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信頼と笑顔
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それはただの気まぐれだった。予定していた公務がキャンセルになり、少し自由時間が出来たのだ。
(エリーの様子を見に行こうか)
何故そう思ったのかと自問すれば、彼女の待遇が改善されたかどうか確かめるためだと自分の中で答えが出たため、ヴィクトールは先触れを出さずにエリーに会いに行くことを決めた。
あの茶会のあとエリーの待遇について再度調査したところ、使用人たちから証言の食い違いが出てきて、その結果エリーがずっと不当な扱いを受けていた可能性が高いことが分かった。
侍女長やバロー夫人はそれでも非を認めずあくまで教育の範囲内であり、食事や侍女の不足については知らぬ存ぜぬを押し通し、王妃が彼女たちの言葉を是認したためこれ以上の追及は出来ない。
そこで真偽のほどを確かめるため、呼び出したのはディルクだ。正直あまり関わりたくはない相手だが、護衛として傍にいる時間が一番長いのだからエリーの日常について詳しいのは間違いない。
「今日呼んだのはエリーに関することだ。彼女は以前自分が不遇を強いられているような発言をしていたが、それは事実か?」
「――事実にございます」
それからディルクはエリーの食事やドレス、アクセサリー、侍女など聖女への待遇として約束されたものがほとんど与えられていないことを淡々と告げたのだ。
「――食事を共にしていたのも、そのせいか」
「男爵位を持つ私が不在であれば、食事内容はともかくその質が保証されるか心許なかったため、恐れながら同席させていただいておりました」
食事に何かを混入されることを警戒したのだと暗に告げられ、ディルクの懸念が的外れではないことをヴィクトールには理解できた。
気が回り過ぎる男だが、今回については感謝してもいいだろう。ディルクが退出すると、ヴィクトールは側近を呼んで、エリーへの待遇改善の徹底を命じたのだった。
「――で偉そうな…………ちょうだい!」
言い争うような声にヴィクトールは眉をひそめる。王宮内に似つかわしくない甲高い居丈高な口調に嫌な予感を覚えた。ここで騒動を起こすような人間は本来出入りが出来ないものだが、すぐそばの建物内にある王宮の図書館は一部の貴族子女のために開放されている。
その直後に憤懣やるせない様子の令嬢がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。その後ろにいた令嬢はヴィクトールに気づいたようで、前を歩く令嬢の注意を引くため、袖を引けば乱暴に払いのけられる。
「気安く触らないでよ!私より身分が低いくせに、貴女もあの女みたいに私のこと馬鹿にしているの?!」
苛立ちのあまり周囲に目が届いていない様子の令嬢に対して、二人はそれ以上の説得を止めると脇によけて深々と頭を下げた。
「え……っ、王太子殿下」
慌てて優雅な礼を取るが、先程の態度を目撃していたためどこか粗野な印象が否めない。
「随分と感情的なようだったが、何かあったのだろうか?」
「――っ、いえ……王太子殿下のお耳に入れるようなことは何もございませんわ」
僅かに震え、力が入った指先は彼女が嘘を吐いていることを教えてくれたが、ヴィクトールは言及しなかった。
無言でその場を後にしながら、焦りのようなものを感じつつ歩みを早める。
(あの女とはエリーのことだろうか……)
彼女への待遇を改善させたと思っていたが、貴族令嬢たちもその嫌がらせに加担しているとは想像していなかった。
『いちいち腹を立てても仕方がないですもの』
鼠の死骸を目にして悲鳴もあげず、淡々と対応していたエリーはそう言った。これが初めての嫌がらせではないことを悟るのに十分な言葉だったが、エリーは不遇を嘆くわけでもなく手慣れた様子で流そうとしていたのだ。
何故もっと早く言わないのか、と口に出す前に自分がエリーに何を言ったのか思い出したのは幸いだったのだろう。
『不遇を装って気を引こうとするのは正直不愉快だ』
侍女長やバロー夫人の言葉を信じ、一方的にエリーを非難したのは自分だ。
(エリーが私に笑顔を見せたのは、外出許可を出した時だけだ)
いつもどこか困ったようにひっそりとした笑みを浮かべているが、あの時は目を輝かせて心から喜んでいるような様子を見せて、ヴィクトールは心が満たされるような何かを感じた。
だが今は不安と恐れがない交ぜになった感情が心を満たしている。そんな風に心が乱れる中、ヴィクトールはエリーの姿を捉えたが、その光景に思わず足がとまった。
エリーが護衛騎士と見つめ合っていたのだ。騎士が顔を赤らめて目を逸らすと、エリーは騎士の方を指差して熱心に何かを話している。
込み上げてきた不快感を振りほどくようにエリーの元へと向かうが、彼女は事もあろうに騎士の腕にしがみついたのだ。
「何をしているんだ?」
意図せずに響いた冷ややかな声に自分でも驚いたが、エリーもまたびくりと身体を震わせ身体ごと振り向く。
「ヴィクトール様、……ご機嫌麗しゅうございます」
エリーの挨拶に僅かな間があったのは、自分が明らかに不機嫌な様子を見せているせいか、それとも動揺しているせいか判断が付かない。
「回りくどい挨拶は不要だ。そこの騎士と何をしていた?」
「私の不手際で袖のボタンが取れてしまったものですから、修繕を申し出ておりました」
エリーの背後に控える騎士の袖口を見れば、確かに不格好なボタンがぶら下がっている。
「そのようなことは使用人の仕事でエリーがするような仕事ではない。君はもっと私の婚約者である自覚を持つべきだ」
「申し訳ございません」
謝罪してほしいわけではなかった。彼女の笑顔を見たくて来たのにと、行き場のない苛立ちを抑え込む。先ほど騎士に向けていた表情は活き活きとしていて楽しそうに見えたのだから尚更だ。
「……何か困ったことはないか?」
不手際とは何を指すのかエリーは言及しなかったが、先ほどの令嬢たちとは無関係だとは思えなかった。
「ございません。ヴィクトール様がご配慮くださったおかげで、とても過ごしやすくなりました。ありがとうございます」
そうして浮かべたエリーの微笑みは穏やかだが、どこかよそよそしい。彼女が未だに自分を信頼していないのだと突き付けられたようで、部屋を出た時に高揚していた気分はどこかへ行ってしまった。
そんな自分がどこか惨めに感じられて、ヴィクトールはそれ以上会話を重ねることなく、その場を後にしたのだった。
(エリーの様子を見に行こうか)
何故そう思ったのかと自問すれば、彼女の待遇が改善されたかどうか確かめるためだと自分の中で答えが出たため、ヴィクトールは先触れを出さずにエリーに会いに行くことを決めた。
あの茶会のあとエリーの待遇について再度調査したところ、使用人たちから証言の食い違いが出てきて、その結果エリーがずっと不当な扱いを受けていた可能性が高いことが分かった。
侍女長やバロー夫人はそれでも非を認めずあくまで教育の範囲内であり、食事や侍女の不足については知らぬ存ぜぬを押し通し、王妃が彼女たちの言葉を是認したためこれ以上の追及は出来ない。
そこで真偽のほどを確かめるため、呼び出したのはディルクだ。正直あまり関わりたくはない相手だが、護衛として傍にいる時間が一番長いのだからエリーの日常について詳しいのは間違いない。
「今日呼んだのはエリーに関することだ。彼女は以前自分が不遇を強いられているような発言をしていたが、それは事実か?」
「――事実にございます」
それからディルクはエリーの食事やドレス、アクセサリー、侍女など聖女への待遇として約束されたものがほとんど与えられていないことを淡々と告げたのだ。
「――食事を共にしていたのも、そのせいか」
「男爵位を持つ私が不在であれば、食事内容はともかくその質が保証されるか心許なかったため、恐れながら同席させていただいておりました」
食事に何かを混入されることを警戒したのだと暗に告げられ、ディルクの懸念が的外れではないことをヴィクトールには理解できた。
気が回り過ぎる男だが、今回については感謝してもいいだろう。ディルクが退出すると、ヴィクトールは側近を呼んで、エリーへの待遇改善の徹底を命じたのだった。
「――で偉そうな…………ちょうだい!」
言い争うような声にヴィクトールは眉をひそめる。王宮内に似つかわしくない甲高い居丈高な口調に嫌な予感を覚えた。ここで騒動を起こすような人間は本来出入りが出来ないものだが、すぐそばの建物内にある王宮の図書館は一部の貴族子女のために開放されている。
その直後に憤懣やるせない様子の令嬢がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。その後ろにいた令嬢はヴィクトールに気づいたようで、前を歩く令嬢の注意を引くため、袖を引けば乱暴に払いのけられる。
「気安く触らないでよ!私より身分が低いくせに、貴女もあの女みたいに私のこと馬鹿にしているの?!」
苛立ちのあまり周囲に目が届いていない様子の令嬢に対して、二人はそれ以上の説得を止めると脇によけて深々と頭を下げた。
「え……っ、王太子殿下」
慌てて優雅な礼を取るが、先程の態度を目撃していたためどこか粗野な印象が否めない。
「随分と感情的なようだったが、何かあったのだろうか?」
「――っ、いえ……王太子殿下のお耳に入れるようなことは何もございませんわ」
僅かに震え、力が入った指先は彼女が嘘を吐いていることを教えてくれたが、ヴィクトールは言及しなかった。
無言でその場を後にしながら、焦りのようなものを感じつつ歩みを早める。
(あの女とはエリーのことだろうか……)
彼女への待遇を改善させたと思っていたが、貴族令嬢たちもその嫌がらせに加担しているとは想像していなかった。
『いちいち腹を立てても仕方がないですもの』
鼠の死骸を目にして悲鳴もあげず、淡々と対応していたエリーはそう言った。これが初めての嫌がらせではないことを悟るのに十分な言葉だったが、エリーは不遇を嘆くわけでもなく手慣れた様子で流そうとしていたのだ。
何故もっと早く言わないのか、と口に出す前に自分がエリーに何を言ったのか思い出したのは幸いだったのだろう。
『不遇を装って気を引こうとするのは正直不愉快だ』
侍女長やバロー夫人の言葉を信じ、一方的にエリーを非難したのは自分だ。
(エリーが私に笑顔を見せたのは、外出許可を出した時だけだ)
いつもどこか困ったようにひっそりとした笑みを浮かべているが、あの時は目を輝かせて心から喜んでいるような様子を見せて、ヴィクトールは心が満たされるような何かを感じた。
だが今は不安と恐れがない交ぜになった感情が心を満たしている。そんな風に心が乱れる中、ヴィクトールはエリーの姿を捉えたが、その光景に思わず足がとまった。
エリーが護衛騎士と見つめ合っていたのだ。騎士が顔を赤らめて目を逸らすと、エリーは騎士の方を指差して熱心に何かを話している。
込み上げてきた不快感を振りほどくようにエリーの元へと向かうが、彼女は事もあろうに騎士の腕にしがみついたのだ。
「何をしているんだ?」
意図せずに響いた冷ややかな声に自分でも驚いたが、エリーもまたびくりと身体を震わせ身体ごと振り向く。
「ヴィクトール様、……ご機嫌麗しゅうございます」
エリーの挨拶に僅かな間があったのは、自分が明らかに不機嫌な様子を見せているせいか、それとも動揺しているせいか判断が付かない。
「回りくどい挨拶は不要だ。そこの騎士と何をしていた?」
「私の不手際で袖のボタンが取れてしまったものですから、修繕を申し出ておりました」
エリーの背後に控える騎士の袖口を見れば、確かに不格好なボタンがぶら下がっている。
「そのようなことは使用人の仕事でエリーがするような仕事ではない。君はもっと私の婚約者である自覚を持つべきだ」
「申し訳ございません」
謝罪してほしいわけではなかった。彼女の笑顔を見たくて来たのにと、行き場のない苛立ちを抑え込む。先ほど騎士に向けていた表情は活き活きとしていて楽しそうに見えたのだから尚更だ。
「……何か困ったことはないか?」
不手際とは何を指すのかエリーは言及しなかったが、先ほどの令嬢たちとは無関係だとは思えなかった。
「ございません。ヴィクトール様がご配慮くださったおかげで、とても過ごしやすくなりました。ありがとうございます」
そうして浮かべたエリーの微笑みは穏やかだが、どこかよそよそしい。彼女が未だに自分を信頼していないのだと突き付けられたようで、部屋を出た時に高揚していた気分はどこかへ行ってしまった。
そんな自分がどこか惨めに感じられて、ヴィクトールはそれ以上会話を重ねることなく、その場を後にしたのだった。
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