「異世界転生したらギルドで笑われたけど、負けヒロインにはならない!」

ぐれおねP

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第二章 パン屋のドタバタ三日間

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一日目 皿洗いの戦い

「はい、これ。この皿を洗っとけ。割るなよ?」

主人がぶっきらぼうに突き出してきたのは、山のように積まれた食器だった。
愛梨沙は普段着のフリルシャツとオレンジのスカートのまま、白いベルトを指でととのえ、袖をぐいっとまくる。ハーフブーツの底が石の床にこつんと鳴り、気合いが入る。

「よーし、皿洗いなら任せてください! ……って言ったはいいけど、多すぎるよこれぇ!」

シンクの中では泡がむくむくと持ち上がり、銀色の水面がきらきらしていた。背伸びして覗き込む愛梨沙の表情は真剣だが、
手つきは不慣れで、濡れた皿の重さを甘く見ている。

「わっ! すべっ……きゃああっ!!」

ガシャーンッ!

盛大な破片の音が店内に響き渡った。客席でパンを齧っていた少年がびくっと肩を跳ねさせ、
粉袋を抱えた従業員の青年が慌てて駆け寄る。「大丈夫ですか!?」
愛梨沙は両手をぶんぶん振って、水しぶきを必死に避け、短いスカートの裾を濡らさないように小さく跳ねた。

「な、何してんだ嬢ちゃん!」
「ご、ごめんなさいっ! わざとじゃないんですぅ! お皿が……つるんって!」

床に散らばった破片を見て、主人は額を押さえる。普通なら怒鳴られるところだが、涙目で必死に拾い集める彼女の姿に、
青年が口元を押さえ、奥の年配の女店員は肩を震わせる。

「……ぷっ、ははは! お前、ほんとに不器用だな!」
「えぇぇ、笑わないでくださいよぉ!」

笑い声が連鎖して、張り詰めた空気がほどけた。破片が陽にきらりと光り、泡がはじける音が小さく続く。

(くそぉ……! こんなことで負けてらんないっ! お皿の一枚や二枚、私がちゃんと洗ってみせるんだから!)

タワシを握り直す。泡の向こうで、ぬるい水が指の間をすべっていく。指先のしわに洗剤の匂いがしみこんで、
お母さんが台所で鼻歌を歌っていた朝の光景が一瞬だけよぎる。――「冷めないうちに、ね」。
胸がきゅっとなる。帰りたい気持ちが、ぐっと喉まで上がってきて、同時に“今はやるしかない”が腹の底から押し返した。

――それから数時間。

胸元まで泡で濡らしながら、ようやく山のような皿を片付け終えた。腕が鉛みたいに重くて、
シンクに凭れかかると、白いフリルのシャツがぺたりと肌に張りついた。ハーフブーツの中まで湿っている。

「ふぅ……おわった……!」

ふらふらと腰を下ろした愛梨沙の前に、主人が湯気の立つスープを置く。素焼きの器から、
野菜と骨のだしが混ざった香りが立ちのぼり、鼻の奥がじんと温まる。

「ほら、今日のまかないだ」
「……わぁぁぁっ! スープだ! あったかぁい!」

両手で器を抱きしめ、勢いよく口に運ぶ。舌を火傷しそうになりながらも頬がゆるみ、
空っぽの胃袋に熱が広がるのが分かった。

「うぅ……しあわせ……! ごはんがあるって、こんなにありがたいんだね……」

主人は腕を組みながら、ふっと鼻で笑う。
「元気だけはあるみたいだな。明日も頼むぞ」

「はいっ! 絶対割りませんっ!」

元気よく拳を握る愛梨沙。その足元には、割れた皿のかけらがひとつ、まだ残っていた。
それをそっと拾って掌に置くと、自分がここでやっていくのだという決意が、小さな欠片みたいに形を持った。

二日目 店頭での大声と粉の嵐

朝のパン屋は、昨日よりもさらに香ばしかった。窯の前では丸い生地が次々と焼けていき、
カウンターには甘い艶のある菓子パン、胡椒の香りが立つ惣菜パン、長いバゲットが斜めに並ぶ。
窓から差す斜めの光がパンの表面で跳ねて、焼きたての皮が「ピキッ」と細く鳴いた。

愛梨沙はエプロンを身につけ、きらきらした目で店内を見回す。白いベルトをきゅっと締め直し、
ハーフブーツの踵で床を軽く鳴らして深呼吸。

「うわぁぁ! おいしそうっ! これぜんぶ食べていいんですか!?」
「食べるんじゃなくて売るんだ。いいな?」

主人が額を押さえながら釘を刺す。

「は、はいっ! 今日は失敗しませんっ!」
(昨日は皿を割りまくったからな……今日は絶対役に立たなきゃ! スマイル全開、元気全開!)

気合い充分で店頭に立つと、通りの人々の視線が彼女に向く。パンの匂いに誘われ、
行商の女が籠を下ろし、学校帰りらしい子どもたちが窓に鼻を押しつけた。

「いらっしゃいませーーっ! 焼き立てパンですよー! 今なら買った人に私のスマイル0円サービスつきでーす!」
「……嬢ちゃん、スマイルはどこでも0円だ」

主人が小声で突っ込むが、愛梨沙は止まらない。

「そこのお兄さん! このカレーパン食べたら三日はカレーいらなくなりますよ! いや、むしろ食べたくなりますよ!
 どっちだろ!? とにかく美味しいんです!」
「わ、わかったから落ち着け!」

半分呆れながらも、客はつい一つ買ってしまう。隣で見ていた女性も笑いながら財布を出し、
子供を連れた母親は「辛くないのはどれ?」と尋ねる。

「こっちのミルクパンはふわふわで優しいですよ。噛んだらミルクがじゅわって……あ、今私が言ってるだけで、じゅわは出ません!」
「お嬢ちゃん面白いねぇ。じゃあそれ二つ」

袋詰めの手は少し不器用だが、声は明るい。小さな手が伸びてきて、
「お姉ちゃんのおすすめは?」と聞かれる。

「おすすめは全部! でも最初の一個は――じゃーん、あんパン! 甘いのは世界を救う!」
「せかい?」
「そう、君のお腹の世界!」

子供がけらけら笑い、周りの大人もつられて笑った。店先に小さな渦ができて、
パンの香りと笑い声が風に乗って広がっていく。主人は頭を抱えつつも、口元の皺が少しだけ浅くなる。

「えへへっ、売れたぁ!」

その瞬間、事件は起きる。肘が粉袋に当たり、袋がくるりと回転して、白い粉がぶわっと舞い上がった。

「きゃっ!? 雪だぁーーー!」

子供たちは大喜びで跳ねたが、主人の表情は真っ青だ。粉の雲の中で、
愛梨沙は慌てて袋の口をつまみ、咳き込みながら「す、すみませんっ!」と頭を下げる。

「……嬢ちゃん……今日はもう下がっててくれ」
「えっ!? 私、がんばったのに!」
「頑張りすぎて迷惑なんだ!」

悔しそうに頬をふくらませながら奥へ引っ込む。けれど、子供たちが袋を抱えて走っていく背中を見て、
胸の奥に温かいものが残った。――(わたし、少しは役に立てたのかな)

奥に戻ると、年配の女店員がそっと肩にタオルを掛けてくれた。
「粉はたいて。ほら、髪にもついてる」
「ありがとうございます……。私、ほんとドジで……」
「最初はみんなドジだよ。笑ってれば、そのうち手も覚えるさ」

その言葉に、肩の力が少し抜ける。指先で星の髪飾りをつまんで、
(お母さん、私やれてる? ちゃんと食べて、ちゃんと働けてる?)と、胸の中でだけ問いかけた。

三日目 掃除の試練

翌朝のパン屋は昨日よりも静かだった。外の通りは夜に雨が降ったらしく、石畳がしっとりと光っている。
窯の火は小さく赤く、店の空気はまだ眠たげだ。

愛梨沙はモップを両手で構え、戦士みたいに真剣な顔をする。白いベルトを軽く触って、おまじないみたいに息を吸う。

「今日こそ! 絶対に成功してみせるんだから!」
「……いや、ただの掃除だぞ」

主人の突っ込みにも耳を貸さず、床をゴシゴシと磨き始める。
初手から全力。力の入りすぎた動きは――やっぱり、すぐに予想外の事態を招いた。

「うわああ!? バケツひっくり返したぁ!」

床一面に水が広がり、小川のように流れていく。客席に座っていた老人が「おっと」と足を上げ、
店先にいた子供が「すべる!」と歓声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って! これじゃスケートリンクよ!」

慌てて布を取りに走ろうとして、ハーフブーツが水にすべる。踏みこらえて、セーフ。心臓がばくばく言っている。

ゴンッ!

今度はモップの柄で天井のランプを叩き、粉塵がぱらぱらと降ってきた。うっすら白い霧が店内に落ち、
主人がこめかみを揉む。

「……嬢ちゃん」
「は、はい……」

叱られる、と身を固くする。だが主人の声は低いけれど、棘は少なかった。

「掃除ってのはな、目立たず、静かにやるもんだ」

「うぅ……また失敗……」

肩を落とす愛梨沙に、主人はため息をつきながらタオルを渡す。ついでに、桶と布を指差す。

「……まぁ、やる気だけは認めてやるよ。ほら、水は流すより、集めて持ち出せ」
「はい……」

膝をついて、水を押し集める。布が吸うたび、冷たさが指先に移っていく。床の木目の溝に沿って水が溜まる癖を覚え、
入口の隙間に丸めた布を詰めて流出を止める。やがて、広がっていた水は小さな水たまりに縮んでいった。

「……できた」

顔を上げると、主人は腕を組んだまま小さくうなずいた。

「そうだ。その調子だ」

その一言が、胸の奥で小さく灯る。やる気が、じわりと増していく。

「ほんと!? えへへっ、褒められたっ!」

ぱぁっと花が咲いたように笑顔が広がる。その笑顔は、主人の表情を一瞬だけ緩ませるほどだった。
奥で見ていた青年は親指を立て、年配の女店員は「よしよし」と目で合図する。

「――でも次はもっと静かにやれ」
「はぁい!」

モップを持つ手の力を少し抜く。床の隅、棚の脚、窓際。動きはさっきより滑らかで、音も小さい。
自分でも分かる。――(できる。ゆっくり、正確に。私、できる)

作業がひと段落すると、主人が店先の扉を少し開けた。雨上がりの匂いと、朝のひんやりした空気が流れ込む。
通りの向こうで、鐘が一度だけ鳴った。

「嬢ちゃん」
「はい!」
「腹は減ってるか」
「減ってます!」
「だろうな」

カウンターの端に、薄く切ったバゲットと、前日の残りのスープが置かれた。
パンの端をスープに浸すと、染みこんだ旨味が舌の上でほどける。思わず目を閉じた。

「……おいしい」

声が小さく漏れる。浮かぶのは、やっぱりお母さんの顔だ。「しっかり食べて、いってらっしゃい」。
胸の奥の痛みは、もう少しだけ優しくなっていた。

「ありがと……ございます」

ぺこりと頭を下げると、主人は「礼は仕事で返せ」とだけ言った。だけど、その横顔は昨日よりずっと柔らかかった。

どれだけ失敗しても、めげずに笑顔を取り戻す少女。失敗のたびに、少しだけ静かに、少しだけ上手になる少女。
それが、神咲舞愛梨沙という存在だった。

――明日は、今日よりうまくやる。そう決めた。星の髪飾りが小さく鳴り、窯の火がぱち、と応えた。
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