エルダーとバーンズは同時に頭を下げた。初顔合わせのふたりの橋渡しは自分の役目と思っているライラは口を開く。

「用事と言ってもたいしたことじゃないんだけどさ、コトリネを作ってる職人を紹介してほしいんだ」
「コトリネ、ですか? それは何故なにゆえにですか? 直接取り引きでもなさるのですか?」

 内容に驚いたのか、エルダーは腰を浮かせた。先走られたライラは苦笑いで「違うんだよ」と彼に語りかける。

「バーンズ君がね、王都では見かけないコトリネが気になったみたいでさ、どんな薬草が原料なのか見たいっていうんだよ」

 ライラが視線で合図を送ると、バーンズも大きく頷く。エルダーは唇を小さい円にし、「そうなんですか~」とうんうんと頭を上下に振った。そしてソファに尻を沈めた。

「いやぁ、ちょうど今ミューズ参謀閣下がいらして、同じことを聞いてきましてね」

 エルダーが嬉しそうに語るその言葉を、ライラとバーンズは驚きを持って聞いた。

「今まではレゲンダで使用する分しか納入しておりませんでしたが、もしかしたら軍が正式に薬として採用するのかもしれませんなあ。なにせコトリネはよく効きますから。いやぁ、ありがたい話ですよ!」
「ちょ、参謀がここに?」

 ほくほく顔のエルダーに、ライラは前のめりになる。

「えぇ、今までその話をしていましてね。もっと量を増やせないかって仰るんですよ」

 嬉しそうなエルダーの顔とは対照的に、ふたりは苦い顔をしていた。
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