君の願う世界のために

浅海 景

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第1章

失態と自覚 〜エルザ〜

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クラッセン上官は公正な人だ。
ただ情熱的で精神論を好み、訓練や演習で競い合い成長していくことを信じている節がある。だからこれはきっとひびの入った関係性を修復するための配慮なのだろう。

一週間後、エルザとニックは<サポート>として戦場に向かうこととなった。
不機嫌さを隠そうとしないニックは戦場に入るなり、単独行動を宣言して姿を消してしまった。

(まだ戦場に慣れていないのに、大した度胸ね)

エルザは追いかけることを諦めて、任務に専念することにした。今回は怪我人のフォローが主目的で動くのでエルザに適した任務ともいえる。そちらに専念できるのであれば、誰かを傷付けることはない。
確信もなくエルザはそう思っていた。

激しい銃声を聞いて駆けつけると、一人の仲間の姿があった。傍にバディの姿は見当たらず、単独で必死に応戦している。
迷わず銃を撃つと予想外の場所からの攻撃で敵が一瞬怯んだのが分かった。その隙に仲間の元へと合流した。

「っ!何で君が……」

驚いた顔が浮かんだが、すぐに苦悶の表情へと変わる。全身をざっと確認すると腹部からの出血が激しい。

(この状態で下手に動くのは危険ね……)

お互い弾を無駄にできず、様子見状態のうちに止血をすべく包帯を取り出す。

「エルザ、必要ないから。それは、他の仲間のために……取っておいて」

ヒューはそう言ってエルザの手を押さえる。

「ありがたいけど、僕に構わず他の仲間のところに行くんだ」
「相手は二人。お互いフォローしたほうが勝率は上がるわ」

ヒューが何か言いかけたが、敵が動く気配がして会話が中断された。

(――しまった!) 

油断していたつもりはなかったが、怪我の具合に気を取られ思いのほか距離を詰められていた。無理な姿勢を取って応戦したヒューの肩が跳ねた。

「ヒュー!」

恐らく弾が当たったのだろうが、状態を見ることはできない。必死に応戦していると、敵が前に倒れた。それは別方向からの弾が当たった事を示している。
時間を置かずにリッツが姿を見せて、安堵の息を吐く。荒い息を吐きながらもヒューはまだ意識を保っている。

「お前、邪魔」

ヒューとエルザを一瞥したあと、苛立ったように言われた。
リッツもまた自分が戦場にいることが気に食わないのだろうか。胸がずきりと痛むが、ヒューとリッツが言葉を交わしている間、周囲を警戒することに集中する。
物音に視線を上げるとラウルがこちらに向かってくるのが見えた。

「エルザ」

気遣うような口調に安心感を覚えた時、至近距離で銃声が響いた。
信じたくない思いで振り返れば険しい表情のリッツとこと切れたヒューの姿がある。

「どうして…」

心の中で呟いたつもりが口に出ていた。

「お前のせいだろ。ラウル、そいつは任せた。俺はヒューのバディと合流する」

(――私のせい?……私が守り切れなかったから?)

それでも仲間にとどめを刺す必要があったのだろうか。茫然自失の中、ラウルが諭すような口調で語る内容がどうしても受け入れられない。

瀕死の仲間を庇うことは戦場では不要、そういう考えがあることは分かっていた。ヒューがエルザに立ち去るように伝えたのは、自分の命と引き換えに敵を道連れにすることを想定していたのだろう。だがエルザがいたからそんな行為はできなかった。

リッツがヒューを撃ったのもこれ以上苦しませないためだということも頭では分かっていても、感情がそれを拒否する。

「エルザ、君は戦場にいるには優しすぎる」

その言葉に息が止まりそうだった。遠回しに自分は戦場には要らないと言われているようで、エルザの能力を信じてくれたラウルにだけは、言われたくなかった言葉だ。

「他の仲間と合流するまで僕とバディを組もう」

戦力外通告をされたエルザはラウルの言葉に従うしかない。口を開けば感情的になってしまいそうで黙って頷いた。ラウルにどんな態度で接していいか分からなくなり、気遣うような視線が逆に苦しい。
突然地面に押し倒されて、はっと気づいた。

一瞬遅れて響く銃声にすぐさま体勢を立て直して銃を構える。短い銃撃戦の上、敵が退却したのだと分かった。

(もし自分がバディでなければ、自分で反応できていれば敵を倒すことが出来ていたかもしれない)

エルザは押し寄せてくる無力感に耐えることしか出来なかった。


「精密機械が失敗したらしいぜ」
「機械でも調子悪い時あるのか」
「敗北の女神がいたからじゃないか」

あちこちで聞こえる噂話に反応しないようにするのが精一杯だ。辛うじて勝利を収めたものの、ラウルがエーデル上官に特別訓練を課されたことが分かると、様々な憶測が飛び交っている。

『君は戦場にいるには優しすぎる』

ラウルの言葉が頭から離れない。戦場に向いていないのなら、どうしたら良いのだろう。

(私の居場所はここにしかないのに……)

仲間に構い過ぎてはいけないと何度も言われていた言葉は、否定されているようにしか聞こえなかったけど、結局はそれが正しいのだと思い知らされた。
強くなるには他者を想う気持ちは邪魔でしかない。だとすれば自分がラウルに教えたことは、彼の優秀な成績を損なうものだ。

『余計なことを教えられても邪魔なんだ』

エーデル上官の言葉が今更ながら理解できた。優秀なラウルに嫉妬して貶めようとしている、そう見なされても仕方なかったのだ。

兵士として一番必要なことは戦場で成果を上げることであり、それが出来ないのなら役立たずと言われても仕方ない。強くなるためには他者に心を配るより、より多くの敵を倒し生き延びることを優先に考えなくてはならなかったのに、それが出来なかったのは自分の弱さゆえだ。

そう覚悟してからラウルに二度と会わないように決めた。気づかないうちにラウルの存在が自分の中で大きくなっていた。ラウルに嫌われたくないという思いもあったが、これ以上ラウルの傍にいることは、彼にとって良い影響を与えない。

緊張する自分を叱咤し、ドアをノックすると返答があった。

「クラッセン部隊のエルザです。お時間よろしいでしょうか?」
「何の用だ?俺は今機嫌が悪い」

そう言われて引き返すわけにもいかない。

「エーデル上官がおっしゃった言葉への理解が遅くなり、申し訳ございませんでした」
「へえ?本当に今更だな。貴重な機会を逸した責任は君が取れるほど軽いものじゃない」

じわじわとなぶるような口調にただ頭を下げるしかできないが、上官の言う貴重な機会の意味が分からなかった。

「顔上げていい。そんな役に立たない謝罪などいらん」

上官の命令には従うしかない。顔を上げたエルザは鋭い上官の視線に気圧されながらも、背筋を伸ばした。

「特殊任務を遂行できるのはラウルかリッツぐらいだと踏んでいた。ラウルは遭遇しながらも荷物に気を取られて標的を仕留めそこなった。アンバー国の王女を殺しておけば、外交上優位に立てるチャンスだったのに、台無しだな」

淡々と話しているが、その内容は衝撃的なものだった。一国の王女が戦場にいたなどあり得るのか。だが目の前の上官は冗談でこんなことを言うはずがない。自分の行動に今更ながら血の気が引く思いだった。

「戦場に女神の慈悲はいらない。必要なのは敵を殺して生き延びる強さだけだ。それが出来ないなら実家に帰れ」
「……了解しました。失礼します」

これ以上話すことはないという雰囲気を察して退室した。

(――必要なのは強さだけ)

「エルザ」

聞きたくて聞きたくなかった声がした。
厳しい訓練のせいか、少し痩せたように感じるラウルの姿に懐かしさが込み上げるが、素っ気ない態度で応じる。

「どうして避けているの?」
「……別に、色々忙しかっただけよ。元々そんなに話す間柄でもないでしょう」

ホリゾンブルーの瞳が翳り、謝りたくなるのをぐっとこらえた。

「そうなんだ。もし君が嫌なら僕はもう森へ行くつもりはない」

どこまでもエルザを気遣う言葉に罪悪感が募る。

「もう森へは行かないわ。自己満足の行為は時間の無駄だと気づいたの。話はそれだけ?」

早く切り上げて一人になりたかった。これ以上ラウルの傍にいると本当の気持ちを見透かされそうで怖い。

「エーデル上官から何か言われた?」
「戦い方の助言をもらっただけよ。――もう、私に関わらないで」

嘘ではない。だけど傷ついたような表情が視界に入り、ラウルを置いてエルザは足早に立ち去った。

(ごめんなさい、ごめんなさい……)

自室に飛び込むとその場にしゃがみこんで心の中でひたすら謝った。自分が余計なことをしたせいで傷つけてしまったのだ。

何も考えずに近づいて急に突き放すような態度をするべきじゃなかった。だけど自分といることでラウルが失敗して命を失うような結果になってしまうことのほうが、恐ろしかった。

(感情に疎いのは私も同じね)

関わらないと決めたことでラウルへの気持ちを自覚してしまったエルザは、自嘲的な笑いを浮かべる。いつの間にかこぼれた涙を拭う気にはなれず、エルザは静かに涙を流した。
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