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9・恐怖の義兄
しおりを挟むバーンズ侯爵家で夕食を食べ、
俺は妖精の誘いを涙を堪えて断った。
「お泊りして一緒に寝よう」と
可愛い顔をされて頷いた俺は
悪くないと思う。
が。
背中に感じた殺気に、
咄嗟に「もうしわけありません!」と
深く頭を下げた。
妖精はビックリして、
「また今度ね」と言ってくれたが
俺は妖精に断りの返事をしたのでも
申しわけないと思ったわけでもない。
凍り付くような殺気を放つ
騎士団長に、反射的に
謝罪の言葉を口に出してしまっただけだ。
あの視線を向けられるだけで
騎士団の全員が反射的に
「もうしわけありません!」と
頭を深く下げる。
それぐらいに俺たちは
騎士団長に飼いならされている。
「さぁ、今日はもう遅い。
見送りはいいから
早く寝なさい」と
俺に向けた殺気を一瞬で消し去り、
騎士団長は優しい声で
妖精を寝室に促す。
すると控えていた侍女たちが
あれよ、あれよと妖精を連れ出し
玄関ホールには俺と騎士団長だけになった。
いや、執事がまだ残っていたか。
「来い」
玄関ホールにいるというのに、
騎士団長は短く俺に言うと
さっさと歩き出す。
俺は慌てて後を追った。
馬車の準備をしてくれたのでは?
と思ったが、逆らえる者も、
意見を言える者もこの場には誰もいない。
玄関近くの小さな応接室に
俺は通された。
騎士団長は俺に座るように
視線だけで促してくる。
執事が頭を下げてドアを閉めた。
部屋には騎士団長と俺の二人だけだ。
重たい空気の中、俺は素直に
ソファーに座った。
騎士団長は俺の前にゆっくりと座る。
「それで」
殺気が含まれる声に、
俺は心臓が口から飛び出そうになった。
「私の可愛いエレに、
随分と懐かれたようではないか」
嫉妬か!?
嫉妬されているのか?
「い、いえ。
は、初めての、おと、
おともだち、と言われました」
なんとかそれだけを
喉から絞り出す。
そう。
俺は両手を握られ、
「お友達になってください」と
可愛らしくお願いをされたのだ。
内心、悶絶してしまったのは
言うまでもない。
「友だち? なるほど」
騎士団長は納得したように頷く。
「まぁ、それでいい。
なら、異論はないな」
何が?と思った。
だが、結婚の話しかと瞬時に思い直す。
「お聞きしてもよろしいでしょうか」
俺は声が震えないように
丁寧に声を出した。
「なんだ?」
「その、今回のお話は、
私にとっては光栄過ぎる話だと
思っております。
いくら父が団長殿に頼んだからと言って、
侯爵家への婿など、身に余ります。
ましてや、あの……、か、可愛らしい
エレミアス様を伴侶にして、
私のような者がバーンズ侯爵家を
継ぐなどと……」
何かの間違いでは無いかと
俺は思う。
最初は喜びにあふれたが、
どう考えても俺には身に余る幸せだ。
だが俺の言葉を騎士団長は
当たり前だとでも言うような顔で聞く。
「可愛いエレの伴侶になれるのだ。
身に余る幸せでない者などいない」
真顔で言われた。
それには頷くしかできないが、
厳格で恐ろしい騎士団長の印象が
妙な方向で変ってきそうだ。
「あの子は可愛い。
幼い天使だ」
そして恐怖の魔王とも呼ばれている
騎士団長が、語り出した。
変なスイッチが入ったかのように
可愛い天使の話をし始める。
あの妖精の可愛らしさには
同意しかないし、
話している内容は頷けるのだが
なんだかおかしいと思うのは
俺がおかしいのか?
「つまりだ。
私が君を選んだのは
ブレイトン公爵家との付き合いと、
君の父上の顔を立てたこと。
そして、君が不能だからだ」
いや、待て。
ほんとに、耳がおかしくなってしまったのか?
俺が不能だと言う話が
何故ここで出てくる?
「あの子は賢い。
ただ、世間知らずだ。
私と両親が大切に育てて来たからな。
あの子が社交界にデビューをして
令嬢たちの欲にまみれるのが恐ろしい」
そうだ。
俺は身震いした。
あの女性たちの恐ろしさは
俺が身をもって知っている。
貴族社会は男女ともに
純潔を大切にしている。
特に初婚相手に関しては
高位貴族は特に重要視しているのだ。
だからこそ、高位貴族の子どもは
低い身分の令嬢たちに狙われる。
多少強引にでもコトが進めば
純潔を盾に婚姻に結びつけることが
可能になるからだ。
だからこそあの令嬢たちは
公爵家である俺にまで
強引に迫ることが
できたのだろう。
一夜をともにすることができれば
公爵家の次男の嫁になれる
可能性がかなり高くなるのだ。
あんな令嬢たちの猛攻撃を
可愛い妖精が受けたらどうなるのか……。
俺は血の気が引くのを感じた。
「理解したか?
あの子はまもなく15歳になる。
だがあの子は……
外の世界を知らずに、
この屋敷の中だけで生きてきたのだ。
身体も弱く、
女性との婚姻も
難しいとも思える。
あの子は小さいだろう?
小さく、小さく生まれてきたのだ。
生まれた時は、
これぐらいしかなかった」
と騎士団長が手のひらを広げた。
さすがにそれは小さすぎるのでは?
と思ったが、もちろん、俺は
口にすることは無い。
それに、小さく生まれたというのは
本当だと思った。
最初は、幼い子どもだと思った。
イスに座っていたから、
身長がわからなかったことと、
幼い顔立ちで、そう思ったのだが、
来年、成人を迎えると聞いて
本気で驚いた。
最初見た時は、
10歳程度の子どもだと
思ったからだ。
「そこで私は考えたのだ。
君があの子の相手ならば、
あの子は穢されることなく、
この侯爵家で守られて
生きていくことができるのではないかと」
穢される……つまり、
閨事が無いという意味だよな。
俺が一瞬でも、ムラッときたことは
永遠の秘密にしなければならないようだ。
「悪い話ではないだろう?
あの子を守るだけで、
バーンズ侯爵家の次期当主の
婿になることができるのだ」
「身に余るお話だと思います。
きっと、父も納得しているからこその
お話だと思います。
ですが、団長殿はどうされるのでしょうか」
俺はバーンズ侯爵家は団長が
継ぐものだとばかり思っていた。
「私か?
私はこれでも騎士団長の地位が
あるからな。
どうにでも生きていける」
にやり、と口元が歪む。
「それに私は亡き母の
爵位を持っていてな。
来年は婚約者との式も挙げる予定だ。
君がエレを生涯守ると誓うのであれば
私は心置きなく、新婚生活を
迎えることができるというものだ」
「ですが、その。
私は領地経営など……」
バーンズ侯爵家は広大な領土を持ち、
資産にも困らない。
ただ王家との縁があるだけの
公爵家とはわけが違う。
そんな侯爵家の領地経営など
できるはずがないし、
それ以前に俺は座学は苦手だった。
「あぁ、それに関しては大丈夫だ」
俺の不安を払うかのように
騎士団長は言う。
「領地にはまだ父がいるし、
優秀な補佐役が何人もいる。
あの子も体は弱いが、
経験が無いだけで、
知識や学力だけで考えれば
私よりもはるかに優秀だよ」
え?
あの妖精が?
「君がすることは
領地経営ではない。
あの子を守ることだ。
この屋敷の外で起こりうる
あらゆる危険から。
そして社交界に渦巻く
令嬢と令息から。
君は剣になり、盾になり、
あの子のために生きろ」
それは命令だった。
俺が拒絶するなど
まったく思っていない顔で、
するどい声で。
ただ、あの子を守れ、という。
その強い声に、
俺は咄嗟に立ち上がる。
そして、反射的に動くのではなく、
自分の意志で胸に手を当てた。
敬礼ではなく、相手に敬意を示す
騎士としての礼だ。
「この命が尽きる限り、
お守り致します」
俺の言葉に騎士団長は
満足そうな顔をした。
「いいだろう。
その誓い、忘れるな」
そして俺は、たった一日で
バーンズ侯爵家の次期当主の婿に
なることが決まった。
夜中に屋敷に戻った俺を
俺の両親も兄までもが
寝ずに待っており、
話を聞きたがる。
俺は簡潔に騎士団長の弟と
顔合わせをして、婚約が決まったこと。
そしてバーンズ侯爵家は
その弟が継ぐことを告げた。
俺の言葉に家族全員が、
いや、屋敷中の者たちが
大喜びをしたのは言うまでもない。
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