どうやら私、動くみたいです

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第四章 花子と恩返し

第八話 その力は全能にあらず

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 *

 今日は平日だからでしょうか。大型のショッピングモールの中にある映画館は、予想以上の静けさを保っていました。人はいると言えばいるのですが、その大半はお年寄りの方々です。さいたま市では高齢化が進んでいると聞いていましたけど、まさかここまでとは思ってもみませんでした。
 でも今の天狐さんの姿はお婆さんの姿ですから、周囲の違和感はありませんね。

「けれどツクモノよ、今朝みたいな童もこの街には沢山おるのじゃ。そう言った者達が、これから街を支えていってくれるじゃろうて」

 また彼女に心を読まれてしまいました。確かに彼女の心を読む力はコミュニケーションツールとして便利ですが、勝手に心を覗き込まれるのはあまり気分の良いものではないです。
 そんな事を考えていると天狐さんは追記するような形で、「ワシは結構楽しいがのう」なんておっしゃってました。やかましいです。

「で、師匠。どの映画を観るんですか?」

 券売機に並んでいる途中、財布の中身を確認しながら天狐さんに問い掛けていました。言われてみれば天狐さん、映画館に行こうとは言っていたものの、どんな映画を観るとまではおっしゃっていませんでした。なのでその質問に関しては、私も興味がありました。
  
「うむ、ハナコを観ようと思っておる」
「うーん、聞いた事無いなぁ」

 映画情報については、私もあまり詳しくはわかりません。せいぜい知っているものと言えば、テレビのコマーシャルでやっているものぐらいでしょう。けれどそんな映画のタイトルは、私も聞いた事が無いです。

「お主ら、そんな事も知らんのか」

 地味に発言の矛先に私が入っている辺り、またしても私の心を覗き込んだんでしょうね。もう、気持ち悪いったらありゃしませんよ。

 天狐さんの説明によると、今日彼女が観ようとしている映画の正式なタイトルは「HANAKO」と言うらしいです。何でも都市伝説の一つである「トイレの花子さん」をモチーフにした映画なのだそうで、主人公である小学生の男の子が花子さんと出会い、花子さんを含む学校七不思議と対面していくと言うお話みたいです。
 正直なところ聞いている限りでは、あまり面白そうに聞こえません。けれど映画と言うものを観た事が無かったので、経験の一つとして観てみるのは悪くないですかね。

 映画を観る為の切符らしき物を買い終えた天狐さん達は、上映時間がまだ少しあると言う事で、ポップコーンと言う食べ物を買おうと言い出しました。それが何なのかと訊ねてみると、天狐さんは「トウモロコシの粒を乾燥させて、火で弾けさせたものじゃよ」とおっしゃってました。

 トウモロコシって確か、黄色い粒がびっしり詰まった棒状の野菜ですよね。それの粒を乾燥させて火にかけると、目の前にあるクリーム色をした、出来の悪い髑髏《しゃれこうべ》みたいなのが出来るんですか。世の中には不思議な食べ物もあるものです。

 ポップコーンを二つと、何やらコーラと言う飲み物を買った二人は、映画を観る為の切符を係の人に見せて、上映場所へと足を進めていきました。後で聞いた話なんですが、どうやらこの切符みたいな物はチケットと言うらしいです。

「ここですね師匠」

 エスカレーターを上がり、表示板に「HANAKO」と書かれた場所へと辿り着いた二人は、急ぐようにして中へと入っていきました。まだ上映時間まで時間があると言うのに、お二人共せっかちな方ですね。
 思っていたよりも広々とした空間の上映場所には、誰一人として人の姿は見えませんでした。故に天狐さん達が勝ち取れた席は室内でもど真ん中、不戦勝とは言え「いい席を取った」と加胡川さんも自慢げに言うぐらいでした。
 勿論平日だからと言う理由もあるにはあるのでしょう、けれどやっぱりこの映画自体あまり人気が無いって事の方が、空いている説として有力なのかも知れません。

 そして上映時間一歩手前まで迫った時、天狐さんは加胡川さんに言いました。

「地狐よ、携帯の電源は切っておるか?」
「勿論、映画を観る時のマナーですからね」

 言われてみれば、上映前のコマーシャルみたいなものでも、携帯の電源はお切り下さいって書いてありましたっけ。でも周りの静けさからして、それこそ実際には見えてませんけど、人の気配なんて微塵も感じられません。誰も客の居ないこう言う時でも、マナーってものは働くものなんですかね。
 そんな事を考えていると、天狐さんはリュックサックのチャックを開けておもむろに、私の頭をひょっこりと出しました。急に現れた外の世界に、当然彼女に疑問を投げかけます。

「どうしたんですか、天狐さん」
「なあに、室内には誰もおらんからのう。お主も心置きなく映画を観せられると思うてな」

 彼女の気配りは尋常じゃないぐらいにありがたかったです。だって私、今日初めて映画と言う物を観るんですもの。しっかりとした体勢で観たいのは当たり前です。ーー例えそれがどんな映画だとしてもね。

「ありがとうございます」

 しかしながらこの大っきなスクリーン、何故か懐かしい感じもしていました。それもただの懐古感だけではなく、高揚感と共に訪れてきていています。もしかすると人間だった時の私は、映画館で映画を観るのが好きだったのかも知れません。
 妖怪になってからもこうして、初めて映画を観る日を記念日にしようとしている時点で、その可能性は十分にあるでしょう。なんだか自分の事なのに、他人みたいな言い方してるなぁ。
 これまでこんな感覚はやって来た事が無かったのにーー。やはり雛形区には、過去の記憶の断片みたいなものが散らばっているのやも知れないです。

 そうこう考えている内に室内の灯りはゆっくりと暗転しました。そして関連性があまり感じられない他の映画達の、紹介映像みたいなものが一通り終わった後、ようやくここへ来た目的である映画が始まりました。
 今の私は天狐さんに抱えられる形で映画の鑑賞体勢に入っています。なんだかんだありましたけど、これまでに無いものを体験するのはワクワクするものですね。

 物語は、主人公である男の子の足音から始まりました。コツッコツッーー。深夜の小学校に響くその足音の虚しさと言ったら、なんで誰もついて来てあげなかったんだとでも言いたくなるぐらいでしたよ。

『本当に……居るのかよ』

 手に持った灯りを頼りに、月の光さえも差し込まないトイレへと向かう男の子。ここで物語は回想シーンへと入りました。

 給食終わりの休み時間、学校で七不思議の噂をする同級生達の話を、男の子は盗み聞きするような形で聞いていました。

『校舎三階のトイレでドアを三回ノック、花子さんいらっしゃいますかって聞くのをワンセットでな、一番手前の個室から奥まで三回ずつやると三番目の個室から返事が返ってくるらしいぜ。しかもそこ扉を開けると、おかっぱ頭の女の子がいてトイレに引きずりこまれるって話だ』

 あまりに話が馬鹿らしく思えた男の子は、ついその噂話を「信じられない」と豪語します。しかし周囲の反応は、あたかも彼を異端扱いするかのようなものでした。そんな空気が苦しくなった男の子は教室を飛び出した、そして現在に至ると言うわけです。

 回想シーンを終えた途端、男の子は例のトイレの前に立っていました。

『端から順にあの動作はやった。最後はここのドアだけど、これで花子さんが出なきゃあの噂も嘘っぱちだって事だな』

 そう言いながらドアを三回ノックする男の子。一連の流れで「花子さん、いらっしゃいますか」と問い掛けますが、彼の思った通り何も起きません。

『やっぱり嘘じゃん』

 そして男の子は少し安堵した表情を見せて、家に帰ろうと後ろを振り返りました。ーーそこに赤いスカートを履いた、おかっぱ頭の女の子が居るとも知らずに。

『……はあい』
『うわあぁぁぁッ!』
「ぎゃあぁぁぁッ!」

 学校中に男の子の叫び声が響き渡りました。加えて私も、恥ずかしながらかなり大っきな声で叫んじゃいました。
 静かな室内で目立つ、明らかに場違いな幼さ漂わせる叫び声。例え人が居ないにしても、これはやらかしてしまったのかも知れません。だって映画館の係の人からすれば、今の叫び声は圧倒時な違和感ですからね。
 それを見た天狐さんは、すぐさま顔を上に上げて、あたかも今のは自分が叫んだとでも言うが如く表情を崩していました。ーーごめんなさい、天狐さん。

 正直ここまでの映画の流れは、私にも十分理解出来ていました。どうせこの辺で来るんだろうなってのは薄々わかってたんです、わかってたんですけども、やっぱり怖いものは怖いんです。

 でもそんなホラーチックな場面も、直後の女の子の行動で一瞬にして崩れ去りました。そう、あらすじからもわかるように、この映画はホラーと言えるジャンルではないのです。
 彼女は「何もそこまで驚く事ないじゃない」と言いながら、尻餅をついている男の子の腕を引っ張りました。おそらくこの子がこの映画のタイトルにもなっている、「花子」なんでしょう。ーーって、言わなくても普通わかりますか。

『お、お前が、と、トイレの、は、花子さん……?』
『そうよ。って言うかなんであなたはそこまで小刻みに震えてるの? 私はあなたに呼ばれたから返事をしただけなのに』

 彼女の言い分もごもっともです。自分は男の子に呼ばれたから返事をしただけ、なのに当の本人は恐怖のあまり羅列すらまともに回っていない。まるでこのシーンは、身勝手な人間の象徴とも言えるシーンのような気がしました。

 ここからの展開はまさにあらすじの通り、花子が男の子に学校の七不思議を見せていくと言うものでした。
 なのでその後の展開については、ご想像にお任せします。

 映画が終わると、何やら人の名前がいっぱい流れてくるシーンへと切り替わりました。黒いバックに白い文字が淡々と流れていく光景は、中々にシュールですね。おそらくこれは、この映画の制作に関わった人達の、名前を刻む石碑のようなものなのでしょうね。多くの人がこの映画に携わっている、そう思うと少し胸が熱くなります。

 大方人の名前が流れ過ぎた後、最後にはこの映画を制作したらしい会社の名前がアップで出てきました。この会社の名前には聞き覚えがあるな、なんて事を考えていると、突然天狐さんはリュックサックから飛び出していた私の頭を、焦るようにして押し込みました。

「ちょっ……天狐さん?」
「もうすぐ部屋が明るくなるのを忘れておった。誰かに見られると厄介じゃからのう」

 私達以外にお客さんは居なかったと思うんですけどーー。それに天狐さん、あなたが私の頭を出した時、まだ部屋は明るかったような気もしますよ。
 すると天狐さんはまたもやその考えを読み取ったのか、補足するよう「それもそうじゃな」と呟きました。しっかりしてるんだか抜けてるんだか、だんだん彼女の性格がわからなくなってきました。

 上映場所から出た天狐さん達は、エスカレーターを下りながら今回の映画の感想について話していました。誰かと映画に行くと、自分の感想と相手の感想を共有出来るのはいいですね。一人で映画を観る時には無いメリットですよ。

「あの『HANAKO』って映画、流石は不人気映画って感じのものでしたね」

 加胡川さんは今回の映画はあまり気に入らなかったみたいでした。対する天狐さんはと言うと、かなりな高評価のようです。

「そうか? ワシはああ言う始めから目的がはっきりとした映画は好きじゃぞ。物語の進み方もグダグダしておらぬしな」」

 私の意見としてはどっちもどっちって感じですかね。
 確かに天狐さんの言う通り、今回の映画は始めから目的がはっきりと定まっていたものでした。けれど、よくも悪くもその通りに事が進んでいっていたので、加胡川さんの意見に同意せざるを得ないのもまた事実です。だって最もハラハラした場面が、花子が出てきたシーンだけってのは結構致命的でしたから。これには、万人ウケしない映画ってのにも納得です。

 でも映画を初めて見た私としては、思い出補正も合わさってかかなり有意義な時間が過ごせました。
 最後に花子が男の子に言った、「私達はずっとここにいる。だからいつでも遊びに来てね」と言うセリフも、七不思議はずっと存在し続けるって事を意味している気がして良かったです。まるで現代の妖怪みたいな感じがしました。

 大方この思考も天狐さんは覗き見済み、私にはこの話題が振られる事が無いだろうとは思っていました。この感覚は慣れてはいけないんだろうけど、もはや覗かれ過ぎちゃって慣れちゃいましたよ。
 けれど加胡川さんは違いました。彼は階級的に言えば天狐さんよりも下、神通力ってものもあまり多くはコントロール出来ないが故、私の心を読む事が出来なかったみたいです。

「ツクモノはどう思ったんだい?」
「わ、私ですか?」

 急に話を振られてしまい、つい動揺してしまいました。何から話せばいいのか戸惑っていると、天狐さんは私の感想を代弁して言ってくれました。

「お二人の意見とおんなじです、らしいぞ」
「君は今回の映画とおんなじで、口ははっきりしないのかい、ツクモノ」

 余計なお世話です、寧ろあなたにそんな事言われる程、私も落ちぶれちゃいませんよ。ーー全く、彼の発言はいちいち気に触っちゃうな。
 リュックサックの中は彼には見えないので、思う存分あっかんべーをかましてやりました。自分が目の前で馬鹿にされてるのに気付かないなんて、ざまあみやがれです。
 すると私のすぐ上から「程々にしておけ」と聞こえてきました。今思えば加胡川さんにも他人の心を読む能力があったら、一体私と轆轤首さんはどうなっていたんでしょうか。妖狐の中でも天狐の位だけがこの力を使えるのはわかるんですが、もし今の加胡川さんでもその力が使えるようになったとすればーー。考えるだけでもゾッとします。

「ではワシらも、昼食と夕食の材料を買って家に帰るかのう」

 映画館を後にした天狐さんは、この階に来る時にも乗ったエレベーターと言う物の中に入りながら、ふとそんな事を口にしました。
 この地に来る途中、映画の半券で食事が安くなるとかなんとか加胡川さんが言っていたので、私はてっきりお昼ご飯はここで食べるのかとばかり思っていました。けれど今の天狐さんの気分は、加胡川さんの料理の気分みたいです。
 どうやら加胡川さんも同じ疑問を抱いていたらしく、困ったような表情で天狐さんの方へと振り返ります。

「お昼はここで食べないんですか?」

 まるっきり私と同じ疑問でした。もしかすると、いいえ、もしかしてであって欲しいんですけどね。私と加胡川さんって、案外気が合うのかも知れません。さっきは気に触るとか言っちゃってましたけど、やっぱり加胡川さんはそう言う方だから、ある意味仕方がないとも思いますし。

「でないとツクモノが飯にありつけんじゃろう?」

 加胡川さんの問いに一切の間も空けず、天狐さんはあたかも当然のような口ぶりで答えました。
 私の事は別に気にしなくてもいいのに、朝ご飯でお腹いっぱいになってますから。彼女に心を読み取ってもらえるよう、何度も何度も同じ事を考えてみましたが、今回に関しては全く読み取ろうとしません。心を読んで欲しい肝心な時に、天狐さんは心を覗きませんね。まぁ彼女の気持ちは嬉しいですし、ここは素直にその気持ちを受け取っておくのが吉でしょう。

「またツクモノですか。はいはい、どうせ僕なんかあなたにとってツクモノ未満の存在ですよ!」

 しかしそんな気持ちに遺憾の意を唱える方がここに居ました。そう、このかまってちゃんです。そっぽ向きながら加胡川さんがぼやきました。どうやら彼、私にヤキモチ妬いちゃってるらしいです。

「そんな事ないぞぅ。ワシはお主の手料理が食べたいだけじゃからのう」
「嘘ばっかり。ほんと、師匠はいつだって自分勝手なんだから」

 チンッーー。私達を乗せた小さな個室は、食品売り場のコーナーへの到着を知らせる合図を示しました。それと共にエレベーターのドアも、また私の足を運んだ事の無い世界への扉として開いていきます。
 そこは映画館の階とは違って、人が色々とごった返している空間でした。ここが人間達の栄養を摂取する為の行為、食事に必要な材料が売っている食品売り場と言う場所なんですか。とてもあの映画館と同じ建物にあるとは思えない場所ですね。
 言ってもここに今居る方々の多くは、高齢者の方でした。おそらく高齢者の方々は、映画に行ったりお買い物などをしたりして、老後生活を楽しんでいるのかも知れません。

「ツクモノ、お昼と晩、何が食べたいんだい?」

 何やら豆腐やらうどんなどの麺類が置いてあるコーナーで、ふと加胡川さんが言いました。
 前から思ってたんですが、彼のこう言う素直じゃないところ、天狐さんと良く似ています。やはり師匠と弟子は良く似るものなんでしょうか。

 正直私にそんな質問をされても、彼がどんな料理を作れるのかはわかりません。せいぜい知っているのはお味噌汁ぐらいです。
 なので私は、周囲に聞こえるぐらいの声で叫びました。彼の自信がある料理を口にしたい、その一心で。ーー今思えば、なんでそんな気が狂ったような事をしてしまったんだろう。

「あなたの、得意料理で!」

 リュック越しからでもわかるくらいの打撃が、私の頭に落ちてきました。

 *

 私達を乗せた車は、目的地である轆轤首さんの家を目指して発進しました。
 ここのショッピングモールは雛形区よりも、少し離れた場所にあります。なので家に着く頃は三十分程、今の時間的に言えば十三時ぐらいが妥当でしょう。お昼ご飯の時間は少し過ぎちゃってはいますけど、そこは妖怪なので気にしちゃいけません。

「ほんと、よくもまぁ君はあんな場所で大声を出したな」
「えへへ、すみません」

 チカチカと方向指示器と言う物を点灯させる音が車で軽く響きます。そんな中、加胡川さんは私に話し掛けてきました。おそらく彼は、エレベーターの時の事を未だに引きずっているみたいです。もういい加減忘れてくれてもいいのに。加胡川さんは他人の事になるとすぐに話を掘り返しますね。

 地味にあの時、私は妖怪となってから初めて拳を受けました。ほら、轆轤首さんって暴言こそ吐きますけど、決して殴るような人ではないでしょ。なのでショッピングモールで、加胡川さんが何の躊躇いも無く殴ってきた事に、実はかなりびっくりしたんです。ーーこの人って他人でも本気で殴るんだって感じで。

「もう良いじゃろ地狐。お主はズルズルと引きずるタイプじゃのう」

 例の白髪の少女は、うじうじ呟く加胡川さんに向かって、あたかも全て悪いのはお前とでも言わんばかりの勢いで言いました。彼女も彼女で言いたい事をスパッと言いますよね、それもあくまで加胡川さんに限っての事ですけども。

「だってぇ…………」

 他にも何か言いたそうになっていた加胡川さんでしたが、天狐さんの気迫に押されてしまい、黙り込んでしまいました。決して悪いのは彼だけじゃないのに、なんだか申し訳なくなってきますね。ーーごめんなさい、加胡川さん。

 それから十五分ぐらいが経ちました。加胡川さんは相変わらず車の運転を続けていましたが、天狐さんに至ってはすっかりと寝息を立てていました。眠っている姿もお婆さんの姿の時とは違って、また可愛らしいです。
 多分昨日の疲れがまだ残っていたんだと思います。私を抱いたまま寝ているのは嬉しいんですが、眠っているが故にいつ彼女が手を離すかハラハラとしてしまいます。ーーお願いですから天狐さん、お手手離さないで下さいね。

「ツクモノ、君はまだ起きているかい?」

 まだ見慣れていない都会の風景を眺めていると、隣から加胡川さんの声が聞こえてきました。「君はまだ」と言うセリフから、彼が天狐さんが眠っている事を前提として話し掛けている事がわかります。
 にしても急に私に話なんて、一体何なんでしょうか。もしや食品売り場での事を、また掘り返して怒るつもりじゃないでしょうね。天狐さんが眠っている状況でハラハラとしながらも、私は彼の質問にしっかりと答えるように言いました。

「お、起きてますけど……」
「そんなに怯える事ないじゃないか。僕だってもう、あの時の事は気にしてないよ」

 なんだ、それなら安心です。だとすれば加胡川さんは、一体何の話を持ちかけてきたのでしょうか。天狐さんが居ると言えども、実質二人っきりとなっている空間で、わざわざ話し掛けてくるなんて。ーーこんな所でもかまってちゃんは発動しちゃうのかな。

「なら、どうしたんですか」
「いやね、今更かも知れないけど……。君にはもう一度謝っておかないといけないなと思って」

 あっーー。私は彼の言いたい事を察しました。今更かも知れない、と言う言葉の意味は置いておくとして、彼が言いたいのは弔いの祠での一件を掘り返してきたみたいでした。
 正直言って、その一件に関しては私も許したくはないです。でも加胡川さんの一件があったからこそ、私と轆轤首さんは天狐さんや野鎌さんと出会えたってのもまた事実でした。故に彼が心配している程、私達もあの時の話を引きずってはいません。
 その趣旨を伝えるべく、私は少し愛想笑いを浮かべながら口を開きました。

「もうそこまで引きずらなくてもいいですよ。完全に許すってわけにはいかないですけど、別にあなたへ今でも怒りを覚えているわけでもないですし。現に加胡川さんも、私達の助けになってくれてるじゃないですか」

 天狐さんにこき使われているとは言え、加胡川さんが私達のお手伝いをしてくれています。なので私からすれば、もはや彼のやった事なんて過去の事に過ぎないんです。彼は少し繊細ですからこう言った、他人の顔色を伺うような仕草を見せてきますけど、別に今の私はそこまであの時の事を気にはしていませんでした。

「本当かい……。それでも僕がやった事が悪い事であるのには変わりはないよ。改めて詫びさせてもらうよ、すまなかった」

 すると加胡川さんはそこで終わりかと思っていた発言に、付け足すような形で言いました。「そこで質問なんだけど」

「僕も君の……友達に加えてくれないかい?」

 なるほど、そう言う事だったのかーー。私は彼の考えていた事を読み取りました。
 加胡川さんは天狐さんと私のやり取りを見ていく中で、友達と言う存在の大切さを理解していったんだと思います。だからこうして今、師匠である天狐さんの友達、ツクモノに声を掛けたのでしょう。ーー少し話し掛け辛い轆轤首さんよりも親しみ易く、師匠である天狐さんに最も近しい存在である私に。

「加えるとか無いですよ。あなたが私を友達と認識してくれたら、それでもう私達は友達ですから」

 無論私は快諾しました。だって友達を作るのに、理由なんて要りませんからね。友達はいくら居たって困る事は無いですし、寧ろ沢山いた方が楽しく妖怪としての一生を過ごせますよ。

「そうか、ありがとう」

 彼は少し照れ臭そうに、口元を緩めました。そんな簡単な事で悩んでいたとは、加胡川さんもウブなところがありますね。

 今度こそ話題が尽きたので、私は外の景色へと視線を移そうとしました。ですが彼とのお話は、ここからが本題だったのです。

「それともう一つ。僕に対する質問の答え、まだ君に言ってなかったね」
「質問の答え?」

 今度こそ、彼の発言の意味が理解出来ませんでした。映画館に着いてからここに至るまでの過程で、加胡川さんに質問をして返ってこなかった事など一度もありません。なので彼が私の質問の答えを未だに示していないと言う発言には、つい疑問を抱いてしまいました。

 しかし次の加胡川さんの言葉で、私は彼が何を言いたかったのかを完全に理解しました。

「ああ。僕が師匠の事をどう思っているのかって事さ」

 だからこのタイミングで私に話し掛けてきたんだーー。まだスヤスヤ眠っている天狐さんの顔を見て、私は頭を上下に動かしました。そりゃ天狐さんに聞かれたくないような話をするのに、天狐さんが居る状態では意味がありませんからね。
 しかしながら寝ているとは言え、天狐さんが居る車内でその話をするのもどうかと思います。でも私には彼女の小っ恥ずかしい感情よりも、彼の答えを聞く方がよっぽど気になってました。

「で、その答えと言うのは?」
「命の恩人、だよ」

 その瞬間、彼の返答の重さを痛感しました。同時に、それは部外者が安易にし踏み入ってはいけなかった領域である事も察します。だからあの時彼は私に問い掛けてきたのです、果たして私が自分の事を話すのに値する者であるのか、と言う事をーー。友達として信頼出来る存在なのか、をーー。

「僕が地狐になってまだ間も無い頃、日本は戦争をしていた」

 戦争ーー。私も聞いた事があります。お婆ちゃんがよく掛けていたNHKと言うチャンネルで、その特集を取り扱っていた程のものの事ですよね。けれどその言葉の意味を問われるならば、大きな争いである事以外は正直わかりません。ショウイダンやセントウキ、ゲンシバクタンなどの聞き覚えの無かった言葉に、あの時の私は全く興味が湧きませんでしたから。

「おっと、君には戦争はまだわからないかも知れないね。戦争と言うのは、簡単に言えば人間達が集団になって争う事さ。そしてこの国での戦争と言うのは、全く罪の無い人でも簡単に殺していくものだった。妖怪もその一部だったよ」

 一部だったーー。発言から、妖怪達も人間達が総力をあげた争いには、点で無力であった事は明白でした。
 確かに妖怪の多くは、特殊な力を持っています。しかしそんな彼らの力を持ってしても、その戦争と言うものは防ぐ事は出来なかった。現に妖怪と言う存在自体、世間的には実在しないものとして扱われている時点で、その話は真実味が帯びています。
 要するに妖怪が恐れられていた昔の時代とは違って、戦時中の妖怪の人間への影響力は、皆無だったのです。

「ツクモノ、君は妖怪でも死ぬ事を知っているかい?」
「はい。心紡ぎの宿で、お初さんと轆轤首さんに聞きました。確か外傷が大きければ他の生物同様死に至る、と」

 横目で私を見ながら、加胡川さんは微笑みます。「そうかい。なら話が早いね」

「無論僕も逃げる事しか出来なかった。地狐にはなっていたと言え、当時は力をコントロール出来なかったしね。そして逃げた先には、またセントウキが飛んで来た。もはやイタチごっこさ」

 彼のセントウキと言う言葉には、何故かリアリティを掻き立てられました。事実、彼が戦争体験者である事も要因の一つとして考えられるんでしょうけど、やはりテレビ番組でやっていた事と同じ話をされると、仕方がないです。
 いまいちセントウキについては、私も実態が知り得ないので何とも言えませんが、加胡川さんの話からとても恐ろしいものである事は想像出来ました。

「そんな中、僕は師匠と出会った。僕は元々街で人間達に紛れて生活していたんだけど、『ワシと一緒に来い。そもそも人間達と共に生活しているのが間違いだ』って言われたよ。階級的には当然地狐である僕より、天狐である師匠の方が上だった。でもその時の僕は、まるで自分の考えが全て否定されたような気がして、彼女に言い放ったんだ。『お前に何がわかる!』ってね」
「なんでまたそんな事を……」

 すると加胡川さんは、少し困ったような表情で苦笑いしました。それもさっきみたいな柔らかさを感じさせる微笑みとは違って、一点して強張ったものでした。ーーそれも自分が本当に自分だったのかを、心の何処かで迷っているかのように。

「多分、多くの人間との繋がりを、僕は断ち切りたくなかったんだと思う」

 加胡川さんは自分の過去の考えを、まるで他人の事のように言いました。それはおそらく、私の感じた通り彼には、あまりの逃亡生活から他人との繋がりに飢えていたが故、無心になってしまったんだと思います。
 だから彼は都会と言う人が密集した環境から、意地でも離れようとしなかったんじゃないでしょうか。そして今でも、彼は人間と繋がろうと悪戯を繰り返しているんだと思います。

「それでも師匠は、僕を無理矢理田舎の方へと疎開させた。勿論初めの方は僕も、いつ逃げ出すかの計画を練りまくっていたよ。けれどある出来事をきっかけに、その考えは消え去った」

 一拍置いてから加胡川さんは続けました。「トウキョウダイクウシュウさ」

「トウキョウ……ダイクウシュウ?」

 当然言葉の意味はわかりません。ですがとても嫌な響きのするワードでした。

「空に襲うと書いて空襲くうしゅうと言うんだ。意味はセントウキなどの乗り物から、爆弾やキカンジュウで攻撃するって事さ。僕が田舎へと疎開する前、最後に住んでいた街がその空襲にあってね。もしあのまま僕がそこへ留まっていれば……今の僕は存在しなかったかも知れない」

 空襲と言うものを、彼の話と過去のテレビ番組の映像から頭の中で想像してみました。空から大量に降ってくる爆弾、燃え盛る建物、逃げ惑う人々、どう考えてもこの世の地獄としか考えられないものがイメージされてきます。人間は悪い事をすれば地獄に落ちると言いますが、当時からすれば生きているのも死ぬのも、おそらく地獄だったに違いありません。
 私は胸の中がぎゅうっと苦しくなりました。それは人間に対する失望か、はたまた妖怪の無力さへの空虚心か、よくわからなかったです。

「それからと言うもの、僕は師匠への恩返しがしたくなった。確かに住む環境はガラリと変わってしまったけど、生き抜く事が出来たのは師匠のおかげだったからね。多分それは、彼女が旅先で保護した妖怪達も同じ考えだったんじゃないのかな」

 また聞いた事のある「恩返し」と言う言葉。轆轤首さんはその事について、「妖怪は恩返しの概念を大切にしている」とおっしゃていましたっけ。

「恩返し……ですか」
「そう、だから僕は今でも師匠についていっている。いつも僕は助けてもらってばかりだけど、彼女についていけば必ず、何処かで恩返しが出来る日が見つかると思うんだ」

 それが彼の、加胡川さんの答えでした。彼にとって天狐さんの存在は、正しく命の恩人そのもの。だからその恩を返すべく、加胡川さんは彼女について回っているのです。悪戯好きでかまってちゃんでもある彼でも、そんな信念は折り曲げる事は無かったのです。

 私はふと天狐さんの顔を見上げてみました。彼が彼女に尽くしているのなら、恩を返そうとしているのなら、私は轆轤首さんにどのような形で恩を返せば良いのかな。
 少し複雑に考え込んでしまいました。今の私に出来る事と言えば、せいぜいインターネットで調べ物をする程度の事です。おそらく私には、彼のように轆轤首さんの手となり足となる事は、到底出来ません。であればこれから先、彼女に恩を返すとすれば、私は何をすれば良いのか、全く思い浮かびませんでした。

「私も、轆轤首さんや天狐さん、そして加胡川さんに恩返しは出来るでしょうか?」

 答えが考えつかなければすぐ他人に訊ねてしまう、それは私の悪い癖ですね。すると加胡川さんは鏡を使って後ろを確認しながら、少し笑みを零しました。「僕は別に対象として含めなくてもいいよ」

「そうだねぇ……。君が轆轤首や師匠に恩返しをするとなると、中々に難しいと思うよ」
「ですよね。私なんて、市松人形に取り憑いたただの霊ですもの。出来る事なんてこれっぽっちも……」

 自分で言うと、正直言ってあまり実感が湧かないのですが、他の人に言われるとやはり結構来るものがあります。中々に恩返しをする事は難しい、であれば私は彼女達に何を返せば良いのでしょうか。

 信号が目の前で赤になり、車が停車しました。見覚えのある街並みが並んできましたので、そろそろ自宅の方に着きそうですね。
 そんな中、加胡川さんは少しの間待つ事を悟ったのか、私の方に顔を向けて言いました。

「でもきっと、君にも恩返しが出来る日は来るさ。何せ恩返しは、返せる形で返せばいいんだからね。君がその人の為を思うように考え、それを実行する。それもある種の恩返しの形だと、僕は思うよ」

 少し苦笑いした様子で、加胡川さんは続けました。「それでも最近の師匠の、僕に対する扱いは酷いと思うけどね」

 自分がその人の為と思った事を実行する。確かにそれであれば、私にも出来る事なのかも知れません。こんなちっぽけな私でも、それで皆さんのお役に立てるのであれば嬉しいですし。まさか加胡川さんからそんな答えが聞けるとは、思ってもみませんでした。

「加胡川さん。色々と聞かせてもらい、ありがとうございました」

 今回で加胡川さんの事、結構見直しちゃいました。初めは鬱陶しい程のかまってちゃんで、その為なら、他人の事なんか全く考えない人物としてしか見えていませんでしたけど、彼なりの理念があり、意思があると知った時、私は深く感銘しました。それもこれからの加胡川さんを見る目が、大幅に変わりそうなくらいです。
 彼とは気が合うって事も、次第に悪くない気もしてきていました。寧ろ友達となった今では、意見が合う友達が出来た事への安心感と、幸福感が同時に押し寄せてきています。

「そしてこれからも、よろしくお願いします」

 その言葉に、加胡川さんは細い目をより一層細く曲げて、私に微笑みかけてきました。おそらくそれは、彼なりの気持ちを受け取った合図だったのかも知れません。ーーいいえ、私はそう受け取っておく事にします。

「馬鹿狐、信号が青に変わっておるぞ」
「し、師匠、いつから起きてたんですか!?」

 糸のように細い目を精一杯見開いて、加胡川さんは驚きの声を上げました。これこそ鳩が豆鉄砲を食ったよう、と言った比喩が似合います。
 どうやらその口振りから想像するに、目が覚めたばかり、と言うわけでもなさそうです。もしかして私達の会話も初めから聞いていたのかもーー。だとすれば加胡川さん、結構恥ずかしいんじゃないですか。

「全く、嬉しい事言ってくれるのう」慌てた様子で車を発進させた加胡川さんは気付かなかったようですが、天狐さんの口からはそんな言葉が漏れていました。
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