令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 シャガル領の八割を占める森を抜けるのに、二週間ほどかかる。ここがもし隣国の手に落ちた時に、王都へ一直線に進軍させないためだ。とは建前で、道を整備していないだけなのだ。クライブたちは山裾から森を抜けるコースを辿るはずなので、今頃まだ森の中にいるはず。大仰な馬車で出たうえ人数も多く小回りがきかないので、なかなか進めないだろう。

 わたしたちは数年前にヤスールの手に落ちてしまった河口の港に向かった。連れはサヤとスレイン、いつもの顔ぶれで恰好は旅人仕様、馬車は使わず、全員騎乗だ。

 小さな港町はきれいに舗装されて、街並みも整備され、領都より活気があった。

「外国みたいですね」

 サヤがとぼけたことを言うが、実際ここは今ヤスール領だ。ここが陥落してからわずか四年で発展できたことには目を瞠る。

 ギルドカードのおかげで入国税も払わなくて済んだ。ここから船で一日、タイナイラの港から半日、合計三日でタイナイラの領都に到着できる。
 
 タイナイラからは街道が整備されているので、騎馬なら二日ほどで王都に着く。クライブとの日程差のぶん、子爵領に滞在する予定だ。もちろん他領を幾つか通過するたびに通行税はかかるが、傭兵扱いならそれも少額で済む。

「何か手土産が用意できないかしら」

 この小さな港町では無理かもしれない。だがシャガルの領都よりは物品は豊富のようだ。
 
 シャガルにはこれといった特産品はない。領民は砦付近を開墾して農業をするか、森の浅いところで林業を営む。強いて特産品といえるものは木彫りの人形くらいだが、小さな子どものおもちゃ程度だ。

 領の収入を上げるべくわたしも思案してはいるものの、ヤスールの襲撃に備えるほうが急務なのでなかなか進まない。

 同じ抗争地のはずなのに、ここの港はひどく平和に感じた。

「手土産といってもここで日持ちするものは干物くらいしか手に入りませんよ」

 まわりを見渡しながらサヤが言う。

 小綺麗になったものの住民が全部入れ変わったわけではなく、食生活も変わっていない。

 港は山から延びる川の河口にあり、海は河口からいきなり深くなるので川魚と深海魚が主な食糧だ。

「深海イカのオイル漬け……」

 スレインが好物を呟く。深海に棲む小さなイカだが、産卵の季節には上の方に浮かんでくる。発光器官を持っていて灯りに寄ってくる性質があり、夜中に舟を明るくしておびき寄せて漁をする。発光するイカと明るい舟で、その夜景は見事なものだという。とれたイカはオイル漬けにして、保存食になる。

「一度しか食べたことがないけど、柔らかくて美味しかったような気がするわ」

 記憶を辿って味を反芻した。

 出航までにぜひ食べよう。貧しいシャガルでの食生活の間にそんなものを食べたことはない。食べたとすれば八歳までの間だろう。暴力の恐怖に怯えて過ごした数年間の記憶は曖昧になっていて、それ以前のこともぼんやりしていることが多々ある。打たれないよう細心の注意を払い続け、サヤとスレインに癒されてやっと自我を確立したと自覚したのはほんの数年前だ。

「深海イカならあそこにありそうです」

 サヤがイカの絵が描かれた看板をみつけて足を向けた。食料品の販売と少しのイートインスペースがある、ここらへんでよくある形式のお店だ。

「お姉さん、深海イカありますか?」

 店員らしき女性にサヤが声をかけると、にんまりとした笑みを向けられた。

「旅人さんかい? いい時に来たね。ちょうど今朝あがったばかりの深海イカがゆであがってるよ。食べていくかい?」

「ぜひ!」

 サヤより前のめりに、スレインが早口で返事をした。
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