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第43話

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 金切り声が聞こえて、セシルはふいに目を覚ました。

「っ……!」

 視界がぐるぐると回り、頭が割れるように痛い。
 あたりには甘い香の匂いが漂っている。どこか懐かしい匂いに、セシルの記憶は混濁する。

 

 ――ここは、どこだ。

 ネイトに強い薬をかがされ、意識を失ったことを思い出した。

 薄暗い部屋。


 どこかの屋敷にしては、安普請な造りだ。
 
 板が張られただけの床に、粗末なテーブル。

 セシルは古い木の枠のベッドの上で、上半身を縄で縛られた状態だった。

 あれからどれくらい時間が経過しているのだろう。



「話が違うじゃないのっ!! このペテン師っ! お前が地獄に落ちればいいっ!」

 隣の部屋から聞こえたきた甲高い声は、エメラインのものだ。


「……あなたはもう必要ないのですよ。エイルマー夫人……」

「絶対に許さないわ! そうよ、お前の思い通りになんかさせるものですか!」

「なかなか気丈な方ですね……、でももうおしまいにしましょう」

 低く、くぐもった声。


 間違いない。ネイト・ハザムのものだ。

 すぐにドタバタと何かがぶつかりあうような音が聞こえてくる。そして……、


「きゃあああああ!!!!」

 エメラインの絶叫。



 セシルは慌てて起き上がる。幸い、脚は縛られていないので動くことができる。

 上半身を拘束されたままの姿で、セシルは隣室へと続くドアに体当たりした。
 薄い板一枚のドアは、あっけなく開いた。


「お母様っ!!」

 セシルが目にしたのは、信じられないような光景だった。

 背中にナイフを深々と刺されたエメラインが、血を流し倒れている。

 少し先には、椅子から崩れ落ちたような姿で、ピクリとも動かないセシルの父--、エイルマー子爵の姿があった。

 エイルマー子爵の土気色の肌から、すでに絶命していることは明らかだった。

「お母様っ、お母様っ!」

 セシルはエメラインに駆け寄って膝をつく。

 だが、エメラインの瞳孔は開いたままで、返答はない。即死だったのだろう。



「ネイト様! これはいったいどういうことです!」

 セシルはネイトを睨みつけた。


「おやおや、もうお目覚めですか、セシル様。相変わらずあなたはなかなかしぶとくていらっしゃる!」

 ネイトは鼻で笑うと、エメラインの身体を足でどかした。

「なにをするっ!!」

「そう気色ばまなくてもいいではありませんか。セシル様……。さんざんあなたを邪魔者扱いしていた人たちですよ。
ほら、こうして私が片付けて差し上げました。感謝してほしいくらいです」


「この人殺しが! 許されるとでも思っているのか!?」

「貴方こそ、今のこの状況がわかっているのですかな?」

 楽し気にいうと、ネイトはセシルの髪をつかんで上向かせた。
 酷薄な、薄茶色の瞳がセシルをねめつけている。

「……っ!」

「エドガー王にはさんざん手間をかけさせられましたよ。だが、もう逃しません。
あなたは私の大切な駒です。これからは私に従ってもらいますよ。セシル様。
なに、悪いようにはいたしません。あなたが仕える方が変わるだけのことです。
大丈夫、きっとジャックス王やエドガー王よりも、ずっと可愛がってくださることでしょう」

「なにを……、言って……」

「貴方はこれから、アブキゾに向かうのですよ。貴方は大切な私の手土産です。」

 ネイトの唇が醜く歪む。
 アブキゾは、西の砂漠の向こうにある大国だ。

「ネイト・ハザム……、あなたはいったい……?」

 ネイト・ハザムはジャックス王の腹心だった男だ。王に、国に尽くしてきた男だった。
 それなのに……。


「エドガー王にはしてやられました。もはやこの国に、私の居場所はない。
だから仕方なく……、いままで密通していたアブキゾに頼ることにしたのです。
だが、手ぶらでは失礼に当たります。
アブキゾの王太子が貴方を望まれているのですよ。貴方ほどうってつけの性奴隷は、ほかにいないだろうと……」

 クク、とネイトは喉の奥で笑う。

 エメラインがセシルに話していた言葉を思い出す。
 セシルが、幻燈の王族に売られるという話……。

 セシルは唇を噛み締めた。


「あなたは、嘘をついて私の家族を……」

「セシル様には申し訳ありませんが、本当に愚かなご両親だ!
エドガー王がエイルマー子爵に危害を加える気など初めからなかったのに、
私の言葉にまんまと騙さされて、自ら墓穴を掘った」

「なん、だと!」

 セシルが気色ばんだその時、外に通じていると思われる別の入り口の扉が大きな音を立てて開き、大柄な男が入ってきた。


「ハザム! 逃げられてしまったぞ! どうする? すぐにでも経つか?」

 紺のマントを身にまとい、長い髪を鬱陶し気にかきあげたその男……。


「ラッセル、大臣……」

「おやおや、セシル様! お目覚めになられたのですね」

 ラッセルは垂れた瞳を細め、嬉しそうに喉を鳴らした。

「あんな小僧、どうせ一人ではなにもできないでしょう。ですが……、そうですね。こんなゴミも増えてしまったことだし、ここは早々に立ち去りましょう」

 ネイトの言葉に、ラッセルはかぶりを振った。

「いや、少し待て。私はセシル様にお話がある。
これから砂漠越えだ。その前にちょっとくらい楽しませてもらおう。いいな、ハザム!」

「……この下種が……」

 ネイトが吐き捨てるようにいうと、ラッセルはセシルを横抱きにした。


「なんとでも言え! さて……、この前の、続きをしましょうか? セシル様?」



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