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1巻

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   第一章


 伯爵令嬢であるミリアベル・フィオネスタには同い年の婚約者がいた。
 青年の名前はベスタ・アランドワ。侯爵家の嫡男で、文武両道の美丈夫である。
 婚約をしたのは五年前、お互いが十二歳の時だった。初めはいささかぎこちない関係の二人ではあったが、顔を合わせる度、言葉を交わす度に、二人は打ち解けていった。
 政略的な婚約のはずだったけれど、五年間の交流でお互いを特別に思うようになり、婚約者としてとてもいい関係を築けていると思っていた。
 十六歳になって貴族学院に通い始めてからは、学友たちにベスタがとても人気で、ミリアベルはどこか優越感を覚えていた。
 自分の婚約者は、学院の令息や令嬢たちからも好かれる素晴らしい人物なのだと嬉しかったのだ。
 そんな婚約者を誇らしく思い、彼に相応ふさわしい女性になろうと、ミリアベルは強く心に刻んだ。
 だが、学院に通い始めて二年目。
 一学年下に「奇跡の乙女」と呼ばれる令嬢が入学すると、ミリアベルの順風満帆な人生は音を立てて崩れ始めた。


 ◇◆◇


 平民よりも貴族の方が、比較的多くの魔力を持って生まれる傾向にある。貴族たちはそれを活かして平民にはできない魔法を使用した仕事にく者が多い。
 一方で、平民や、貴族の次男や令嬢は保有魔力量が少なくてもくことができる魔法騎士団を目指すことが多い。
 彼らの仕事は領内の平民たちを魔物から守ることだ。命の危険を伴うため、給金が良く、平民でも騎士爵をたまわる可能性があるのでとても人気の職である。
 魔法は自然の五元素である、火・水・雷・土・風に分類され、治癒魔法等は五元素魔法の枠組みから外れて光・聖魔法と呼ばれる。
 光・聖魔法の使い手はとても希少だ。国からの指示で魔物や魔獣の討伐に同行することもあり、重宝されている。
 そんな、滅多にいないと言われる治癒魔法の使い手が、学院の一学年下に姿を現した「奇跡の乙女」だ。
 ティアラ・フローラモという子爵家の末娘で、可愛らしい顔立ちと、治癒魔法の使い手であることから一躍学院内の有名人となった。
 誰に対しても礼儀正しく、品行方正なティアラに懸想けそうする男子生徒は多く、果ては学院の外からティアラを一目見ようとやって来る貴族男性もいた。
 周りの熱狂的な騒ぎに反して、ミリアベルは言い知れない不安を覚えていた。
 なぜなら、二学年に進級してからというもの、婚約者であるベスタと過ごす時間が目に見えて減ったからである。
 共にとっていた昼食も、登下校も、断られることが多くなっていた。


 そして、そんな生活が続いたある日。
 ミリアベルは自分の婚約者であるベスタ・アランドワと、奇跡の乙女であるティアラ・フローラモが肩を寄せ合い、人気の少ない方へ姿を消すのを見てしまった。

「ベスタ、様……?」

 嫌な予感がしたミリアベルは、ぎゅっと心臓の辺りを握り締め、震える足で二人の後をこっそりと追った。
 周りからは「まーたベスタかよ、まあお似合いだもんな」とか、「とうとう奇跡の乙女も誰かの物になっちまうのか」「奇跡の乙女には敵わないわね」等と話している声が聞こえる。
 好き勝手な事を言う周囲の態度は、まるで自分の姿など見えていないようだ。
 ミリアベルは瞳を潤ませてそっと視線を逸らす。
 違う。きっと、何か特別な話があるだけだ。
 あの二人はそういう仲ではない。
 ミリアベルは必死に自分に言い聞かせた。
 そうでないと気持ちが萎んでしまいそうで、耐えられなくなってしまいそうで……
 ぎゅう、と唇を噛み締めて二人の後ろ姿を見つめながらついていく。
 学院の渡り廊下を過ぎ、裏口から扉を開けて出て行った二人は、最終的に校舎裏で足を止めた。
 そして友人としては近過ぎる距離で話し始める。
 まるで恋人同士のような親密な雰囲気だ。
 今までは自分に向けられていたベスタの恋焦がれるようなその表情が、なぜか自分以外の女性に向けられている。ミリアベルは悲痛に表情を歪めた。
 ──止めて……! 私以外の女の子に笑いかけないで、その表情を私以外に見せないで!
 段々と視界が涙でぼやけてきた。
 さらに、風向きが変わったのだろうか。今まで聞こえなかった二人の声がミリアベルの耳に届いてしまう。
 耳を塞ぎたいけれど、まるで硬直したように体が動かない。

「ティアラ嬢……私が本当に愛しているのは貴女だけです」
「嬉しい、ベスタ様。たとえベスタ様に婚約者がいようと、私は貴方をお慕い申し上げております……」
「所詮は親の決めた婚約者……私が想っているのはティアラ嬢ただ一人……あの女のことなど気にしなくともいいのです」

 今まで聞いたことが無いほど甘いベスタの声。
 自分には愛している、と言ってくれたことは一度もない。
 それなのに、ティアラには簡単にその言葉を告げ、とろけるような笑みを向けている。
 ミリアベルは震える唇で小さくこぼした。

「……っ、もう、やめて」

 目の前で熱く見つめ合う二人は、うっとりとした表情で顔を寄せていく。

「嫌だ、ベスタ様」

 嫌だ、嫌だ、見たくない。
 そう思っているのに、ミリアベルの視線は距離を近づけていく二人に固定されたかのように動かせない。
 耐え切れずに涙をこぼした瞬間、二人の唇がゆっくりと重なり、ミリアベルはよろり、とふらつく。
 その際に足音を立ててしまい、ティアラと口付け合っていたベスタがちらりとミリアベルに視線を向けた。
 ぱちり、と目が合ってしまい、ミリアベルは咄嗟とっさにその場から走り去った。
 しかし、ベスタは冷たい視線を向けただけで、ティアラとの逢瀬を楽しみ続けた。


 ◇◆◇


「ミリアベル、早く学院を卒業して君と夫婦になりたいよ」
「ベスタ様……私も同じ気持ちです。卒業までの時間がとても長く感じられて……」
「ミリアベルはとても美しい。私以外の男に目移りしては駄目だよ?」
「私にはベスタ様しか見えていないですわ。ベスタ様こそ、私以外の方に心を奪われないでくださいませね?」
「もちろんだよ! 私にはミリアベルしかいない。君以外を慕うなんてありえないことだ。神に誓って、私にはミリアベルだけだよ」

 以前は、あんなに自分にはミリアベルだけだ、と言っていたくせに。
 神に誓って、という言葉は全て嘘だったのだろうか。
 二人で馬車に乗り、学院に登下校したのはいつが最後だっただろうか。
 二人で共に学院の庭園で昼食を食べたのはいつ?
 体を寄せ合い、時間を共に過ごしたのは?
 一年生の頃は当たり前のように側に居た。
 周りからも「素敵な婚約者ね」と言われて嬉しくて、ベスタに相応ふさわしい妻になれるように、勉強も、苦手なダンスも、魔法の授業も精一杯力を尽くしてきた。
 これも全て、夫になるベスタが恥をかかないようにと思ってのことだ。
 その努力も、育んできた愛情も、全てが崩れて跡形もなく消えた。
 逃げる時、確かにベスタと目が合ったのに。
 ミリアベルは後方を確認するが、ベスタは一向に現れない。
 これ以上ないくらい、心はズタズタに切り裂かれている。
 先ほど見聞きしたことが夢であればいいのに。
 目覚めたらきっと、ベスタは今までと変わらず伯爵邸に馬車で迎えに来てくれる。

「ふっ、ふふっ――あははっ」

 そんなことが起きるはずがない。
 二年生に進級して、もう数ヶ月が経っている。
 ベスタが迎えに来なくなってもう三ヶ月。昼食を共にとらなくなって五ヶ月。
 休日に街へ共に行かなくなって六ヶ月だ。
 今までミリアベルがベスタと過ごしていた時間全てが、ティアラに費やされている。
 笑いたくなくても、涙と共に笑い声が溢れてくる。ミリアベルはよろよろと渡り廊下で膝を折ると、その場で泣き崩れた。


 それから、どうやって帰宅したのか覚えていない。
 しばらく学院の渡り廊下でむせび泣いた後、気付けばミリアベルは帰宅していた。恐らく、あの後は授業に出ず、早退したのだろう。
 食欲がないからと夕食を断り、自室のベッドで毛布にくるまってぐすぐすと泣き続けていた。
 のどがカラカラに渇いていて呼吸をするのが辛いし、泣きすぎて頭がぼうっとする。
 ミリアベルはよたよたとベッドから降りると、メイドが用意してくれていた水差しからグラスに水を注いでのどを潤す。

「どうしよう、このままだとベスタ様に婚約を解消されてしまうかも……」

 ベスタとティアラはあんなに愛を伝えあっていたのだ。
 自分と婚約を解消して、新しくティアラと婚約を結び直すと言うかもしれない。
 そうしたら、今までフィオネスタ伯爵家が融資していたアランドワ侯爵家の事業はどうなるのだろうか。
 今回の婚約は、フィオネスタ伯爵家の財産に目をつけたアランドワ侯爵家が、伯爵家からの融資を目的として持ち掛けてきた話である。
 フィオネスタ伯爵家は、融資をする代わりに高位貴族であるアランドワ侯爵家に娘をとつがせて縁を結ぶことを目的としているのだ。
 また、ミリアベルの父親であるフィオネスタ伯爵は、侯爵家の後ろ盾を得て領地間の取引を円滑に、かつ優位に進めたいのだろう。
 そういった家同士の思惑がある婚約なのだ。そのため、どちらか一方の気持ちで簡単に婚約を解消する事はできない。

「それに……侯爵家はうちの家の融資で新規事業を始めている……ここで婚約を解消なんてしたら……侯爵家はうちが今まで融資した金額を返済する必要があるのではないかしら?」

 ミリアベルは、自分の顎に指を当てて考える。
 もしかしたら、自分はベスタと婚約を解消しなくても済むのではないか?
 これはきっと、一時の気の迷いであって、学院を卒業すれば目が覚めて、以前のように自分を想ってくれるかもしれない。
 一度、他の女性に愛情を向けられた悲しさはあるけれど、学院卒業後は自分だけを見て愛してくれるのであれば、いつか忘れられるかもしれない。

「――そうよ、ベスタ様は一時の気の迷いであんなことを……」

 自分が許す、許さないと決める問題ではないのだ。
 家のために、この婚約は継続しなくてはいけない。
 ミリアベルは、ベッド脇のチェストから、過去にベスタから贈られたリボンや宝石を取り出した。手のひらに乗せて、大事そうに見つめる。
 明日、ベスタに会って話をしてみよう。
 今までは時間を取ってほしいと伝えても、何かしら理由を付けて断られていた。
 しかし、こんなことになった以上は、ベスタが今後の自分たちの婚約についてどう考えているのかしっかりと話を聞き、早まったことを考えているのであれば説得しなければいけない。
 ミリアベルは泣きすぎてれてしまった目元を冷やすために、メイドを呼んで濡れタオルを用意してもらおうと自室の扉を開けた。


 ◇◆◇


 翌朝。
 昨日、目元を冷やしたお陰でれは引き、ミリアベルはいつも通り学院へ向かうために伯爵邸を出た。

「……やっぱり、今日もいらっしゃらないわよね」

 伯爵邸の門前にはアランドワ侯爵家の紋章が入った馬車はなく、ミリアベルを待っているのは伯爵家の馬車だ。
 いつもの光景となってしまったそれに苦笑すると、ミリアベルは御者の手を借りて馬車に乗り込む。
 ベスタが初めて迎えに来てくれなかった日、ミリアベルは彼の身に何かあったのではないかと心配しながら登校したのだが、ベスタはそこであっさりと見つかった。
 学院の一年生が過ごす棟の入口で、ティアラを取り囲む男子生徒たちに交じり、嬉しそうに表情を綻ばせていたのだ。
 ベスタを見つけた時、ミリアベルはその光景が信じられなくて膝から崩れ落ちそうになってしまった。
 その日から、学院までの行き帰りにベスタが姿を現す事はなく、それが現在まで続いている。

「お話、できるかしら……」

 ベスタと直接言葉を交わしたのは、いつが最後だろうか。
 ここ最近はほとんど顔を合わせる事はなく、授業が終わるとベスタはすぐさま席を立ち、一年棟へおもむいていた。
 避けられているというよりも、完全にミリアベルの存在そのものが目に入っていないようだ。
 そんなベスタの様子を思い浮かべたミリアベルは、制服の胸元をぎゅう、と握った。
 制服の胸ポケットには、以前ベスタから贈られた刺繍ししゅうが美しいリボンをお守りとして入れている。
 話しかける時は、このリボンを握りしめて勇気をもらおう。
 ミリアベルは気持ちを持ち直した。馬車の中から、段々近付く学院を見つめる。

「声をかけるならば学院に登校してすぐ、朝の内ね。早く捕まえないと、またティアラさんのところへ行ってしまうわ」

 学院に到着すると、ミリアベルは足早に校舎へ向かった。

「──?」

 しかし、なんだか様子がおかしい。
 ミリアベルは建物内へと向かう道すがら、周囲から懐疑的な視線を向けられている事に気が付いた。
 戸惑い、周囲に視線を巡らせると、門のところに生徒たちが集まって、何か噂話をしている。

「一体、何だっていうの――」

 なぜ突然このような視線を向けられているかわからず、ミリアベルはキョロキョロと辺りを見回した。すると、聞き覚えのある怒声が響いた。

「──ミリアベル! やっと来たか、昨日自分がやった事をしらばっくれるつもりだったのだろう! 恥を知れ!」
「え? 何が……」

 話し合いをしようと思っていた婚約者、ベスタ・アランドワが目を吊り上げ、怒りに顔を赤らめて近付いてくる。

「──っ」

 急に怒鳴られ、恐怖を感じたミリアベルは半歩後ろに引く。
 その場から立ち去るとでも思ったのだろうか、ベスタは「逃げる気か!」と声を上げてミリアベルの腕を掴んだ。
 ぎちり、とベスタの手が強くミリアベルの腕を締め付け、痛みが走る。


「──痛っ」
「か弱い振りをして同情を誘おうとするな! ミリアベル・フィオネスタ! お前が昨日の放課後、奇跡の乙女・ティアラ嬢が大切にしていたブレスレットを盗み、隠した事は全校生徒が知っている!」
「──え?」

 昨日の放課後、と言っただろうか。
 どうやら自分はティアラの持ち物を盗んだ犯人にされているようだが、昨日はベスタとティアラの逢瀬を目撃した後、学院を早退している。
 そのため、ミリアベルにはそんな事はできない。御者が証人となってくれるだろう。

「そ、それならば! 私は昨日、登校して直ぐに早退いたしましたので人違いです!」
「黙れ! そのような嘘をつくなど、貴族として恥ずかしい事だと思わないのか!? なぜティアラのブレスレットを盗み、隠したんだ! 皆で捜索したお陰で無事見つけられたが、紛失している間どれだけティアラが悲しみ、傷付いていたかお前に理解できるのかっ!?」

 ぎちり、とさらに強く腕を締め付けられてミリアベルは顔をしかめる。
 早く、腕を解放してほしい。
 いわれのない罪で糾弾きゅうだんされるのは真っ平ごめんだ。
 ミリアベルは反論しようとしたが、ベスタがあざけるような表情を浮かべた瞬間、「ああ、そうか」と彼の思惑に思い至る。
 昨日、ミリアベルはベスタとティアラの逢瀬を目撃してしまった。
 ミリアベルに「見られた」事を知ったベスタは、フィオネスタ伯爵家が行動を起こす前に自分優位に事を進めるつもりかもしれない。
 このままだと、自分はしてもいない盗難の責を負わねばならない。
 そんな事は許さない、とベスタをキッと睨みつける。

「ああ、もしかして。昨日私とティアラ嬢が仲睦なかむつまじく過ごしていたから嫉妬したのか……?」

 だが、ミリアベルが言葉を紡ぐより早く、ベスタはさげすむような言葉を吐いた。

「──違います!」

 ミリアベルが咄嗟とっさに声を荒らげると、周囲の視線が益々集まった。
 注目を集めている事にたじろいだミリアベルは、場所を移した方がいいのでは、と考えた。

「この場では、注目を集めてしまいます……場所を移した方が……」
「私はこのまま、ここで話しても何ら不都合はないが? お前の悪事が全生徒に広まるのが嫌か? 私をこの場所から移動させて、ティアラ嬢に働いた悪事を隠蔽いんぺいするつもりだな!」

 集まっていた生徒たちのざわめきが大きくなる。
 皆、口々にミリアベルを軽蔑するような、責めるような言葉を口にしている。
 ミリアベルは自分がベスタの策略にはまった事に今更ながら気付いた。
 初めから、私の仕業だと言いふらしていたんだわ。
 これは、誰だ。
 婚約者であるベスタを唖然とした表情でミリアベルは見つめる。
 婚約者に対して有りもしない罪をでっち上げ、衆人環視の中で責めたてる。
 目の前にいる男は、自分に優しい視線を向けていた男と同一人物なのだろうか。
 あれ程優しく笑いかけてくれた人と同一人物なのだろうか。
 顔色を悪くし、わなわなと震えるミリアベルを見て、ベスタはにたりと嫌な笑みを浮かべると、高らかに宣言した。

「私、ベスタ・アランドワは卑劣な犯罪に手を染めたミリアベル・フィオネスタ伯爵令嬢との婚約を破棄し、清らかな心を持つティアラ・フローラモ子爵令嬢と新たに婚約を結び直す!」

 ベスタが声高に告げると、周囲からどっと耳をつんざくような歓声が上がった。
 得意げに笑うベスタの表情を見て、ミリアベルはに落ちた。
 ああ、これが目当てだったのだ、と。
 ティアラと婚約を結びたい。だが、今現在ベスタはミリアベルと婚約している。
 好きな女性と婚約をし直したいという理由では、婚約を解消又は破棄した際の責任はベスタにある。
 それでは、アランドワ侯爵家はフィオネスタ伯爵家に対して賠償責任が発生する。
 だが、ミリアベル自身に問題があれば。
 婚約を破棄するに値する程の有責事由があれば。
 ……ないならでっち上げてしまえば、とベスタは考えたのだろう。
 家格が上位である侯爵家からの婚約破棄。
 それは、到底伯爵家が抗えるものではない。
 しかも、犯罪に手を染めたがための、こちら側有責の婚約破棄である。
 ベスタはまんまと慰謝料も手にし、愛しい女性も手に入れるという訳だ。
 未だに歓声が上がる中、ベスタは腰を折ってミリアベルに少しだけ近付いた。周囲に聞こえないように告げる。

「ミリアベル、お前側に有責事由がある婚約破棄だ。しっかりと慰謝料をもらうから逃げるなよ。それと、無駄な足掻あがきは止めるよう父親に言っておけ。所詮は伯爵家と侯爵家。我が家が白と言えば、お前たちは黒いものも白だと言うしかないんだよ」
「──何て、事を……」
「言いたい事はそれだけか?」

 ベスタはミリアベルに言い放つと、掴んでいた腕を横に払うようにして乱暴に放した。
 強く振られたせいでミリアベルはバランスを崩し、地面に倒れ込んでしまった。
 ベスタはそれをさげすむように頭上から見下ろすと、くるりときびすを返して玄関口の方へ歩いて行く。
 見物していた生徒たちも、わらわらと学院内へと入って行った。
 ミリアベルは、ぼうっとベスタの後ろ姿を見つめながら自分の膝に視線を落とした。
 転んだ拍子にスカートがまくれ、膝辺りまで肌が見えてしまっている。
 倒れた時にりむいたのだろう。真っ赤な血がにじみ、つう、と地面に落ちて行く。

「……いたい」

 痛いのはりむいた膝か、心か。
 ミリアベルがぽつりと呟いた言葉は誰に届く事もなく、虚しく空気に霧散した。

「お父様に、ご報告しなければ……」

 痛む膝を庇いながら、ミリアベルは何とか立ち上がる。
 生徒たちが去って行った校舎を見上げるが、誰一人ミリアベルの味方をする人物はいない。
 みな、ベスタが「そうなるよう」仕組んだのだろう。

「何て……愚かな事を……っ」

 ミリアベルは自分一人ではどうする事もできない不甲斐なさ、好いた婚約者から冷たい視線を向けられた悲しさ、苦しさ。そして何も言い返せなかった悔しさに唇を噛み締めると、学院に背を向けて馬車に戻るために足を踏み出した。


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