強請り屋 悪魔の羽根顛末

柚緒駆

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重なる顔

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 俺はカルビとタン塩だけ食べた。ジローはもちろんカレーライスだ。それ以外のロースとハラミと豚トロのそれぞれ三人前とホルモンセットは、すべて笹桑の胃袋に消えた。とんだ散財だったが、まあいい。前には進んでいる。

 事務所に戻った俺は、またホワイトボードに向かった。海崎志保の名前を二本線で消す。篠生幸夫の名前を丸で囲む。ターゲットはこいつだ。そして余白に芦則佐太郎の名前を書き加える。これで関係者は全員か。

 ソファの前のテーブルには、買って来たスポーツ新聞や日刊紙が山積みになっている。すべて一面のニュースは『闇のシンデレラ』の自殺だ。

 そう、自殺。殺人とは何処にも書いていない。それが警察の公式見解なのかは不明だが、現時点で表に出て来ている話としては、自殺ということになっているのだろう。ならばそのまま行ってくれた方が、俺にとっては有り難い。

「警察にバラされたくなければ金を出せ」

 この魔法の言葉が使えるかどうかで、相手から引き出せる金額は変わってくるからだ。

 海崎志保関連の記事を次々に読んで行く。一つくらい特ダネがあるかと思ったが、どれも代わり映えはしなかった。

 曰く、海崎志保は県営住宅団地の階段、四階と五階の間の踊り場から飛び降りて自殺した。曰く、死亡推定時刻は昨日午後八時頃。曰く、海崎志保は睡眠導入剤を大量に服用していた。曰く、左腕の内側に616の文字が針のような物で書かれていた。曰く、616は自殺サイト『悪魔の羽根』に関連した数字である。そんなところだ。

 海蜃学園のSNS乗っ取り事件や、ボヤ騒ぎを取り上げた新聞はない。いい傾向だ。俺はいま、少なくともマスコミよりは先を行っている。警察の動きがわからないのは厄介だが、まだ金をつかみ取れる位置にいるはずだ。急がねばならない。さて、次の一手をどう打つべきか。

 引っかかってるのは、海崎志保が悪魔の羽根を高校で広めようとしたことだ。何故だ。何故SNSを乗っ取ってまで、そんなことをした。いったい海崎志保に何のメリットがある。……違うか。海崎志保の行為の結果が、海崎志保にメリットを与えるとは限らない。じゃあ誰だ。誰のためにそんなことをした。そう考えれば出て来るのは一人しかいない。篠生幸夫だ。

 尻のポケットからメモ帳を引っ張り出して開く。篠生幸夫は自殺サイト撲滅キャンペーンを主催している。ならばその『敵』である悪魔の羽根が流行っていればいるほど、有名であればあるほど、金も人も集まる。旨味がデカいんじゃないか。

 だがそれは違う。順番が違うのだ。篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを立ち上げたのは、娘が自殺してからだ。つまり海崎志保が学校のSNSを乗っ取ってURLをバラ撒いた方が先に来る。これでまた疑問は振り出しに戻る。いったい海崎志保は、何故こんなことをした。堂々巡りだ。

「たっだいまーっす」

 その声と同時に事務所のドアが開き、買い物袋を手にした笹桑ゆかりが入って来た。そりゃまあ、鍵をかけ忘れていた俺にも非はあるのだろうが。

「何で『ただいま』なんだよ」
「いやあ、もう自分の家みたいなもんすから」そして背後を振り返ると、小さく手招いた。「ほらほら、早く入ってくださいよ、先輩」

 そこには、複雑な表情をしたフォックスが立っていた。

「何か事務所の前にいたんで、連れて来たっす」

 猫でも拾って来たかのようなその言い草に、しばらく開いた口が塞がらない。

「……どういうこったよ」
「謹慎を食らった」

 ブスッとした顔でフォックスはつぶやく。

「つまり、ごまかせなかったってことか」
「いや、ごまかさなかった」

「あ?」

「心配するな。おまえのことは、誰にも一言も話していない。話せる訳がないからな。ただ拳銃と警察手帳を奪われたことは、上司に正直に言った。海崎志保の留守番電話も聞かせた。上司には『この件は公表しないが、減給処分は覚悟しろ』と言われた。正式な処分が出るまで謹慎だそうだ」

「えーっ、それじゃ自分の人脈はどうなるっすか」

 不満の声を上げる笹桑に、フォックスは小さく頭を下げる。

「すまん」
「それは別に謝ることじゃねえだろ」

 とは言ったものの、だ。

「謹慎中に、こんなところに来て大丈夫なのかよ。面倒はご免だぞ」

 これはまさに俺の本心である。せっかく警察を出し抜いて、金をつかめるチャンスなのだ。目をつけられるような真似は迷惑でしかない。

「謹慎中でも買い物くらいには出る。だから問題はない」

 そんな怪しげなことを口にしたかと思うと、フォックスは突然頭を下げた。

「頼む!」

 痛たた。俺の頭がかすかに痛んだ。嫌な予感がする。ガキとオカルトは大嫌いなのに。

「何を頼む気だよ」
「今回の事件が解決するまで、私をここに置いてくれ」

「勘弁しろよ、おい」

 思わず泣き言が出た。こいつは何で人の迷惑を考えないかね。

「迷惑はかけない。おまえのやり方にも口を出さない。ただ真相の解明が見たいんだ」
「それが迷惑なんだよ。だいたい俺は真相の解明なんぞに興味はないって言っただろ」

「だがここは一番真相に近いんだ。いまの県警捜査一課よりも。だから頼む!」

 フォックスは頭をもう一段下げる。もはや、ただの前屈だ。

「五味さん、自分からも頼むっす」

 笹桑も真面目な顔で頭を下げた。

「言っとくが、おまえの頭に価値はゼロだからな」
「えーっ」

 ふくれっ面を上げた笹桑に、俺は新聞を放り投げた。

「おとなしく新聞でも読んでろ」

 フォックスも顔を上げた。

「じゃ、ここにいてもいいのか」
「良かあねえよ。けど、どうせ出て行く気はないんだろ。だったら、つまみ出す時間がもったいないだろうが」

 これもまた本心だ。いまは、こいつらと遊んでいる時間はない。考えなきゃならんことがあるのだ。

「……だったら、一ついいか」

 そうフォックスが、おずおずと口に出した。

「何だよ」
「昨夜から私なりに考えたんだが」

 フォックスはホワイトボードの海崎志保の名前を指さす。

「海崎志保は、どうして海蜃学園高校で悪魔の羽根のURLをバラ撒いたのか。それは篠生幸夫のためだったんじゃないのか」
「それはわかってんだよ」

 俺はため息をついた。しかしフォックスは続けた。

「だがそれがどうして篠生幸夫のためになるのか。それは篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを主催しているからだ」
「だからそれは順番が」

「待ってくれ。順番は私も考えた。でも、そこでこう思ったんだ。もしいまのまま、海崎志保が悪魔の羽根に関わって死んだという話が事実として語られた場合、一番疑われないのは誰だろう、と」

 その瞬間、俺の頭の中に光が弾けた。電流が走る。フォックスの言葉に力強さが加わった。

「それは、自殺サイト撲滅キャンペーンを主催している篠生幸夫ではないのか」
「あれ、でもやっぱり順番がおかしくないっすか。篠生幸夫が自殺サイト撲滅キャンペーンを立ち上げたのは、娘が自殺した後で」

 笹桑が異論を唱える。だが俺は首を振った。

「いいや。その順番にはもう意味がない」
「意味がない? って、どういうことっすか」

 俺はタバコを咥えた。ライターで火を点け、気を落ち着けるように大きく吸い込んだ。

「考え方を間違えてたんだよ。順番にこだわるなら、俺たちはまず最初にこう考えるべきだった。悪魔の羽根は何のために作られたんだろう、ってな」

 笹桑がキョトンとした顔で俺を見る。

「何のために?」
「そう、何のためにだ」

「名簿業者がメアド収拾のために」
「違うな」

「イカレた殺人鬼が大量殺人のために」
「それも違うな」

 笹桑の目がだんだん丸くなる。徐々に口が開いて行く。

「……え、まさか。海崎志保を殺すために、篠生幸夫が悪魔の羽根を作ったってことっすか」
「より正確に言うなら、海崎志保を殺しても自分が疑われないために、篠生幸夫は悪魔の羽根を用意した」

 フォックスが補足した。俺はうなずく。

「そうだ。多分それで間違いない。だが、問題が二点ある」

 ホワイトボードを見つめる。フォックスも笹桑も俺の視線を追った。

「第一に、海崎志保ほどの女が、何故それに気付かなかったのか」
「恋は盲目って言うけどね」

 しかしそう言いながらフォックスも、いまひとつ納得は行かない顔だった。

「第二に、篠生幸夫は、どうやって海崎志保を殺したのか」

 フォックスはうなずき、ホワイトボードの海崎志保と篠生幸夫の名前の間に指を置いた。

「海崎志保が団地から飛び降りた瞬間、篠生幸夫は家にいたはず。何らかの方法で私たちを追い越しでもしない限りは」
「超能力とか忍法っすか」

 真顔で言う笹桑にフォックスが突っ込む。

「真面目に考えな」
「真剣に言ってるんすけど」

「余計悪いわ」
「あ! それじゃ催眠暗示とかどうすか。医者なら催眠術使えてもおかしくないっすよね」

「おかしいに決まってるだろ」

 俺も思わず突っ込んでしまった。

「だったら何なんすか。時刻表トリックっすか」
「どこに時刻表があったよ。電車も飛行機も関係ないだろ」

「だからやっぱり、共犯者がいたと考えるのが自然なんだよ」

 おそらくフォックスのその言葉が正解なのだろう。とは言え。

「共犯者って誰だ」

 俺の目は、再びホワイトボード上の名前たちを見つめる。誰かがもし共犯だったら。その可能性を考え出すとキリがない。そもそも共犯者の名前が、このホワイトボードに書いてあるとは限らない。それが会ったこともない何処かの誰かだった場合、事実上手の打ちようがないのだ。

 フォックスは肥田久子の名前を指さした。

「動機から言えばこいつだな。篠生幸夫とも知り合いなんだろ」

 そう、動機はある。だが。

「あの県営住宅の現場に肥田久子がいた場合、海崎志保は、やすやすと殺されたと思うか」
「思わない」

 俺の問いに、フォックスは即答した。

「だよな」
「あ、同一人物とか、ないすか」

 不意に思いついたように言い出した笹桑に、フォックスがたずねる。

「同一人物? 誰と誰が」
「たとえば肥田久子と海崎美保」

「海崎美保は、二十年以上前に死んでるだろ」

 俺の呆れ声にも笹桑はめげない。

「だから実は死んでなくて、肥田久子って名前になってた! とかないすか。本木崎才蔵みたいなもんすよ。実の母親なら海崎志保も油断するっしょ」
「年齢が違い過ぎるよ」

 フォックスも、こめかみを押さえている。笹桑は口を尖らせた。

「意表を突いた、いいアイデアだと思ったんすけどねえ」
「意表を突いただけじゃねえか」

 俺はため息をつきながら、タバコの吸い殻を灰皿でもみ消した。だが。その手が止まった。

 おい。もしかして、また同じ失敗を繰り返そうとしていないか。海崎志保のマンションで、四人目を見逃したあのときと。潰せる可能性は、潰しておくべきなんじゃないか。

 ジローを見た。いつものように、いつもの場所で、目の焦点を遠くに結んで膝を抱えている。

「ジロー」その正面に座った。「あのホワイトボードの名前の中に、同一人物はいるか」

 しかし、ジローは反応しない。やはりいないのか。いや、待て。俺は言い直した。

「ジロー、あのホワイトボードの名前の中に、同じ顔をしたヤツはいるか」

 沈黙。いなかったか。我ながら間抜けな質問だったな、と新しいタバコを咥えたとき。ジローがおもむろに立ち上がった。ホワイトボードに近づくと、ある名前を指さす。そして呆気に取られる俺を振り返ると、のぞき込むような姿勢になってこう言った。

「保険証をお願いします」

 あっ! 俺は声を上げた。タバコが宙に舞う。そうか、そういうことだったのか。
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