雨はやさしく嘘をつく 第二部

黒崎優依音

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第十章 名前のない家

Vows Under a Rainbow

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sideルアルク



子どもたちの笑い声が、昼下がりの「名前のない家」に満ちていた。

新しい寝具の香りと、焼き立てのパンの匂いが混ざり合い、どの部屋からも楽しげな声が響く。



「ルーくん! これ見て!」

手を振るのは、まだこの家に来て半月ほどの男の子。

木製のブロックで小さな教会を作っていた。



「上手だね」

しゃがみこんで目線を合わせると、彼は照れたように笑って「ママに見せたい」と言った。

その言葉が、胸の奥を静かに温めた。



ふと窓の外を見る。

青空の中に薄い雲が流れ、春の花びらが風に揺れている。

――穏やかで、何も起こらないはずの午後。



「お父様、少しよろしいですか?」

振り返ると、リシェリアが立っていた。

笑顔なのに、どこか意味深な目の輝き。



「どうしたんだい?」

「少し……お願いがありますの」

「お願い?」

「ええ、すぐ済みますから」



その言い方がどこか怪しい。

だが、断る理由もない。



と、そのとき。



「ママー! こっち!」

「お父さんも!」



フィリアと、他の子どもたちが一斉に走り出す。

気づけば、リリが腕を掴んでいた。

「ちょっと、ルーはこっち!」

「え、な、何ですか?」

「いいから! こっち!」



背中を押されるままに廊下を歩かされ、

扉を開けると、そこは見慣れた客間――のはずが、鏡や花、見たことのない衣装が並んでいる。



「……これは?」

「支度部屋。新郎用」

リリがさらりと言いながら、鏡越しに笑う。

「いい顔してるじゃない。はい、こっち向いて。髪、少し整えましょ」



「え、ちょっと待ってください、これは……」

「言葉より行動! はい、じっとして!」



慌てる間もなく、ミスティアスが現れた。

「ルアルクさん、ネクタイずれてる。俺が直すよ」

「ミスティアスまで……」



セレスも控えめに微笑んでいる。

「……とてもお似合いです」

その一言に、逃げ場を失った。



「……まさか、これって」

「気づくの遅い!」

ミスティアスが笑いながら肩を叩く。

「ルアルクさん、今日は“サプライズ結婚式”だよ」



「……え?」

頭が真っ白になる。

それを見てリリがにやりと笑う。

「さ、花嫁はもう準備万端。あんたもシャキッとしなさい」







中庭に出ると、まるで春の光が降り注ぐような光景が広がっていた。

白い布で作られた簡易アーチ、花びらで飾られた通路、

そしてその先に――白いドレスのユリカが立っていた。



一瞬、息が止まる。

胸の奥がじんわりと熱くなる。



「……綺麗だ」

思わずこぼれた言葉に、ユリカが頬を染めて笑う。

「ありがとう。あなたも、立派な新郎よ」



周囲の子どもたちがざわめき、リシェリアが神妙な顔で前に立つ。

司祭役らしい白いローブを着て、真面目な口調で言葉を紡ぐ。



「――それでは。

 ルアルク・ノア・アストレイド。

 そして、ユリカ・ナーバ・アストレイド。

 ふたりの愛と絆を、ここに誓いますか?」



「はい」

二人の声が重なった。



リシェリアは頬を染めながら、それでも凛とした声で続ける。

「では……誓いのキスを」



その瞬間、場の空気が凍る。

視線が一斉に自分へ。

足が動かない。



「……」

喉が渇く。

リリがにやにやしながら腕を組み、ミスティアスが口元を押さえて笑っている。



どうしたらいいかわからない。

心臓が爆発しそうに鳴っている。



そんな中で、ユリカが静かに微笑んだ。



「……じゃあ、私が誓うわ」



一歩、近づいて――

軽く唇を重ねた。



一瞬。

本当に一瞬だけのキス。



けれど、それだけで世界が音をなくす。

胸が熱くなり、視界が滲む。



「……ごめん、人前で」



気づけば、腕が動いていた。

彼女を抱き寄せ、もう一度唇を重ねる。

今度は深く、確かに、心の奥まで響くように。



ざわめき、息を呑む音。

どこかで誰かが拍手を忘れている。



リシェリアがぽかんと口を開け、そのあと真っ赤になって膝をついた。



「お姉ちゃんが壊れた……」

「大人って……すごい……」



子どもたちの囁きが、くすぐったい。

リリが手を叩いて笑う。

「最高よ! あんたたち、永遠にそのままでいなさい!」



腕の中でユリカが笑いながら涙をこぼす。

「……ほんとに、あなたって」

「ごめん。でも、もう一度ちゃんと誓いたかったんだ」

「ええ。今度は、ちゃんと“雨じゃない日”ね」



その言葉と同時に、空から一滴、雨が落ちた。

すぐに陽光が差し、雨粒が光の粒に変わる。



リシェリアが空を見上げて、目を潤ませながら微笑んだ。

「……見て。虹」



七色の光が、二人の上に架かる。



「きっと、お空のパパが祝福してくれてるのね」



ユリカが小さく頷き、ルアルクの胸に顔を寄せた。

「ありがとう、シェイさん。

 ――あなたの愛を、ちゃんと受け取りました」



風が花びらを運び、光が降り注ぐ。

子どもたちの笑い声、泣き声、そして拍手が混ざり合い――



その虹の下で、新しい“家族の物語”が、静かに始まった。





sideミスティアス



夜更けの雨が、窓をやさしく叩いていた。

秋の深まるころ。

家の中には、静かな緊張と祈りが満ちている。



廊下の隅でミスティアスは両手を握りしめていた。



「……母さん、大丈夫だよな……」



リリがため息まじりに笑う。



「大丈夫よ。ユリカがこんなことで倒れるもんですか」



「ほら、ファリス。

 もうすぐお姉ちゃんになるのよ」

フィリアの声掛けに、抱かれたままのファリスはきょとん、と首を傾げた。

その無邪気な姿が張りつめた廊下の空気を少し和らげる。



『ファリスもまだ歩けないのに、もうお姉ちゃんかよ!』

ナーバの軽口に、ミスティアスは剣の柄を軽く叩いた。

「うるさい、ナーバ。

 それは俺が一番言いたい」



それでも、扉の向こうの苦しそうな声に、胸がざわつく。

やがて――。



「おめでとうございます、男の子です!」



その一言に、ミスティアスの肩の力が抜けた。

扉の中から聞こえるのは、母の泣き笑いと、義父のすすり泣き。



ユリカは濡れた額に髪が張りついたまま、小さな命を胸に抱いた。



「……かわいい……この子も、あなたに、そっくり」



ルアルクは目を潤ませ、

震える声でその名を呼んだ。



「――ようこそ、シュリク」



雨はいつの間にかやみ、

月が静かに雲の切れ間から顔を出していた。







sideユリカ



それから二年後の秋。

庭に小さな笑い声が響く。



黒髪に藍の瞳の少女――ファリスが、弟の手を引いている。



「シュリク、あぶないよ!」



次の瞬間、栗色の髪の少年が足をもつれさせ、

ころん、と転んだ。



「いたっ……」



ファリスは慌てて駆け寄り、

ずれていた石畳を小さな手でまっすぐに戻してから、

弟の手を取った。



「だいじょうぶ? シュリク」

「うん……あ、ありがとう、ふぁりす」



小さな手が、しっかりとつながる。

二人はまた笑いながら駆け出していった。



――その仕草が、ユリカの胸をふっと締めつけた。



(あの夢……そう。あのとき見た二人の子は、この子たちだったのね)



リシェリア妊娠中に見た夢がふわっと蘇る。



夢では、黒い髪の子と栗色の髪の子が、庭の石畳をくるくる回っていた。

黒髪の子がふっと笑ったとき、目の造作と口元の線が、ルアルクにそっくりで胸を締めつけられた。

栗色の髪の子は、軽い段差に足をとられて、つんのめって、それでも笑って立ち上がる。

黒髪の子は一拍遅れて近づき、ずれていた石を無言で揃え、相手の袖に手を添える。



――その、整えてから支える、妙に大人びた仕草が、まるでシェイのようだった。



(あの時は、勝手に両方男の子だと思っていたけれど……あなたは私の娘だったのね)



窓辺から見つめるユリカの隣に、ルアルクが立つ。



「似てるでしょう? ファリスの動き、どこかシェイさんに。

 別に黒髪だからって理由でなく、ね。

 そして……あの笑顔は、君にそっくりだ」



「ふふ。

 笑顔ならあなたのほうに似ている気がするけど?

 シェイさんは“整えて”くれる人だから、この子も誰かを支える子に育つのね」



ルアルクは微笑み、ユリカの肩を抱いた。



「――君たちが笑っていられるのなら、それだけで十分だよ」



ふと、ファリスが空を指さした。



「ママ! ルーくん! みて、にじ!」



雨上がりの空に、薄い虹が弧を描いていた。



「ねぇルアルク……きっと、見てるわね」

「ああ。

 あの人も、あの虹の向こうで――

 “ありがとう”って微笑んでる」



ユリカは静かに頷き、白いリボンにそっと触れた。



(ありがとう、シェイさん。

 あなたの愛は、ちゃんと未来に届きました)



風が通り抜け、

ファリスとシュリクの笑い声が庭いっぱいに広がる。



――それは、過去と未来をつなぐ“祝福の音”だった。



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