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国境の街レゲンダ
閑話 白い騎士はため息をつく
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――状況は、想定以上に悪いな。
バーンズはベッドに寝転び、ランプに照らされている天井を見ていた。
衝立の向こうにはライラがいるが、彼女の存在よりも悩ましい現実がバーンズの頭を占めていた。
――住民の半数以上が軍となんらかの取引関係にあり、生活費のかなりの部分を担っている、か。
バーンズの頭の下、つまり枕の下に隠されているのは、王都から一緒に来た商隊からの報告書。暗闇でも読めるように裏から鏨で叩かれた点字だ。
その報告書が伝えてきたのは、バーンズにとって頭に痛い内容だった。
――この街の軍はきちんと根を張り、住民と一体化している。強引に事を運べば反抗を招くだけだな。
武力で持って制圧をする予定ではあった。そのために配下の部隊を商隊としてレゲンダに潜り込ませていた。少数ではあるものの、指揮者を確保なり殺害してしまえば簡単に事が運ぶと、今までの経験から考えていたが、それが根底から覆されていた。
――しかも、こちらの動きの先を行ってる。住民からの信頼の厚さが、こちらの動きの伝達を容易にしてるのか。
今のままではじり貧だ。バーンズは焦っていた。
レゲンダの軍部がノインバック派の資金源であることは間違いなく、彼らを弱体化させるとともに、王都の治安を改善させるのには、レゲンダの軍部を刷新する必要があった。
レゲンダの安定は王都の治安の悪化によって担保されている。だが王都の繁栄は地方の犠牲の上に成り立っている。国を統治するにあたって、両方を保たねばならない。バーンズもこれくらいは理解している。
今までのノインバック派の拠点は、街との関係も良いものとは言えず、どこかでほころびが見えていた。そこをつけば街からの反感を少なく抑えることができていた。
だがレゲンダは統治する軍から資金が供給されている。経済的にも軍に依存する形ができていた。
――このバランスを壊すことによる反感は、すごいだろうな。
稼ぎが減れば、その不満は介入してきた王都へ向けられるだろう。ノインバック派がその隙を見逃すはずもない。
はぁ、と何回かのため息の後、隣のベッドで動く気配を感じた。バーンズはピクリと眉を動かして様子をうかがう。
「起きてる?」
衝立のからライラが現れた。
何の用だろうと訝しつつ「……あれ、ライラさん、どうしました?」ととぼける。ライラにこれ以上の心労を駆けたくないという思いは強い。だが現実はそうなっていない。せめてバーンズはライラの前では明るく振る舞おうと決めていた。
「重症だなぁ」
ライラのこぼすような一言に、バーンズは自らの不出来を恥じた。結局ライラの心に負担をかけてしまっているのだ。
「バーンズ君が落ち込んでるからお姉さんが話でも聞いてあげようかと思ってさ。悩みがあったら外に吐き出してごらんよ。少しは楽になるよ」
頭のすぐわきに腰を下ろし、自らの心の内を隠すようなライラの笑みに、バーンズは出そうになる手を堪えた。歯がゆさに彼女を見ることができず、視線を逸らした。
そんなことはお見通しとばかりに、バーンズの頭にふっと手が載せられた。思わずライラを見てしまったバーンズは、慌てて衝立に目を向ける。
「いまなら特別にお姉さんが悩みを聞いてしんぜよう。こんなことはなかなかないぞ?」
頭を優しくたたかれ、促されるままに、バーンズは彼女を見つめた。少し困った笑顔の彼女を見て、バーンズの心が軋む。
本来ならバーンズが彼女を慰めなければならないはずだ。今バーンズが追いかけている案件の結果、ライラが失うものは大きい。バーンズは、何も失わないにもかかわらずだ。
今まさに、そのライラから慰められようとしている自分が情けなく、バーンズは目を閉じた。閉じたところで何の解決にもならないのは、わかっている。が、そうせずにはいられなかった。
「そう考え込まれてもね、あたしも困るんだ。バーンズ君とミューズ閣下。どっちに勝って欲しいかと言えばね、君が勝つ方が、あたし的にもまだましなのさ」
その言葉は、ある種彼女の諦めでもあった。もはや自分の力ではどうにもならない渦中に取り残され、せめて良い方に、と前向きに考えた結果なのだ、とバーンズは理解した。
バーンズは、瞼を開き、ライラの目をしっかりと見つめた。
「いまとなっちゃあたしの意志なんて関係なく物事が動いちゃって、どうしたっていい結果にはなりそうもないんだ。ミューズが逃げ切ったらあたしには監視がついて飼い殺しだろうし。そうなったら酒も飲みに行けやしない。まだバーンズ君が勝ってくれた方が、あたしには救いなんだけどねえ」
大げさにため息交じりでそういわれては、寝転がっているわけにもいかない。むしろ抱きしめて安堵を与えるべきだった。
だが、口をついたのは「それについては申し訳なく……」という言い訳めいた言葉だ。
いまだライラの中には、亡き夫が生きている。彼がライラを支えていると、バーンズは感じている。だからこそ、自分の方についてくれたのだと。彼女の苦渋の末の判断だった、と理解はしている。
そして、自分が彼女の気高きその生き方に惹かれていることも、理解している。
支えるのであれば生きている自分でありたいが、それはまだ叶わぬ。死んだ人間の思い出には、まだ勝てない。
そんな思いに浸りこんでいたバーンズの鼻がつままれた。そのまま、むにむにと左右に動かされる。
「もうバーンズ君とは運命共同体なんだよ、あたしは。ミューズに逃げ切られたらあたしは今後お酒が飲めないじゃないか。お酒のない人生なんか真っ暗で、あたしはごめんだよ」
乾いた笑いと共にライラの口から出てくる言葉。ごめんなさいと、心の中で謝罪した。
これ以上悩んでいてはライラに心配をかけるだけだと判断したバーンズは、笑った。
――僕がドンと構えてないと、ライラさんは不安に思うよね。
「あはは、そうですよね。ライラさんが困っちゃうんじゃ、僕が頑張らないといけないですよね。頑張ったらご褒美もらえるんなら、僕、頑張っちゃうんですけど」
バーンズはいつものようにへらっと笑って見せた。ライラは眼鏡の縁と同化していた眉を歪め、見返してくる。
「……何がご希望なのかな、バーンズ君」
「ご褒美はライラさんで!」
ライラから出てきた意外すぎる言葉に、バーンズは即答した。ライラが渾身のため息をつくのを見て、バーンズはますます笑みを深くする。
――不安よりも呆れでライラさんを満たしておけばいい。僕が死ぬ気で動けば活路も見いだせる。最悪は力で押し通す。ライラさんは僕が預かれば良いんだ。
笑うバーンズが気に入らないのか、鼻をつまむライラの力が増す。
「まぁ、きちんと片づけられたら考え――」
「――言質は取りましたからね!」
鼻声だが、バーンズは叫んだ。
いい加減な男と思われてもいい。彼女を守ることができれば。
あわよくば、彼女を冥府にいる彼から預かり受けることができれば。いやそこは格好よく奪うと宣言すべきか。
そんなことを妄想していたバーンズに、ライラのデコピンが炸裂した。
バーンズはベッドに寝転び、ランプに照らされている天井を見ていた。
衝立の向こうにはライラがいるが、彼女の存在よりも悩ましい現実がバーンズの頭を占めていた。
――住民の半数以上が軍となんらかの取引関係にあり、生活費のかなりの部分を担っている、か。
バーンズの頭の下、つまり枕の下に隠されているのは、王都から一緒に来た商隊からの報告書。暗闇でも読めるように裏から鏨で叩かれた点字だ。
その報告書が伝えてきたのは、バーンズにとって頭に痛い内容だった。
――この街の軍はきちんと根を張り、住民と一体化している。強引に事を運べば反抗を招くだけだな。
武力で持って制圧をする予定ではあった。そのために配下の部隊を商隊としてレゲンダに潜り込ませていた。少数ではあるものの、指揮者を確保なり殺害してしまえば簡単に事が運ぶと、今までの経験から考えていたが、それが根底から覆されていた。
――しかも、こちらの動きの先を行ってる。住民からの信頼の厚さが、こちらの動きの伝達を容易にしてるのか。
今のままではじり貧だ。バーンズは焦っていた。
レゲンダの軍部がノインバック派の資金源であることは間違いなく、彼らを弱体化させるとともに、王都の治安を改善させるのには、レゲンダの軍部を刷新する必要があった。
レゲンダの安定は王都の治安の悪化によって担保されている。だが王都の繁栄は地方の犠牲の上に成り立っている。国を統治するにあたって、両方を保たねばならない。バーンズもこれくらいは理解している。
今までのノインバック派の拠点は、街との関係も良いものとは言えず、どこかでほころびが見えていた。そこをつけば街からの反感を少なく抑えることができていた。
だがレゲンダは統治する軍から資金が供給されている。経済的にも軍に依存する形ができていた。
――このバランスを壊すことによる反感は、すごいだろうな。
稼ぎが減れば、その不満は介入してきた王都へ向けられるだろう。ノインバック派がその隙を見逃すはずもない。
はぁ、と何回かのため息の後、隣のベッドで動く気配を感じた。バーンズはピクリと眉を動かして様子をうかがう。
「起きてる?」
衝立のからライラが現れた。
何の用だろうと訝しつつ「……あれ、ライラさん、どうしました?」ととぼける。ライラにこれ以上の心労を駆けたくないという思いは強い。だが現実はそうなっていない。せめてバーンズはライラの前では明るく振る舞おうと決めていた。
「重症だなぁ」
ライラのこぼすような一言に、バーンズは自らの不出来を恥じた。結局ライラの心に負担をかけてしまっているのだ。
「バーンズ君が落ち込んでるからお姉さんが話でも聞いてあげようかと思ってさ。悩みがあったら外に吐き出してごらんよ。少しは楽になるよ」
頭のすぐわきに腰を下ろし、自らの心の内を隠すようなライラの笑みに、バーンズは出そうになる手を堪えた。歯がゆさに彼女を見ることができず、視線を逸らした。
そんなことはお見通しとばかりに、バーンズの頭にふっと手が載せられた。思わずライラを見てしまったバーンズは、慌てて衝立に目を向ける。
「いまなら特別にお姉さんが悩みを聞いてしんぜよう。こんなことはなかなかないぞ?」
頭を優しくたたかれ、促されるままに、バーンズは彼女を見つめた。少し困った笑顔の彼女を見て、バーンズの心が軋む。
本来ならバーンズが彼女を慰めなければならないはずだ。今バーンズが追いかけている案件の結果、ライラが失うものは大きい。バーンズは、何も失わないにもかかわらずだ。
今まさに、そのライラから慰められようとしている自分が情けなく、バーンズは目を閉じた。閉じたところで何の解決にもならないのは、わかっている。が、そうせずにはいられなかった。
「そう考え込まれてもね、あたしも困るんだ。バーンズ君とミューズ閣下。どっちに勝って欲しいかと言えばね、君が勝つ方が、あたし的にもまだましなのさ」
その言葉は、ある種彼女の諦めでもあった。もはや自分の力ではどうにもならない渦中に取り残され、せめて良い方に、と前向きに考えた結果なのだ、とバーンズは理解した。
バーンズは、瞼を開き、ライラの目をしっかりと見つめた。
「いまとなっちゃあたしの意志なんて関係なく物事が動いちゃって、どうしたっていい結果にはなりそうもないんだ。ミューズが逃げ切ったらあたしには監視がついて飼い殺しだろうし。そうなったら酒も飲みに行けやしない。まだバーンズ君が勝ってくれた方が、あたしには救いなんだけどねえ」
大げさにため息交じりでそういわれては、寝転がっているわけにもいかない。むしろ抱きしめて安堵を与えるべきだった。
だが、口をついたのは「それについては申し訳なく……」という言い訳めいた言葉だ。
いまだライラの中には、亡き夫が生きている。彼がライラを支えていると、バーンズは感じている。だからこそ、自分の方についてくれたのだと。彼女の苦渋の末の判断だった、と理解はしている。
そして、自分が彼女の気高きその生き方に惹かれていることも、理解している。
支えるのであれば生きている自分でありたいが、それはまだ叶わぬ。死んだ人間の思い出には、まだ勝てない。
そんな思いに浸りこんでいたバーンズの鼻がつままれた。そのまま、むにむにと左右に動かされる。
「もうバーンズ君とは運命共同体なんだよ、あたしは。ミューズに逃げ切られたらあたしは今後お酒が飲めないじゃないか。お酒のない人生なんか真っ暗で、あたしはごめんだよ」
乾いた笑いと共にライラの口から出てくる言葉。ごめんなさいと、心の中で謝罪した。
これ以上悩んでいてはライラに心配をかけるだけだと判断したバーンズは、笑った。
――僕がドンと構えてないと、ライラさんは不安に思うよね。
「あはは、そうですよね。ライラさんが困っちゃうんじゃ、僕が頑張らないといけないですよね。頑張ったらご褒美もらえるんなら、僕、頑張っちゃうんですけど」
バーンズはいつものようにへらっと笑って見せた。ライラは眼鏡の縁と同化していた眉を歪め、見返してくる。
「……何がご希望なのかな、バーンズ君」
「ご褒美はライラさんで!」
ライラから出てきた意外すぎる言葉に、バーンズは即答した。ライラが渾身のため息をつくのを見て、バーンズはますます笑みを深くする。
――不安よりも呆れでライラさんを満たしておけばいい。僕が死ぬ気で動けば活路も見いだせる。最悪は力で押し通す。ライラさんは僕が預かれば良いんだ。
笑うバーンズが気に入らないのか、鼻をつまむライラの力が増す。
「まぁ、きちんと片づけられたら考え――」
「――言質は取りましたからね!」
鼻声だが、バーンズは叫んだ。
いい加減な男と思われてもいい。彼女を守ることができれば。
あわよくば、彼女を冥府にいる彼から預かり受けることができれば。いやそこは格好よく奪うと宣言すべきか。
そんなことを妄想していたバーンズに、ライラのデコピンが炸裂した。
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