令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 頬の傷が自然治癒するまで、邸で夫に会うことはなかった。こんなことならサヤに一気に治療して貰えばよかったと悔やんでいた午後に、母からの返書が届いた。

 曰く、ドレスを誂えるためにサヤに採寸させろとの事。こちらはドレスを借りたいだけだったのに、どうしてこんな勘違いがおこっているのか。

 サヤにも同様の指示が来ていたらしく、早速採寸されたメモを送れば、痩せすぎだと怒りの手紙が速達で届いた。

 相変わらず食事は領主家とは思えない貧しさだけど、料理人達は貧しいなりに工夫して美味しいものを作ってくれている。たまには街に出て肉やお菓子も食べているし、どう返信すれば良いのかわからない。

 王都までの道のりをゆっくり辿れば一月近くかかる。

 旅支度を始めようとする頃に馬の市がたち、よく走りそうな牡馬を一頭買い入れた。市には珍しくクライブも同行し、買った馬以外は見劣りしたとの事で、無理に頭数を揃えようとはしなかったらしい。

 市の帰りに夜会用のあれこれを買い込んできたそうで、馬の代金をそちらに回したかっただけかもしれない。もちろんわたしのドレスのことなど頭の片隅にもなかっただろう。あまり深く考えると、あの時打たれたのは馬を買うと見せかけてのお小遣いの要求だったのかもしれないと思いに至ってしまう。闇雲に夫を殺したくなるので思考を停止した。

 そのクライブは自分の分だけ立派な旅支度を整え、旅程より早くに勝手に一番良い馬車と、何人もの軍人を護衛に連れて旅立ってしまった。わたしには間に合うように適当に来いと執事のハイドに伝言を残して。

 わかってはいたし、クライブと同じ馬車で一月も移動するなんて考えたくもないけれど、わたしが王都に到着しなかった場合の事など考えたことがあるのかと小一時間問い詰めたい。いや、問い詰めるために顔を合わせたくない。

 クライブはあくまで入婿で、辺境伯の嫡女はわたしなのだ。婿だけで王宮夜会に出席するつもりだろうか。むしろその姿を見てみたい。
 数日後に、わたしも出発前に父に挨拶をしに軍舎へ向かった。

 事前に訪いを告げているのに、父の部屋のドアをノックする時には不在だといいのにと思ってしまう。

「これより召喚され、王都に参ります。お父様には留守をよろしくお願いいたします」

 ソファに座ったままの父に、まっすぐ立って背筋を伸ばして告げる。

 声が小さいと打たれる。姿勢が悪いと打たれる。言葉遣いが丁寧でないと打たれ、視線を逸らすと打たれ、指先が揃っていないと打たれ……。言葉通り体に叩き込まれた記憶がよみがえる。

 相変わらず威圧感がすごい。ただ座っているだけなのにやたらと大きく見える。

「クライブはずいぶん先に出たようだが」

「殿方にはたまには解放感も必要と考え、わたくしはご一緒を遠慮いたしました」

 実際にそんな打合せをしたこともないが、つらつらともっともらしいことを並べ立ててみる。背中に伝う汗がひどい。

「護衛に一個中隊をつけると良い」

「国防を担う大事な戦力を私事にお借りするわけにはまいりません。目立たない格好で、少人数で向かおうと思っております」

「……そうか」

 軍人なんかをぞろぞろ連れて子爵領に寄り道すれば、領地戦と誤解されてしまう。そもそも母のところに寄るのは父には内緒なのだ。

 わたしの言葉に父は小さく頷いて、ゆっくりと立ち上がった。

 打たれる。瞬間、身を固くした。

 何が気に障ったのだろうか。ここしばらくはうまくやり過ごしていたつもりだったけれど。ご自慢の軍人護衛を断ったからだろうか。父の存在感が増して、息苦しくなる。

「気を付けていくように」

 打たれなかった!

「はい」

 威圧に押し出されるようにして、扉から滑り出た。背中でドアを閉めてもたれかかる。今更冷や汗が噴き出てきて、水を被ったみたいになってしまった。


「強い男なら、守れると思ったが……」

 扉の向こうで立ち上がったままの父が、独り言ちていることなど、わたしは知るはずもなかった。
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