彼を抱く星に

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第1章 探しているもの

2話

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 ヒラエスはかけられていた毛布を跳ね上げると寝具から転がるように出て、グリントの足元に跪いて頭を垂れた。
「恐れ多くも貴族と知らず無礼を働きました。数々の非礼をお詫びし温情感謝致します。どうかお許し下さい。」
 ヒラエスのような傭兵の多くは、条件付きで解放された戦闘奴隷や金銭的に困窮している貧民、孤児の多くがなる。だからこそ使い捨ての人員で、ヒラエスの場合は後者だった。そういう者たちにとって貴族とは王族に次ぐ雲上人であり、無礼を働けば問答無用で物理的にクビが飛ぶ、まさしく恐怖に対象だった。
 出来るだけ関わるな、目を合わせるな。無礼を働けば這い蹲って詫びろ。口答えはするな。頭の中に人生の先輩たちの助言が駆け巡らせながら頭下げ続ける。
「申し訳ございませんでした。」
「ふむ...予想していた反応とは違うが、あんたがそうする理由は分かる。俺の身分を恐れてのことだろうが、その心配はあてにならない。何故なら俺はルンデバリ家の庶子で、お前を罰する権限どころか地位なんて無いようなものだからな。」
「庶子...」
「そうだ、ルンデバリに仕えていた侍女を父上はベッドに引き込んだようでね。できたのが私だ。妾でさえなく、母が誰かは知らない。産んだ後は雲隠れしたようだ。」
 グリントの明け透けな言いように絶句しながらヒラエは跪いたまま顔を上げた。彼は自分の境遇をなんとも思っていないようだった。
「あんたは存外、感情が顔に出やすいのだな。もう少し無関心な人かと思ったのだが。」
 そう言うとグリントはいつかのときのようにヒラエスの前で屈み、彼の体を立ち上がらせ寝具横たわらせた。
「病み上がりなのだから、あまり無理をしてくれるな。看病の手間をまたかけさせるつもりか?あんたが気にするならこう言おう、無礼は許す。だから畏るなよ、これはお前の命の恩人としてのお願いだ。」
 ヒラエスはこれに難しい顔をしたが、そうまで言われては仕方がないと渋々うなづいた。
「わかりました、いや、わかった。」
「よろしい」
 なるほど言われてみれば、接触したことのある貴族たちとは一線引いたものがあった。貴族といえば大概が高飛車で、優雅さに重きを置いていることが多い。グリントの入り混じった話し口調も変わっていたが、立ち振る舞いにしても同じことが言えた。どこか荒々しく感じる活力は相変わらず彼の内側から溢れているが、腰掛ける仕草はゆっくりと静かに動いた。にもかかわらず、座った姿はこの場に違和感なく豪快に足を開いている。足運びも、納屋へ入って来たときは衣摺れの音を立てない静かな動きができるのに、平素歩くときはいささか荒々かだった。
 グリントはそんなヒラエスを見て、こう言葉を切り出した。
「次は俺からの質問だ。俺は今後家督を継いだ兄の補佐をするために知識や見聞を広めようと旅をしていた、しかしお前の話を聞くに戦争が激化しているようだな。奴さんはいち早くこの戦争を切り上げたいらしい。俺は見聞きしたことを父上や兄上に報告するために一度故郷まで帰る。お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「どうするも...私には行く場所はない。このまま他国に流れてまた傭兵業を再開しようかと考えている。無一文な上に戦から逃げたことで収入はないからな。」
  そこまで聞くと、グリントは立ち上がり整った顔を輝かせながらヒラエスに詰め寄った。
「ならば!俺と供にルンデバリまで来ないか、丁度自分の私兵が欲しかったのだ」
 ヒラエス肩を掴み真剣な顔でグリントは語る。だが、庶子とは言えグリントは貴族だ。本家の者からは到底受け入れられないだろうとヒラエスは考える。間違いなくヒラエスを面倒ごととして己を扱うという確信が彼にはあった。
 ヒラエスは突然のことに困惑しながら訪ねた。
「しかしながら私は敗残兵にすぎない。なぜ私なんだ、私を君の私兵にしてなんの利益がある?」
「あんたは俺の父上や兄上を気にしているのだろうが、それは杞憂に終わるだろう。父上は私に好きにしろと言っておられたし、兄上に至ってはさっさと誰かしらを拾ってこいとせっついていた。むしろ激戦区での戦闘で負傷せず竜騎兵の襲撃からも生き延び、その体で三日三晩も走り続けたなど常人で出来ることではない。あんたは自分のことを過小評価しているが、十分良い拾い物だ。命を助ける恩を売っていて正解だと感じるだけの価値はあった。」
 グリントの言葉は本心のようだった。ヒラエスにとって納得できるようにどこに見込みを感じたかを語るとフッと肩の力を抜いた。
「まあ、突然にこんなことを言われても迷惑だろう。出発するまであと2日休むこととしよう。もしついてくると決めたなら、まずは一番近い町であんたの馬を調達しよう。ここからだと...そうだなヘデウィンがいいだろう。とにかく2日、じっくり考えて答えを出してくれ。」
 そう言うとヒラエスの食べ終わった器と自分の器を受け取り、炊事場の横にある水をためた桶に突っ込んで洗い始めた。ヒラエスはぼんやりとそれを見ながら、突然降って湧いた出来事に頭を悩ませながら寝具に潜り込んだ。

 ヒラエスは物を考えるのはあまり得意ではないと自分では思っているが、実際は人並みかそれ以上だ。彼のその自己評価の低さや後ろ向きな考え方、何事にも尻込みしてしまう性格は、物事をより複雑に捉えることが多いがその慎重さが彼の命を今日まで永らえさせている。自分には才能がないと理解しているからこそある程度の努力は惜しまないし、知識を蓄える事を怠ったりしない。だからこそ彼が下す判断は正しいことが多かった。
 このまま断って逃げた方がいいのだろう。命を助けられた罪悪感からは目を背け逃げることさえできれば、彼は惜しみつつもおそらく追ってくることはない。グリントはそこまで暇ではないだろうから、見逃してくれるとは思う。ところがそうしようという決断できなかった。
 なぜなら、自分に一片の価値も見出せないヒラエスには、逃亡の罪を許され命を助けられた事実より手間をかけさせた事に対する対価が必要だと思っていたのだ。
(あの看病の対価は、彼の願いを聞く事と釣り合っているだろうか。)
 ヒラエスは生まれて初めて人から世話をされるということに戸惑っていた。何から何まで至れり尽くせりで居心地の悪さよりも恐怖を抱いた。なぜそう感じたのかは全くわからなかったが自分の過去がそうさせたのかもしれないと推測した。
(彼についていこう。)
 グリントは感情だけで動くわけでも、頭が悪いわけでもない。人助けが趣味だというのが嘘だと言いたいわけではないが、その行為は無償で捧げられた善意ではなく利益も考えて動いていることがわかる。実にわかりやすい価値観で信用には値すると少ない会話からも伺えた。
 失敗は多いが後悔したこともない人生だ。たとえこの選んだ答えが自分にとって困難であっても、それでいいかもしれないと思ったのだろう。
 窓の外から見える広々とした空は余さず搗返の色に染まり、冴えた月明かりが雲間からのぞいていた。
 グリントは暖炉の前にシーツを敷いて寝転がり、静かな寝息を立てている。彼を見ながら、ヒラエスはこの選択を後悔せずに成し遂げようと心の中で自分に言い立て、明日のために体を休めた。


 小屋の扉を開けて出ると、藍白く白んだ空がヒラエスを出迎えた。持ち前の頑丈な体は、2日寝ただけで完治とは行かずとも走れるほどには回復した。傷は完全にふさがってはいないが、これくらいなら戦闘にも支障はない。
 ヒラエスはぐっと伸びをすると牧地を見渡した。ひらけた視界の中に生き物はまだ見当たらなかった。早朝なので無理もなく、いつもは窓枠で少女達の会話の様に騒ぐ小鳥もまだ巣で眠っているのだろう。冷たい空気に一つ深呼吸すると小屋の裏手回った。
 小屋の右手には自分が忍びこんだ納屋があったが、裏手にはヤギ小屋と鳥小屋の他に馬屋があった。
 馬屋に近づき中を覗き込むと一頭の馬とグリントがいた。馬は赤毛で体格がよく、鬣は星の流れの様に美しい銀色をしている。グリントは手際よく馬装を装着させながらこちらを振り向いた。
「ヒラエスか。おはよう、今日はとても良い朝だ。」
「おはよう。雨も降らなそうだし、昼あたりには快晴だろうな。こちらから声をかければよかったな。立派な馬だ、名はなんと?」
 グリントは愛おしそうに馬の鼻筋を撫でた。
「鬣が美しい銀色をしているだろう?銀色アールガッタと名付けた。女の子だ。」
「アールガッタか、良い名だ。」
 アールガッタは褒められていることを理解してか嬉しそうにグリントに鼻面を押し付けた。そしてそのままグリントは馬装の装着を終えると振り返った。
「話をしに来たんだろうヒラエス、聞こうじゃないか。」
 ヒラエスはグリントの目を真っ直ぐに見据えながら言い切った。
「私もついて行かせてくれ。」
 涼しげな蒼の目を細めてグリントは嬉しそうに笑った。
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