長編版・不能の公爵令息は婚約者を愛でたい(が難しい)

たたら

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86:宿屋のおふろ

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 僕は部屋を見回した。

大きなベッドが1つ。

天蓋ベッドだったけれど、
近くに衝立も置いてあるのが見える。

ソファセットがあって、
近くにはチェストがあり、
水が入った水差しや、
コップなどが置かれている。

ベッドは部屋の奥に
あったけれど、
その向こうに扉が見えた。

僕がその扉を開けると、
そこがバスルームだった。

「わぁ!」

大きな猫足のバスタブに
お湯がたくさん入っている。

きっとアンナが準備してくれたんだ。

「ガイ、早く!」

って僕はガイを呼んだけど、
ガイは何故かさっきから動かない。

「お風呂、入らないの?」

「い、い、いや」

ガイが首を振り、
「違うんだ」という。

僕は何がどう違うのか
全くわからない。

「そ、その。
俺はあとで良い」

「一緒に入らないの?」

「あぁ、明日の行程の
指示を出すのを
忘れていたんだ」

ガイの言葉に僕は
しょんぼりする。

でも旅行のことだから
僕のお風呂よりも
きっと大事だよね。

「わかった。
じゃあ、僕は先に
入っておくね」

「あぁ」

ガイの返事を聞いてから
僕はバスルームに行く。

髪の毛の洗い方を
教えてもらうつもりだったのにな。

でも、今日はもういいか。

明日、別荘に着いたら
また教えてもらえばいいし。

それに改めてみたら
バスタブは大きいけれど、
ガイと一緒に入るには
狭いかもしれない。

アンナに髪を洗ってもらうときは
僕はバスタブの縁に頭を置いて
髪を洗ってもらっている。

その時、アンナは
ちゃんと専用の服を
着ているけれど
それはアンナが僕の侍女だからだ。

ガイと一緒にお風呂に入るのなら
きっとガイも裸になってると思う。

ガイに僕の頭を洗ってもらうのは
違うと思うし、
このバスタブでどうやって
一緒に髪を洗うのかよくわからない。

そう考えていくと、
この猫足のバスタブより、
温泉で教えてもらった方が
良い気がしてきた。

今日は頭を洗うのは
諦めよう。

僕は服を脱いで、
バスルームに足を踏み入れる。

バスタブのそばに
シャワーが付いていて、
僕はそれで汗を流した。

僕の部屋に隣接している
バスルームよりは
狭いけれど、
バスタブの外で水を
流しても大丈夫みたいだ。

「よいしょ」

バスタブは縁までの
高さが結構あって、
縁を跨ぐのが大変そうだ。

だけど、よく見ると
シャワーのそばに
小さな足台がある。

僕はシャワーにつかまり、
足台を使って湯に入る。

「わー、あったかい」

あまりの温かさに、
また眠くなってくる。

おなかいっぱいで、
体もぽかぽかで。

それに沢山歩いたと思う。

でも、楽しかったな。

今日は夕方だったから
あまり散策できなかったけれど、
明日はまた町を歩けるだろうか。

土産物屋さんも見てみたい。

でもガイは、帰りもこの町に
寄るって言ってたから、
お土産を買うのは
帰り道の方が良いよね?

だって荷物になるし。

「エレ、大丈夫か?!」

突然、ガイの声がして
僕はびっくりした。

は、って顔を上げると、
ガイが焦った顔で僕を見ている。

「あまりにも遅いから、
風呂で溺れているのかと……」

ガイは大きなバスタオルを持っていた。

「風呂で寝るのは危ない。
一度、上がろう」

ガイの言葉に僕はうなずいた。

考え事をしながら、
うとうとしてしまっていたのかも。

僕がバスタブから立ち上がると
ガイはすぐに僕を
大きなバスタオルで包んでくれた。

そのまま抱っこして、
部屋まで運んでくれる。

ガイは僕をベッドのそばまで
連れてきたけれど、
急に向きを変えて
僕の体をソファに下ろした。

体がまだ濡れているからかな。

僕が座ると、
すぐに頭にタオルが被せられ、
ガイに髪を拭かれた。

アンナよりも少しだけ
乱暴な手つきだったけれど、
嫌じゃない。

大きな手が時折、
僕の髪を梳く。

タオルで髪を拭かれているのか、
ガイに頭を撫でられているのか
わからなくなってくる。

「ふふ」って声が漏れた。

「どうした?」

「ううん。
ガイのこと好きだなって」

その言葉に、ガイの手の動きが止まる。

「僕ね。
ガイの大きな手、好き」

「そ、そ、そうか」

「うん。兄様よりもね、
ガイの手のほうが大きく感じる」

「そう、だろうか」

「そうだよ」

身長だけで言うなら
ガイよりも兄の方が少し高い。

でも、違うんだ。

兄は大きな手で僕を守ってくれる。

それは嬉しいし安心できた。

父も母も同じだ。

手を広げて抱きしめてくれる。

怖いものから僕を遠ざけて、
抱きしめて守ってくれるんだ。

でもガイは違う。

僕を守ってくれるけど、
いつも僕の隣にいてくれる。

怖いものを排除するんじゃなくて、
僕にとって本当にそれが
怖いものなのか、
僕がどう感じるのかを
ちゃんと確かめてくれる。

今日のごはんもそうだ。

本当は僕は、わかっていた。

アンナが宿屋の中で
食事をしたがってるって。

ここに兄がいたら 僕はきっと外に出れなかった。

でも、ガイは僕を外に連れ出してくれるんだ。

僕の隣にいて、
僕がどうしたいのかを聞いてくれる。

困ったらすぐに助けてくれるし、
危ないと思ったら、
最初から排除するのではなく
なぜ危ないのかを
僕に教えてくれるんだ。

僕は今日、町に出て
いろんな事を知った。

お酒を飲むお店は
酔っ払いがいて危ないこと。

知らない人から
飲み物をもらったらだめなこと。

今日行った食堂で
僕はたくさんのお客さんたちに
飲み物や食べ物を
わけてもらったけれど。

それらは僕の口には入らなかった。

僕はお礼だけは伝えたけれど。

僕やガイは高位貴族だから
信頼できる者以外から
もらったものは
口に入れたらダメなんだって。

ガイは以前、信頼できると
思っていた相手から
薬を飲まされて大変なことに
なったって言っていた。

あの食堂は騎士団にいる
騎士の両親がやっていて
信頼できるから
僕を連れて行ったけれど。

何も知らない僕が
一人でこういったお店に
入ったりしたらダメだって言われた。

薬を飲まされて、
金品を盗られるぐらいなら
まだ良いけれど、
僕自身が攫われて
売られることもあるらしい。

それって、ものすごく怖い。

でも僕はそういうことを
今まで全く知らなかった。

危険なことが起こりそうな場所には
兄が行かせてくれなかった。

兄が先回りして
僕のために安全な場所を
作ってくれていたんだ。

でも、僕はの世界を知りたい。

僕の知らなかった世界を
見てみたいんだ。

もしかしたら僕は傷ついたり、
見たくないことも
見てしまうかもしれない。

でもそれは、
僕以外の人が普通に見て、感じて。

生活している世界なんだから。

だからね、
僕はガイが好きで
ガイの隣は安心する。

ガイの隣だったら、
なんだって挑戦できそうな気がする。

怖くなっても、
不安になっても、
ガイが隣で、大きな手で
僕の頭を撫でてくれたら、
それだけで頑張れる気がするんだ。

僕は両手を広げた。

まだ髪を拭いてもらっている途中だけれど。

「え、エレ?」

「だっこ」

「い、い、今か?」

「うん、今」

濡れててもいい。
今、ぎゅってして欲しいんだ。

ガイが身をかがめて僕を抱きしめる。

体が持ち上がった瞬間、
僕はガイの首にぎゅう、ってしがみついた。

「ふふ、僕ね、
ガイのここも、好き」

だから、抱っこするのは
僕だけにしてね、

ってガイの耳もとで言ったら、

ガイは何故か、顔をゆがめて
僕を強く抱きしめた。


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