案山子の帝王

柚緒駆

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24 破獄の宴

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 グライノは悔やんでいた。この三年間、悔やみ続けていた。

 デルファイの東方を占める獣人の街ウルフェン。その一号監獄。粗暴犯や凶悪犯が収監されるこの監獄の中でも、最も過酷な環境にある独居房。冷暖房などあるはずもなく、ここに入れられた者は、夏の灼熱と冬の極寒に音を上げて規則への隷属を誓うか、さもなくば死あるのみ。ただ一人の例外を除いて。

 グライノは三年前に収監されたときから、ずっと独居房に居る。長い顔の鼻先にある大きな一本角も、鎧をまとったような山の如き灰色の巨躯も、この中では役に立たない。それどころか、狭いこの中では邪魔だった。苦しかった。辛かった。だがそれでも、グライノは音を上げなかった。すべては後悔ゆえに。

 何故あのときアイツを殺せなかったのか。悔やみ、恨み、憎む、その思いだけがグライノをこの世に縛り付けている。この思いを晴らしたい、それだけが生きる希望であり、糧であった。

 グライノは革命家だ。かつては魔人ガルアムの打倒を目指していた。それに相応しい実力を持っていると自負していたし、少なくとも、ガルアムの息子のギアンたち四天王などより、よほど獣人のリーダーとして適任であると信じていた。だが、もう今となってはどうでもいい。

 アイツを殺したい。アイツさえ殺せれば、もうそれだけで。

 小さな窓から差し込む日差しが背中を焼いている。ろくに身動きも取れないこの場所では、ささやかな地獄だ。夕方になるまで我慢しなくてはならない。意識が朦朧とする。その混濁したグライノの頭の中に、小さな光が当たったような気がした。

「これは天啓です」

 少女の声が聞こえる。だがどうせ幻聴に違いない。

「あなたの望みを叶えてあげましょう」

 やっぱりな。グライノは笑った。そんな都合の良い話などあるはずがないのだ。


 昆虫人の街、ダランガンの領域から少し外れた丘の上。大きな樹の根元に、拳ほどの大きさの石がある。それを静かにズマは見つめていた。

「感心感心」

 その声にズマが振り返ると、手かごにいっぱい花を詰め込んで、修道服姿のクリアが丘を上って来る。

「ナオの命日、覚えてたんだね」
「いや、たまたまだ。何となく」

 ズマは面倒臭そうな顔でそう言った。クリアは笑う。

「たまたまかあ。それでもいいよ。ナオ、喜んでるよ」
「喜ばねえよ」

 ズマは言い切った。

「死んだヤツは、もう喜んだりしねえ」
「そんな事ない」

 クリアは石の周囲に花を飾って行く。

「ズマがナオに喜んで欲しいって思う限り、ナオは喜ぶよ。ずっとね」

 晴れ上がった空。緩やかな風。花の香りが鼻をくすぐる。あの日はどんな空だったっけ。それを思い出せない事が、ズマには悲しかった。


 酒は良い物だ。プルートスはワイングラスを星に掲げた。心なき酒は星に照らせば光を映し、闇に注げば漆黒となる。躊躇も呵責もない。ただすべてを飲み込み、流れ去る。

 プルートスは酒を愛していた。しかしこだわりはまるでなかった。種類にも、ブランドにも、年代にもアルコール度数にも興味はない。飲んで気持ち良く酔えさえすれば、それが彼にとっての優れた酒だった。

 今日の酒はブドウの香りが強い。甘い。だが気分は悪くない。良い酒だ。

 グレート・オリンポスの居住区域。部屋の窓を開け放ち、ベランダから下界を見下ろす。瞬く光、蠢く光。その下にはおそらく命が脈動しているはずだ。だが知識として理解はしていても、感じ取れはしない。住む世界が違うのだから。

 手すりにもたれ、グラスを口に寄せる。その耳に鳥の羽音が聞こえた。ほぼ時間通り。律儀な事だ。

 プルートスは隣の手すりに目をやった。鳥が止まっている。大きな鳥だ。頭から尾羽の先まで、全長五十センチはあるだろう。部屋の明かりに照らされるその翼には斑模様が美しく、足の立派なかぎ爪は肉食の食性を表わし、そして顔は、黄金の髪の可憐な少女。

 俗にサイレンと呼ばれるこのグロテスクな存在は、神魔大戦に投入された生体兵器の末裔であった。サイレンは足に取り付けられた小さなリングをプルートスに差し出す。それは小型の情報端末。指先で触れ起動させると、プルートスの目の前にモニター画面が浮かんだ。

 リストに並ぶのは、すべてオリンポス兵器開発局の製造している兵器類の型番。そして販売価格、入金の有無など。

「ああ、面倒くさ」サイレンは溜息をついた。「こんなチェックは、ネットワークでやれば済むことなんじゃないの」

 モニターを見つめながらプルートスは微笑む。

「いまどきネットワーク上の情報は、追跡されるのが前提だからな。こういう悪い事はアナログな手法が安全なんだよ」

「悪い事って意識はあるんだ」
「そりゃあるさ。オレはこう見えて常識人なんだぜ」

 リストの最後にあるチェックボタンを押し、プルートスはモニターを閉じた。

「今月分は確認した。毎度あり」

 そして酒を一口飲むと、サイレンにこう言った。

「それじゃ、ビッグボスによろしくな」


 砂、砂、砂。どこまで歩いても熱い砂の海。照りつける太陽の下、ズマは干からびかけていた。行く当てはない。戻る場所もない。前に進む価値はなく、立ち止まる意味もない。ズマにはもう生きている理由がなかった。やがて足に力が入らなくなり、砂の上に倒れ伏す。ああ、これで全部終わるのか。そう思ったとき。

 不意に影が差した。

 ズマの虚ろな目に映ったのは、ターバンとマント。そして一本足。

 それが三年前の事。


 静寂と闇の香り。濃密な夜の気配が漂う頃、グライノの独居房の外で、小さく固い音がした。そして扉が開く。その外に居たのは、真っ赤なセーターに黄色いマフラーを巻いた、銀髪の青白い顔の男。

「やあ、お使いを頼まれてね」

 グライノは呆然と見つめている。男は言った。

「君がここから出たくないのなら、ボクは別に構わないのだけど」
「あれは……本当だったのか」

「本当になるかどうかは、君次第だと思うよ」

 グライノは立ち上がる。

「まだ信じられん。夢ではないのだな」
「君がここから出なければ、すべては夢と消えるさ」

「独居房からは出られても、監獄から出られるのか」
「まあ、それは任せてもらうしかないね」

 グライノはうなずくと、震える足で一歩踏み出した。房の外に出ると、男の姿はもうない。と、思うと、監獄のあちこちで固い音が響き、扉のきしむ音が聞こえた。闇夜に響く無数の雄叫び。続いて足音が雪崩を打つように外へと向かった。グライノも走る。外へと向かって走る。あちこちに殴り倒された看守たちが転がっていた。

 解放された監獄の門を抜け、闇の中をグライノは走った。行く当てがある訳ではない。だがあの天啓が真実なら、自分は死なない。まだ死なないはずだ。足下には砂の感触。砂漠に出たのだ。この先に、この向こうに、アイツが居る。


 三年前、ズマが目覚めたのも夜だったらしい。らしい、というのは、部屋には窓がなかったからだ。ただ三段ベッドがいくつも並ぶ、カビ臭い部屋だった。

「良かったあ、生きてた」

 女の声。視線を何とか横に動かす。

「あたいの声、聞こえてる?」

 顔にネコ科の印象を残した、浅黒い肌の獣人の少女。ズマより二、三歳年上といったところだろうか。ズマはうなずこうとしたが、体が思うように動かない。

「ねえ、こういうときどうしたらいい?」

 少女が振り返り、誰かにたずねた。感情のこもらない、抑揚のない声が答える。

「水を飲ませろ。ゆっくりとだ」
「そっか」

 少女はズマの頭を抱き起こし、コップに入った水を口に近づけた。その途端、ズマの体は反応し、コップにかじりつくようにガブガブと水を飲み始めた。

「ああ、ちょっと、ゆっくりだって。ゆっくり飲まなきゃダメだってば、もう!」

 それがナオとの出会いだった。


 第一監獄崩壊の一報は、睡眠中のギアンへと即時伝えられた。

「緊急警戒態勢、全員叩き起こせ!」

 ギアンは直ちに命令を下した。全員とは警備の全員ではない。ウルフェンの住民全員である。そこからの行動は速かった。緊急警報で街中を叩き起こし、住民総出で脱獄犯の隠れていそうな場所をしらみ潰しに探した。結果、ほとんどの脱獄囚を夜明けまでに捕まえる事が出来た。だが。

「グライノが居ません」

 その報告には深刻な意味がある。もしグライノが目指す場所があるとするなら、それは第一にガルアムの寝所。もしそうでなければ、第二には。


 砂を崩し、砂を崩し、砂丘へと上る。この向こうに、この砂丘を越えた向こうに、きっとアイツが。グライノはそれだけを考えて足を動かした。しかしそこでグライノを待っていたのは。

「……あんたは」

 暗闇の砂漠の中に灯る明かり。あの赤いセーターに黄色いマフラーを巻いた男が、ランプを手に立っている。そしてその隣には、黒い僧衣を着た、白い髪の少女。グライノに天啓をもたらした、白日夢の中の少女がそこに居た。

「あなたに力を与えましょう」

 少女の笑顔が輝くと、グライノの肉体に変化が起きた。急激な回復。腕が、脚が、胸板が、瞬く間に体積を増し、全身を駆け巡る血流、湧き上がる高揚感。三年前の、いやそれ以上のエネルギーが体の内側からほとばしる。

 グライノの咆吼が闇を切り裂いた。砂漠の彼方、四千メートルの壁の向こうから朝日が昇る。その白光はグライノの前途を照らしているかのようだった。
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