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第1章

貴方に伝えたいことがあります

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「陛下、お待ちください。残念ながらその娘はフィラルド国王女ではございません。私は陛下を謀ったものに罰を与えようと…」
「誰がそのような勝手を許したか」

いつもより低く冷たい主の声にアーベルは困惑していた。
(きちんと伝わっていないのだろうか?)

アーベルが街で見聞きしたことは、フィラルド国王女の婚約内定だった。最初は姫君が攫われたことに対する対外的な理由だと思っていた。姿を見せないことに不審に思わせないための方便として、異国に嫁いだことにするのだろうと気に留めなかった。だがそんな中、遠国の魔術に秀でた王子を婿に迎える話を聞き、疑念が湧いた。

決定的になったのは、姫の姿を描いたポートレートを目にしてからだ。柔らかくカールした金色の髪と薄いハシバミ色の瞳は城にいる姫とは似ても似つかない。周囲の人間を問いただしたところ、その絵は城に出入りする画家が描いたものであり間違いなくサーシャ姫であること、そしてフィラルド国には王女が一人だけであるという事実だった。

主が姫をかばう可能性もあったが、真実を知れば陛下も態度を変えるだろう、そう思っていた。魔王は偽りを嫌い、虚偽の報告や誤った情報を伝えた者には常に容赦しなかった。いくら姫に好意を寄せていても、むしろそれ故に裏切られたと感じるであろうと予想していたのだが、魔王はアーベルに対して怒りの感情を向けている。

「姫と身分を偽って近づくなど、何らかの奸計があったかと。場合によってはフィラルドに制裁を与える必要が――」
「どうでもよい」

掲げられた左手に魔力が一瞬で集約される。主が本気で怒っていることに、ようやく気付いてアーベルは愕然とした。

「陛下、どうか私の話をお聞きください!」
「言い訳は聞かぬ。お前は我の大事な者を傷つけた」



アーベルより自分の偽りを魔王へ告げられた時、佑那は覚悟を決めていた。どんな言葉を投げられても自分は受け止めるしかないのだと。だが一切の非難も軽蔑の言葉も聞こえてこなかった。
驚いた様子すらなく、ただ怒りを自分ではなくアーベルに向けられている。そしてその怒りを物理的にぶつけようとしていることが分かり、佑那は慌てて魔王を止めようとした。アーベルの行為はすべて魔王のためにしたことだったからだ。

「陛下、ダメです。止めてください!」
魔王の袖を引きながら、必死で言いつのる。

「そもそも私が嘘をついたから悪いのです。アーベルさんは悪くありません」
「そなたは嘘をついていないだろう」
「え?」
「そなたは一度たりともフィラルド国王女だと名乗ってはおらぬ」

確かにそうかもしれないが、否定をしなかったことも事実だ。

「それでもあなたが勘違いしていることを知っていて、否定しませんでした」
「勘違いなどしておらぬ。我はそなたが王女でないことを知っていた」

聞き間違いかと思った。だが佑那だけでなくアーベルも同じように固まっていた。

「「いつからですか!?」」
思いがけず二人の声が重なる。

魔王は不快げに眉を上げるが、淡々とした口調で答える。

「最初からだ。フィラルド国王女だと思って攫ったわけではない」
それから魔王は佑那に顔を向けて、諭すように言った。

「アーベルには罰を与えねばならぬ。あれは我の許しもなく、独断でそなたを傷つけた」
彼らの決まり事を知らない佑那が魔王の決定に口を挟む権利はない。だがアーベルの行動には魔王を守ろうとする思いが込められていて、その原因となったのが自分である以上ただ黙って見ていることはできなかった。

「…分かりました」
握りしめていた手を外しながら佑那は答える。

「でしたら、私にも罰を与えてください」
「…姫」
魔王はどこか戸惑うように佑那を見つめる。

「勘違いさせてしまうような行動をとった私にも責任があるのです」
魔王に忠実なアーベルにだけ罪を負わせたくはない。

「…今回だけだ」
暫しの沈黙のあと、魔王が仕方ないというように告げた。

アーベルは膝をつき深々と頭を下げて、恭順の意を示す。それから魔王は佑那を抱きかかえると、傷の手当てのため自室へと移動した。


肩の傷は思ったより深く、傷口からはまだ血が滲みでていた。手当てを受けている間、話しかけようとするが鋭い目つきで制され、口をつぐむ。

(……何となく怒っているような気がする)

やはり先ほど魔王の判断に口出ししたのは差し出がましいことだったのだろうか。包帯を巻き終わったところで、佑那は謝罪を口にしようとするが、魔王のほうが先だった。

「そなたは、アーベルのことを好いているのか?」
「えっ!どうしてですか?違いますよ!」
思わぬことを言われて、慌てて否定するが魔王の表情は変わらない。

「怪我をさせられたにもかかわらず、かばっていただろう」
横を向いてぽつりと言葉を漏らす魔王は、まるで拗ねているように見える。

「それは先ほど説明したとおり、私にも非があるからです。私が好きなのはアーベルさんではなくて…むぐぅ」
話の途中で魔王は佑那の口元を手の平で覆った。

「言うな」
ちゃんと想いを伝えようとしたのに、拒否されてしまった。


「そなたの想い人を知ってしまったら、何もせぬ自信がない」
(何て物騒な……。違う人を好きにならなくて良かったな、私)

多分魔王だったら本当に実行するのだろう。そう思いながらも本当に愛されているのだと実感してじわじわと頬が熱くなる。
佑那は口元にかぶせられた手をそっと押しのける。

「分かりました。言わないので、少しだけ目を閉じていてもらえますか?」

訝しげな表情を浮かべながら、言うとおりにしてくれた魔王の頬に佑那はそっとキスをした。唇を離すと魔王が険しい顔で佑那を見つめている。

「…あなたが言うなとおっしゃるから、行動で示したのですが……すみません」
やっぱり勝手に触れたりするのは、不愉快なことだったかと反省して佑那は素直に謝った。言い終わると同時に佑那は魔王に腕を引かれて、抱き寄せられていた。

「姫、それはそなたが我を……想ってくれていると理解して良いのだろうか」
その声と目がやや不安そうに見えるのは気のせいではないだろう。魔王の背中に手を伸ばして佑那は抱きしめ返す。

「はい。私はあなたが好きです。今更ですけど姫ではなくて佑那、と呼んでくれますか?」
「ユナか。良い名前だ」
そうして名前を呼びながら魔王は佑那の額や頬に唇を落とす。

「我の名はシュルツという。名で呼んでくれるか?」
低くかすれた声が耳元で囁かれて、思わずぞくりとした。それを誤魔化すために、慌てて名前を呼んだ。

「シュルツ、様ですね」
「そなたは我の配下ではないのだから、呼び捨てでよい」

そう言うと佑那の唇をふさいだ。短い口づけを何度かくり返したあと、徐々にそれは長く深いものへと変わっていく。それについていくのが精一杯で、佑那はすっかり余裕をなくしていた。
だから合間に漏れる吐息がシュルツを煽って激しさを増す原因になっていることにも気づいていない。ようやくシュルツの唇が離れたかと思うと、そのまま首筋に口づけられた。
初めての感覚に思わず身を引くと、肩の傷がソファーの背もたれに当たった。

「痛っ!」
その声にシュルツがすぐさま反応して、動きを止める。

「……ああ。怪我をしているのに、無体なことをした。怪我が癒えるまでは無理をさせぬ」
少々不穏な言葉が混じっていた気がする。一抹の不安を感じる佑那をよそに、シュルツは居住まいをただすと佑那の手をとって片膝をついた。

(あ、これはまずい!)
慌てて止めようとするが、シュルツはそのまま言葉を告げる。

「ユナ、我の花嫁になって欲しい」

しぐさも言葉も完璧な二回目のプロポーズだ。この状況でノーなど言えるはずがない。ましてやお互いの気持ちが分かった状態で断る道理もないだろう。そのまま受け入れてしまいたいという気持ちもあったが、自分はまだ彼にはすべてを話していない。

「ごめんなさい。シュルツのことは好きですが、結婚はまだ早いというか、もう少し待って欲しいです」
表情にこそ出ないが、動きが止まっているのは断られることを想定していなかったからだろう。誤解を解くべく、必死で言葉を募る。

「あの、信じてもらえるかどうか分かりませんが、私はこの世界とは違う別の世界から来た人間なんです」
反応がない。やはり簡単には信じてもらえる話ではないのだろう。思わず口にしてしまったが、唐突すぎてきちんと受け止めてもらえないのかもしれない。

「…佑那が異世界の者であることと結婚できぬことに何の関係がある」
首をわずかに傾けて魔王ーーシュルツは不思議そうに言った。

「え、あの、私が異世界の人間だとご存知だったんですか?」
「知らぬ。その可能性は感じていたが」

(え、そんな程度のことなの?結構重要なことだと思っていたのだけど?!)
シュルツにとって、どうやら佑那の素性はどうでも良いらしい。

「…えっと、私たちは文化も考え方も全く違います。ですからお互いにもっと分かり合うための時間が必要だと思います。これから生涯を共にするのであれば、大切なことではないでしょうか」
「我はそなたを愛しているし、そなたもそう言ってくれた。それで充分だろう」

だからと言ってすぐに結婚とは性急だろう。そもそも魔族にとってはかなり重い契約だというのに。

「何故そんなに急ぐのですか? 私のいた世界ではお互い想い合っていても、しばらくお付き合いをしてから結婚することが多いです」
「…求婚する理由は、我がそなたを真に想っていることの証だからだ」

胸がきゅっと締め付けられた。飾り気のないまっすぐな言葉に顔が熱くなるのを感じる。

「そなたが望まぬなら結婚せずともよい。ただ我は…佑那にそばにいて欲しい」
そう言って佑那の指先に口づけを落とす。

シュルツへの想いに嘘はない。それでも元の世界に帰ることを未だに諦めきれていない自分がいた。こんな状態で結婚するのはシュルツに対して不誠実だと佑那は思っている。一緒にいたいと願うからこそきちんと向き合って彼の想いに応えたいのだ。

「シュルツ、私はあなたのことが好きです」

そう口にすると大切そうに抱きしめられた佑那は、温もりと心地よさに包まれながら想いを返すように背中に回した手に力を込めた。
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