7 / 31
7
しおりを挟む
頬の傷が自然治癒するまで、邸で夫に会うことはなかった。こんなことならサヤに一気に治療して貰えばよかったと悔やんでいた午後に、母からの返書が届いた。
曰く、ドレスを誂えるためにサヤに採寸させろとの事。こちらはドレスを借りたいだけだったのに、どうしてこんな勘違いがおこっているのか。
サヤにも同様の指示が来ていたらしく、早速採寸されたメモを送れば、痩せすぎだと怒りの手紙が速達で届いた。
相変わらず食事は領主家とは思えない貧しさだけど、料理人達は貧しいなりに工夫して美味しいものを作ってくれている。たまには街に出て肉やお菓子も食べているし、どう返信すれば良いのかわからない。
王都までの道のりをゆっくり辿れば一月近くかかる。
旅支度を始めようとする頃に馬の市がたち、よく走りそうな牡馬を一頭買い入れた。市には珍しくクライブも同行し、買った馬以外は見劣りしたとの事で、無理に頭数を揃えようとはしなかったらしい。
市の帰りに夜会用のあれこれを買い込んできたそうで、馬の代金をそちらに回したかっただけかもしれない。もちろんわたしのドレスのことなど頭の片隅にもなかっただろう。あまり深く考えると、あの時打たれたのは馬を買うと見せかけてのお小遣いの要求だったのかもしれないと思いに至ってしまう。闇雲に夫を殺したくなるので思考を停止した。
そのクライブは自分の分だけ立派な旅支度を整え、旅程より早くに勝手に一番良い馬車と、何人もの軍人を護衛に連れて旅立ってしまった。わたしには間に合うように適当に来いと執事のハイドに伝言を残して。
わかってはいたし、クライブと同じ馬車で一月も移動するなんて考えたくもないけれど、わたしが王都に到着しなかった場合の事など考えたことがあるのかと小一時間問い詰めたい。いや、問い詰めるために顔を合わせたくない。
クライブはあくまで入婿で、辺境伯の嫡女はわたしなのだ。婿だけで王宮夜会に出席するつもりだろうか。むしろその姿を見てみたい。
数日後に、わたしも出発前に父に挨拶をしに軍舎へ向かった。
事前に訪いを告げているのに、父の部屋のドアをノックする時には不在だといいのにと思ってしまう。
「これより召喚され、王都に参ります。お父様には留守をよろしくお願いいたします」
ソファに座ったままの父に、まっすぐ立って背筋を伸ばして告げる。
声が小さいと打たれる。姿勢が悪いと打たれる。言葉遣いが丁寧でないと打たれ、視線を逸らすと打たれ、指先が揃っていないと打たれ……。言葉通り体に叩き込まれた記憶がよみがえる。
相変わらず威圧感がすごい。ただ座っているだけなのにやたらと大きく見える。
「クライブはずいぶん先に出たようだが」
「殿方にはたまには解放感も必要と考え、わたくしはご一緒を遠慮いたしました」
実際にそんな打合せをしたこともないが、つらつらともっともらしいことを並べ立ててみる。背中に伝う汗がひどい。
「護衛に一個中隊をつけると良い」
「国防を担う大事な戦力を私事にお借りするわけにはまいりません。目立たない格好で、少人数で向かおうと思っております」
「……そうか」
軍人なんかをぞろぞろ連れて子爵領に寄り道すれば、領地戦と誤解されてしまう。そもそも母のところに寄るのは父には内緒なのだ。
わたしの言葉に父は小さく頷いて、ゆっくりと立ち上がった。
打たれる。瞬間、身を固くした。
何が気に障ったのだろうか。ここしばらくはうまくやり過ごしていたつもりだったけれど。ご自慢の軍人護衛を断ったからだろうか。父の存在感が増して、息苦しくなる。
「気を付けていくように」
打たれなかった!
「はい」
威圧に押し出されるようにして、扉から滑り出た。背中でドアを閉めてもたれかかる。今更冷や汗が噴き出てきて、水を被ったみたいになってしまった。
「強い男なら、守れると思ったが……」
扉の向こうで立ち上がったままの父が、独り言ちていることなど、わたしは知るはずもなかった。
曰く、ドレスを誂えるためにサヤに採寸させろとの事。こちらはドレスを借りたいだけだったのに、どうしてこんな勘違いがおこっているのか。
サヤにも同様の指示が来ていたらしく、早速採寸されたメモを送れば、痩せすぎだと怒りの手紙が速達で届いた。
相変わらず食事は領主家とは思えない貧しさだけど、料理人達は貧しいなりに工夫して美味しいものを作ってくれている。たまには街に出て肉やお菓子も食べているし、どう返信すれば良いのかわからない。
王都までの道のりをゆっくり辿れば一月近くかかる。
旅支度を始めようとする頃に馬の市がたち、よく走りそうな牡馬を一頭買い入れた。市には珍しくクライブも同行し、買った馬以外は見劣りしたとの事で、無理に頭数を揃えようとはしなかったらしい。
市の帰りに夜会用のあれこれを買い込んできたそうで、馬の代金をそちらに回したかっただけかもしれない。もちろんわたしのドレスのことなど頭の片隅にもなかっただろう。あまり深く考えると、あの時打たれたのは馬を買うと見せかけてのお小遣いの要求だったのかもしれないと思いに至ってしまう。闇雲に夫を殺したくなるので思考を停止した。
そのクライブは自分の分だけ立派な旅支度を整え、旅程より早くに勝手に一番良い馬車と、何人もの軍人を護衛に連れて旅立ってしまった。わたしには間に合うように適当に来いと執事のハイドに伝言を残して。
わかってはいたし、クライブと同じ馬車で一月も移動するなんて考えたくもないけれど、わたしが王都に到着しなかった場合の事など考えたことがあるのかと小一時間問い詰めたい。いや、問い詰めるために顔を合わせたくない。
クライブはあくまで入婿で、辺境伯の嫡女はわたしなのだ。婿だけで王宮夜会に出席するつもりだろうか。むしろその姿を見てみたい。
数日後に、わたしも出発前に父に挨拶をしに軍舎へ向かった。
事前に訪いを告げているのに、父の部屋のドアをノックする時には不在だといいのにと思ってしまう。
「これより召喚され、王都に参ります。お父様には留守をよろしくお願いいたします」
ソファに座ったままの父に、まっすぐ立って背筋を伸ばして告げる。
声が小さいと打たれる。姿勢が悪いと打たれる。言葉遣いが丁寧でないと打たれ、視線を逸らすと打たれ、指先が揃っていないと打たれ……。言葉通り体に叩き込まれた記憶がよみがえる。
相変わらず威圧感がすごい。ただ座っているだけなのにやたらと大きく見える。
「クライブはずいぶん先に出たようだが」
「殿方にはたまには解放感も必要と考え、わたくしはご一緒を遠慮いたしました」
実際にそんな打合せをしたこともないが、つらつらともっともらしいことを並べ立ててみる。背中に伝う汗がひどい。
「護衛に一個中隊をつけると良い」
「国防を担う大事な戦力を私事にお借りするわけにはまいりません。目立たない格好で、少人数で向かおうと思っております」
「……そうか」
軍人なんかをぞろぞろ連れて子爵領に寄り道すれば、領地戦と誤解されてしまう。そもそも母のところに寄るのは父には内緒なのだ。
わたしの言葉に父は小さく頷いて、ゆっくりと立ち上がった。
打たれる。瞬間、身を固くした。
何が気に障ったのだろうか。ここしばらくはうまくやり過ごしていたつもりだったけれど。ご自慢の軍人護衛を断ったからだろうか。父の存在感が増して、息苦しくなる。
「気を付けていくように」
打たれなかった!
「はい」
威圧に押し出されるようにして、扉から滑り出た。背中でドアを閉めてもたれかかる。今更冷や汗が噴き出てきて、水を被ったみたいになってしまった。
「強い男なら、守れると思ったが……」
扉の向こうで立ち上がったままの父が、独り言ちていることなど、わたしは知るはずもなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【書籍化決定】憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新
7月31日完結予定
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
嫌いなところが多すぎるなら婚約を破棄しましょう
天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私ミリスは、婚約者ジノザに蔑まれていた。
侯爵令息のジノザは学園で「嫌いなところが多すぎる」と私を見下してくる。
そして「婚約を破棄したい」と言ったから、私は賛同することにした。
どうやらジノザは公爵令嬢と婚約して、貶めた私を愛人にするつもりでいたらしい。
そのために学園での評判を下げてきたようだけど、私はマルク王子と婚約が決まる。
楽しい日々を過ごしていると、ジノザは「婚約破棄を後悔している」と言い出した。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる