元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~

雪野湯

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第一章 勇者から父として

第8話 勇者の背後を取る老人

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――村へ

 
 村の出入り口付近には、小川が一筋流れていた。十歩もあれば渡れそうな幅で、小川には荷馬車一台が通れるほどの木製の橋が架かっている。

 その橋へ近づこうとしたとき、不意に背後から声を掛けられた。

「ほ~、壁に配置した見張りに見つからず、ようここまで来れたのぅ」
「――っ!?」

 俺は即座に前方へ飛び退きつつ、赤ん坊に衝撃を与えぬよう体の向きを変えて後方を向く。
 そして、剣のつかに手を添え、声の主を見据えた。

「何者だ!?」

 そこに立っていたのは、頭が薄ら寒く、白い髭をたくわえた老人。
 俺の警戒をよそに、老人は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。

「あっはっは、侵入者に何者呼ばわりされるとはの。それはこちらの台詞じゃろうて」



 松葉色の麻服を纏った老人は、俺が剣柄けんつかに手を掛けている姿を認識しても余裕を失わない。

 何を考えているかわからないが、少なくともただ者ではない。
 この俺の背後を取れるだけの技量の持ち主。
 だが、思惑はどうあれ、この老人から敵意や悪意などを感じない。

 俺は剣柄けんつかから手を放し、非礼を丁寧に詫びた。


「申し訳ない、声を荒げてしまい。見張りを避けて侵入したことに不審を覚えましょうが、危険を避けたかったためで悪気はありませんでした」
「その子のためかな?」

 老人は静かに瞼を下ろし、黒い瞳を細め、俺の懐へと優しげな眼差しを向けた。
 俺は無言でこくりと頷く。
 
 すると老人は、白い髭を数度撫で、俺の横を通り過ぎ、村へつながる橋へと向かう。
「無作法だと思うが、幼子がおれば戦いを避けたいと思うのは当然。目を瞑りましょう」
「ご理解に感謝を」
「ふふふ、ここはお前さんのような訳ありがやってくる場所じゃからな。多少の事情なら汲むことはできる。それに、お前さんは誰も傷つけておらんからな。お前さん、名前は?」

「俺は……ヤーロゥだ」
 ここは偽名を使う。本名を名乗れば、俺がここにいることが知られ、王国ガルデシアから何者かが訪れ、この赤ん坊――魔王の娘の存在が露見する可能性がある。

 
 そもそもとして、偽名を使ったところで元勇者だからすぐに正体がバレるのでは? という心配も頭の隅にかするが、それは無用な心配だと考えている。
 俺自身の名前は有名だが、実際の姿を知る者となると、戦場の兵士や王都に住んでいる者くらい。

 直接知らぬ者はやたらと美化された絵草子での俺しか知らないので、自ら正体を明かさないかぎり気づかない…………絵草子は美化しすぎなんだよなぁ、優男の方向で。俺は背が高く、がっつり体系だから会うとがっかりされるし。特に婦人方に。顔はそれなりだと思ってるんだけどなぁ。

 
 と、それはさておき、このような辺境に住む老人は勇者ジルドランの名は知っていても姿までは知るまい。
 案の定、老人は特に変わった様子を見せることなく、俺の懐へと瞳を寄せる。

「その子は?」
「え?」
「名前じゃよ」
「ああ、そうか……実は、旅の途中で命を落とした方から預かった子で、名前までは聞いていないんだ」

「ほ~、それはそれは悲しい話じゃて。しかしじゃ、事情はあっても魔族の赤子を託されて受け入れるとはのぅ。お前さんは変わっとる」
「……どうして、魔族の赤ん坊だと? 見た目ではわからないと思うが?」
「ここは人間族と魔族が手を取り合い住まう場所。おかげさまで、赤ん坊でもその違いがわかるくらい、互いに近い存在なのじゃよ」

「人間族と魔族が……話は本当だったのか?」
「確証もなく、ここへ訪れたようじゃな。詳しい経緯はわからぬが、魔族の赤ん坊を託され途方に暮れて、噂を頼りにやってきた、というところかの」
「ええ、その通りです」


 こう答えを返すと老人は微笑み、肩から力を抜く仕草を見せた。
 余裕そうに見えて、俺に対する警戒心はあったと見える。
 それを今の今まで、その欠片も見せないとは……本当に何者だ?

 俺は、老人を値踏みするような視線を見せた。
 すると彼は、小さな笑いを立てて、自身の名を口にする。
「ふぉふぉ、そういえばワシの自己紹介がまだじゃったな。ワシはリンデン。この果ての地に三つある村の一つ――レナンセラ村の村長をやっておる」



――――東方領域・最東端に入り口にある村『レナンセラ』


 土壁と木造の家が建ち並ぶという、田舎でよく見かける何の変哲もない村の風景。
 屋根色に派手なものはなく、黒や灰色のものが多い。
 村の周囲に柵が設けられているが、簡易的なものばかりで外からの侵入は容易たやすそう…………と、感じていたのだが、柵が刺さる地面から妙な魔力の反応を感じる。

(おそらく、土に埋まっているのは防衛用の魔石。これは、田舎の村の防衛力じゃないぞ)
 視線を村全体へと向ける。
 湾曲した格子状の小道が広がる。
 一見、見通しが悪く、不便にも思えるが……。


(道は住人以外にはわかりにくく、伏兵を隠すには最適。おいおい、要塞並みに防衛を意識してるじゃねえか)

 道行く村人たちが村長リンデンに声を掛けて、俺にも挨拶をしてくる。
 それは人間族に魔族たち。
 彼らは互いに肩を並べて談笑し、友人の姿を見せる。
 外の世界だと信じられない光景。

 
 俺は驚きを心に留め、彼らに挨拶を返す。
 通り過ぎる、人間族と魔族の農夫に猟師たち。
 その彼らの歩き方には無駄がない。

(ただの農夫や猟師のように見えるが、相当な手練れ。本業は戦士か?)

 
 牧歌的な村。
 だが、そこに内包されるのは、最前線の基地と称しても遜色のない村。
(なんなんだ、ここは?)


 東方領域の最東端――宰相の言葉通り、人間族と魔族が共存していた。
 彼らは人間族と魔族が殺し合いに明け暮れる大陸アデンドロンにおいて、異端の存在。

 双方から疎まれる存在だろう。

 だからこそ、外の世界に警戒を示して、見張りを置き、いざという時のために備えているのだろうが……そうであっても、俺にはその備えが過剰と思えて仕方がない。



 村長リンデンに案内されて、他の家よりも大きめな、高床式の木造住宅の前にやってきた。
 ここが村長の家だそうだ。

 室内へと案内されると、十数人が使用できそうな長机と複数の椅子が出迎えてくれた。
 様子からして、ここは村長宅兼集会所なのだろう。
 長机がある部屋からさらに奥へと進み、囲炉裏を囲む床貼りの部屋へと入る。
 王国や俺の田舎では見かけない変わった造りに視線を飛ばす。

 すると村長は「隣の大陸にある様式じゃよ」と答えてくれた。
 この村長は、人間族が大部分を支配している隣の大陸――人間族同士で殺し合いを重ねているという、隣の大陸に詳しいのだろうか?
 それとも、そこの出身?
 

 村長は勘繰る俺の気配に気づいているが、それを無視して、俺が懐に抱いている赤ん坊について尋ねてきた。
「その子の食事は?」
「一度、母乳を頂いてから、それらを保存して飲ませていましたがそろそろ尽きそうなところです」
「それはお困りじゃろうて。じゃが、幸いにもちょうど赤ん坊を生んだ女性が二人おる。その二人に母乳を分けてもらうといい。お~い、誰かおらんか?」

 村長リンデンが台所に呼びかけると、一人の青年が顔を出す。
「すまんが、ローレかカシアを呼んできてくれんかの。こちらの御仁の赤ん坊が腹を空かせて困っておるんじゃよ」


 青年は静かに頷いて、女性を呼びに行った。
 リンデンは囲炉裏の前に敷いた座布団に腰を下ろし、俺にも座るように促す。
 俺が正面に座ると、彼はいきなり言葉で斬り込んできた。

「勇者ジルドラン殿、少々お話をしましょうか?」
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