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一章
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しおりを挟む扉から姿を見せたリズリットの姿に、ハウィンツは一瞬だけ呆気にとられたような表情を浮かべたが、直ぐにその表情は険しく変化した。
「──リズリット、その姿は何だい? 何故、リズリットの瞳に泣いた跡があって、何故リズリットの髪の毛が果実水に濡れている?」
「それ、は……っ」
ハウィンツの低く、冷たい声音に思わずリズリットが言葉を詰まらせると、ハウィンツがハッとしたように瞳を見開き、リズリットを優しく抱き締める。
「ごめん、リズリットに怒っている訳じゃないよ。リズリットを悲しませる奴に怒っているんだ。リズリットを、俺の可愛いリズを悲しませたのは誰だい?」
口元は笑みの形を作っているのに、瞳は全く笑っていない兄、ハウィンツの姿を見てリズリットはひゅっと息を吸い込むと、自分の首を小さくふるふると横に振った。
「も、申し訳ございませんハウィンツお兄様……私も、どなたにぶつかられてしまったのか覚えていなくって……えっと、床に、躓いてしまった、と謝罪を頂きました……」
「床に躓いた……? 床に躓く場所なんてあるかな?」
ハウィンツは、リズリットを優しく抱きしめながら背後に居る誰かに話しかけたようで、声音がリズリットから離れる。
まさか、この場に兄以外にも誰かが居るのだろうか、とリズリットはハウィンツの腕の中で身動ぎするが「リズは泣いた跡が残る顔を見られたくないでしょ?」とハウィンツに優しく声を掛けられて確かに見られたくはない、と思い直しこくり、と頷いた。
「──いや。この夜会会場で躓くような床は無いとは思うが」
誰か、ハウィンツの背後に居る男性がハウィンツの言葉にはっきりとそう答えると、リズリットを抱きしめていたハウィンツは「だよな」と呟いた。
「まあ……リズが会場に戻れば割り出せるんだけど……今日は辞めておこうか。多分ローズマリーももう馬車の所で待っているからもう邸に帰るかい?」
「はい、ハウィンツお兄様」
うんうん、とリズリットの言葉に頷いたハウィンツはリズリットを自分の腕の中から解放すると手を引いて廊下を戻る為に歩き出す。
そこで、未だにこの場を離れずぼうっと立ち尽くす自分の友人──ディオンの姿を視界に入れて、ハウィンツは訝しげにディオンに視線を向ける。
「……? リズリットの入った部屋を教えてくれてありがとうな。俺達はそろそろ帰宅するよ。ディオンは仕事に戻ってくれ、ありがとうな?」
「え、あ、ああ。役に立てて良かった……」
ハウィンツの言葉に、ディオンはハッと体を跳ねさせるとハウィンツの顔へ視線を向ける。
だが、ちらちら、とハウィンツの顔を通り過ぎてリズリットの方へディオンの視線が向かっている事にハウィンツは首を傾げる。
何か嫌な予感を感じて、ハウィンツは急いで会話を切り上げ、ディオンの側から離れようとしたが、ハウィンツが足を踏み出すより早く、リズリットが唇を開いてしまった。
「あ、えっと……。ディオン、卿……? ありがとうございました」
礼儀正しく、はにかみながらぺこりと頭を下げたリズリットを見た瞬間、ディオンの瞳が見開かれたのをハウィンツは見逃さなかった。
──何だか、とてつもなく嫌な予感がする
ハウィンツは瞬時に悟ると、リズリットの手を引き、友人に対する態度としては些か失礼ではあるが、一刻も早くこの場から「逃げ出したい」と感じてしまって、ディオンへの挨拶もそこそこにリズリットの手を引き、足早にディオンの横をすり抜ける。
ディオンの横をすり抜ける瞬間、見なければ良かったのだが、ハウィンツはちらり、とディオンに視線を向けてしまった。そして、後悔した。
「ああ、気にしないでくれ。リズリット嬢が早く笑顔になるよう祈っておくよ」
女性に向かって、微笑んだ事など無かった男が、蕩けるような笑顔をリズリットに向けている姿を見て、ハウィンツは先程の怒りなどすっかり頭の隅に追いやり、そそくさとその場から逃げ出すように立ち去った。
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